卿菊
※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。玉華ちゃん→台湾ちゃん
メイド服って実際は結構地味なんですよー。 合い言葉は「卿菊はバカップル」
『 ottobre 』
緩和すべき十月 (副題:こんな嫁が欲しい)
久しぶりに仕事が上手くいかず、どうにも動けなくなったので結局家に帰ってきた。アルフレッドは寄宿制の学校に入ったと聞いたが、一人息子が居ないと家は実に静かだ。
「早かったんですね。」
にっこりと微笑んで出迎えてくれた菊に、笑顔を返そうとするが直ぐに出来ずに、思わず溜息を吐き出してしまう。彼女は瞬時に眉尻を下げ、不思議そうな様子でアーサーの顔を覗き込んでくる。
「何かありましたか?」
そう訪ねてくる菊に、片手を上げて「なんでも無い」と返すけれども、菊は心配そうな表情を崩そうとはしない。
本当は、仕事先で希なことだけれども、失敗なんかしてしまったのだ。否、実際自分に落ち度は無いと今でも信じているのだが、取引がおじゃんになれば致し方ない。
仕事をする必要なんてないだろうと、色んな場所で言われているのだが、最近財産を使い果たしてしまった没落貴族が沢山居るのも真実だ。時代の移り変わりに気が付かない人間ほど悲しい存在は無い。
だから出来れば、今資産がある所で名を馳せさせておいて、年相応になったらアルフレッドに仕事全てを譲ってやりたかった。
「あの、アーサー様、私ケーキを焼いたので、お食べになりますか?」
「いや、取り敢えず一寝入りしてくる。」
そのアーサーの言葉を聞いた瞬間、菊は一瞬目を大きくさせてから、笑顔を濁して申し訳なさそうに俯く。
「そうですよね、ごめんなさい。」
表情を曇らせた彼女の顔を見やると、瞬時に胸が痛んで身を屈め、いつもする様に菊の額に唇を寄せた。パッと顔を持ち上げた彼女に笑顔を向けてから、懐かしい寝室に入る。
随分寝ていたらしく、先程まで昇りかけだった太陽が今はもう傾き始めていた。暫くベッドの上でぼんやりとしているが、やがて段々と覚醒していき、覚束ない足下でベッドからずり落ちるように部屋を抜ける。
スーツのまま寝入っていたらしく、特注のスーツが皺だらけになっていて、思わず苦笑が口元から漏れてしまう。
取り敢えずちゃんと菊に挨拶をしなければと、彼女の姿を探し歩き始めた。彼女にあてがっている部屋を開けても、そこに菊の姿は見あたらない。ただ、窓から伸びてくる午後の寂寥が混じる光りを浴びて、机の上に手紙が沢山広がっているのを見つけた。
それは殆ど自分が彼女へと宛てた物だったけれど、中には数通彼女の母国からの物も混じっている。日付はバラバラで、こんなものもあったのか、と思ってしまう程の物も含まれていた。
その大量の手紙の横に、十冊ほどの本が積まれているのを見つけ、その種類が雑多なのを暫く眺めてから周りに視線をやるが、彼女の気配は見受けられない。
廊下を歩きながら彼女が居そうな部屋を覗くけれど、フェリシアーノの姿も見つからない(執事の癖に昼寝好きな為、結構業務を怠る事がある)し、菊お付きのメイドの姿も見あたらない。
ピアノが置いてある部屋を抜け、廊下を進んでいき、最後に菊がご贔屓にしている庭の端にあるあまり派手ではない花壇を目指す。外は夕焼けの光りで満ちていて、その中で花壇に向かっている小さな背中を見つけた。
暫くぼんやりと花壇に向かう背中を見つめていたのだが、やがてその名前を呼ぶと、彼女は驚いた様子でこちらをパッと振り返る。長い黒髪は上で一つに纏められていて、アーサーを見つけると一瞬困った様に下を向く。
「起きてらっしゃったんですか……」
彼女はそう言いながら、土で汚れた手袋をスルリと取りながら菊は少しばかり唇を尖らせる。
「そんな格好をしているから、一瞬分からなかった。」
本当は後ろ姿を見つけた瞬間から、直ぐに菊だと分かったのだが……菊は菊でその時やっと自分の格好に気が付いたように、慌てて黒いスカートに付いた泥を払った。
「……あの、玉華(ユンファン)さんが汚れてはいけないと、貸してくださったんです……ごめんなさい。」
申し訳なさそうな表情をする彼女が身に纏っているのは、この家のメイド服だ。玉華とは、菊を受け入れるときに、イギリス内で東洋人を捜してやっと見つけた、今は菊専属のメイドである。
