卿菊 ※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。
    知らない方はいらっしゃらないと思いますが、一応、貴族英(アーサー=カークランド)と日本の商人(貿易商)の令嬢菊という身分違いの結婚のお話しで、舞台はイギリスです、よ、ね……?
    日本の足は悪くて歩くのも杖が必要とか。あと時代背景は一切調べてません。ごめんこ(・∀・)
    子供はアル設定ですー
 
 
 
 
『 agosto 』  光りの中の八月 
 
 
 馬鹿げてる。アルフレッドは下唇を強く噛んだまま、夏の暖かな、深緑の林を駆け抜けていく。青い葉は風に揺らされ、キラキラと太陽の光を反射させ、アルフレッドの眼前の世界を、全て光りで包み込んだ。
 
 朝早く帰ってきたアーサーの事を見上げながら、アルフレッドは眠たい瞼を擦り菊とアーサーが会話しているのをぼんやり聞いていた。またいつも通りに父が母の額にキスをして、連れ立ち部屋に向かうのを、アルフレッドも付いて歩く。
 これから暫くは自分は入りにくい立場になるのかと、子供ながらにアルフレッドは肩を竦めてつまらなそうな顔をしてみせる。母と父はこの歳になっても(というかなってようやく)子供の目線からさえ、なんというか、初々しい……?世の中の両親というのは得てしてこんなものなのかと、そう今のところ幸福な事にアルフレッドは納得してしまっている。
 父が帰ってくるのは、まぁ、母も喜ぶから嬉しいといえば嬉しいのだが、帰ってしまえば今度は母が寂しそうな顔をしているものだから、また仕事に行ってしまうのが嫌だ。でもどうせいってしまうのだろう……ならば帰ってこなければいいのに。
 アルフレッドは帰ってきた父と連れ立つ母を見上げながら、唇を尖らせて上目遣いのままそっぽを向く。昔は帰ってくるのが待ち遠しくてたまらなかったのに、今は素直に飛びつけない。
 
 前に、珍しく随分長い間家に居た父が、今度はまたいつもより長く家を空けることになった時、雨粒が窓に当たる音が響き、寒くて寂しい灰色の夜、母は自分のベッドの横に座り「おやすみ」と寂しげに笑った。
 オレンジ色の柔らかな室内の光が彼女の顔を照らし出し、アルフレッドはその母の顔を見た瞬間、どうにもならなくて思わず声を上げた。
「母様、オレ、母様の事好きだよ。」
 そう言った瞬間、なぜだかアルフレッドは不意に泣き出したくなってしまう。音をたてて当たる雨粒の音が、どうしようもなく不思議に怖くてたまらないけれど、きっと母様の方がずっとずっとこの音を恐ろしいと感じているのだろう。
 可哀想な母様。可哀想な愛しい母様。明日はきっと晴れて、母様の大好きな太陽が、やっぱり母様の大好きな青い林を照らすのだから、そんな顔をしないで。あの人はまだ帰ってこないけれど、オレは大丈夫。
 ツンと、なぜだか鼻の奥が痛み、アルフレッドは涙声でもう一度「母様の事、好きだよ。」と繰り返した。母様は微かに微笑むと、いつも自分がするように、今度はオレの前髪を持ち上げるとそこに唇を落とす。
 それからその暖かさと全く同じ、暖かな声色で「おやすみなさい」と囁き、同時に部屋の灯りが落ちた。寒々とした黒色が部屋に満ちて、アルフレッドは目尻に滲んでいた涙を拭って、目を瞑る。
 
