チェンジング・オフ

※ この小説には暴力?シーンが、痛い感じのシーンが入っています。パラレルと女体化。なんか完全にオリジナルです。さーせん。 一応…… アルフレッド=米、アーサー=英、菊=日、バッシュ=瑞、ルートヴィッヒ=独、フェリシアーノ=伊、イヴァン=露、耀=中国、ヘラクレス=希、トーリス=リトアニア、ライヴィス=ラトビア、アントーニョ=スペイン
 

 

 
 
歯を食いしばれ。日は又昇る。
 
 
 
 
 
 
CHANGING OFF O
 
 

 
 
 
 
「やぁ」とニッコリ笑いながら菊の部屋にイヴァンがやってきた。午後の光が当たった彼は、まるで昔に戻ったかの様に若干柔らかく見えたけれども、もう菊にとってはイヴァンという存在は恐怖の対象でもなければ何でもない、ただの見知らぬ赤の他人である。
「耀が“コチラ側”に来ていたんだね、ちょっと吃驚したよ。」
 菊のベッドの横に置かれた椅子に座りながらイヴァンはそう言うのだが、先程耀に聞いた通りに菊はもう自身の兄の事すら覚えていないらしく、ただ不思議そうにジッとイヴァンを見つめるばかりだ。
「実はさ、二日前にあの壁を破壊する事を決めたんだ。実行は三日後だよ。」
 そのイヴァンのセリフにさえ、菊は小さく首を傾げたまま、ぼんやりと一度瞬きをするばかり。
「今日は、もしかしたら君と会うのも最後になるかも知れないから、君に謝りに来たんだ。」
 ふ、と微笑むイヴァンにつられたのか、菊も少しだけ頬を緩ませて微笑んだ。
「六年前の事件さ、僕が『ヴェラ』を煽ったんだ。君たちが行った劇場に『ヴェラ狩り』を計画している人達が居る、警戒してないからやるなら今しかない、ってね。」
 イヴァンは笑いかけてふと笑顔を消すと、先程までまるで興味が無さそうだった菊がやっとボンヤリとした瞳を彼に向ける。六年前、否、それよりも幼い顔をした彼女は、自分が耀の妹として彼女に会った時とまるで変わらない。
 まだ組を継ぐ事すら考えていない程に幼かった時分、それでも周りの人々は自身の祖父を酷く恐れている中、この二人だけ世俗から浮いていた(というよりただ単に天然だったのかもしれない。)
「ごめんね、さようなら。」
 身を乗り出し菊の前髪をそっと持ち上げると、彼女の額に一つ、唇を落とす。それから微笑んだまま立ち上がって扉に向かった。ノブに手を掛けた所でふと菊を見返してニコリと笑う。
「本当はね、君の事貰えないかって君の兄さんに頼んだことがあるんだよ。当然即却下されたけどね。」
 笑いながらイヴァンは肩を竦めてみせると、菊は小さく首を傾げた。
「さようなら、菊。良い夢を。」
 今度こそ軽くノブを回すと、隙間からスルリとイヴァンは姿を隠した。残された菊はただぼんやりと彼を見送る。
 
 
 
 風が一つ吹き抜けていくのと同時に、誰かに名前を呼ばれて振り返ると、そこにはカメラを構えた“彼”が居た。自身は微笑んで彼の被写体となる。遠くで教会の鐘の音が鳴り響き、“彼”がカメラから顔を持ち上げるのだけれども、どうしてもその顔をみる事は霞んでしまって叶わない。
「もしもどちらかが……なら、またここで……」
 約束したのだ。本当に本当に大切な事だったというのに、どうして忘れてしまったのか、内容も“あの人”の事さえ思い出せずに、悲しくて悲しくて目が覚める。そうすると夢の内容云々では無くて、全てのことがぼんやりと虚ろで、もはや悲しいとすら思わない。もうどれほど寝入っていたのか、正午の光が窓から差し込んでいて、フワフワと白い、けれどもボロボロなレースのカーテンが揺らぎながら風が部屋の中に舞い込んできた。
 ガラーン、ゴローン……そのカーテンに合わせるように、どこか遠くの教会の鐘の音が、鳴った。ぼんやりとしていた菊の瞳を、菊は小さく見開くと呟いた。
「行かなくちゃ……」と。
 
