卿菊
※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。
長期の休み!これほど嬉しい物が、一体どこに転がっているのだろうか。
アルフレッドは喜びに満ち溢れた、この寒さでも凍り付くどころか、尚一層喜びで暖まる自身の胸中を抱え込み、懐かしき我が家を見上げた。そこは、幼い頃から比べれば多少は変化があるけれど、基本的に何も変わらない、自身の楽園である。
隅々まで手入れが行き届いた美しき庭、建物、幼い頃母と何時間でもお喋りをしたベンチ……この場所は、まさしく懐古の塊であると、ここに帰る度アルフレッドの心は、そう喜びで跳ね飛ぶのである。
懐かしき世界には、喜びも悲しみも凝縮されているのだ。
「キク、ただいま!」
一番会いたかった相手を見つけ、玄関先で、それこそ己の荷物を投げ出して駆け寄る。抱きしめるつもりで両手を広げたのだが、抱きしめる前に一段上に立っていた彼女に、首周りをキュウっと抱きしめられてしまう。
影武者なのではとか、外見がよく似た別人なのではとか、酷いときは魔女なんじゃないかと言われるほどに歳をとらない我が母。化粧水は乙女の生き血だと言った相手をボッコボコに殴ってやったことさえある。
その彼女が、頬を赤らめ、黒く大きな瞳を潤ませ、少女の様な表情をより幼くして、ふんわりと微笑んだままアルフレッドを抱きしめている。
「……酔ってるだろ。」
抱き寄せてくるキクの方から微かに香ってくるワインの匂いに、アルフレッドは片眉を持ち上げ、あきれ顔を浮かべて鼻の上に皺をよせた。
と、指摘されたキクはキクで、首を小さく傾げて、彼女が今まで浮かべたことの限りなく少ないだろう、茶目っ気を含んだ笑いを、その口に浮かべてみせる。
『 dicembre 』 (ディチェンブレ)
再生の十二月
滑り込むようにアイツの寝室の扉を開ければ、キョトンとした表情で彼はワインのグラスを右手に持っていた。家にいるならばなぜ迎えに来ない!いや、今はそうじゃない。
「どうしてキクにお酒飲ませたのさ!」
折角、久々の再開だっていうのに……!これから長かった寮生活の話とか、今まで何していたとか、一杯一杯話をするはずだったのに。それだけを楽しみにしていたのに……!
クルリと振り向いてキクの方に視線をやれば、彼女らしくもなく完璧に自己を保ってはおらず、ふにゃんとした笑顔をアルフレッドに向けて、そのままパタパタと手を振って寄越している。
「ワインは体に良いんだぞ。」
当然アルフレッドが何に怒っているのかいまいち分かりかねたアーサーは、肩を竦めまたグラスに口を付ける。
「そんな事聞いちゃいないよ。ものには限度っていうものがあるだろ。」
お前がそれを言うか。とついつい周りは突っ込みたい欲求に駆られるが、勿論声に出したりなんて事はしない。ガミガミと怒鳴りつけるアルフレッドを前に、アーサーは困ったように眉間に皺を寄せた。
暫くぼんやりとアルフレッドの方を見やっていたけれど、ゆったりと隣りに座っていた、赤ら顔をした菊の方へと顔をやる。彼女は、どれだけアルフレッドが怒鳴り声を上げようとも、ぼんやりと、そしてにこにことしていた。
「そんなに飲んだか?」
菊の両頬を包み込み、グイとアーサーは身を乗り出してその顔を見やるけれど、菊はキョトンとして大きな目をくりくりさせるばかりだ。
……親同士がイチャイチャしているのを見るほど耐えられない物は無いよな、と学校の友人(?)に言ったところ、その時初めて普通の親同士は今も尚イチャイチャなどしていないという。
大体教育を受けられる子供自体、大抵上流階級の子供で、そんな子供の親同士となれば当然恋愛結婚で無いのが大多数となる。それは、まぁ、我が家も一緒の筈なのだが……とにかく、好きでもない相手と結婚して子供さえ作ってしまえば、イチャイチャなどしないという。(当然例外も居るだろうけれど。)
やはり、ここまで妻に依存している夫も、十分珍しい気がする。
そんな事をアルフレッドが考えている間にも、気が付けば2人は勝手に2人だけの世界に入りそうになっているし、何か話し合っているけれど、こっちまで聞こえてこないし……。
ああ遂にほっぺたにキスまでし始めているし!
