※ 最初?はアーサーが悪役チック。結局どちらとくっつくのかは考えてません。間男は朝
 
 
『からくれないに』
 
 
 そこは、年中天候が落ち着いた国だという。春は命の息吹と同時に眼を覚まし、桜が花弁を命と一緒に散り、夏は青青とした山と田畑には沢山の野菜が実って、秋は稲穂がどこまでも黄金の海を作る。冬は静かでありながら確かな春の足音が聞こえてくる。
 夢のような国には、到底人間には備わっていない能力を持った人がいるのだという。それは『声』で天候を操る巫女であり、彼女はその国に一人しかおらず、死ねば新しい巫女がどこかで必ず生まれてくる。
 お伽噺かよ。溜息と同時にそんな言葉を吐きだし、読んでいたかの国の書物を閉じた。こんな夢物語を追いかけろ、と命令したのは父親で、兄達はみんなニヤニヤと締りの無い笑顔を浮かべ、末弟のアーサーを楽しそうに眺めていた。
 一応アーサーも継承者の一人ではあるものの、上に三人の兄が居れば末弟など唯の駒に成り下がるだろう。まわってくる仕事は大抵軍事関連で、今回の遠い国派遣も軍事利用できる可能性があるから、である。
 自分の国から船に乗ること数カ月、青磁や香辛料が有名な国に寄り道をしつつ、特に期待もしていない目的地まで辿りついた。国を閉じているため、港は一つしかなく、目的の人物に会うためにはいくつもの書類と人物を潜り抜けなければならない。
 しかし結局貰った返事は「会わせることは出来ない」の一言であり、当然激昂したアーサーは宿で日が落ちるのを待っていた。外国人のみの居住区で、周りには大勢の監視人が張り付いている。その幾人かを買収し、これから深夜深い闇に紛れて小舟を出す予定だった。
 鞄に本を押し込むと、付き人であるハワードを呼び付け、支度を整えた。裏門には約束通り買収した男が二人だけで、気まずそうな様子で立っている。人気のない海辺に繋いだ小舟に乗り込むと、ようやくランプに灯りを入れた。
「本当にかの人には危害をくわえないのでしょうか」
 男の一人が心配そうに呟くのを、鼻先で笑って軽く頷き一蹴する。この国の民は長い間平和であったためか、他人の言葉を丸ごと信じ込む傾向にあるらしい。もしも本当に『力』があったとすれば、手を出さない筈がないというのに。
 太陽が昇るまで数時間、その間小舟をこぎ続け、更に着くまでには昼半ばまで漕ぎ続けなければならないという。彼女が住んでいるのは離島であり、年に数度頼まれて本島にやってくるのが主であるらしい。その期間は台風が訪れる期間であり、あまりに雨が降らない年以外はずっと独りで引きこもっているのだという。
 島が見える頃になると、現地の男の顔が二人とも真っ青に染まっていた。ハワードと視線を交わし問いかけると、男は噛み合わない歯を鳴らしながら俯く。
「……かの人を見ると、眼がつぶれっちまう」
 か細い声色でそう呟くと、二人は青ざめた顔を、直ぐ傍まで来た孤島から出来るだけ顔を反らす。
「じゃあ見なきゃいーだろ。オレ一人で乗り込むんだ」
 鼻を鳴らして笑い、気にすることもない様子で愛銃に弾を込めていた。男に釣られてハワードまでも心配そうに目配らせをするものの、それも片手振って誤魔化す。
 小舟が着いたのは昼ごろ、出るのは日が沈んでからだ。アーサーの判断で小舟に再び乗り込み帰るか、それとも暫く滞在するかは決まって来る。アーサーは勿論ハワードも『力』が本当にあるとは信じておらず、直ぐに祖国へ帰れるのかと楽観視していた。
 小舟はやがて自然に作られた洞窟の中に進むと、潮の満ち引きで現れる足場に降り立つ。島に昇るための足場はどこにでもあり、足場が良い場所に辿りつくもの容易だろう。