 父は母のあの表情を知らないのだ。あの悲しげな声色も知らないから、家を空けられる。
 なのに。なのに、とアルフレッドは頬を膨らませたまま読んでいた児童文学の本から顔を少しだけ持ち上げ、目の前でソファーに座っている両親に視線を送った。二人は、何やら小さな声で話をしていて、こちらまで聞こえてこない。
 時折母は声を漏らさずに口元に手を当ててクスクス笑い、父は満足そう母の顔を見やっている。もっと自分が幼い頃はこんなに仲が良い夫婦では無かった気がするし、寧ろ小さな頃の自分は父は母を愛していないと信じ込んでいた。
 大層な間違いだったな……と、アルフレッドは唇を尖らせたとき、ふと父に名前を呼ばれて顔を持ち上げる。
「散歩に行かないか?」
 まだアルフレッドが返事をするよりも早くにアーサーは立ち上がって、菊の腕を取って立たせてやった。アルフレッドはその光景を眺めると、再び本に視線を戻して頬をプクプク膨らませて、怒った声を出す。
「オレ、いかない。」
 アルフレッドの返答を聞くと、アーサーは片眉を持ち上げて少々呆れた顔をして、身を乗り出しアルフレッドの頬を摘んだ。
「何むくれてるんだ。」
 ほっぺたを摘まれて引っ張られるままに、アルフレッドは父を下から睨め上げて言葉を探すけれど、まだまだ語彙の少ない子供だからか言葉が出てこず、やはり再び本を眺め出す。
「アルフレッド……?」
 キクが困った顔をして自分を覗き込んでくるものだから、アルフレッドも困って小さな体を更に縮め込ませて悩み出す。が、アルフレッドよりも早くにアーサーが口を開き、菊を引っ張った。
「行きたくないなら良いだろ。二人で行こう。」
 肩を竦めそう言われて、思わずアルフレッドはムキになって唇を尖らせてちょっと言おうと思った言葉を飲み込んだ。菊は眉根を下げてアーサーとアルフレッドを見比べるが、アーサーに引っ張られるまま歩き出す。
 扉を出る寸前で振り返り、椅子に座って本に目線を落としてむくれているアルフレッドに「すぐに帰ってきますから、大人しくしててね」と笑いかける。
 直ぐに足音が遠ざかると、アルフレッドは読んでもいなかった本から顔を持ち上げ、机の上に放った。元々読書なんてあまりしないのだが、父が買って寄越すものだから仕方なしに読んでいるだけなんだ、なんて、当然言わないけれども。
 ほかほかと自分に降り注ぐ太陽の光を窓際で浴びながら、アルフレッドは顔を持ち上げて、白い雲の浮かぶ青い空を仰ぐ。いつもだったらこの時間帯は母と二人で散歩に行くのに、なんて、またむくれてみせた。
 暫くその体勢でぼんやりとしていたのだが、やがて椅子から飛び降りると小走りで扉の外へ抜け、廊下をどんどん駆けていく。途中数人の使用人とすれ違うが、走り抜けていくアルフレッドに声を掛ける者はいない。
 
 裏口から出ると真っ先に目に入った、ちょっと前から内緒で餌を与えている猫に向かってアルフレッドは声を上げた。部屋では犬を飼っているという事もあるし、猫を連れ込まない様にしようと思って。
 取り敢えず「大人しくしてて」なんて言われたから、大人しくしないでおこうなんて、そんな初めての母への些細な反抗をを思いついたのだ。
 猫はアルフレッドの顔を見るなり小さく「ニャウ」と鳴くと、身を翻して暖かな太陽の光の中を走り出す。その動きにつられてアルフレッドも駆け出すと、そのまま庭の中を駆けていく。いつも来る方向とはまるで違うから、父も母もこちらまではやってこないだろう。
 アルフレッドは駆け出した猫につられて駆け出すと、そのまま見知った林の中に足を踏み入れる。林の中はいつもどおりで、ほかほかと暖かい日光が心地よく、ちょっとばかりささくれだったアルフレッドの気持ちを落ち着かせてくれる。
 やっとアルフレッドは後ろから猫を抱き上げると、ほかほかとしたその背中にほっぺたをくっつけて目を細めた。
 さて、今日は一体何で遊ぼうか……アルフレッドは抱き上げたままの猫に視線をやるが、彼は遊び相手としては少々物足りない。鬼ごっこをするにも、彼に勝てるはずが無いし、構ってやろうにも見向きもされない。
 取り敢えず猫を抱えたまま池の周りをあっちへうろうろ、こっちへうろうろしてみたのだが、やはりつまらない。ええいこんなにもつまらないのは誰の所為だ、と問われれば、即答で「アーサー」の姿が目に浮かぶ。
 馬鹿げてる、馬鹿げてると、アルフレッドはほっぺたを膨らませて、にこにこ嬉しそうにしていた母にまでちょっぴり憎らしい。あんなに寂しい思いをさせられて、どうして笑ってなんていられるのだろうか。
 池の周りを巡り、屋根の付いた休憩所に入り込み、取り敢えず暫くココで時間を潰してしまおうと猫を抱えたままぼんやりと池の上を滑っているアヒルを目で追いかけ続けた。ぼんやりとそれを眺めていると、いつの間にかうとうととしてくる。
 いかんせん、草木の香りが心地よいし、散歩が終わればいつも昼寝の時間となる自分にとっては、眠たくてたまらなくても仕方がない。猫を抱きしめたまま船をこぎ始めた時、抱きしめた猫が「ニャウ」と小さく鳴き、己の手の中から逃げていく。
 けれどもそんな事も気に止めず、アルフレッドはそのまま寝っ転がると、青空を仰いで唇を尖らせた。暫くここに居たら、母は心配するだろうか。と、アルフレッドの脳内でそんな事がチラリと浮かぶから、アルはそのまま目を瞑る事にした。
 母は心配するだろうか……父は?父は、心配するだろうか……
 