 
 開けておいた窓から正午の鐘の音が響き、診察にあたっていたルートヴィッヒがそろそろ昼飯にしようと口を開きかけた時であった。随分ご無沙汰だったからかなり油断していたのだが、もの凄い爆発音が一つ、“ムコウ側”との境界線である壁の方角から響き渡り、瞬時地面がグラグラと揺れる。外では市場に居たらしき人々の悲鳴が飛び交い、棚から数個薬品が落ちてガラスを粉々に吹き飛ばせた。
「しゃがんでその場を動くな!」
 室内に居た数人の患者に怒鳴りつけ、悲鳴を上げる彼等を何もモノが落ちてきそうもない安全な場所に引っ張る。続けざまに何発か大きな爆発音と揺れがあったものの、その後はピタリと止み酷い静寂が降り注ぐ。
 誰かが小さく息を飲み込んだ音すら聞こえたその時、今の衝撃か棚からモノが落ちたのか、菊が寝ている筈の部屋から窓ガラスが割れる音が響く。慌てて立ち上がって周りに目線をやるが、健康な『ヴェラ』の組員からカークランド、菊の兄だという男も外出中であった。自分しか様子を見に行けそうな人間は居ない。
 取り敢えずその場に居る人々に「ここを動くな」と一言言い置いて、菊の眠る部屋に飛び込み、ふと息を止める。割れたガラスがまだ付いた窓に手を当て、その所為で掌を切ってダラダラ血を流している菊がゆっくりと彼を振り返った。
 窓を乗り越えて外に出ようとしているらしいのだが、彼女の切れた掌からはダラダラと鮮血が垂れて彼女の腕から白いスカートから、元から多少汚れた診療用のベッドに赤いドットの跡を付けている。ベッドの横にはそれでガラスを割ったのか、椅子が一つ無造作に転がっている。
「……何をしてるんだ、菊?」
 結局病名は記憶喪失の一種だと菊の兄から聞いたのだが、どうもそうは思えない程に菊の症状はみたことも無いものだった。ただ虚空を見つめる真っ黒な瞳が酷く恐くて、真っ直ぐに自分を見やる彼女の瞳からどうしても目線を外したくて堪らない。
「……いかなくちゃ……」
 ぼんやりと霞んだ調子で菊が一つ、まるで風の様にそう囁く。ルートヴィッヒは少しばかり目を窄め、眉間の皺を更に深くさせる。
「行くって、どこにだ?」
 ルートヴィッヒがそう返すと、少しばかり困った様な顔をして菊が俯く。
「……約束、しました。」
 俯いた菊の顔を覗き込む様にルートヴィッヒは顔を傾けてまた一つ問う。
「約束?誰とだ?」
 が、菊はフルフルと悲しげに首を振った。自分で手入れしなくともカークランド卿がやっているのか、黒くて艶のある髪が彼女の動きに合わせて綺麗に揺れ動く。何か言いたげに菊が顔を持ち上げたその時だった。もう一つ教会の鐘の音が真実、否、もしかしたら菊の思い込みか鳴り響く。言葉というものを思い出しかけていた菊が、不意に口を紡ぐとゆったりとした動作で窓の外へと再び目線を送る。
「……いかなくちゃ」
 そう囁きながら再び視線を外に戻した菊が、割れたガラスの破片に当てたままの手に力を入れた。瞬時、血管が切れたのかボタボタと結構な勢いで血が垂れて腕をスルスルと伝う。
「手を離せ菊っ!そのままだと神経が……」
 慌てて駆け出したルートヴィッヒが後ろから菊を抱え込む様にして押さえつけ掌をガラスから離すと、血に濡れてぬるぬるしていた所為か案外簡単に菊の掌はガラスから離れた。が、掌からボタボタと血が出ているのにも関わらず、菊はルートヴィッヒの腕の中で藻掻く。彼女の細い体からそんな力が出るものなのか不思議になる程の力で暴れるのを、必死で押さえ込もうとするものの中々上手くいかずにバランスを失って二人纏めてベッドから転げ落ちる。
 咄嗟に菊を庇って背中から落ちた衝撃で、思わずルートヴィッヒは手の力を緩めてしまう。と、スルリとルートヴィッヒの腕の中から菊が抜け出したので、ルートヴィッヒが慌てて後頭部に手を当てながら顔を持ち上げた。その時、彼の真上にふと影が落ちてくるのに気が付いて目線を上げた瞬間、もの凄い衝撃が彼の体に走り床に叩き付けられた。
 グッ、と声を漏らし気を失うルートヴィッヒを見やりながら、今正にルートヴィッヒを殴りつけた椅子を先程までそうしてあった様に床に投げやる。菊は気を失ったルートヴィッヒを見やって数秒沈黙していたが、やがてゆっくりと立ち上がって部屋をグルリと見回した。
 