「オレにもワイン頂戴!」
思わず手前にあった机をドンッと叩きそう声を上げると、そこでやっとアーサーは顔を持ち上げて、困ったように眉尻を下げ大きく肩を竦めた。
「別に良いが、菊を寝室に連れて行くからちょっと待っていろ。」
「え、キク寝ちゃうの?」
その為に挨拶をしていたのか……アルフレッドは目を大きくさせて、心底悲しそうな声色で呟きチェッと唇を突き出す。
「ごめんなさい、アル。お話しは明日聞かせて下さいね。」
アーサーに引っ張られ立ち上がった菊は、先程アーサーが菊にそうしていた様なキスをアルの頬に落とした。懐かしい薫りがフワリと頭上から落ちてきて、その懐かしさに酔う前に、スルリと彼女は行ってしまう。
自身の記憶が正しければ彼等の寝室はこの部屋の筈だから、隣室にでも行くのだろうか。連れ立たれて2人並んで歩くのをぼんやりと見やる。
思えば、幼い頃はほぼキクと2人で過ごしていたのだが、学校から帰ってくると大抵父は家にいた。……今更自分に気を遣っているのか、そう考えると呆れと、そして認めたくないくすぐったさを覚えてしまう。
「ちょっと待ってろ。」
そう一言言い置いて2人が出て行ってしまうと、この部屋はなんだか妙にシンとして、ワインの匂いで頭の奥が揺らぐ。
ぼんやりとワインの瓶を眺めていること数秒、直ぐに父が再びこの部屋に戻ってくると、先程まで座っていた場所の腰を落ち着かせる。
こうして2人だけで対面したのは、本当に久しぶりで(というよりも2人だけで対面して座るなど、物心ついた頃からあっただろうか?)、アルフレッドは先程までの威勢の良さを無くし、黙り込んでしまう。
「ワイン、飲むか?」
瞬間の沈黙を破り、そのアーサーの言葉にアルフレッドは無言のままコクリと一つ頷く。そしてアーサーは無言のまま、グラスの中に濃い赤紫色の液体を注いでいった。
このまま自室に帰ってしまいたかったけれど、そうしたくない自分もそこにいて、結局アルフレッドはアーサーが差し出したグラスを受け取り、そっと口を付ける。久しぶりに飲むアルコールの匂いは、思った以上にきつくてアルフレッドの思考回路を鈍らせていく。
「アルフレッド、これ。」
グラスの中の液体を見つめていたアルフレッドは、アーサーの言葉に顔を持ち上げてそちらを見やれば、アーサーが何やら一枚の手紙らしきものを差し出している。
アルフレッドはその手紙を受け取り、ヒョイっと裏返してその差し出し主の印を見やるが、その印に確かな覚えはない。
「部屋に帰ってから読んでおけ。」
「……オレ宛て?」
アルフレッドは探るようにアーサーを見やるが、彼はアルを見ることなくグラスから口を離すと首を小さく横に振る。
「オレはお前の意見を尊重する。」
アルフレッドからそれていた彼の視線は、やっと自分に返ってきた。その鋭さがきつく有無を言わせない様子で、思わずアルもキュッと唇を噛んだ。
結局昨晩は直ぐに酔っぱらってしまって、結局学校の話なんかを少し喋って眠ってしまった。彼はこれから暫く休みをとっているらしく、話をする機会はいくらでもあった……が、するだろう機会があるのかも分からない。
朝妙なほど早くに目が覚め、明らみ始めたばかりの空の下、良く遊んだ池のほとりだとか庭だとかを、ぼんやりと歩いて回った。身に染みるほどの寒さが体にまとわりつくけれど、今は少しでも早く懐かしい景色の中を歩きたかった。
キクが目覚める時間はもうとっくに分かり切っていたので、その時間までそうしてやり過ごしてきた。家は思い出の中と同じだというのに、やはりどこか違う世界に迷い込んでしまった気がする。
彼女の寝室の前に立った時、彼女に長年付いているメイドとほぼ入れ替わりとなった。彼女は自分にペコリと一度お辞儀をすると、そのまま食堂の方へと駆けていってしまう。
ノックをしてそっと部屋に入り込むと、ふわふわな白いシーツが目にはいるけれど、キクの姿は入り口からだと天蓋の所為で見えない。
「……ごめんなさい、ちょっと気分が悪いので一緒に朝食は……」
寝起きだからか、不意に聞こえてきた彼女の声色は少々掠れていた。アルフレッドは後ろ手に扉を閉めると、キクの姿を探すように微かに目を細める。
「二日酔い?」
思わず眉尻を下げ笑いを口に浮かべ、数歩でベッドに近寄り、机に添えてあった椅子を引き出して座る。と、キクは驚いた様子で顔を持ち上げ、申し訳なさそうに軽く俯いた。
「アルフレッド……ごめんなさいアーサー様かと。」
照れて恥ずかしそうはにかむ様子を眺めながら、やはり自分を生んだほどに歳がいっているとは思えないなぁ、なんて思う。
