※ この小説には暴力シーンが入っています。パラレルと女体化。関西弁知らない。
価値観は無価値
真っ暗な穴を進んでいくと、やがて板一枚のフタらしきものを押し上げ、菊は“ムコウ側”に辿り着いた。ひょっこりと顔を覗かせると、月明かりに照らされた街が露わになり思わず息を飲み込んだ。そこに佇んでいた街は、今まで自分が知っているそれでは無く、瓦礫にまみれた廃墟の様に閑散としていたのだ。穴からはい出して、菊は息を飲み込みそのまま座り込んで暫く所々黒い煙が上がる街を呆然と眺めていた。
CHANGING OFF J
が、やがて不意にルートヴィッヒの事を思い出され、慌てて菊は物音一つしない町中に駆け出す。本当に人間が住んでいるのか不安になるほど町中に人の姿は無く、光も声も温度さえ失ってしまっていた。崩れ落ちた家、焼けて真っ黒になった家、弾痕……一体どれ程の時間が経ってしまったのかまるで思い出せないのだが、それでも此処が夜となれば人が集まって宴会をしたあの場所だとは到底思えない。
肩で息をし、やっと辿り着いたルートヴィッヒの医院の前で足を止め、一つ大きく息を吸い込んでからゆっくりとドアノブに手を付ける。ひんやりとした金属の感触がし、鍵が掛かっていないらしく簡単に回ってしまった。そっと中を覗き込んで思わず全身の血の気が引いた。そこには、誰一人と居ないどころか、棚に置かれていた物が床に散らばっていて几帳面なルートヴィッヒの家だという気配さえ見せない。
そっと中に上がって辺りを見回すものの、やはりどこにも誰かが潜んでいる雰囲気も無いし、物音一つさえしない。……もしかしてバッシュを匿っていた事がばれてみんな殺されてしまったのかも知れない。例えその場に居たとしても何も出来ないのだが、それでも一足遅かったのかと思うと絶望感が菊の体を震わせる。
ギシ、ギシ、と音をたてて危うげな床を進むと、ふと隣部屋の窓際に月明かりによって照らし出された人影を一つ見つけて思わず立ち竦んだ。と、逃げるか行くか迷っている内にその影がひょい、と動いて扉の向こうから金髪で顎髭を蓄えた男、フランシスが顔を出した。そして目があった瞬間、二人同時に思わず声を漏らす。
「さっき捕まっていた『ヴェラ』の奴等があんたに逃がして貰ったって言ってたからまさかと思ったが……」
暫く言葉に詰まって目線を菊からずらしていたフランシスは再び菊を見やり、何かまだ言い足そうだったが、それよりも早くに菊の腕を掴むと有無を言わせずにグイグイ菊を建物の外に連れ出す。引っ張られるがままにフランシスに付いていくと、やがて小汚い小さなビルの一つの中へと入り込んだ。入った瞬間、酷い悪臭と同時に中で身を寄せていた人々の目線が一斉に自分に向いたのにビクリと思わず恐怖した。が、立ち竦んでいる菊を余所に、人々は口々に何かを呟き、今まで静まりかえっていた建物内が俄にざわめきだった。
その空気に菊は慌ててフランシスを見やるが、彼は何も気にしていないかの様に菊の腕を掴んで人々を掻き分けていく。やがて真夜中だというのに電灯一本で怪我人の治療をしていたルートヴィッヒの前で立ち止まると、やっと二人に気が付いたらしく彼は顔を持ち上げて半ば驚いたように菊を見やった。
「ルートヴィッヒさん!よかった、無事だったんですね。」
先程の酷い絶望感が相まって、一目ルートヴィッヒを見つけた菊は思わず駆け出す。が、一瞬驚いた顔をしていたルートヴィッヒは眉間に皺を寄せると駆け寄ってきた菊の肩を掴むと声を荒げる。
「なんで戻ってきたんだ!ここに居たらじきに殺されてしまうぞ。」