 
 酷い爆発音と共に爆風が街を襲った。巻き上がる砂埃に視界は全て奪われ、地面は大きく揺れ動いた。市場に居た人間は直ぐにパニックを起こしその場に蹲ったり、我先にと駆け出したりして辺りは一気に騒然となりその場に居たアーサーも耀も人で動けなくなった程だ。
 そう言えば朝からイヴァンの組の人間達が自分達の領土には入ってくるなと、そこで寝泊まりしていた家のない連中すらも追い払っていたと聞いたが、その事が関係あるのかもしれない。彼等が遂に動き出したのかも知れない。生まれてからさえ今まで“ムコウ側”に対して表沙汰な反抗の動きを見せたことの無い組織だけにあって、何をしでかすか分からない、そうアーサーの隣に立っていた耀が憎々しげに呟く。
 取り敢えず直ぐさま今泊めさせて貰っている建物まで二人で駆け抜け、患者しか居ない広間を抜けて菊の居る部屋に真っ先にアーサーは駆け込んだ。で、床に倒れ込んでいた血まみれ(正しくは菊の)のルートヴィッヒを見つけて「し、死んでる!」と叫んだ。
「もっと良く見るある。胸が動いてるね。」
 にょっ、とアーサーの真後ろから急に耀が顔を出し、思わずアーサーはギャッとまた叫ぶ。耀がツカツカと倒れ込んだルートヴィッヒに近付くと、彼の襟首を掴んで持ち上げ、パパーンといきなり往復ビンタをかました。
 後ろで真っ青になっているアーサーを余所に、ルートヴィッヒが相当苦しげな声を漏らしてからようやっと瞼を持ち上げてその薄青い瞳を覗かせる。そして暫しこの状況を理解しようと努めているのかアーサーと耀を交互に見やり、ジッと何かを考え込む。そしてやにわにガバッと起き上がり、その反動でか痛そうに頭の一部に掌を押し当てた。
「……菊はどうしたあるか?」
 眉間に皺を寄せて耀がそうルートヴィッヒに顔を近づけて問うと、ルートヴィッヒは目を大きく見開いて彼を見返す。
「……そうだ、菊はどこに行った?!」
 ガバッ、とルートヴィッヒが勢いよく立ち上がって扉から出ようとするのを耀が彼の腕を引いて止める。
「菊はもう此処には居なかったある。どこに行くか言ってなかったか?」
 耀の言葉に振り返ったルートヴィッヒが俯くとすまなそうに首を振った。
「いや、ただ『行かなくちゃ』と繰り返すばかりで場所までは……すまない……」
 肩を落とすルートヴィッヒに耀は首を振ると、チラリと床に落ちた椅子と血の跡、それから手形がついた割れたガラスを見やる。
「否、寧ろ謝るのはこっちある。……我とアーサーが菊を探してくるある。アンタは多分これからさっきの爆発の所為で怪我した奴等が運ばれてくるだろうから、ここに残った方が良い。」
 一言言い置いて耀はアーサーの腕を引っ張り外に駆け出した。驚きながらも付いてくるアーサーに「お前はあっちを、我はこっとを探すある。」と示唆をして二手に分かれ走り出す。
 
 
 菊が『行かなくちゃ』と言ったのならば……耀は少し切れ長の目を細めて考えながら騒然とした街を、人の合間を抜けて行く。恐らく何かのスイッチで彼女の記憶の一部が回帰したのだろう。最初に施設を抜け出したのも、恐らく自我を失った状態で過去の、忘れていながらも重要である彼女の記憶が帰った所為に在るのかも知れない。
 アーサーには悪いが、そうなると彼女が向かっている先として最も有力なのは彼女の生まれ育った場所、アーサーに示唆した方向とは間逆の、今耀自身が走っている方向である。耀は人を掻き分けて走りながら、ふと自身の懐に忍ばせてある拳銃を触った。自我を失い記憶も失った菊は、さながらフランケンシュタイン博士が作り出した屍肉から出来た人形同様、ただソレと違うのが姿が美しいだけで、善悪の区別も付かないし己の意志も持たない。ならば、いっそ。
 死体として運ばれてきた菊を見たとき、自分は真実を彼女に尋ねられなかった事が心底苦しかった。彼女が本当に幸せだったのか、自分が“コチラ側”に行ってしまったときどう思ったのか、自分が兄で、良かったか。それを聞きたかったが、聞くことすら恐れて目が覚めた彼女に会うことすら出来なかった。
 だから作ってしまったのだ。菊の体をメスで切り開いて、可哀想にもう一度瞼をこじ開けた。
 
 もう大分減ってきた人混みに紛れて、見知った黒髪が見え、ふと耀は足を止めた。
「……菊」
 ポツリと彼女の名を唱えても、勿論騒然としたこの場で彼女がその言葉を聞きとめて(聞いたとしても己の名前かさえ判然しかねるかもしれないが)振り返ることもしない。直ぐさま耀は懐に隠し持っていた拳銃を抜き、もう一度彼女の名前を叫んだ。と、逃げまどう人々は耀が拳銃を構えている事に気が付き甲高い悲鳴を発する。その悲鳴を聞きつけた人々はまた悲鳴を上げながら近場の建物にでもいいのか我も我もと逃げ込んだり足早に耀を避け路地裏に逃げ出す。もう逃げている人自体減っていたこの路地で、人混みはあっという間に消え、モクモクと黒い煙を背景にして耀は一人ポツンと取り残され、悲鳴に驚いたのか耀の方を振り返っていた菊と対峙した。
 菊の掌からボタボタと未だ微かながら血が垂れているのを見やり、耀はギリッと奥歯を噛みしめてから言葉を発した。
「菊、菊……お前がこんな事になっちまったのも、全部、我のせいある……お前がこんなに苦しい思いをするのも、我が勝手にお前を起こしちまったから。」
 拳銃を真っ直ぐに数メートル先の菊の額に向け、耀は絞り出す様にそう言った。微かに指先が震えるが、引き金に指を当てた。
 耀を見つめる菊のその姿は、やはり一番見知った自分の妹であり、世界中どこを探したってもう二度と会えはしないたった一人の肉親であった。両親が亡くなった時も、食べることさえ難しい程貧しい時も、二人だからこそここまで生きていく事が出来たのだ。……けれど、もう彼女は彼女では無い。
 グッ、と耀が人差し指に力を込め掛けたその時、ぼんやりとそんな耀を見つめていた菊は、なぜか少々驚いたかの様にその目を微かに大きくしてから、なぜかふんわりと唇を緩めて微笑んだ。今正に撃とうとしていた耀は、その菊の六年以上も観ていなかった微笑みに思わずハッと、拳銃を握る指先の力を弱める。そして微かな沈黙の後、一つ二人の合間を風が吹き抜けていく中、菊は小さな声で、けれどハッキリと言った。
「……兄さん」と。瞬時、耀はクラクラする程に甘い菓子の香りを嗅いだ気がした。“コチラ側”の世界でも絶対に裕福なんていう言葉からかけ離れた生活をしてきた二人にとって、絶対に購入する事が出来なかった、憧れ続けた菓子の甘い香りだった。沢山並べられた綺麗な包装をされたそれらの前で、耀は菊の手を握りながら『買ってやれなくてごめんな』そう謝ると、菊はニッコリと笑って小さく首を振る。『いいんです、兄さんが傍に居てくだされば。』そう菊が笑った。甘い焦げ付きそうな香りに包まれて。
 六年間自身の中に押し込め続け、まるで見ないふりをしていた、そしてそのせいで凝り固まり沈殿し続けていた自分の感情が一気に崩れて溶け出したのを不意に感じる。視界が歪み、六年間、否、それよりももっと昔からずっと貼り続けていた瞳にまとわりついていた膜でも剥がれ落ちたかの様に、ボロボロとこぼれ落ちる涙を止められそうも無い。
 菊の眉間を狙って構えた拳銃の銃口がガタガタと震え、勿論菊に焦点さえ合わなくなってしまう。握っていた掌から力が抜け落ち、スルリと拳銃が零れ地面に当たってカシャン、と音を立てた。それと同時に耀の膝が折れ地面にへたり込む。
 嗚咽を漏らす耀を暫くジッと見つめていた菊が、ふと空を仰ぎまた「……いかなくちゃ」と呟くと踵を返してまた歩き出す。
 
