チェンジング・オフ

※ この小説は暴力的シーンが入ります。パラレルで突拍子も無い物語です。しかも『シックス・センス』見てる時急に降りてきた。
 
 
 

今からする物語は、今日を愛せないあなたに送る。
 
 
 

 銃声が立て続けに二発、鳴り響いた。自分さえも彼女を守るために銃を構えていた為に、その音にまで気が回らなかった。目だけを瞬時にそちらに向けると、そこには一人の敵の頭が吹っ飛ぶのと、その男が持っていた拳銃がこちらに向かって火を噴くのが見える。
 確実に自分の胸を捕らえただろう衝撃の代わりに訪れたのは、焼け付く様な痛みとはほど遠い、ただ床に倒れ込み転がる、その痛みだけだった。床に威勢良くぶつかった頭を撫でつつ、自分に体当たりした人物に目線をやり、その瞬間にピタリと呼吸が止まり、音もなく全身の血の気が引く。
 自分に体当たりをし、代わりに弾を体に浴びたのは、彼女だったのだ。白い肌をより青白くさせ、黒く長い髪を床にまき散らし、その細い体をクタリと大理石の冷たい床に横たえていた。
「……菊」
 意図する余裕すら出来ずに彼女の名を呼ぶと、ゆったりとした動作で彼女は酷く重たそうに瞼をそっと持ち上げた。そして浅い息を繰り返すその唇で、ふんわりと微笑む。
「アーサー様、よかった、ご無事で……」
 命が燃え尽きようとしている彼女の声色は、短いその言葉でさえ掠れ始めて聞き取りにくい。肺がやられたのか、口の端から真っ赤な血が流れる菊の顔に、少しでもその声を掬い上げようと顔を近づける。
 菊の黒目勝ちな、アーサーの姿をちゃんと捉えていたその瞳が少しだけ揺れると、ピントがアーサーが反らされ、そしてゆっくりとその瞼を閉ざしてしまう。
 それでも菊の撃たれた胸部から溢れ出した血液を、アーサーは必死に手で押さえる。が、一度穴の開いてしまった彼女の体から血が流れるのを止める事は出来ない。アーサーの指の合間を縫って溢れ出すその生暖かくぬめり気の強い液体は、床に小さな血溜まりを作った。
 その菊の体を掻き抱いて、全身を彼女の血で真っ赤に染め上げながら、アーサーは周りに居る生き残った部下達に叫ぶ。けれど、時既に遅しというべきか、彼女は誰にも聞き取れない様な囁きを一つ残して、浅く苦しげな呼吸から、たった一度深い溜息の様な呼吸をすると菊の全身からはハタリと力が抜け落ちた。
 それは、今の今まで生きていたとは思えない、あまりにも呆気ない最期だ。
 菊の体から力が抜け落ちた事に気が付いたアーサーは、慌てて菊に目線をやると、菊の血で真っ赤に塗られたその手で刻々と冷たくなるだけの彼女の頬を包み込んで叫んだ。
「菊、死ぬな……菊。オレを残して死なないでくれ……!」と。
 アーサーはボロボロに崩れ歪んだ視界で彼女の顔を覗き込み、その頬に震える指を押し当てる。けれども触れた指先で感じるのは、ただ消えていく命だけだった。昨日も今日のたった今までも、ずっと二人で話したり笑い合っていたのに、それなのに彼女の呼吸は今、止まった。自分だけを残して、ただ時間だけがこれから虚しく流れていくのかと、そう考えるだけでも恐ろしくてならない事なのに。
 それなのに彼女の心臓は動くのを止め、この灰色の世界にアーサーはただ一人で残されてしまった。それは、途方もない、呆気にとられる程の孤独だ。
 
 それが六年前、挙式の僅か二週間前の、菊の死だった。
 
 

 

  『 C H A N G I N G ・ O F F 』 @
 
 

 

 人々の格差は広がり、下町の職の無い人々が住む一帯はスラムと化していた。ただ貴族は皆金を持ち、スラムで暮らす人々から別離した空間を作り、一つの国なのにさながら二つの国にでもなったかの様に、高い高い壁を作り上げた。そして貴族側だけが大きく科学も医学も発展を見せ、最早貴族側の情報が庶民に流れる事すら希薄になっていた。
 この物語はまず、貴族側から始まる。
 
