チェンジング・オフ

※ この小説には暴力シーンが入っています。パラレルと女体化。関西弁知らない。
 

 

fair is foul, and foul is fair
 
“きれいはきたない、きたないはきれい”
By 『Macbeth』 Shakespeare
 
 
 
 
CHANGING OFF I
 
 

 長い廊下を駆けていくと、向こうの方でうっすらと白い灯りが漏れているのを見つけ出す。それはどうやら扉が開いてそこから漏れる部屋の灯りの様で、その白い光を見つけて菊は走る足を止め息を殺す。足音を消しつつゆっくりと扉に向かいながらフードを更に深めに被ってそっと中を覗き込んだ。視線を左右にまんべんなく動かし、部屋に誰も居ないのを確認すると、そっと一歩室内に入り込む。
 簡素な部屋に立派な机が一つ置かれ、四方に本棚が設置され大量の本が入れられていた。六年間の眠りから覚めた時に、その後遺症の為か難しい文字が読めなくなっていた菊にとっては、それが一体何の本かは全く分からない。ただ、机の上に広げられた地図が“ムコウ側”の物だという事は分かったし、地図の一画につけられた赤丸が『ヴェラ』の本拠地だということも分かった。
 机の引き出しを開け、捕虜が捉えられている所の鍵でも入っていないかと、ガサガサ音を立てて手を突っ込む、が、ただひたすら資料があるだけで他には中々良い物が見つからない。途中、ヴェラの名簿らしい物を見つけ、そこに記された名前らしき文字にバツやマルがされていたが、生憎それすら読めない菊にとっては意味のないものとなってしまった。悔しさと情けなさが入り交じるが、兎に角今は手がかりになる物だ。
 と、不意に扉の向こうから男二人の話し声が聞こえてきて、菊の心臓が飛び跳ねそちらに目線を送る。鍵を探す事に夢中になってしまっていたらしく、二人がすぐ近くに来ていた事すら気が付かなかった。慌てて周りを見渡すが、本棚しか無いこの部屋で隠れきれる筈もない。
「でもなー仕方無いやんか……あれ?電気付けっぱなしだったん?」
 ひょっこりと顔を出した男が、室内を見やって不思議そうに顔を傾ける。どうしようもなくて机の影に隠れた菊は口を両手で覆い、じっと息を潜めながら心臓が高まり頭がクラクラするのを感じた。
「そうさ!だってすぐに帰ってくるからね。」
 黒髪で訛りを持っていた男の直ぐ後に、今度は眼鏡を掛けたがたいの良い男が入ってきて、それから菊の潜む机に歩み寄ってきた。心臓の音が聞かれてしまいそうな程に鼓動が早まる。
「こない机の上汚くしとったら、何がどこにあるか分からなくなってまうやん。」
 あーあーあーと一人の男が言うと、眼鏡を掛けた男が首を傾げる。
「えー?オレちゃんと片付けたつもりなんだけどなぁー」
 不思議そうにそう言いながら、彼の足音が段々菊に近付いてくるのが分かった。ああもう見つかってしまう、と、掌がぐっしょり冷たい汗が伝い始めた、その時だった。
「アルフレッド、アントーニョ!不審な奴を見なかったか!?」
 そこに駆け込んできたのは、息を切らし肩を上下させているアーサーだった。突然に飛び込んできたアーサーに、驚いて二人ともそちら見やり、そして机から離れていった。
「不審な奴?サディクぐらいしか見なかったけどなぁ。」
 クスクス笑いあいながら遠ざかっていく男達は、完全に部屋から出ると部屋の電気をパチリと消した。真っ暗な闇が辺りを支配し、三人分の足音が廊下の向こうへと遠ざかっていくのを聞きながら、菊はホッと胸をなで下ろす。全身冷や汗を掻いてしまっていて、体感温度が酷く低くて軽く身震いを起こした。
 立ち上がると微かに足が震えていたが、どうにか気合いを入れ直すと無理に立ち上がり微かな月明かりのみで部屋の中の捜索を始める。そしてようやく、机の一番下の引き出しから鍵の束を見つけ出した。それをひっつかむと、慌ててその部屋から駆け出す。
 先程サディクに教えて貰った見取り図を忘れないように何度も何度も思い起こしながら廊下を進む。捕まった人達は本部から少しばかり離れた所に建てられた建物内に収容されていると聞いたため、取り敢えず出口をさがした。
“コチラ側”にあるためか、酷く油断していて見張りも殆ど居なかったが、流石に収容所の周りには流石に数人見張りが居た。が、もうたっぷり日も落ちてあたりは真っ暗になっていて、警備も油断しているらしく随分楽に近くまで寄れた。
 どうやら夜は二人組が見回りをしていて、大抵出入り口に立っており、数十分おきに牢の中を巡回している。菊はもしもの時にとサディクに渡されていた拳銃をそっと裾の中から取り出すと手に持った。
 脅し程度にしかならないだろうが……戦闘など知らない“コチラ側”の人間にとったらさぞ恐ろしい武器であろう。小さく唾を飲み込むと、菊は二人の前に躍り出て続けざまに二発、空に向かって威嚇射撃をする。
「撃たれたくなかったら、そこをどいてください!」
 菊がそう叫ぶと、二人はポカーンとした顔で菊をみたまま動かなくなってしまう。今の発砲音を聞きつけて人がやってくるのは時間の問題だろう。苛々とした心地のまま下唇を噛みしめると、今度は二人に向かって一発発砲した。実際に拳銃を撃つことが初めてだったため、思った以上に衝撃が大きくおもわずよろめきながらもキッと二人を見上げる。二人の合間を縫って壁にぶち当たった弾のつけた傷跡を二人が見やるのと逃げ出すのは、ほぼ同時だった。
 二人が逃げると慌てて菊は懐から鍵を取り出して建物内に駆け込む。発砲音に驚いて中にいた人々が驚き立ち上がって駆け込んできた菊を見やり、口々に菊の名を呼んだ。まだ会ってそんなに経ってはいないのに、『ヴェラ』のメンバーなら殆どが菊の存在を知っていた。
 発砲音を聞きつけて人がやってくるのに数分と掛からないだろうが、ここに居る『ヴェラ』の人々は負傷者も含めて3〜40人はいそうだった。それも3人で小分けにされていて、部屋数が酷く多くて鍵についた数字と部屋番号を照らし合わせるのは至難の業だろう。部屋は外から見える様に格子になっており、家具はトイレと簡素なベッドしか備わっては居ない。
 菊は取り敢えず一番手前の部屋から鍵を合わせていく。一度合ってしまえば次の部屋からは順々になっているために鍵で手間を食う事は無かった。
「先に逃げてください。私も全部開けたら後を追いますから。」
 菊の言葉に突然自由になった人々は頷き窓から外へと駆け出していく。何分経った頃だろうか。恐らく、実際の時間だったら3〜4分だったろうが、菊にとっては全くの一瞬であり、また延々と続く時間の様にも感じた。時間が経てば経つほど焦りが指先からにじみ出し、鍵を持つ手が震える。実際全員逃げることが出来たとしても、一体どこにいけないいのかすら菊には分からない。それでも、止めずにはいらない。
 そして遂に残すところあと3部屋になろうという頃になって、廊下の向こうからいくつもの足音が響いてきた。そして誰か、一番始めに駆け込んできた人物がダンッ、と重い銃声を発し、それと同時に菊の足下のコンクリートが砕け散る。
 驚愕と絶望をない交ぜた様子で、菊はハッと銃声が鳴った所に目を瞠らせた。と、一瞬雲に隠れていた月が再び顔をだし、その明かりが拳銃を構えた男の顔を半分だけ照らし出す。いつもと雰囲気は違うのだが、確かにその顔は菊の良く見知った彼だった。まだ牢屋に閉じ込められた人達も一様に声を上げて彼の顔を見やる。
「……フェリシアーノくん」
 菊が男の名を呼ぶのと同時に、もう一つ銃声が暗闇に鳴り響き、菊の手に持たれていた鍵の束は音を立てて床に叩き付けられた。
 