 いつもより少し長めに、仕事場での話や咲き始めた花についての話をしながら、二人で歩き懐かしい庭をゆっくりと一週した。抱き寄せる菊の腰が、アルを生んでから少しばかり柔らかくなった気がする。
 先程アルフレッドを置いてきた室内に戻り、彼女は開口一番に息子の名前を呼ぶが、先程までふて腐れながらも椅子に座っていた彼の姿はどこにも見あたらず、開いた窓から風が吹き込んでくるばかりだ。
 その時はまだお昼が少しばかり過ぎた頃だし、ついさっきあれ程頬を膨らませていたのだから、ふて腐れてどこかに行ったのは容易に想像出来る。
「放っておけば腹が減ってその内帰ってくるだろう。」
 実際そうだろうと思っていたし、自分が幼い頃もそんな事をしょっちゅう繰り返していたから、軽い口調でアーサーが上着を脱ぎ、フェリシアーノに手渡した。菊はまだ納得出来なそうに眉尻を下げていたが、アルが一人で外に遊びに行く事もあるにはあるからと、無理に納得してアーサーの隣りに座り込む。
 それも、日が傾いてきた頃にはソワソワとしだし、召使いに何やら話しかけている。確かに、そろそろ夕飯時だし遊びから帰ってきても良い時分だろうに……
 取り敢えず手が空いている者に庭へ探しに行かせたのだが、太陽が完全に沈んでしまっても見つかった、という報せは入ってこない。いい加減辺りが騒がしくなってくる中、時計の針を確認しと時、クイッと袖が誰かに引かれるのを覚えて、アーサーはそちらに目線をやると、菊が眉を歪めてこちらを見上げている。
「最近街で殺人事件が起こってるって、聞きました。」
 真っ青な顔をした菊が、泣き出しそうな顔、そして震えた声でそう言った。アーサーの服を掴んだ細い指が、少しだけ震えている。
「待て、敷地内から出てはいないだろう……多分。」
 最後のアーサーの「多分」を聞き、菊は頭をクラクラと揺らして今にも倒れそうになるから、慌ててその背中を支えた。
「それにあの殺人事件の被害者は全員娼婦だ。」
 けれど確かに世間知らずのお子様が一人歩きするには、あまりにも都市部は危険すぎる。子供の足でどこまでいけるのか考えれば大したこと無いが、敷地から外に抜け出せば何があるかは分からない。
 そう、アーサーが一人で考えているのを余所に、菊は一人さっさと召使いを呼び寄せ外に出る準備を始めている。
「……菊、まさかお前も一緒に外を探すつもりか?」
 たった今、女性相手に快楽殺人を犯している人間が居る、という話をしたばかりだというのに……半ば呆れてアーサーが声を掛けると、菊は眉を上げて、初めて観る険しい表情を浮かべていた。
「外はオレが探してくるから、お前は家で待ってろ」
「いやです!だって、あの子と一番一緒に居るのは私です。だから、あの子の行きそうな所が分かるのも、私です。」
 違いますか?と語調を強める彼女は、今まで一度だって見たことのない側面を見せている。いざとなったら、俄然自分よりも彼女の方がしっかりと立っていられるのかも知れない。
 けれども、だからといってまだ人も多いだろう町中に連れて行って危険がまるで無い、と言える筈もない。そうなれば、こんな緊急時だからこそ、絶対に連れて行きたくは無いのに……
 どう説得すべきかアーサーが戸惑っているその時、一瞬静まっていた室内にフェリシアーノが二人を呼ぶ声が響く。驚きそちらに目線をやると、若干寒そうにしたアルフレッドが、居心地悪そうに肩を落としてフェリシアーノの後ろに立っている。
 
