卿菊 ※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。
    知らない方はいらっしゃらないと思いますが、一応、貴族英(アーサー=カークランド)と日本の商人(貿易商)の令嬢菊という身分違いの結婚のお話しで、舞台はイギリスです、よ、ね……?
    日本の足は悪くて歩くのも杖が必要とか。あと時代背景は一切調べてません。ごめんこ(・∀・)
 
 
 
 
『 Aprile 』   始まりの四月
 
 
 初めて結婚相手として父様が決めた相手が外国の方だと知り、正直菊は目の前が暗くなる心地を覚えた。あれ程父は自分の結婚相手には、絶対に菊が幸せになれる人物を……と言っていたのに、結局は父の仕事である貿易商で有利な相手を選んだのだと、そう菊には思えてしまったからだ。
 昔一度会ったことがある、と言われたのだが、名前を聞いても聞き覚えはないし、写真で見てもその顔に覚えなど無い。第一どうして英国の貴族が、自分の様な日本の商人の、それも足が不自由な自分を結婚相手として選んだのか、それさえ分からない。
 もしかしたら愛人に肩入れをしていて、都合の良さそうな相手を勝手に選んだのかもしれないし、日本で大々的に仕事がしたいのかも知れない……それは分からないのだが、結局自分が何も知らない異国に行って、果たしてどうやって過ごせばいいのか、それさえ分からなかった。
 本当は、怖くてならなかった。
 そしてそんな事、勿論父には言えないでいた。日本でもいくつかは結婚の申し出を受けていたはずなのに、どうして海を渡って、まるで見知らぬ人に嫁がなくてはならないのだろうか。
 そうして堂々巡りを自分の中だけで考えていて遂に今日、その相手と直接会わなければならない日を迎えてしまった。わざわざ自分を自国から迎えに来てくれる、と言っていたが、どうしてそこまでするのか、やはり菊には分からない。
 午後に会う約束を取り付けていたというのに、直前になって菊は使用人の目を盗み、幼い頃からいつも自分の逃げ場所として使っていた、裏庭に生えた一本の桜の下に置かれている小さな木製の椅子に腰を下ろし、ヒラヒラと舞い落ちる桜の花びらをぼんやり眺めていた。
 満開から一歩過ぎてしまった桜の花びらは、堰を切ったように絶えずチラチラと舞い落ち地面に薄桃色の絨毯を織り上げている。その光景を、春が来ると毎日毎日ここに座って楽しんでいた。
 それも、今年までなのだ。こんなにも慣れ親しんだ、愛したこの国を、この場所を、そして人々から別れを告げ、そして一人で遠く遙か向こうに行かなければならない。
 いつの間にかふと目頭が熱くなるのを感じ、俯き涙が零れるままにする。この場所だけは、ずっと幼い頃からいつだって泣いていい場所と決めているから、もう抵抗も無い。
 その時背後で葉が不自然に揺れる音がして、菊はそのままの体勢でほんの微かに潤んだ目を大きくさせた。
「……王耀さんですか?」
 一つ風が吹き抜けていく中、ザワザワという葉がぶつかりあう音に混じり菊が小さくそう訪ねるが、返事は無い。
 家の影となっている裏庭独特のじめじめとした土、肌寒い空気、苔、そして桜の木に遮られてまだら模様となった太陽のオレンジ色の光りが地面に散らばっているのを眺めながら、菊は小さく苦笑をその形の良い唇に浮かべる。
 王耀はずっと幼い頃から兄のような存在で、自分がどこかで一人泣いていると、どうやっているのか何処からともなくやって来て、いつもの笑顔を浮かべて自分の横に座った。どうして私がどこに居るのか分かるのか、と訪ねると、彼はただ笑い何も言わない。
「私、本当は嫁ぐのが怖いんです。」
 彼という存在と、この慣れ親しんだ場所だからこそやっと口から出てきたその言葉に、菊は思わず泣き出しそうな自身の顔を手で包み込んで引き締める。
「ここを離れたく無いんです。それなのに、どうして……」
 向こうだって別段望んでいない結婚だろうに、イギリスにまで行かなければならないのか。決して誰にも打ち明けられない事を言えるのは、これが本当にそのチャンスの最後だからかもしれない。もう二度と、この土地に足を踏み入れる事は無いのかも知れない。
 また涙が盛り上がり、視界が半分霞んで消えた。それでも兄は何も言わずにそこに立っていたのか、やっと自身に近寄ってくる足音を聞き、菊はそっと顔を持ち上げ、そして動きを止めた。
 あまり目にしたことがない、目が焼けてしまいそうな程に綺麗に輝く金髪と、緑色の瞳が二つ、不思議そうな色合いを宿して自分を見下ろしている。まだら模様に降り注ぐ太陽の光の一部が、彼のその髪を透かして宝石の一種の様に美しい。
 一瞬間を開けてから、不意に彼女の顔に朱が混じり、そして直ぐに青くなり涙が溜まっていた瞳から涙がこぼれ落ちた。慌てて拭いながら俯き、微かに体が震えるのを覚える。
「……ごめんなさい、私、王耀さんかと思ってしまって……」
 声を詰まらせてそう言ってから、彼が酷くキョトンとしている事に気が付き、目の縁が赤くなってしまった顔を持ち上げる。
 それからふと、彼は日本語がまるで出来ないのだという事を思い出し、ホッと小さく溜息を吐き出した。それならば自分が言った言葉は一つも理解出来なかっただろう……そう考えてから、そんな世界で暮らさなければいけないのだと思い出し、また胸の奥が痛くなる。
 俯いた菊の直ぐ目の前まで歩み寄ったアーサーは、無言のまま小さく首を傾げ、戸惑った表情のまま屈み込んだ。菊は彼の顔を見やり、慌てて笑顔を取り繕う。
「早くお着きになったのですね。……どうしてここへ?」
 この結婚が決まる前から勉強をしていた異国語でそう彼に話しかけると、アーサーは緑の瞳を輝かせ、そして嬉しそうに頬を緩めた。その顔が、写真でみた彼の印象と大きくかけ離れている。
 もっと笑わない、良く感情が分からない人だと、勝手にそう思い込んでいたのだ。
「言葉は喋れるのか。」
 満足そうな声色で彼はそう言い、そしてまるで子供の様に目を細めて笑う。それまで彫刻の様に整った顔が、人間味を帯びた。
「先程着いたのだが、肝心の貴女が行方不明だと聞いたからな。」
 なぜか若干偉そうな口調でそう言うアーサーに、菊は眉尻を下げて申し訳なさそうな顔でまた俯く。別に騒ぎにするつもりは無かったし、気を紛らす為にここに来たのだが、まさか探しに来るとは思いもしなかった。
 俯いた菊に、何か言いたそうな顔をアーサーは向けるのだが、一体何と言っていいのか分からずに困って顔を他方に向ける。ザァッと音をたて、一つ、風が吹き残り僅かな桜の花びらを更に舞落とす。
 それはまるで雪、と例えても不思議では無いのだが、雪よりも更に美しく、そしてどこか哀しい光景だ。
 アーサーは暫く黙り込んでから、菊の隣りに一声掛けて腰を下ろす。直ぐ隣の彼女が、小さいからだを更に縮め、そして緊張するのが隣りに座っただけで良く分かった。
 