 その廊下はずっと先までもが薄暗く、歩く彼、アーサーの足音だけが四方に反響して鳴り、他にはただ人工灯の低い唸り声だけが小さく鳴っている。
 やがて辿り着いた扉のドアノブを回して一歩その部屋に入ると、今度は目を刺すかの様な蛍光灯の明かりが一斉にアーサーの上に降り注ぎ、アーサーは思わずその翡翠色をした目を細めた。
 そこで働いていた者は一斉にアーサーを振り返り、そして口々に挨拶をするのだけれども、アーサーが見たのはただ一点で、目の前に置かれた巨大な筒状のガラスただ一つ。そのガラス製の筒に入れられていたのは、彼女、菊の姿だった。
 死んだその時と比べて幾分も幼い顔つきだが、確かに六年前にアーサーの腕の中で死んだ筈の菊だった。美しい黒髪も、肌も、まつげの数さえそのままの様な姿。
 ガラスの中に満たされた液体に体を裸体でただよい、口に呼吸用のチューブが繋がれているだけで、その他の物は昨日の内に全て取り除かれている。本当はもう少し成長した姿こそが死んだ時の菊なのだが、これ以上筋力を使わない訳にも、成長促進剤を使用する訳にもいかない。
「……チェンジング・オフは成功したのか?」
 暫くじっとガラスの中を眺めていたアーサーが、不意に後ろを振り向き沢山の機械をいじっていた一人に訪ねると、一人が少々緊張を持って顔を持ち上げた。
「死ななかった、という点では……しかし本当に成功しているかどうかは、起こしてみないと分かりません……」
「……そうか。」
 自然と声を張り詰めながら、アーサーは少しだけ唇を噛みしめた。それは今日、まさに彼女を起こす日だからである。生まれてきてからずっと眠り続けていた彼女を。
「アーサー様、下がっていてください。濡れてしまいます。」
 一人が彼に声を掛けるも、アーサーはチラリとそちらを見やるものの、一言も発しようとはしない。その目線に一瞬職員は狼狽えてから、それでも目の前の赤いボタンをグッと押した。
 酷い不協和音を発しながら、ゆっくりとガラスが揺れた。そしてやがて、下の方に床と僅かな隙間を作ると、中を浸していた無味無臭の液体が一斉に溢れ出しアーサーのズボンを濡らすが、そんな事よりも目の前の少女の方が彼にとっては重大な問題である。
 ゴボゴボと音を立てて液体が半分ほど無くなると、彼女の顔が少しだけ傾げられ、その衝撃でか呼吸の為のチューブが外れた。そしてそれと同時に彼女はゆったりとその瞼を持ち上げ、小さく2,3度瞬きをしてみせる。
「菊!」
 アーサーが彼女の名を叫ぶと、理解したのかジッと黒曜石の様なその瞳をアーサーに向けた。やがてガラスの筒が全て持ち上がると、彼女は酷く億劫そうにやっと一歩足を踏み出すが、今まで筋力など微塵も使っていなかった為に当たり前だが、歩けるはずも無く、その体はグラリと大きく傾いだ。思わずアーサーがその体を抱き留めると、彼女はグッとアーサーの体にしがみつく。
「オレが誰か、分かるか?」
 その顔を覗き込んで必死に問いかければ、またゆったりとした動作で菊は顔を持ち上げ、そして少しだけ微笑んだ。
「……アーサー……様……?」
 掠れたその声も、やはり六年前の彼女そのまま。びっしょりと濡れ、ポタポタと絶えず床に液体を滴らせていた彼女を、あの菊が死んだ時と同様に、例え濡れても構わないのだろうと思いっきりその細い体を抱きしめた。
 それはあの死だけが支配していた瞬間と違って、確かに命のある暖かさだった。
 