「それでは帰っていらっしゃらなかった場合、来週、また参ります」
 心配そうなハワードの声に手を振ると、適当な足場を見つけて上に登っていく。ひたすら木々と芝が続く中を、綺麗なスーツを汚しながら真っ直ぐに進んでいく。
 本当に人間なんているのだろう……真っ青で抜けて行く様な空を見上げ、思わず舌うちをした。その時、真っ青な空からパラパラと水滴が降って来る。驚き掌を翳してもやはり雨は雨であるものの、その雨を降らす雲はどこにも存在していない。
 不意に視界が開かれ、そこには野原や花々、そして川や小さな山などが見えてくる。見える範囲に、川の向こう大きな家が一つ建っていた。家の周りには木々が沢山生え、蝉が忙しく人生を謳歌している。
 中国で見せられた桃源郷の絵を思い出しながら、まだ降る天気雨に塗られ歩を進めた。やがて歌声が聞こえ顔を持ち上げる先には、一段大きな楠の下で黒い長髪の女が一人、犬に構っている。
 聞いたことも無いメロディーにのり、彼女は花の儚い一生を歌いあげて行く。綺麗な声ではあったが、祖国の歌姫達に比べればさほどでもない筈なのに、進んでいた足は止まり視界が揺れ動く。驚く事にも気が点かず、ただ頬を涙が伝って革靴の先を濡らす。
「……どなた」
 歌が途切れ、真っ黒な夜を捏ねて作った様な瞳がアーサーに向けられる。子供っぽい幼稚さと、一歩退いてしまう様な妖美さを湛えて小さくほほ笑む。
「あ……その、昨日、乗ってた船が嵐に遭って小舟で脱走して……」
 しどろもどろの説明をしてみても、彼女はそれ以上聞いてくる様子も無く「まぁ」と呟き、犬を抱えて立ち上がる。
「どうぞ、ついていらっしゃって」
 にこにこと笑顔を浮かべて手招かれ、そのままのこのこと室内までついていく。いつの間にか天気雨はあがっており、木々は受けた雨粒をキラキラと光らせている。室内に入ると硝子のはめられていない窓からは、不思議な、自然をそのまま凝縮させた庭園が見えていた。
 土の噎せ返る様な香りが辺りに満ちて、カポーンとどこからともなく不思議な音が鳴り響く。出された苦い茶を飲みながら眼の前に座る女を見れば、笑顔を浮かべているもののどこにも隙が見当たらない。
「御見受けしたところ、随分と疲れていらっしゃいますね。湯をはりましょう。それからここは離島ですので、本島には一週間程連絡ができません」
 一息に言葉を続けた後、ちらりと上目づかいにアーサーを見てから微かに細める。深夜からほぼ徹夜で小舟に乗っていたため、当然くたびれ短い無精ひげが生え始めてきていた。その上ここに辿りつく途中茂みを横切り、服も随分汚れところどころほつれている。
「お怪我はなさそうですね……部屋を貸しますので、湯に浸かったら少し御眠りになってください。それから色々決めましょう」
 落ち着いた口調で、アーサーの存在にさほど戸惑ってはいない。とんとん拍子に進んでいく物事に、逆にアーサーが戸惑っている程だ。
「ここには貴女しかいないのか?」
「いえ、あと一人……」
 もっと沢山の人々に囲まれて生きているのかと思っていたが、茶を煎れるんも自分でやっていたし、広いながら歩いてくる途中に一人として見かけることは無かった。
 彼女が手を打って応えかけた時、廊下からドタドタと五月蠅い足音が聞こえてくる。しなやかで自然の一部である彼女と、木で造られ風がどこまでも通り抜けて行く家には相応しくない足音と同様、スパンと引き戸が勢いよく開いた。
「おい、今日めっちゃキュウリが……って、誰だこいつ!」
 銀髪に真っ白な肌、赤い瞳、そしてこの国の男ではないのが容易に解る長身。両手いっぱいに抱えていた野菜を放り投げると、女を引っ張り自身の方へと無理矢理寄せた。
