チェンジング・オフ

※ この小説には暴力シーンが入っています。パラレルと女体化。完全にオリジナルです。 一応……
アルフレッド=米、アーサー=英、菊=日、バッシュ=瑞、ルートヴィッヒ=独、フェリシアーノ=伊、イヴァン=露、耀=中国、ロヴィーノ=ロマーノ、ヘラクレス=希、アントーニョ=スペイン
 
 私の家の菊ちゃんはよく倒れるなぁ……
 

 

 六年前、多くの人々の時間が止まった。否、歩かなくてはいけないのに、自らで歩くのを拒否してしまった、と例えた方が適切の様に感じる。
 六年前のあの事件の当時、アルフレッドはまだ15歳と心身ともに幼かった。その日は久しぶりに彼の姉と彼の母がオペラを見に行くのだと美しいドレスを身に纏って、嬉しそうにアルフレッドに手を振った。彼はオペラになど興味が無く、勿論家で大人しく留守番でもしていた方が利口だと考えていたが為に彼女達には付いては行かなかった。
 それが幸か不幸か、アルフレッドは死ぬことは無かった、が、彼の最愛の人は二人も命を失ってしまう。それが彼のヴェラ=悪という概念の始まりだった。

 
 
 
 
CHANGING OFF K
 
 

 オレンジ色の蛍光灯に照らされた灰色の彼の瞳は、一秒だって同じ色をしないキラキラとした、まるで白銀の雪めいた色を放っている。それは、まるで暖かさを知らない色だと額ににじむ冷や汗を思いながら菊は俯きたいのを我慢する。
「バッシュでもルートヴィッヒでも無く君がくるなんて、ちょっと予想外だったかな。……取り敢えず入りなよ。」
 にっこりと微笑むイヴァンを、ジッと見つめながら菊は彼等の住む敷地をまたぐのを一瞬躊躇った。町の一角にある唯一被害にあっていない巨大なホテルの様な建物が、彼等の住処である。訪れた菊に一番始めに対応した金髪で癖毛の男の子から頭領であるイヴァンが出てくるまでそう時間が掛からなかったが、待っている間の菊にとってはえらく長い様にさえ感じていた。
「おじゃまします。」
 ぺこりと一度小さくお辞儀すると、菊は彼等の住処に一歩足を踏み入れる。中は思っていたよりも普通で、いっそ閑散といってしまって良いほどにゴテゴテの置物は無く、ただ必要最低限の家具が置かれているだけだ。
「あなたが『ヴェラ』の人達と話すのを嫌がると思いましたし、ルートヴィッヒさんは治療で急がしかったんです。」
 勧められた椅子に腰を下ろしながらそう言うと、イヴァンはにこにことした笑顔を崩さないまま小さく首を傾げてみせる。
「でもそれだけじゃないよね?ルートヴィッヒが譲るとは思えないもん。」
 イヴァンのその知った風な言葉に、思わず菊は眉間に皺を寄せて小さく息を飲み込む。実際、ルートヴィッヒは自分が行くと主張をしていたのだが、それを菊が無理矢理説き伏せてイヴァンの元へとやってきたのだ。勿論理由は、ある。
「壁の向こうに居る“彼”の事についてでしょ。大変だね。“コチラ側”にも“ムコウ側”にも大切な人間が居たらさ。」
 ばかに楽しそうな口調で笑うイヴァンを、ギュッと下唇を噛んだまま菊が見上げてもイヴァンは楽しそうな表情は崩そうとしない。
「それで?一体君は僕にどんな話しをする為にここに単身で乗り込んできたのかな?」
 机に両手を置いたイヴァンが、グイと顔を近づけて菊の真っ黒な瞳を覗き込む様に顔を傾けた。その為菊は少しだけ体を縮める。
「……壁を、壁を壊して欲しいのです。」
 小さく、だがハッキリと菊がそう言うと、イヴァンはそれまでの取って付けた様な微笑を止めてふと無表情になった。否、怒気さえ含んだ様子で菊を睨め付ける。
「……そんな事して、どうなるっていうの?」
 灰色の凍て付く瞳を菊に向け、心底つまらなさそうに重低音でそう呟くとガタリと音を立てて立ち上がった。右手を机の上に当てながらゆったりと菊に歩み寄り、おもむろに腕を伸ばすと菊の細い顎を掴んで無理矢理己の方を向かせると、やっとにっこり微笑んだが、その笑顔が酷く相手に威圧感を与える。
「“ムコウ側”は、“コチラ側”には壁を壊す程の力も無いと思っています。あの壁さえ壊せば警備など殆どしてない“ムコウ側”に打撃を与えることが出来ます。……恐らく、“ムコウ側”にも“コチラ側”にも死者が一番少ないと思います。」
 少々意外そうに自分を見返してくる菊の姿をイヴァンは見やった。が、すぐに彼女の言葉に冷たい声色を投げ返す。
「でもそれだけ火薬を使うとなれば、もし“ムコウ側”が猛攻撃してきた場合に“コチラ側”の武器が少なくなる。僕は確実に勝てない戦はやりたくない。」
 イヴァンの言葉に、無理矢理顔を持ち上げられたままの菊は黒曜石の瞳を大きくさせてジッとイヴァンを見やった。その表情に軽く影が差す。
「僕の祖父はね、誰も愛するなと僕に教えてくれた。けれど祖父は見たこともない平和を渇望していた。……僕もだ。」
 軽く見開かれた目の中の灰色の瞳がキラキラと揺れ、大きな口が軽やかに、そして冷たく笑った。
「だけど本当の平和は何かの犠牲からしか成り得ない。」
 ピンッと弾けさせるように菊の顎から指を離すと、前屈み気味にしていた姿勢を戻しゆっくりとした動作で扉を指さす。
「これで話はお終いだよね?帰ってくれるかな?」
 数秒の沈黙の後、ゆっくりと菊は立ち上がり扉の向こうに足を踏み出す前にイヴァンと向かい合って一つ、頭を下げた。再び上げたその顔はうっすらと血の気が引いているのに、ふとイヴァンは気が付いたが特に触れる事もなく小さく肩を竦める。
「例え君が僕に加勢を頼みに来てたって、僕は協力しないつもりだったけどね。」
 小雨の降り出した暗い道を歩き始めた菊に向かってそうイヴァンが言ったものの、聞こえているのか居ないのか、菊はイヴァンの言葉に何も反応を示さずに見えなくなった。
 