 
 勢いよく扉を開けると、開いた窓から風を受けて白いカーテンが丸く膨らんでいる。その窓の直ぐ下に座って、彼女は開いた絵本を懸命に読んでいた。けれど、アーサーが扉を開けたのに気が付いたのか、こちらを見やってからにっこりと微笑む。
 部屋は生前彼女が死んだ時からそのままにしておいたのを綺麗に片付けたし、彼女には何も気取られない為にありとあらゆる手段は施した。お陰で菊は何か違和感を感じてはいるだろうけれど、不信感は抱いていない様だ。
 それは『チェンジング・オフ』が確かに成功した証拠ではあったのだが、やはり未完成だった為に所々記憶が抜け落ちているらしく、時折不可思議な事をしたり、本を読むことが出来なくなったりしていた。が、アーサーの事はちゃんと覚えているらしく、彼がこの部屋に訪れると嬉しそうに笑い、口数が少ないながらもお喋りもした。
 少々変わっては居たが、六年間一時だって思う事を止められなかったその姿を、声を、仕草を、こうして目の当たりにしているだけで何よりも幸せだった。
 何度も夢であったのでは無いかと思えるその姿に、アーサーは目を細め、自然に緩む表情で駆け寄る。抱きしめると、驚き腕の中で小さくなるその反応も、体温も、それは記憶と寸分変わらない。
「今日は、そろそろ行かなくては。」
 絵本を一冊一緒に読むだけで此処に居られる時間は過ぎ去り、時計をチラリと確認するとアーサーは胸中舌打ちを一つして、立ち上がる。直ぐにそのシャツを慌てて掴んで菊は、上目勝ちに、不安そうな様子でアーサーを見やった。
「もう、行ってしまうのですか……?」
 生前はそんな事口にしなかったのに、やはり微かな違和感を感じていた菊は不安だったのか、小さくそう呟いた。菊の酷く悲しげなその台詞に、アーサーは笑いを浮かべて少しだけ屈み頬にキスを落とす。
「夜、また来る。」
 唯でさえ忙しい時間を無理矢理こじ開けて作っているこの機会を、コッチだって一秒も減らしたくはない。それ故、仕事もきつきつにし、出来るだけ家にいる時間を増やした。……その内、菊を連れてここから出て行こうと考えている。
 未だ不安そうな菊を残して部屋から出ると、急ぎ足でまた長い廊下を抜けた。
 
 真っ白な部屋に一人残された菊は、ぼんやりと絵本に再び目線を戻そうとした時、窓の外遠くで教会の鐘の音が響いた。パッと顔を持ち上げた彼女は、その見えない教会に熱心に視線を送る。と、そこに丁度召し使いが昼飯を手に入ってきた。
「行かなくちゃ」
 不意に漏れた言葉に、窓の外をジッと見たまま動かなかった菊へ戸惑いと共に視線を送る。元来この部屋は開かずの間として、掃除をするときでさえ家具の配置換えを固く禁じられている部屋だった。
 飾られた写真や、女の人の服、更には年季が入った手紙や本をそのままに、見知らぬ少女が突然連れてこられて住んでいるのだから、気色悪いだろう。
 使用人はみんなしてうわさ話を楽しげにしている中、古株の使用人は全員青い顔をして少女の話題には絶対に加わろうとはしない。それが更に気味悪かったし、少女の顔が人形の様に整っているのもまた噂の種にされていた。
「どうしましたか……?」
 それでもくれぐれも、と主に直々に言われていては、構わないわけにはいかない。召使いは怖々とそう問いかけながら菊の顔を覗き込もうと身を屈めた。菊はそれにつられるように顔を持ち上げると、真っ黒な瞳があまりにも虚ろで瞬時思わず召使いが一歩後ろに退いた。
「……行かなくちゃ」
 まるで抑揚の無い口調でもう一度同じ言葉を繰り返すと、菊はゆったりとした動作で立ち上がり召使いが入ってきた扉に向かい覚束ない足取りで歩き出すものだから、慌てて召使いはその細い腕を掴んだ。と、一瞬間があったかと思うと、黒く長い髪をフワッと揺らして振り向いた。召使いは最後に菊の手の中に何かがキラリと光るのを見た。が、それがキャップの取れた万年筆だと気が付く余裕さえ無かった。
 そして、暗転。
 