 
「不審者はどこだいっ?……って、殺しちゃったのかい、ロヴィーノ。」
 発砲音が聞こえてすぐに駆けつけたものの、二番目となってしまった眼鏡の男は目をキラキラさせて飛び込んできたが、胸から致死量だろう血液を流して目をピッタリと瞑った菊を見やってつまらなそうに唇を尖らせる。そして、いかにもつまらない、とでも言いたげに手に持っていた拳銃を指でクルクル回してみせた。
 ロヴィーノが駆けつけた頃にはもう既に逃げられていた後の様で、牢屋の扉は全て開け放たれており、もう一人も牢の中にはいなかった。アルフレッドの次に飛び込んできたアーサーは、一目床に落ちた菊の死体をみやって顔を真っ青にさせながらそっと彼女に歩み寄ろうとし、そのアーサーの行動をロヴィーノが右手を出して遮った。
「お前は触んな。聞きたい事があんだ。」
 いつものように不機嫌そうなロヴィーノに睨まれ、アーサーも眉間に皺を寄せ少しばかり目線を反らすと悔しそうに下唇を噛みしめる。暫くその様子を眺めていたロヴィーノはアーサーの元から離れると、床に血の沼を作り出している菊の死体を抱え上げた。ボタボタと濃い血がロヴィーノの指の間をすり抜けて音をたてつつこぼれ落ちる。
 ダラリと重力に従った肢体が垂れ下がり、月明かりの所為かそれとも死の気配の所為か、菊の白い肌は尚いっそう白く透き通ってまるで蝋人形の様であった。
「オレが部屋に持ってく。一応持ち物とか調べんだろ?」
 ロヴィーノの言葉にアルフレッドは元気よく頷くと、アーサーも辛そうな視線をようやく菊から外すと、細やかに震える体を押さえ、逃げ出したヴェラの人間などどうでもいいのか、楽しげに歩き出すアルフレッドの後に続いた。少しの間足を止めていたロヴィーノも少しだけ目を細めて二人の後ろを歩き始めた。
 