 いつの間に寝入ってしまったのか、身震いをしてアルフレッドは目を覚ますと、先程まで青かった空も気が付けば空は真っ暗で、遠くで誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
 慌てて体を起こすと、軽くふらつきながらも駆け出し、草の中を抜けてフェリシアーノの目の前に飛び出した。あ、とフェリシアーノは一瞬固まり、それからにぱーっと嬉しそうに満面の笑みを浮かべるのが、薄暗い今でも分かる。
「ぼっちゃん!どこ行ってたんですかー!すっごい探したんですよー」
 わぁい、と彼は声を上げて小さなアルフレッドを抱き上げ、グルリと一回転するとそのまま地面に降ろす。
「アーサー様も奥様も大変心配してますよ。」
 フェリシアーノに背中を押され、アルフレッドは唇を尖らせて眉尻を下げた顔でフェリシアーノの事を見上げた。そのアルの表情にどこか不安そうな色が浮かんでいる。
「……本当に?」
 疑い深げにそう呟いたアルフレッドを、フェリシアーノは眉尻を下げて困ったような顔をしながら、またフェリシアーノをいつもの様に抱き上げた。抱き上げられたアルフレッドは、フェリシアーノのアホ毛を引っ張る。
 いたた……とフェリシアーノは小さく呻くと、涙目で唇を尖らせ「本当です本当です」と、昔と比べて随分重くなったアルフレッドをフェリシアーノはを抱え直す。
 どうせまた二人で話をしているのでは無いだろうか……なんて考えしかなかったものだから、アルフレッドは尚も訝しげに唇を尖らせる。
 微かに開いた扉の向こうから、両親が何やら珍しく声を荒げて言い合っているのが聞こえ、思わずアルフレッドは不安そうに顔を歪めた。アルフレッドを床に降ろすと、フェリシアーノはやっと二人に声を掛ける。
 外に出る準備をしていた母と父が、ハッとしてフェリシアーノに視線をやてから、直ぐにアルフレッドに視線をやった。思わずフェリシアーノの影に隠れたアルフレッドは、泣き出しそうな顔をした菊を見つけ、瞬時アルフレッドは訳の分からない小さな恐怖を覚えて、自身も泣きたくなってしまう。
 取り敢えず謝らなければいけないとアルフレッドは口を開いたけれど、上擦ってしまい言葉が上手く出てこず、そのまま口を閉じた。
「……どこ行っていたんだ、アル!」
 先に声を荒げたのはアーサーで、その声色にアルフレッドは肩を震わせて更に縮みこませフェリシアーノの影に隠れる。が、もう一度名前を呼ばれ、やっとアルフレッドはおずおずとフェリシアーノの影から出たが、顔を上げられずに居た。
「心配させやがって」
 パシン、といつもの様に自身の頭を叩いた父の声色は、安堵と諦めを織り交ぜたものだった。アルフレッドはまだ怖くて顔が上げられないし、声が震えていて謝罪の声も上げられない。
 軽く叩かれ、いつもと同じほどの衝撃だったのにも関わらず、アルフレッドは目の下に涙が溜まるのを覚えて、瞬きをすれば零れてしまいそうだから瞬きも出来ない。きつく下唇を噛みしめ、必死に涙を耐え、誰にも聞こえないように小さく鼻を啜った。
「アルフレッド……!」
 いつの間にか、菊が身を乗り出してアルフレッドの体を抱きしめ、キュッと暖かく懐かしい胸の中に抱き込まれて、我慢していた涙が不意に零れた。慌てて涙を拭うと、ひっくりそうな小さい声で「……ごめんなさい」とひねり出す。
 菊がアルフレッドを抱きしめている様子をアーサーはチラリと目線をやり、溜息混じりに小さく笑い、後ろから泣いている彼を抱き上げてその揺れる背中を撫でてやった。アルフレッドの小さな手が、キュッと自分の服を掴む。
 そんな自分達を見上げて微笑んだ菊の黒い瞳が、柔らかな三日月を描く。いつの間にこんなに重くなったのか、抱き上げたアルフレッドの重さに腕が痺れ、鼻先を寄せるといつの間にか幼い子供の匂いが消えつつあった。
 
 
 
 
 
いや、なんか、子供って敏感だよね、という……