 
 呼び戻され急いで菊が居るはずの白い部屋に駆け込むと、ソコにはまだ生々しい血痕が飛び散った跡が残っていて、思わずアーサーは顔を顰めた。心臓が不安定な音で鳴るのを覚え、かの六年前の彼女の生々しい死という感触を思い出し、軽く吐き気さえ覚える。
 もう、一体何が夢で何が現実なのかさえ、よく分からなく成りつつあった。兎に角、菊と再び一緒に居られるのならば、どちらでも構わない。
「菊様の姿は既にありませんでした。外部からの侵入も……ありえません。」
 一人の召使いと一人の掃除婦が殺され、そして菊の姿は消えた。外部からの侵入も無い、となったら菊が……。やはり『チェンジング・オフ』の副作用が出たのだろうか?アーサーはギリっと奥歯を噛みしめて、眉間の皺を深くした。
「……兎に角探せ。まだそう遠くには行ってない筈だ。」
 建物の外では雨が激しく降り、全ての視界を霞ませている筈だ。その上もし“壁の向こう”に行ってしまっていたなら、それこそ女一人なんて直ぐにレイプされて殺される。そこまで考えが及んだ瞬間、胸がスッと冷たくなった。
 外から中に来る人間には検査が必要だが、その逆、つまり金持ちの方からスラムに出るのになんの検査もいらない。せめて彼女が血まみれのまま歩いていたのなら誰かが止めるのだろうが、一緒に彼女のコートも消えているから隠し通せているかもしれない。
 彼女と話したその時のままに開け放たれた窓から、雨が一斉に吹き込んでくるのを見て、また胸騒ぎを覚える。折角手の中に戻しかけた幸福が失ってしまうのを、どうして許せるだろうか。
 
 
 
「今日のご飯は何がいーい?」
 雨が好きだと言うこの脳天気な男は、嬉しそうに傘を差しながら自分の横でバシャバシャ飛び跳ねた。いつの間にか家に居座られて、稼いでいるのは自分だが、その代わり家事を全て彼一人がこなしている。特に料理を得意とするものだから、あまり栄養なんて考えない自分にとって最近はありがたい気さえしてきた。
「そうだな、うまければ何でも良い。」
 淡々と返すと、フェリシアーノは嬉しそうに「オレのご飯はおいしいよー」と言ってまた飛び跳ねた。その所為で水が跳ぶものだから、思わず数歩遠ざかる。と、不意にフェリシアーノが大声を発して地面を指さした。
「ルートヴィッヒ!あれ、女の子じゃない?」
 その叫び声に、どうせまた娼婦が酒によって寝ているのだろうと高をくくって目線をやれば、そこには高級そうなコートを着込んだ黒髪の少女が激しい雨に当たりながらグッタリと道路に横たわっていた。愛らしい顔をしていた事もあってか、フェリシアーノは見たこともない機敏さで彼女に駆け寄り、今度は奇妙な叫び声を発した。
「ヴェー!ルートヴィッヒ、この子血まみれだよ!死んじゃってる!」
 今にもぶっ倒れそうな声を発してフェリシアーノがそう言うのを、慌てて近づき脈を取りながらルートヴィッヒは冷静に返す。
「死んではいない。……取り敢えず家に連れて帰るぞ。」
 その服装はどうみても“コチラ”側の人間では無いし、このままここに放って置いたら良くて衰弱死、悪くて強姦の上に拉致監禁で更に殺害、なんてざらにある。簡単に体をチェックしてみるも、どこにも傷など無いし、どうやらこの血痕自体彼女のでは無いらしい。となれば、どこからか命からがら逃げてきたのかも知れない。
 持っていた荷物を全てフェリシアーノに持たせると、肩に彼女を担ぎ上げた。小さいながら我が家は病院であるし、簡単な治療は施せる。
「大丈夫?死なない?死なない?」
と、後ろから懸命に自分達の上に傘を差してくるフェリシアーノは、“コチラ”側の住人だとは思えない程他人の事を気に掛け、そして狼狽えた。
「……お前は今晩のメシの事を考えろ。三人分に増えたぞ。」
 ルートヴィッヒのその台詞に、フェリシアーノは瞬間少しだけ考えてから、ニマッと笑う。そして混雑して薄暗いスラム街に、楽しそうな彼のカンツォーネが響いた。
 
 
 SFなのかなんなのか解らないものの始まりです、お付き合いください^q^