 
 耀は詳しくは言わなかったが、あの部屋に残っている血の手形を見る限りルートヴィッヒという医者自身が怪我したのではなく、もっと小さな掌を持つ菊のものだろう。そうアーサーは煙の酷い町中を菊の名を連呼しながら走り続けた。
 ふと、壁が見える筈の坂の上に立つと、今までずっと見続けてきた汚い壁が、一部ではあったがそこには無い。今まで走り抜けてきたスラム街とは、決して比べものにならない程に巨大な建物が、その壁の合間から顔を覗かせていたのだ。思わずハッと息を飲み込んで立ち止まり、そのあまりにも壮絶な景色をただボンヤリと眺める。今まで上がった体温も、激しく上下する肩も、思わずその光景に動きを止められる。
 そうやって暫く壊れていた壁を眺めていたのだが、我に返ると急いでまた走り始めた。どれ程走り回っても、栄養失調、怪我で動けない子供や老人が道の片隅に蹲っている姿を見かけるばかりで菊の姿はどこにも無い。
 酷く乱れきってしまった呼吸を整える為に、ふと壁に手を付き体を支えると、ゼエゼエと絶えず吐き出される呼吸を懸命に抑え付ける。染み出す汗が頬や鼻を伝い垂れるのを、服の裾で乱暴に拭う。その動作をした瞬間、ルートヴィッヒから聞いた菊の「行かなくちゃ」というセリフを思い出して、思わずアーサーは顔を持ち上げた。
「……まさか」
 現在二時頃だろう、頂点から少しだけ下に降り始めた太陽が、まるで今日一日をなんの障害の無い陽気な日にへと人々を欺こうとしているかの様にコチラを見やっている。グッと口を結んだアーサーは、今まで走ってきた道のりを、振り返るのと同時に駆けて戻り始めた。
 途中『ヴェラ』の頭領だというバッシュという男とすれ違ったが、互いに足を止める余裕などありはしなかった。
 
 
 
 ルートヴィッヒが居る建物にまで駆け戻ってくると、開口一番に耀が戻ってきているか忙しく訪ねる。予想通り家族によって運ばれてきた怪我人達に囲まれて、ルートヴィッヒはその難しそうな表情のまま首を振る。
 爆発に巻き込まれた人は誰一人として居ないらしいのだが、驚いたり逃げている最中に転んだもの、衝撃で落ちてきた物に当たってしまった者、と怪我の程度は比較的低い様子ではある。
「もし耀が帰ってきたら、菊の家の方へ行っていると伝えてくれないか?……後、地図はあるか?」
 アーサーの言葉に、少し考え込む様な様子を見せてから、ルートヴィッヒはアーサーを連れて建物の奥へと引っ込む。元々倉庫であるこの建物は、簡易で数個のベッドを運び込んだなんちゃって病院であった。奥にあるもうずっと使われていないだろう机の上に、沢山の書物と一緒に嵩の厚い埃が積もっている。
「あるにはあるだろうが、なにぶん相当古い物だ。“コチラ側”だと建物の形は直ぐに変わってしまうから、大雑把な方向ぐらいしか分からないだろうが……」
 バサバサと音を立てて埃をまき散らしながら、ルートヴィッヒは机の引き出しを開け、更にそこから何かを探し出し引っ張り出した。アーサーはその渡された紙の束を開くと、ボロボロに崩れかけている一枚の古い地図が出てきた。……はっきり言って、この地図で目的地に行ける自身はあまりない……
 アーサーがピタリと固まっていると、ルートヴィッヒは若干心配そうな顔をしつつも、その地図に現在地であるこの建物に赤いペンで丸を付ける。
「……やはりこれでは無理だな。」
 ルートヴィッヒのその言葉にアーサーは軽く首を振り、地図を見やすい様に折りたたむ。
「いや、これで平気だ。すまんが、暫く借りていくぞ。」
 一言そう言い置いてアーサーは外に向かって駆け出す。
 