そのルートヴィッヒの怒声に寝ていた者まで起き上がって二人を見やるが、いつもだったら周囲が気になる二人でも気にする暇さえ無い。
「だったら私に何もするなって仰るんですか?私だって“コチラ側”で生まれ育ったんです。手伝いぐらいさせて下さい。」
いつもとは全く違う剣幕な菊に思わずルートヴィッヒは眉間い深い皺を寄せたまま口を結ぶ。無言で睨み合いともとれる格好のまま二人は向かい合ったまま動きを止めた。その時、凜と透き通った声が建物内に響く。
「連中の狙いは吾輩である。……吾輩が出て行けば、それなり事態も落ち着くだろう。」
かの声にみなが驚き振り返り、スラリと立っている人物を見やった。そこには右肩と左目に痛々しい包帯を巻いたバッシュが立っていて、彼のセリフにみなが一様に驚きの声をあげる。バッシュは月明かりに当てられながらルートヴィッヒと菊の元に一歩一歩音を立てて歩み寄る。
「……吾輩の同志達を助けてくれた事に、まず礼を述べなければならまい。本当ならば吾輩が行かなければならないのだが、吾輩は見ての通りであるし、我が『ヴェラ』も壊滅状態……判断が遅くなってしまっただろうが、吾輩が出て行かなければな。」
終始落ち着いた調子で菊の瞳を見やりながらそう言うと、意見を求める様にちょっとだけ首を傾げて見せた。
「……でも、そしたらバッシュさんは殺されてしまいます。」
一瞬押し黙った菊が目線を持ち上げてバッシュを見やると、何でも無さそうにバッシュは一度頷く。
「当然、そうであろう。心残りは生き残った『ヴェラ』の同志だけである。」
周りにも意見を求めるかの様に、彼は辺りを見回した。『ヴェラ』の組員らしい人々、誰もが口を結び、バッシュを見やる。悲愴めいた沈黙、無言の肯定が痛い程肌に突き刺さった。
深夜午前一時、すっかり夢の中へと落ちていたロヴィーノを電話のけたたましいベル音が起こした。不機嫌そうに寝返りをうつのと、誰かが扉を叩くのはほぼ同時で、暫く無視していたロヴィーノもだるそうにやっと体を起こして眉間に皺を寄せたままベッドから抜け出した。全裸のまま扉を開け放つと、彼のその姿に慣れているのだろう使用人は眉一つ動かさずにロヴィーノに受話器を差し出す。
一同に並んだ懐かしい面々をグルリと見やってから、フェリシアーノはゆっくりと深い息を漏らした。二年ぶりに見る彼等に何も変かは無いが、自分を見る瞳がどこか冷たい気がして何度も目を背きかける。
「……フェリシアーノ、か。二年間もどこにいってたの?」
アルフレッドは手の中の拳銃で弄びながら、その眼鏡の奥のどこか冷めた瞳をフェリシアーノに向けた。昔からフェリシアーノは彼が苦手だった。何を考えているのかも、一体何が本心なのかも分からなく、一見単純そうに見えてまるで複雑なのだ。
「オレは……ずっと“ムコウ側”に居たんだ。」
微かに語尾が震え上がりそうになるのを懸命に抑えて、俯きかけた顔をパッともう一度アルフレッドに向け、震える拳を強く握りしめた。柔らかそうなフェリシアーノの灰色の瞳が、アーサーには二年前のあの弱いものとは違う気がして思わず目を瞠る。が、アルフレッドは特に気にもしないらしくつかつかと彼の前に歩み出てにっこりと微笑んだ。
「ふぅん。だから『ヴェラ』の捕虜を逃がしたの?」
笑顔のアルフレッドの顔から目線を反らさずにフェリシアーノは一度頷いた。と、次の瞬間アルフレッドが右手に持っていた拳銃を瞬時に振り下ろしてフェリシアーノの額を打った。大きな衝撃にフェリシアーノの体が大きくふっとび、壁に激しくぶつかる。
「ちょ、何してんねん!」