本当だったらこの場面は怒るべきなのか、それでもアーサーは彼女のらしさに思わず笑ってしまう。隣りにしゃがみ込むと、菊は不安そうな表情でジッと見上げてくるから、その頬に腕を伸ばす。
「土、付いてるぞ。……何育ててるんだ?」
花壇には、まだ小さな緑の芽が連なって並んでいる。水を掛けたばかりらしく、全部の芽の上で小さな水玉が浮かんでいた。
「苺です。アルが帰ってくる頃には実がなっているだろうから、それで何かお菓子を作ろうと思いまして……」
ふわふわと微笑んでいた彼女の表情が微かに曇り、また小さく唇を尖らせる。
「……でも、アーサー様にはばれてしまいました。」
拗ねた様子で肩を竦める菊に、またもや思わず笑いを漏らしながらその頬に唇を寄せれば、擽ったそうに彼女は体を震わせた。
「お詫びに今度アルが帰ってくるまで家に居る。」
どうせ暫く仕事は入ってこないのだろうし、クサクサと荒れるよりは土いじりしている彼女の横にしゃがみ込んでいる方が、随分楽しそうだと思う。
アーサーを見上げた菊は、大きな目を三日月にさせて微笑んだ。……菊は、自分にとっては自室や幼少期を過ごした窮屈でどす黒い世界よりも、彼女自身が立派にアーサー自身の故郷と成り得ている。
菊が居る場所に帰れるというだけで、自分は何も見失ったりしない。
夕飯の後、不祥事を起こしていた仕事の後始末の為に書斎に閉じこもり、夜遅くまでランプの灯りだけで仕事を進めていく。目がかすみ、苛々と小さな文字を追っていく作業は、予想以上にストレスを溜めていく結果となる。
結局途中で中断し、溜息を漏らしてランプの灯りを落とすと、空の真上に位置している月の灯りがサッと部屋に差し込んだ。そう言えば久しぶりに月を見上げたな、と、それまでの余裕の無い生活を思い、また溜息が漏れる。
彼女が寝ているだろう部屋のドアノブは出来るだけ静かに回す。が、すぐに廊下に眩しい人工の光りが走った。もうとっくに暗くなっていると思っていたから、思わず眩しさに目を細める。
「まだ起きていたのか?」
部屋にはいると菊がベッドの上にちょこりと座り、本から顔を持ち上げるとアーサーをにっこりと微笑んで迎入れた。疲れからか少々離された様に言われたのだが、菊は特に気にする様子も無い。
「マッサージをして差し上げようと思いまして。」
ふんわりと笑って菊が前のベッドをパンパンと叩くと、アーサーは片眉を持ち上げて戸惑うが、やっと菊の座っているベッドの上に座る。
ギシリと音をたてて、ベッドが微かに上下に揺れた。
「いや、大丈夫だ。」
明日やって貰うから、と片手を持ち上げるけれども、その腕を菊はグイと掴む。それから微かに首を傾げると、ジッとアーサーの緑色の瞳を覗き込んだ。
眉尻を下げて切なそうな顔をするから、アーサーは何も言えずに、ただ菊の潤んだ黒い瞳を見返す。
「お父様には、とても褒められたんですよ。」
困った様子のアーサーの顔を切なげに見やったまま、ポツリと菊が呟いた。彼は気が付いていないかも知れないが、アーサーの性格を菊は完全にマスターしつつある。
アーサーは少々考えるような素振りをする訳だが、結局彼女の言うとおりその場で枕を抱え込み、ゴロリと俯せになった。菊は嬉しそうに微笑むと、自身の足を引きずってアーサーの足の上に座る。
ややあって菊の指先がアーサーの背中、腰、首の筋肉をゆったりとほぐしていく。あの細い指と腕で良くこんなに力が入るな、と感心しながらも、アーサーはその心地よさでやがて意識がホワリホワリと漂う心地を覚えた。
背中の上で、彼女が小さな声色で異国の、日本の民謡らしきものを口ずさんでいるのが、遠くに聞こえる。
過去何度か日本に訪れたとき、同業者が「野蛮で低文化」だと評価していた日本国は、市街地なのに美しい川が流れたり、木と紙で出来ているという、非常に不思議な、幻想的な世界だった。
彼女が今も熱烈に恋をしている桜の木は、そんな景色にピッタリだったと、アーサーは瞼の裏でその風景を思い描く。チラチラ舞い落ちていく花弁は、今まで見たことのある景色の中には一つも無かった。
暫くそうして夢うつつの合間をフワリフワリと行き来している最中、スッと背中に気配と甘やかな薫りが漂い、彼女が身を乗り出しているのに気が付く。それでも眠気の所為で、目も開かない。
菊の細い指が自身の髪を撫でたのを感じた、その直ぐあと、耳元でポツリと菊が囁いた。
「お疲れ様です、あなた。」