 
 爆発音に驚き、孤児院の子供達への買い物を済ませたヘラクレスは帰り道を急いでいた。この騒ぎだから恐らく列車に乗ることは困難だろう、と、歩くには近道の道を先程から通っている。ふと、道を右に折り曲がった瞬間に、前を一人で、しかも裸足で歩く見覚えのある背中に思わず「あっ」と声を漏らす。
「菊!どうしたの裸足で……」
 そう名前を呼び彼女向かって走り寄り、言葉をパッタリ失う。両手、腕、そして白い服を所々赤く染めて、真っ青な顔をした彼女が一人で歩いていたのに気が付いたから。思わず彼女の腕を掴んで歩く足を止めると、急いで彼女の顔を覗き込む。
「なんでこんな血だらけなの……?早くルートヴィッヒの所に帰らないと……」
 そう菊の腕を引っ張るものの、素早くその腕を払いのけて菊は眉尻を下げフルフルと首を振った。
「……行かなくては……」
 困った様な菊の言葉に、ヘラクレスも困って首を傾げる。ルートヴィッヒから一種の記憶喪失だと聞いては居たが、詳しいことは良く分からなかった。ただ彼女が昔の菊と、日に日に変わっていくという事しか分からない。
「行くって、どこに……?」
 そうヘラクレスに訪ねられ、更に困った様子の菊は俯く。数秒沈黙が続く中、パチンとヘラクレスが手を叩き、驚いて菊が目線を上げる。
「こっちの方角に向かってるって事は、もしかして孤児院に行くの?菊。」
「こじいん……?」
 不思議そうにヘラクレスの言葉をオウム返しにすると、ヘラクレスは微笑みながら大きく一度頷いてみせる。
「そうだよ。菊のお家も、おっきな野原もある……」
 ニコニコ笑うヘラクレスから出された、その『野原』という言葉にピクリと反応を示した菊が顔を持ち上げて、「……のはら」とまたオウム返しに返す。ヘラクレスは嬉しそうに笑うと、ポケットからハンカチを一枚、手の持っていた大きな袋からもう一枚取り出し、丁寧に菊の切れた掌に巻き付ける。そして菊に背中を見せる様にしゃがみ込んだ。
「おんぶだよ、菊。のっかって……?手は首に回してね。」
 不思議そうに戸惑う菊に、振り返りニッコリ笑ってヘラクレスがそう言うと、おずおずと乗っかった菊の足を抱えてゆっくり持ち上げると、驚いた菊がひっしとヘラクレスに掴まる。菊の事を抱えながら、更に大きな荷物を腕に通したというのに、ヘラクレスは大してふらつくこともなく歩き始めた。
「しっかりつかまっててね……」
 幼い頃彼女にしてもらったおんぶを、まさかこんな形でしかえす事になるなんて、まさか思いもしなかった。小さい頃はただただ大きくて、強くて、守られるだけではない存在を望んでいたというのに、どうしてか少しだけ悲しみを感じずにはいられない。
 
 
 
 先程の大きな爆発音以降は、まるであの衝撃さえ嘘であったかの様に全てが穏やかで、随分民家さえ見あたらなくなっている道を夕日に照らされながらヘラクレスは一歩一歩踏みしめて歩く。腕がジンジンと重く、既に感覚さえ感じられないけれども、自分に体重を預けてくれている菊を落とすわけにもいかずに重い足を上げた。
 やがて孤児院の入り口が見えた所で、取り敢えず荷物だけでも中に戻してこようと「ここに居てね」と一言言い置いて菊を入り口の所にそっと座らせる。
 
 
 
 青年が建物の中に入っていって仕舞ったのを見送って、菊は建物の前に広がる何処までも続きそうな野原に目線を送った。一体どうしてここに座っているのか、ここがどこかも分からないけれど、知らない筈の懐古感に包まれる。ふと顔を上げた、夕日に染まる真っ赤な空の中に溶け込む白く小さな教会を見つけ、思わずハタリと立ち上がった。
 血の抜けた体だと酷く意識が薄まるが、どうにか足を踏ん張ってその教会に向かって歩き出す。さわさわと柔らかい、みずみずしい青い草の中を進み、そして辺りに吹き抜けていく風を感じた。
 どれほどの物を無くしたのか、それすら分からない今、それでも菊には確かな確信があった。自分が、ずっと来なければならないと望んでいた場所がここであり、約束の場所でもある、と。いつ誰とどうやって約束したのかさえ分からないが、ここであるという事だけは確実に分かる。
 