 
 室内では先に待っていたアントーニョがのんきに茶を啜っていて、アルフレッドの姿をみとめてから少々意外な顔をしてみせる。
「不審者、捕まえられんかったのか?」
 アントーニョの言葉にアルフレッドは若干嬉しそうに肩を竦めた。
「不審者はね、ロヴィーノが撃ち殺したんだよ。彼もちゃんと働くんだね。」
 と、そのアルフレッドの言葉にアントーニョが大きく首を傾げ、眉間に皺を寄せる。
「なんやあいつ来てたんか。今日も眠いから出ないとか言っとったのに。」
 ふと、この掛け合いに流石のアルフレッドも不安を覚えたのか、ロヴィーノが居るはずの背後を振り返った。が、そこにはアルフレッドはおろか、血の跡すら見あたらない……そろそろとアルフレッドがアーサーに意見を求める様にアーサーを見やる物の、アーサーは翡翠色の瞳を大きく見開いたままじっと廊下の先を見つめたまま立ち竦んでいる。
 
 
 くすくすと笑いながら、ロヴィーノ、否、フェリシアーノは菊を抱えたまま外を駆けていた。先程まであった眉間の皺も、きつそうな瞳もそこには無くて、まるでいつものままの彼だった。
「もう平気だよ。動いて良いよ、菊。」
 その言葉にピッタリ目を瞑っていた菊が瞳を開くと、大きな満月の前でにっこりと微笑んだフェリシアーノが居た。彼に導かれるままに地に足を降ろすと、他人の血で真っ赤に染まった己のスカートを持ち上げて眉根を下げる。
「死んだふりとかする時に使えるかな〜?っと思ってルートヴィッヒの所から輸血パックもって来たんだ。」
 そう楽しげに笑うフェリシアーノにつられて菊も思わず微笑んだ。が、笑った顔をすぐに不思議そうなそれに変えると小さく首を傾げる。その様子にフェリシアーノは苦笑を漏らしながらもついと空を見上げた。
「あのね、オレね、“コチラ側”に双子の兄ちゃんが居るんだ。だから兄ちゃんの真似して忍び込んだの。」
 空を見上げたまま、何かを思い出す様なフェリシアーノの灰色の瞳がキラリと光るのを菊は見つけ、少しだけ目を細める。フェリシアーノのバックで北斗七星が雲すらかからずに光り輝いている。
「兄ちゃんはさ、凄いんだ。」
 嬉しげなフェリシアーノの声色が不意に詰まる。次男として生まれたフェリシアーノにとって、長男としての兄の存在は酷くかけ離れた存在だった。
 両親の愛も、周りの感心も、全てが兄に偏っている気がしてならなかったのに、そんな事は無いと自分で打ち消しておきながら、その妄執といっても良いほどの観念は常に自分の底に渦を巻いていた。ずっとその事に気が付かない様に生きてきたのだが、またこうして“コチラ側”に来ると生まれてから抱き続けてきた劣等感は嬉しそうにフェリシアーノの足下からからみついてくる。
 無表情になり、黙りこくってしまったフェリシアーノの顔を菊が不思議そうに覗き込んだ。と、菊を振り返ったフェリシアーノはにっこりと笑ってみせた。
「『ヴェラ』が実はずっと昔から掘っていた穴があるんだって。今度“コチラ側”に奇襲をかけるつもりだったらしいよ。きっと菊が助けた人達はそこから逃げたんだろうね。」
 菊の腕を引っ張ってフェリシアーノが走り出す。当然の様に菊もつられてどんどん草を掻き分けてやがて何もない平野でピタリと足を止める。それから辺りをキョロキョロと見回してその場にしゃがみ込んで古びて錆が付いたマンホールを一つ見つけ出し取っ手を掴み持ち上げた。ヒュウ、と風が舞い上がり菊の黒髪を持ち上げる。
「……ここはそのままオレ達が住んでいた通りのマンホールに繋がってるんだ。ここから逃げられる。」
 フェリシアーノの言葉にハッとして口を開こうとした菊を片手で押しとどめて、ちょっと困った様に彼は笑った。
「今“ムコウ側”に行かないと、今度捕まったらアーサーとはもう会えなくなっちゃうよ。……それに、コレをバッシュに渡して欲しいんだ。」
 そうフェリシアーノがポケットからクシャクシャになった封筒を一つ取り出すと、菊の手に握らせる。不思議そうにその紙を見つめていた菊が、不意に顔を持ち上げる。
「……フェリシアーノくんは逃げないのですか?」
 不安げなその菊の言葉に、フェリシアーノはにっこりと笑みを返した。
「うん。オレはもうずっと逃げてきたから、そろそろ逃げるのを止めないとね。」
 いつものフニャリとしたフェリシアーノの笑顔が、満月を背景になぜだか酷く頼もしげに映った。