 
 
 
 午後になり空が曇り、小雨が降ってきたというのに未だに菊が帰ってこないことに目に見えてルートヴィッヒは苛ついていた。やはり自分が行くべきだった、と、山ほどいる怪我人に囲まれながらも思ったりなどしている。
 イヴァンとの付き合いは長く、それなりに彼の性格は把握しているつもりだからこそ、菊を一人で行かせることを許したのだ……が、失敗だっただろうか。嫌な方向へと進む想像が、元からキリキリと痛む彼の胃を更に締め上げた。ただでさえフェリシアーノの安否さえ分からないというのに。
 ルートヴィッヒが重い溜息を吐き出した時、隣に座り込んでいたバッシュが立ち上がってスッと出入り口に目線をやる。
「帰ってこない事を見ると、どうやら失敗したみたいだな。」
 当然の結果だった、という風に彼が何でも無さそうに呟くと、思わずルートヴィッヒは下唇を噛んで俯く。
「やはり吾輩が出て行く。」
 そうバッシュが言ったとき、ふと誰かが声を漏らした。
「……そういえば、今日は一向に“ムコウ側”から攻撃が無いですね。」
 ただ空はしとしとと雨を降らせるだけで、確かにその日はまだ一度も発砲音を聞いては居なかった。
 
 
 
 
 少しだけ空気を吸い込み、ロマーノは簡素なドアをノックする。続いて直後に、懐かしい肉親の声が帰ってきてふと目をすぼめた。まだ朝の四時で、ろくに朝日も昇っていない為か、辺りは不自然なほど寒く、そして静かだった。今日は雨になると、誰が言ったろうか。
「オレだ。入るぞ。」
 返事を待たずに扉を押すと、ただ小さな軋む音がしただけですんなりと扉は開いていく。ベッドにちょこんと座った自分と同じ顔は、ふにゃりと微笑んだ。
 