 ただ一面の空を焦げ付かせる巨大な夕日と、小さな教会、どこまでも続く草原の真ん中、ポツンと菊は立ちつくした。ここに来れば全て解決するのだろうと、勝手にそう思い込んでいたのに、望み続けてきたこの場所は呆気にとられてしまうほどに何もない。頭の遙か奥底で、確かに微かな記憶の幻影がチラチラ霞むのだが、どうしてもソレがなんなのか思い出せずに、悔しくて固く目を結んだ。そしてその場に力なく座り込んだその瞬間、右のポケットの奥で何かがジャラリと音を立てる。
 ちょっとだけ目を見開き、ハンカチが巻かれた右手で服の上からそっとポケットの所を触ると、何かが入っている。深く切りすぎて神経を既に痛めてしまったのか、あまり動かない手をポケットの奥に入れると、指先が冷たい何かにぶつかる。そっと摘んで持ち上げると、スルスルとネックレス型になっているロケットが一つ姿を現し、夕日があたってキラキラと輝いた。
 一体いつからソコに入っていたのか、何も分からないいっそ神秘的なその存在に惹かれて、菊は痛み動かない指先で苦戦しながらそのロケットを開く。瞬時、もう一つ風が吹き抜けていく。
 ロケットに納められていた写真は、黒い髪と黒い瞳をした女性が、シンプルなウエディングドレスに身を包んで幸せそうに微笑んでいるものだった。ジッとその写真を見やった後、ゆっくりと自分の頬を撫で、そしてにわかに菊は胸が詰まり、眉間に皺を寄せ目を見開く。
 そうだ、この姿は……自分だ。
 あの時、誰かが自分の名を呼び、それで振り返れば“彼”がカメラを持っていた。だから自分は笑った。
 
 風に吹かれる髪を抑え、ゆっくりと菊が『あの時』と同様振り返ると、ざわざわと風に揺らされる草の合間に、真っ赤な夕日に焼かれ赤く染まった、白い大理石の小さなお墓が置かれ、綺麗な、そして大きな花束が供えられていた。
 
『もしもどちらかが……』
 あの写真を撮った晩、“彼”が言った。小さな教会が鐘を鳴らして、その鐘をBGMに今は顔さえ忘れてしまった“彼”が笑いながら、ずっとずっと未来の話のつもりで言った。
『もしもどちらかが死んだなら、またここで会おう……』と。
 だから自分はあの時、“自分が死んでしまった”瞬間、どうしてもこの場所に来なくては、そう強く考えたのだ。這う様に自身の墓石に近寄ると、そこに彫り込まれた名前を指先でなぞる。
 キ、ク。丹念に文字を指先でなぞってから、口の中で小さく復唱した。そうだ、己の名前は菊。今まで沢山の人々が自分のこの名前を呼んだ、何万回も呼ばれた自分の名前だ。そっと墓石に抱き付くと、ひんやりとした感触が全身に伝わり、気が付くとボロボロと涙がこぼれ落ちていく。
 そして自身の兄や、ここまで自分を背負ってくれた青年、MOを手渡し真実を告げた巨体の男や凸凹コンビの二人組、『ヴェラ』の人々、フランシス、仮面の男等それこそ沢山の人々が菊の脳裏を走り、そして“彼”で止まった。
 金色の髪、緑色の瞳、酷く不器用な性格で、最初は少しも“彼”の感情が理解出来なかった。思わず少し頬を緩めて微笑んだその時、野原の教会が今日最後の鐘を鳴らし、その合間で誰かが自分の名前を呼んだ。
「菊」と、その懐かしい響き、懐かしい声色、振り返るとやはり真っ赤な夕日の中、走っていたのか肩を上下させ顔を真っ赤にし、昔と変わらずそこに立っていた。
「……アーサー様」
 墓石に未だ抱き付いたまま、菊はふんわりと微笑んだ。
 