その場にいた中で真っ先に反応したのは、昔からフェリシアーノとロヴィーノ兄弟に馴染みがあったアントーニョで、お越し上げようとフェリシアーノの腕を掴む物の、それをフェリシアーノは振り切って自力で立ち上がると仁王立ちをしているアルフレッドをにらみ返す。打たれた額から一筋、真っ赤な血が垂れてフェリシアーノの頬を赤く染めるが、それすら全く気にも止めない。
「オレ達の仕事はさ、いかに“ムコウ側”と仲良くするか、って事なんだ。そういった意味で『ヴェラ』の存在はとっても邪魔なんだ。わかるよな?」
そういうとアルフレッドは持っていた拳銃をフェリシアーノの額に押し当てた。先程まで微笑んでいた彼の顔からは完全に笑顔が消え去っていて、幼い頃から知っているアーサーさえ思わず一歩退いてしまいたくなる様な冷たさが滲みでている。微かにフェリシアーノの足が震えている事に直ぐさまアントーニョが気が付き口を出そうとするも、それよりも早くにフェリシアーノがアルフレッドを睨み付けたまま口を開いた。
「そんなの。だから人を殺したっていいっていうのはおかしいよ。」
瞬時、アルフレッドの顔色がサッと怒りに染まり、下唇を強く噛みしめた。
「じゃあなんだい、オレが悪者だっていいたいのかい?『ヴェラ』を放って置いたらまた六年前みたいに沢山の人が死ぬんだ。」
アルフレッドの今にも掴みかかりそう雰囲気に、思わずアントーニョはアルフレッドをいつでも抑えられるように背後に回り込んだ。明らかな怒気に、二年前だったら絶対に積極的に食い付こうとは絶対にしなかっただろう。
「“コチラ側”で人が沢山死ぬのはいけなくて、“ムコウ側”で人が死ぬのはどうでもいいっていうの?残された人達は同じ様に悲しむのに。」
それでも口を開くフェリシアーノに、若干アルフレッドさえ驚いた。タラタラと流れ落ちるフェリシアーノの血が床を汚していく。
「そしたら君は“コチラ側”の人間は危険分子である『ヴェラ』を放っておけっていうんだね?」
苛々とした口調でアルフレッドはフェリシアーノの額に押し当てていた拳銃の引き金をカチリと引いた。が、横で見ていたアーサーが直ぐさまフェリシアーノの腕を掴んで引き寄せ銃口から無理矢理引き離す。そしてそれと同時にアントーニョが拳銃を持っていた方のアルフレッドの腕を掴んだ。
「そこまでだアルフレッド。お前にフェリシアーノを殺す程の権限は無い。」
淡々としたアーサーの物言いに、アルフレッドはアーサーを数秒睨んでから舌打ちを一つ残して部屋から大袈裟な音を出して飛び出してしまう。まるで子供のままだと、一度深い溜息を吐き出してから、へなへなと床に座り込んでしまったフェリシアーノを助け起こす。
「大丈夫か?……取り敢えず身柄は拘束させて貰う。」
アントーニョに一つアイコンタクトを送ると、先程アルフレッドが飛び出していった扉から拘置所に向かう廊下を、フェリシアーノの腕を強く掴んだまま歩き出した。素直に付いてくることから逃げ出すつもりは毛頭無いらしいが、これからが不安なのか少々頼りない表情をしていた。
静まりかえって数メートルおきの人工灯が発する僅かな唸り以外何も聞こえない、いっそ真っ暗闇よりもおどろおどろしい雰囲気な廊下を無言のまま暫く歩いていたが、不意にアーサーが先に声を出す。
「……お前は、菊と知り合いなのか?」
ポツリと言われた言葉に、フェリシアーノは驚いてアーサーを見やるが、やがてにっこりといつもの様に微笑むと元気よく一度頷いた。
「“ムコウ側”で一緒に暮らしてたんだよ。さっきのはね、ルートヴィッヒの所から持ってきた輸血パックをつかったの。」