「あら、そういえば御名前伺っておりませんでしたね」
「名前も知らねぇ男を家にあげるんじゃねぇ」
 柔らかそうな女の頬を抓りながら男は声を荒げるけれど、女は苦笑を浮かべるだけだ。
「ですが、ギル君とおんなじで、船が壊れて流れて来たっておっしゃるんですもの」
 ギル、と呼ばれた男は片眉を持ち上げアーサーを見やり、上から下まで遠慮の欠片も無く観察を始めた。アーサーも同様観察をするが、服もこの国のものを着ているし、ガタイはいいがアルビノなのか各国の特徴的なものが見つからず、どの国の人間かもよく解らない。
「オレはギルベルト・バイルシュミット。ガキの頃ここに流れ着いて、こいつの世話をしてやってる。こいつは菊だ。本田菊」
「アーサーだ。アーサー・カークランド」
 特徴的な名前に男の祖国を割り出しながら名乗ると、互いに訝しさを露わにした無言の睨みあいが流れる。眉根を下げた菊ばかりが二人を見比べていた。
「……えっと、それではお風呂にお入りになって、もう御休みになられた方がよろしいでしょう。御背中流しましょうか」
 ふんわりとした笑顔を浮かべた菊の頬を再び摘まみあげ言葉を遮り、「野菜台所に運んでこい」と尻を片手で叩いた。小さな悲鳴をあげるものの、彼女は長い髪を耳にかけ散らばっているナスやキュウリといった夏野菜を丁寧な仕草で拾い集めて行く。
 いつの間にかその姿を眼で追いかけていると、ギルベルトに思いっきり腕をひかれてようやく我を取り戻す。
「内風呂に案内するからついてこい。服もオレのを貸す」
 案内された風呂場は木製でつくられた広い場所であった。檜の香りが部屋一杯に満ちており、男は風呂場の物をひとつひとつ解説していき、最後に風呂の温度を指先を入れて確かめる。
「……お前本当にここに流れついたんだよな?目的とかねぇよな」
 それまで風呂の事を事細かに解説していたのを止め、瞳に鋭さを増してアーサーを見やりながら彼は呟いた。期待と猜疑に心臓が揺れる物の、どうにか普段通りの口調を貫く。
「本当に困ってたんだ。潮に流されて……何かあるのか?見た所住民が二人しかいないが……」
「いや、ときどき変な噂を真に受ける奴がいるからな」
 溜息と共に吐きだし、棚からタオルと着替えを取り出してアーサーの胸に押し込んだ。
 
 食事を食べて日がすっかり沈む頃、バタバタと雨戸を打つ激しい雨音で眼が覚めた。本当ならば闇に乗じて色々調べようと思ったのだが、長旅の疲れか布団にくるまって直ぐに眠気に襲われたのだ。
 用意された部屋は大きいながら何もなく、床には不思議な草を編み込んだものが嵌めこまれ、文机とデイジーがささった花瓶が一つおかれているだけだ。突然訪れた嵐の夜は当然明かりも無く、己の指先さえ見えない中半身を起き上がらせる。
 寝ぼけて暫くぼんやりとしてから、今海に出ているだろうハワードの安否が気になり、そっと廊下へと出て行く。雨音は激しく、戸は風に吹かれて音を立てて揺れていた。恐らく海は突然の嵐に波は高く、小型のボートなど簡単にひっくり返してしまうだろう。
 廊下も真っ暗で一寸先まで何も見えない。ガタガタと雨戸が激しく揺れ動いている、どこか原始的な恐怖ばかりが満たされていた。出口は一体どこにあるのだろうと、廊下を四つん這いのまま進むと、やがて小さな扉が見えてくる。
 渡り廊下に続く扉を開くと、一気に叩きつけてくる雨風を受け、思わず眉間に深い皺を寄せて歩き出した。数歩歩いただけで体がぐっしょりと濡れ、少しでも力を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな横風にあおられ、一歩一歩踏みしめて歩く。