 
 初めてこの話を貰ったとき、東洋に別段何の関心も無かったアーサーは、数多い婚約者候補の名前の中に彼女の存在を簡単に埋めた。写真で見た姿も、華やかさとは縁遠い黒の髪に黒い瞳が不吉で陰気にさえ見えた。
 その後一度、仕事で日本にまで遠出せざるを得なくなり、その時に催された社交場の一角で、生身の彼女を見つける。足が悪いときいていたとおり、彼女は一人で椅子に座り、楽しげに踊ったり喋っている人々を遠巻きに見ていた。
 なぜ彼女の事がそんなに気になったのか分からないけれど、自分は何かというと彼女の姿を会場の至る所で見つけては、そこで視線を止めてしまう。
 写真では陰気そうだという感想しか受けなかったのだが、椅子に座り美しいキモノを身に纏っている姿は、まるで日本人形と等しく、その容姿が美しいのだとやっと気が付く。
 そして不意に現れた男(後から聞いた話、彼女の兄の様な存在だという)と2,3言言葉を交わし、そして酷く柔らかに菊は微笑んだ。
 その瞬間、大好きな詩の一遍さえ頭から出て行ってしまい、ただ彼女のその姿だけが頭の中に残った。欲しいと……まだ会話さえしたこと無いのに、あの笑顔も彼女自身も欲しいと、そう思った。
 本当の事を言えば、これが失敗しても他に誰かを囲ってしまって構わないと、そんな考えが一切無かったと言えば嘘になるのだが、それでも今この瞬間は、そんな事は思いも寄らない。
 結婚が決まった後もう一度日本に訪れ、そして今この瞬間菊の横に座り、そしてただ散るサクラをぼんやりと眺めている。
 日本人が千年以上愛して止まない桜の花がどんな物なのかと、自国からずっと楽しみにしていたのだが、いざ見てみると桜の花は非常に地味な物だった。一体何がそんなに美しいのか、薔薇の方がよっぽど派手で綺麗だと、そう思えてならなかったのだ。
 それなのになぜか、今日この桜の下で泣いている彼女を見つけた瞬間、桜の美しさが理解出来た。もう葉桜となって見目は汚らしい木なのに、舞い落ちる花弁は例えようもなく美しくて、儚い。
 本当はどうして泣いていたのか聞きたかったけれど、そんな一言さえ聞けない程に自分は彼女の事を何一つ知らなかった。名前と歳、そして出身国しか知らない……それでも、泣き顔など見たくないと思うのは、図々しいのだろうか。
「……この国の花は綺麗だ。」
 重い沈黙を破り、小声でそう言うと隣りに座っていた彼女は驚き、黒い瞳をアーサーに向けるのが気配で分かる。
 ゆっくりと立ち上がると、菊の前に膝を付き跪くと、細く白い彼女の手を取り、唇を落とした。そこでようやく、本当に彼女に体温があるのを知る。
 顔を持ち上げ、赤くなった彼女の顔を見やりながら、「貴女はこの花に似ている」と言いかけ、寸ででなぜか言葉は出てくることなく飲み込んでしまった。違う女にだったら、きっといくらだって出てくるだろうに。
「……家の中まで送ろう。」
 腕を差し出してそう言うと、一瞬彼女は戸惑ってからそっと腕を伸ばし、自身の腕と絡ませる。
 驚く程に軽い彼女の体を感じて、結婚をしたらもっと食べさせなければなるまい。などと頭の片隅で考える。
「ごめんなさい」
 隣りで小さな謝罪が聞こえ、アーサーは片眉を持ち上げて俯いた少女を見やってから、小さく首を振った。歩幅を菊に合わせるのに若干苦心をするのだが、謝られる程では当然無い。
「謝る必要は無い。これから一生、貴女の足になるつもりでオレは来たんだからな。」
 そう言った瞬間また風が吹き、思わず顔を顰めて目を細めた瞬間、微かに自身の腕を掴んだ彼女の指先の力が強まり、思わずそちらに目線をやった。ほんのり桃色が走る柔らかな彼女の頬と、それと同じ色の桜の花びらが自分達を取り囲む。
 こちらを見上げた彼女が、照れたように、それなのにどこか泣きそうな表情で、微笑んだ。