 
 涙の水滴を睫に数滴付けて、菊は己の墓石に抱き付いたまま、焼け焦げてしまうほど待ち望んだその声色で自分の名前を囁くように呼んだ。始め菊が墓石にもたれ掛かって泣いているのを見て酷く不安だったというのに、なぜだかいっそ幸せそうに菊は微笑んだ。
「走って来て下さったんですか?」
 墓石にもたれ掛かったまま、そう菊が聞いてくる。ゆっくりと彼女に歩み寄り、そっとしゃがんで彼女の風に靡く髪に指を絡めた。
「……ああ、酷く道に迷ったから随分遅れてしまった……悪かった。」
 アーサーの言葉に、ニッコリ笑った菊が小さく首を振る。彼女の墓に、恐らくこの場所を唯一知っているフランシスのものからだろう、まだ新しい花束が添えられていた。
「帰ろう、みんなお前を待ってる。」
 菊の腕を掴み、丁寧に彼女を立ち上がらせて歩もうとする、が、立ち上がった彼女はピッタリと足を揃え、歩こうとはしない。思わず振り返って目を瞠ると、微笑んだままの彼女が、また小さく首を振る。赤い夕日が彼女の姿を綺麗に映し出す。
「死んだら、ここで待つと、約束しましたよね?だから私、ここで待ってます。」
 言葉を失い、ただただ目を瞠るアーサーに、それでも菊は笑顔を崩さない。
「……どういう、ことだ?」
 アーサーが聞き返すと、笑って細めていた瞳を少しだけ開き、それでも菊は笑顔を絶やさずに口を開く。風がざわざわとこの野原の草を揺らした。
「私、帰ってもまた皆さんの事を忘れてしまうと思うんです。自分の事も……あなたの事も。」
 微笑んだ彼女の瞳が、少しだけ揺れる。
「すごく……すごく、すごく、恐いんです。こんなに大切な思い出なのに、気が付いたら何一つ無くなってしまうのが。そしてそれすら分からなくなってしまうのが……」
 揺らぎ始めた彼女の瞳から、ボロボロと涙が溢れ、遂に笑顔が崩れ落ちた。俯いた彼女の顎先から落ちていく粒が、夕日に反射してキラキラと輝く。
「だから……私をここで、死なせて下さい。」
 もう一度顔を持ち上げた菊は、未だ涙の溢れる瞳のまま無理して微笑む。キリキリと胸が痛むのを覚えて、思わずアーサーは彼女から視線をずらした。
「そんなこと……できない……」
 アーサーがそう言って目線を反らした後、僅か数秒だけ沈黙が走るが、沈黙の重さを感じさせるよりも早くに、菊がアーサーの首に腕を回して勢いよく抱き付いた。かすかに揺らぐ上体のバランスをとりつつ、思わずアーサーは菊を抱き留める。
「お願いです、アーサー様」
 そっと耳元で囁く菊の声を聞いて、アーサーは見開いた目を強く瞑り、菊の細い肩を抱きしめた。
「すまない、菊、オレのせいだ。お前が辛い思いをしたのも、こんな目にまた会わなくてはいけないのも、全部オレが……」
 強く瞑った瞳がじんわりと熱を持ち、喉が酷く渇いていく。抱きしめた彼女から、ふんわりと懐かしい香りが漂う。
「アーサー様、こちらを向いて下さい。」
 ふと下から菊に促されてそちらを見やると、ふんわりと微笑んだ菊がアーサーの両頬をその手で包み込み、そっと唇を合わせる。
「私は……またこうして顔を合わせられる事を感謝しています。あの時伝えられなかった言葉を、あなたに伝える事が出来るから。」
 小さく首を傾けて、両目に涙を溜めながらも笑う彼女の姿が、自身の涙でぶれる視界の中でも夕日に鮮やかに照らし出された。
「私の傍に居て下さって、愛して下さって……ありがとう、ございました。私は、幸せでした。」
 菊の溜まった涙がポロッと零れたかと思うと、またその腕を伸ばしてアーサーの首に強く抱き付く。
「こんなお願いをしてしまって、本当に申し訳ありません……」
 涙にか、掠れた声色でそう言う彼女の体を抱き留めながら首を振る。“ムコウ側”から持ってきた自信の拳銃を取り出す。
「いや、これはオレの仕事だ。」
 人差し指の代わりに親指を引き金にかけ、安定しないソレをもう片手で押さえた。微かに震える指先の所為で定まらない銃口を、グッと菊の背に当てた。
「……私が死んでも、あなたが望むのならずっとあなたの傍に居ます。きっと、居ます。そしてここで待っています……だから、幸せになって下さい。」
 地平線に顔を埋め始めた太陽のせいで、先程まで赤くまぶしかった頭上の空にはすでにぼんやりと星が姿を見せ、視界は霞んだ。パンッ、と酷く渇いて単純な音が辺りに鳴り響き、確実にアーサーの弾は彼女の心臓を捉えた。
 支える力を無くした彼女の上体が揺らぎ、抱き留めた筈のアーサーの体も揺らぎそのまま二人は満点の星空の……昔“コチラ側”の空は宇宙だ、と、そうアーサーが言ったその星空の下に倒れ込んだ。生暖かな彼女の血が自身に染みこむ気がしながら、胸部に感じる酷い痛みに気が遠くなっていく。六年前、彼女と二人で見上げていた星達が、幾重にも掠れては消えた。
 
 
 
 
 