 ごうごうと耳に纏わりつく強風とその音が鳴り響く中、風の音に紛れてか細い声が聞こえ顔を上げる。目線の先には月さえ出ていない真っ暗な世界の中で、離れの家がポツンと暖かな灯りを輝かせていた。
 昼間に聞こえて来た音色と同じ声、音、確実に歌っているのは彼女だ。立ち止まって暫く呆けていると、声が聞こえて来たのとほぼ同時に、荒れ狂っていた風が弱くなる。頬を打っていた大粒の雨もいつの間にか小さくなり、唸り声の様に聞こえていた海鳴りも徐々に静寂を取り戻していく。
 湧きあがってきた興奮は、家のためになると言う以上に、幼いころ夢見た魔法使いをより強く思い起こさせたためだろうか。立ち竦んだアーサーを霧雨が濡らし、重くなったキモノを引き摺り部屋に戻ると、急いで手紙を広げて持ち込んだ万年筆をサラサラと滑らせていく。
 
 明け方立ち込めていた厚い雲は晴れ、いっそ暑さに眼を覚まして用意されていた着物に袖を通す。着方が解らないため適当に帯を締めると、欠伸を噛み殺しながら長い廊下を抜けて行く。寝不足ではあるが、昨日の興奮が冷め止まず足取りは軽い。
 不意に一つの部屋からギルベルトが姿を現し、アーサーを見つけると一瞬驚き眼を大きくさせた。彼の手には水差しとコップを二つ抱えている。
「ああ、そうか……オレ達朝はおせぇんだ。台所勝手に使ってなんか食っていいぞ」
 台所があるだろう場所を指さした彼の背中を追って、眠たそうな声色で追いかける少し掠れた声が聞こえる。昨日闇夜に乗っていた声にひっぱられ身を乗り出して襖の隙間から見やれば、布団にくるまって顔と白い肩ばかりが見えた。眼が合うと猫の様に喉を鳴らして笑い、黒い瞳を細める。
 思わず眼を瞠ったのも一瞬で、すぐさまギルベルトによって襖が閉められ眼の前に唯真っ白な紙しか見えなくなった。忌々しそうに舌打ちをすると、何の遠慮もなく紅い瞳が苛立たしげにアーサーと向かい合う。
「菊がてめぇを置いてやるっつーから……変なことしたら即行海に捨ててやる」
 胸を突く指を弾くと、アーサーも眉間に深い皺を寄せて不機嫌を露わに睨んだ。しかしお互い敵意を向けられれば向けられるだけ熱くなるらしく、どちらがか目線を反らすまで睨みあいをやめる気はないらしい。
「ギルくぅーん?」
 暫く額をあわせ睨みあっていたのだが、襖の奥から菊の声が聞こえ、パッと表情を変えて彼はそそくさと台所へと駆けて行った。
 
 久しぶりに見た洞窟には既にハワードと先日の男二人が乗っている。船に男を残して駆けて来たハワードへ、懐に入れていた手紙を取り出し手渡した。
「そこに探してほしい事が書いてある。自国と急いで連絡をとれ」
 陸地でのキャラバンに頼めば船旅の3分の1の速さで届けることが出来るだろう。特徴的な名前に奴隷の子とも思えない西洋系の顔つき、そしてこの時代子連れで船旅が出来る家庭となれば、それなり有名な、貿易業を営む資産家ぐらいだろう。
『父親の仕事に付いてきて、事故にあった』と言っていたため、それは既に確信となっていた。そうなると、自国で今も彼の親族が消息を探しているに違いない。
「はぁ……解りました。それで、どうだったんですか。まさか本当に……」
 一週間で「帰る」と言いだすだろうと予想していたのにも関わらず、残るつもりらしい主人へ、そっと試すように問いかける。すると普段の少々幼い顔つきは意地悪く口角を上げて笑い、キツネ狩りをする時と同じ色に瞳を光らせた。
「是非、軍に欲しい。何としてでも手に入れる」
 残忍に喉で笑う姿を見やり、主人がずっと幼い頃、一人暗い部屋で声を殺して泣いていた姿を思い出した。