 誰がそうと決めたわけではないのだが、歳もそこまで離れてはおらず政界にまで手を回す事の出来る子供達は幼いときから半強制的に同じ皿に盛られて生きてきた。六年前の事件から『ヴェラ狩り』に足を突っ込んだアルフレッドと、体裁的にはそのアルフレッドと同僚、奥では彼のストッパーのつもりでアーサーも『ヴェラ』、否、“ムコウ側”絡みの物事に積極的に関わりを持つようになった。そして父親が“コチラ側”の防衛の長を務めているロヴィーノ、フェリシアーノ兄弟、そしてその家族ぐるみの付き合いを持っているヘレナンデス家長男のアントーニョ。“コチラ側”と“ムコウ側”との間に諍いが起こった場合は、現場指導は上記の若い人間に任されていた。
 彼等はその日の日が昇った朝、早朝から捕らえていたフェリシアーノを訪ねてきていたロヴィーノがようやくフェリシアーノの部屋から出てきて、一同が会する目の前にその姿を現した。どう見ても弟とはまるで違う雰囲気を保っている筈なのに、時折同一人物であるかのようにさえ見える。
「オレは……オレの家は、今回の『ヴェラ』狩りからは手を退かせてもらう。」
 ロヴィーノのその言葉に驚いた皆々がパッと顔を持ち上げた。ロヴィーノの兄の様に過ごしてきたアントーニョが誰よりも早く口を開いた。
「何言うてんねん!お前の親父さんが許すわけ無いやろ。」
 ロヴィーノはアントーニョの焦った口調とは正反対に、酷く冷静な様子でチラリとアントーニョを見やってから表情を変えずに軽く肩を竦めただけ。が、微かに握りしめられた拳が微かに震えている。
「親父は……オレとは関係無い。オレはもう嫌だ。」
 クルリと踵を返すと出口まで歩を進める途中、少々遠巻きに見ていたアーサーの前でピタリと止まり、アーサーの眼前にフェリシアーノの部屋の鍵を差し出した。一瞬固まった後、アーサーはその鍵を右手を伸ばしてそっと受け取る。コチラを見やったロヴィーノの灰色の瞳が何か言いたげにユラユラと揺れたが、結局何も言わずに出口に向かって消えていった。それに続くようにアントーニョが半ば駆ける様にロヴィーノの後を追いかける。
 掌の中の鍵をちょっとだけ見つめた後、ポカンとしたまま固まってしまっているアルフレッドを見やり、アーサーは言葉を探す。
「このままだと暫く『ヴェラ狩り』は休止だな。」
 そうポツリと言うとアーサーも彼等が出て言ったその扉から部屋を後にする。直後、机がひっくり返された様な音が響いたが足を止めはしなかった。そしてこの建物内で当てが割られた自室に戻る最中、フェリシアーノの部屋の前でふと足を止めて手に握ったままの鍵を見やった。
 
 
 
 
 何時の間に降りはじめたのか、イヴァンの家から出てくると雨がしとしとと降っていた。イヴァンの家に行き極度の緊張を受けたせいか、酷く頭が重くてグラグラと揺れている気がし、足下が妙に覚束ない。そして何より気持ちが悪くて歩くこともままならない。
 よろよろと雨の中ルートヴィッヒ達が居る所に向かっているのだけれども、いつまで経っても目的地に着きそうも無いし、その前にふと意識さえ失ってしまいそうだった。
 どこまで歩いた頃か、ふとよろけた瞬間に誰かが自分の肩を掴んで転ぶ前に抱き留めてくれる。見上げるとそこには驚いた表情をしたヘラクレスが小雨に濡れながらも立っていた。
「……ご無事だったんですね。」
 見上げた菊がふと微笑むが、顔が真っ青に染まり、まるで血の気がない。
「菊、どうしたの?イヴァンの家から出てきたから本当に吃驚した……」
 ぼんやりした口調だが普段より全然焦った様子で菊の肩を抱きしめてふらつく彼女を支える。「なにかされたの?」と菊に問いかけるものの、その前のセリフさえ頭に入っていない様なぼんやりとして菊はヘラクレスを見上げたまま引きつった笑顔を保つ。
「無事で、良かった……です」
 ふ、と菊の笑顔が消えた瞬間、ヘラクレスの体にもたれ掛かったまま菊の体からクタリと力が抜け落ちた。
 