あそこまで妻に依存する夫も居ない。なんて思った癖に、自身が父ならあれ程するのかもと自嘲気味に笑うと、キクは不思議そうに首を傾げる。
「ねぇキク、どうして昨日あんなに飲んでたのさ。」
「……私、そんなに昨晩飲んでいましたか?」
二日酔いで少々青ざめた自身の頬を手の平で包み込んで、キクは小さく唇と尖らせてみせる。そんな拗ねた表情をされると、益々彼女は幼くなってしまう。
思わず苦笑を浮かべて「オレが知る限り、一番酔っていたよ。」と返し、キクに、昨晩手渡された手紙を差し出すと、彼女はその目を少しばかり大きくさせた。
少々困ったように眉尻を下げ、寂しげな、そして恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、ベッドの中で肩を竦める。それから上半身を持ち上げると、アルフレッドと向かい合った。
「……折角私のアルが帰ってきたのに、また直ぐにどこかに行ってしまうのかと思うと、寂しくて。」
アルフレッドはゆるやかに目線を下げ、そして眉毛を悲しそうに、泣き出しそうに歪める。窓からは未だ早朝の灯りが差し込み、野鳥が楽しそうに歌っていて、それは清々しく懐かしい朝であった。
「ねぇ、キク、オレもっとずっと後なのかと思っていたよ。」
未だに幼い頃の自分自身が抜けきらないし、思い出は現実よりも色鮮やかに存在している。自分がまさか、この家以外の家を持つなんて事は、当然想像したことさえない。
思えば、父は親戚との仲も悪く、彼自身の帰るべき家など無いのだろう……自分は恵まれているのだろうか。
「私も、もっとずっと後だと思っていました。でも、先日アーサー様ともお話しして、全てアルに任せようって事になったんですよ。
だから嫌ならば、ちゃんと断って構いません。元々それほど交流のある家でもありませんし。」
元々それほどに交流が無い家だからこそ、結婚してより優位な位置に就くというのが、残念ながら今の世の道理なのだろう。そう、アルフレッドの所に宛てられた手紙は、とある伯爵家からの婚姻の申し出であった。
自分自身まだまだ子供だと思っていた訳では無いけれど、こういう事が起こると結構衝撃的である。だが、思えばそろそろ自身も父が結婚をした歳になる訳だし、ムコウ側としてはカークランドと密接な関係を持つ為に出来るだけ早く手を打ちたいのも道理。
「……キクは?キクは、オレが自立したら、やっぱり嬉しい?」
幼い頃はいつだって、彼女をどこまでも連れて行ってやれる大人になるんだなんて、そんな事を思っていた。世界は果てしなく大きくて、自分はどこまでも駆けていけるんだなんて、本気で信じていた。
けれども世界は狭くなる。年を取るごとに世界は狭くなっていってしまう。
「そうですね……きっと安心はしますが、少々寂しい、ですよね……。」
一瞬その瞳を震わせてから、彼女は少々困り顔でそう呟いた。それは確かに彼女の本音だろうことは瞬時に分かったし、本気で寂しいだろう事も分かる。
色んな事に鈍感だと、トーリスは良く自分に言うけれど、母親の寂しさを感知するのには、幼い頃から長けている自信があった。
父が家をよく空ける仕事柄の所為で、キクは自分に見えないところではいつも寂しそうな表情を浮かべているのだ。あまりにも遠い故郷も、冷たい親戚も、不自由な足も、彼女の孤独感を増長させる憎たらしい敵であった。
その寂しさをカバーできるのは、唯一自分である。というのがアルフレッドの一番の自慢であったし、揺るぎない意志である。
……けれども、時間は現実を背負い、こんなにも早くに自分に追いついてしまった。いつまでも依存する事も、離れることも出来ずにぼんやりとここに立ち尽くすことだけは避けたい。
「菊、調子が悪いらしいが朝食は食べた方が……」
ノック音の直ぐ後に入ってきた父により、2人の間に流れていた沈黙と重苦しい空気は一掃された。入ってきた主であるアーサーが、なぜか一番驚いた様子で扉口で立ち止まる。
アーサーが入ってきたその代わりとでも言うように、アルフレッドは椅子から立ち上がり、アーサーがいつも座るその場所を彼に譲った。
思えば、彼、アーサー自身相当周りからはこの結婚で批判されていたのだろう。それを押し切った結果、母もそれなり嫌な思いをしただろうけれど、自分がここに居られるのだ。
「昨日の手紙の事、考えてみるよ、オレ。」
どちらに、という訳でもなくそうアルフレッドが呟くと、菊は眉尻を下げた寂しそうな顔で微笑み、アーサーは表情を一切変えずにただ一度瞬きをした。
これから何かが始まるのか、それとも終わるのか……もしくは延々と全てが繋がっていくのか、最早自分にはまるで分からない。
もうすぐ自分は、母と結婚した当時の父と同じ年齢を迎える。