にこにこと笑うフェリシアーノに対して、アーサーが無表情のままフェリシアーノの横について歩き、先程とは違う牢というより個室にフェリシアーノを連れて行く。六畳ほどの部屋に簡易ベッドが置かれ、人一人は通れそうもない小さな窓が上方に設置されている。
「取り敢えず処分が決まるまでここに居てくれ。」
そう言い残して部屋を出かけたアーサーは、ふと扉を閉めかけたままフェリシアーノに向き合う。
「お前は、二年前と随分変わったな。」
そのアーサーの言葉に、フェリシアーノはにっこりと笑って首を振り、それにつられて髪が揺れた。
「オレは変わって無いよ。気が付いただけ。」
その意味を理解しかねたが、アーサーは「そうか」と小さく呟くと、厚い一枚の扉を閉じてフェリシアーノの姿を眼前から掻き消す。静寂に耳を痛ませながら、酷く鈍い動作で鍵を掛ける。カチャン、と重い音が廊下に響いた。
そろそろ夜明けが訪れるだろうという頃、空は明るい紫色に色を変え“コチラ側”の人間は痛む体を起こし始める。一睡も出来ないだろうと思っていた菊も結局は寝入ってしまっていたらしく、目を覚ますとルートヴィッヒの汚れた白衣が掛けられていた。
あれからフェリシアーノが“ムコウ側”で助けてくれた話と、結局ヘラクレスは居なかったと言うと、彼はいつもの気難しそうな表情を曇らせて黙り込んだ。それから一晩寝ていなかったのか、菊の隣で座っていた彼の目の下には酷い隈が出来ている。菊の心配げな様子をかわして、ルートヴィッヒは立ち上がるとと誰もの目を刺す朝日の合間をぬって壁にもたれかかったまま座り込んでいたバッシュの元へと歩み寄った。思わず立ち上がった菊につられて数人が立ち上がるものの、一言さえ言葉が出せずに辺りは妙に静まりかえる。
座り込んでいたバッシュは、コバルトブルーの瞳を少しだけ持ち上げて眉間に皺を寄せたままのルートヴィッヒを見上げたが、やはり彼も無言だった。その沈黙を破ったのは、ルートヴィッヒの掠れた声色。
「……色々考えたんだが、お前が出て行ったぐらいで事態が沈静化するとはとてもじゃないが思えない。“ムコウ側”の奴等は、本当に『ヴェラ』が消え去らない限り納得しないだろう。」
淡々としたルートヴィッヒの口調に誰もが口を挟めずに息を飲み込んでじっと朝日に溶け込む二人を見守った。そこまで瞳以外微動だにしなかったバッシュが、感情を含まない様な口調で応える。
「吾輩の同胞全てに死ねというのか。」
怒気さえ見あたらないその言葉に、そこに佇んでいた誰もがハッと肝を冷やすが、バッシュの言葉に直ぐさまルートヴィッヒはかぶりを振る。
「違う。お前が出て行っても得策とはいえないと言うんだ。……オレ達に必要なものは、人員と武器だ。」
勘の良い者がその言葉だけで身を乗り出しかけるが、ルートヴィッヒのあまりな剣幕に何も言えずに佇む。ギラギラと照りつける様な朝日は、その日一日も晴天であるだろう事を予兆している。
「オレ達が“ムコウ側”に勝利する可能性が出てくる唯一の方法は……力を、借りる事だ。」
ザワッと周りがどよめいた。誰もがその脳内で一人の人物を写しだしているのは明白だったが、また誰もがその人物に一種の恐怖を覚えているのも確かであった。それ故、ルートヴィッヒの提案が果たして彼の言う得策と成り得るか、現実まったく想像だにしない事であっただろう。
「イヴァンに。」
言い切ったルートヴィッヒに、それでも周りは絶句と共に微かな恐怖、そして希望を見いだした。例えどれほど現実的でないにしろ。