 
 
 
 二人だけで顔を向かい合わせた事など過去に一度も無かったのかも知れない、そうアーサーはフェリシアーノの顔を見ながら胸中でふと思う。そして向かい合ったフェリシアーノの笑顔が少しだけ硬直していく。昔から彼は自分の事を苦手としているのには気が付いていたが、今も昔もその事について言及するつもりは毛頭無いし、実際自分も彼が苦手だった。
「……菊について知ってることを教えて欲しい。」
 一瞬沈黙を入れてから、アーサーはフェリシアーノに向かって彼にとっては深く、頭を下げた。瞬時、わあわあと慌てながらフェリシアーノは座っていたベッドから跳ねるように立ち上がると手を大きくブンブン振る。
「全然全然教えますから顔を上げてくださいっ」
 アーサーの方が権力を持っていたが故の昔ながらの癖なのか素なのか、フェリシアーノは心底慌てながら一つしかない椅子をアーサーに勧めた。
「えっと、あの、菊ちゃんとは……同居人みたいなかんじです。」
 懸命に言葉を探し、アーサーの顔色を探り、フェリシアーノが少し顔を傾けつつそう言うと、一瞬アーサーの眉が歪む。
「それで……菊は今どこに居るか分かるか?」
 フェリシアーノはふと笑顔を消す。
「多分……今は“ムコウ側”に居ます。」
「……そうか」
 そのフェリシアーノの言葉を聞いてからアーサーは少々間をおき、ゆったりとした動作で椅子から立ち上がった。そして立ったままのフェリシアーノと向かい合って小さくだが笑う。
「それだけ聞ければ十分だ。時間をとってしまってすまなかった。」
 もう一度アーサーが頭を下げかけるのを、慌ててフェリシアーノが止めてニッコリとフェリシアーノが微笑む。ほこほこと嬉しそうな笑顔で、まるで今の自身の状況を理解していないのかも知れないと、思わず疑ってしまう様な様子でアーサーと向かい合う。
「絶対、見つかります。オレこれからどうなるか良く分かんないから先に言っておきます。幸せになってくださいね。」
 にっこりと笑うフェリシアーノの顔を見やりながら、彼のことが苦手だという自身の思いの原因をそこに垣間見た。“コチラ側”の世界で育ったとはまるで思えないその無垢な笑顔が、アーサーにとっては怖かったのだ。幼い頃から人間の汚さばかり見てきたアーサーにとって、フェリシアーノや菊の様な存在があまりにも希少で、引かれる反面恐ろしくもあった。
「……きっとお前もここから無事にでられる。」
 握られた掌を握り替えしてアーサーは笑うと、一瞬驚いたフェリシアーノもまた笑う。そんな小さな挨拶を終えると足早にアーサーは部屋を後にする。そのまま真っ直ぐにアーサーが歩いてきた先、玄関付近にポツンと一人アルフレッドが立ち竦んでいた。
「……アーサー、どこか行くのかい?」
 無表情のままにアルフレッドはアーサーに視線を送ると、アーサーは軽く肩を竦めてみせる。
「ああ。ちょっと“ムコウ側”に捜し物を探しに行ってくる。」
 アルフレッドの言葉を聞くよりも早く、アーサーはここまでやってきた車の扉を開けると素早く乗り込んだ。
 
 
 
 
 頭の中心が重く、瞼を開けることさえ厭わしい。体もあちこち……特に胸元が酷くズキズキと痛んだ。ああ、兄さんは一体どこに居るのだろうか?
「菊、大丈夫……?」
 見たこともない部屋の中で、見知らぬ黒髪の男が心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。
 兄さんは、一体どこに居るのだろうか。