 本当ならもう二度と当たることの無いと思い込んでいた日の光に頬を撫でられ、アーサーは胸に走る痛みを感じながら目を覚ました。全身が酷く重く、ボロボロで染みだらけのコンクリートの天井を暫く朦朧とする意識の中で眺めていた。
 ……生きている、そう自覚するまで幾分さえ要したかも知れない。やがて己の右手を天井に翳してから、ゆっくりと握って開いた。天井には見覚えがあった。正しく彼女の家の、彼女の布団から見上げたソレだったから。
「よう、起きたか。」
 いつのまにそこにいたのか、まだ大分弱い朝日に照らされたフランシスがアーサーの横になっているベッドの隣に椅子を置いて座っていた。彼は軽く右手を挙げるといつもの様に少しだけ口端を上げて笑ってみせる。
「……なんか、アルフレッドの奴まで“コチラ側”の味方してるらしいぞ。壁が打ち壊されるのも時間の問題かも知れないな。」
 ガタリ、と椅子から立ち上がると、彼は一旦奥に引っ込んでから二つコップを持って引き返してきた。それからアーサーが上半身を上げるのを待ち、そっと片方のコップを手渡す。
「……壁が壊れたら、どこからでも朝日が入ってくるな。」
 肩を竦めてそう言い、手渡されたコップを覗き込むとすぐに懐かしい香りが鼻孔をつく。フランシスには似合うのか似合わないのか、中身はホットミルクだ。
「フェリシアーノの奴も帰ってきちまったし……その為にオレも“ムコウ側”に帰らないといけねぇかなぁ……。」
 眉を歪め、片頬をポリポリ掻きながら気まずそうにフランシスが笑う。アーサーもつられて皮肉気味な笑顔を浮かべホットミルクを啜る。
「ま、取り敢えずまだまだ死ねねぇな。」
 ポン、とフランシスがアーサーの頭の上に手を置き、あり得ないことに素直にアーサーも黙って置かれるがままになる。アーサーの持ってきた拳銃は、人間二人貫通する事など簡単な程威力があるものの筈だった。だから彼女の背から撃った弾は、貫通しないまでも自身の心臓を破る事が出来た。
 ……けれど、死んでいる筈の自分はなぜかまた生き残り、彼女はまたしても確実にいなくなった。しかも胸部の痛みからしてもそこまで重症では無さそうだ。
「ほれ、手をだせ。」
 暫く黙ってコチラをみやっていたフランシスが、ツイと彼にその右手を差し出す。アーサーは不思議そうにしながらも握られたその拳の下に手を広げると、開かれたフランシスの掌からスルリと何やらネックレスの様な物が落ちた。最初何か分からずに目の前に翳して、ふと息を飲む。
 それはロケット部分が破裂した様に壊れた、自身の、彼女の写真を入れていたロケットだった。前にサディクに連れられた彼女とぶつかった時に落として、彼女に拾われそのままになってしまっていた物だ。
「それを菊ちゃんが首からかけてたんだ。弾がロケット部分に当たってカナリ威力が落ちて、それでお前の胸骨を壊すかどうかって所で弾が止まったんだってよ。あの耀って奴が言ってた。」
 暫く壊れたロケットを見つめていたアーサーが顔を持ち上げ、フランシスを見やる。
「そういえば耀はどうしてる?」
 彼女を追いかけていった筈の彼を、道に迷っている間、結局一度も見なかった。……本当に菊に会うことを望んでいたのは、きっと彼だったろうに。
「ここを病院に改築するらしい。」
 幼い頃から住んでいたというこの家に。きっと菊は喜ぶだろう。
「そうか。……ちょっと外の空気を吸ってくる。」
 そう言いつつ立ち上がると、やはり昨日走ったせいか体中が重くて痛い。そういえば走ったことなどいつ以来だっただろうか。
「ああ、あまり無理すんなよ。」
 そう後ろから追ってくるフランシスの言葉に片手を上げて返事をすると、懐かしい家を抜けて朝の涼しい大気の中に降り立った。まだ薄暗い空の中から、もう太陽が顔を出しかけている。目の前の野原が涼しい風に揺らされて波打っていた。
 そういえば菊の体はどうしたのだろうか、と、不意に思い遠い教会付近を見やる。フランシスの事だから、きっともう埋めてしまったのだろう。
 ……その方が良い。やがて彼女の遺体を苗床にして花が咲き、種はどこまでも旅をする。先程から握っていた、壊れてもう写真があった事すら分からなくなってしまったロケットを取り出し、朝日に翳す。
 風が吹き揺れるソレは、キラキラとアーサーの目の前で光り輝いて見せた。その光は、アーサーにとって六年ぶりの朝日だった。
 
 
 
 
 
END
 
 
ネガティブ後書き
 
私に似合わず後書きとか書いてみます。うん、難しい。
取り敢えず主張したい事は、イヴァンさんがいかに格好良くなるか、を頑張りました、って所……です。……失敗ですかね。ですよね。
後主要人物に悪役の居ない物語にしたかったんです。そこは一応成功したと信じたい。
あとはー……えっと……このオチはねぇよ。っていう方もいらっしゃると思いますが、そこだけは譲れねえです。
はじめっから考えていたのが「はじまり」と「オチ」でして、合間は本当にその場その場でした。自身「あっこれ伏線だったんだ!」とか驚いたりしました。そっかーロケットは伏線だったんだぁ。(そこかよ!って感じですが、本当に驚いた。笑)
ここで小説を書かさせて頂いて、一番思うのはやはり「皆様それぞれの解釈がある」という事です。
時折メールなどで感想を頂いたりすると、本当に書いてる本人以上に深く考えてくださっている方もいらっしゃって、すっごい嬉しいです。
そういう時にお返事メルとか長くてうざくてすみません……あ、私信になってる……すみませ……
 
も、もう寝ますね。
 
 
あ!最後に、本編入れようとしてノリで入らなかったエピソードを。
 
・最後に耀に例のMOを渡されるものの、結局中身を見ないで捨てるルートヴィッヒさん。
因みに後日談としてルードさんはフェリシアーノと一緒に街を出ます。
「真実なんか知っても、所詮なにも変わらん」とか言ってMOを気しつつポイします。
凄くそのシーンを入れたかったんですが、都合上入らなかった……
後半活躍無くてすまん、ルドさん。後帰ってきたフェリシアーノには「菊は幸せにやってる」的な嘘を言えばいいとおもいます。
そんでイタちゃんは「そっかー!良かった!」とか言いつつアーサーに聞いて真実を実は知ってる、とかだと思います。
でも二人は元気に旅立てば素敵です。
 
 
おわり