チェンジング・オフ

※ パラレルと女体化小説です。
 
 
 
  CHANGING OFF
* CHANGING OFFは未だ前例が無いので、ここに記す説明文は仮定・推測に基づいている。
 
 @ CHANGING OFFを施した脳は未完である可能性が高い。
 A CHANGING OFFを施した脳に強い負担をかけてはならない。
 B 全ての記憶をCHANGING OFFすることは不可能である。


 

 

 菊が死んだ時、自分の身内は手を打って喜んだ。彼女は元々“コチラ側”の人間では無かったし、その前に人種も違った。
 自分と彼女が出会ったのは“ムコウ側”の孤児院で、そこで彼女は働いていたのだ。あまり“ムコウ側”には行かないのだが、その日はたまたま車でその孤児院の前を通りかかった。
 その時が始めて彼女、菊を見た瞬間で、本当にほんの一瞬だけ見やっただけだったが、時間にして一秒にすら満たない時間だけで自分は彼女の事が忘れられなくなってしまったのだ。孤児院に寄付金を送り彼女に近付いたのは、いささか強引だったかも知れないが、最初は“コチラ側”の人間だというだけで警戒していた菊も、何度も通い詰める内に笑ってくれるようになった。ただそれだけでも幸せだった。
 けれども父は怒鳴り、母は泣き、親戚の連中はアーサーを嘲り、社交界に出てくる同世代の人間からは後ろ指を指される。それでもいいと思ったのは菊が菊だからだ。彼女と一緒に暮らせるのなら、例え何を犠牲にしたって構わないと思った。
 例え何を犠牲にしても。
 
 
 

CHANGING OFF  A
 
 
 

 彼から求婚された時は酷く驚いたが、驚きすぎて思わず涙が出てしまった。だって私は彼からしたら“ムコウ側”の人間なのだから、一体誰が自分達の事を祝福してくれるだろうか。きっと彼の親類は誰もが彼を罵るだろうに、それでも彼は私でいいと言う。昔その事について訪ねたら、彼は笑った。
「……アーサー様……」
 それまで体は宙を浮いている様だったのに、不意に重苦しい現実感に襲われて、気怠い程に重い瞼を自分の呟きと共に開ける。中々合わないピントが合うと、辺りは暗く、ただ外の月光だけがこの部屋を照らし出していて、どうやら昨日まで自分が居た部屋では無いらしい事が分かった。小さな一室で、木造。部屋の大部分を本棚が占めていて、窓のすぐ下に設置された巨大な机の上には大量の紙が積まれ、床までも浸食している。
 ちょっとだけ顔を傾げてからそっと上半身を持ち上げると、どうやら服装までも今までの白いワンピースからだぼだぼの男物に変わっていた。裾が長すぎて折り返されたズボンと、殆どジャンボスカートの様になってしまったTシャツだ。不思議そうに暫く眺めてから、床に敷き詰められた物達を踏まない様にそっと足を降ろす。と、不意にバン!と勢いよく目指そうとしていたちゃちな扉が開け放たれ、ビクリと肩を震わせて菊は立ち止まった。
「あっー!目が覚めたんだね!君倒れてたんだよ。」
 手においしそうなパスタを持った、酷く陽気そうな男が嬉しそうに叫びながらピョンピョンと床に落ちた紙なんて気にせずに駆け寄ってくる。そのあまりな陽気さに、思わず警戒する事すら忘れて菊は棒立ちになった。
「ねぇ、名前なんていうの?どこから来たの?どうして倒れてたの?」
 パスタとフォークを無理矢理手に押しつけられ、思わず受け取ると、今度は楽しそうに質問をしてくる。こちらだって気になることだらけだというのに、彼の笑顔を見ているとなんだか反撃もしづらい。菊は戸惑って思わず俯きながら、なんと応えようかと思いを巡らす。
「おい、せめて質問は一つづつにしておけ。……名前は?」
 と、不意に陽気な人の後ろから、眉間に深い皺を刻んだ金髪で巨体な男の人の姿が現れた。全く持って読めない状況に、菊は戸惑いながらも自分の名を名乗る。一応記憶上ではスラム育ちだからそれなり肝はあるのだが、流石に目を覚ましたら見知らぬ場所で見知らぬ男が二人も目の前に居るのは怖い。
「どこから来た?」
 そう金髪の男に尋ねられ、すぐにアーサーの顔を思い出しハッと顔を持ち上げた。
「私、帰らないと……アーサー様の所に。」
「アーサー?」
 アルフレッドは、菊と名乗った少女に困った様に眉間に皺を寄せ上目がちに見上げられた物だから、思わず一歩後退しつつ聞き返した。その名前には確かに聞き覚えがあったのだが、そうするとやはり逃げてきた使用人か何かかもしれない。
「……ここは、どこですか?」
 菊はようやくその事を訪ねると、金髪の男、ルートヴィッヒは少しだけ顔を傾け、そして彼の一番近くにあった窓を開け放つ。窓には黒い鉄格子がはめられ、鉄格子越しから古く朽ちかけた建物が黒い影を落としてずっと向こうに見える落書きだらけの酷く高い壁まで続いていた。
「見ての通り、此処はスラムだ。お前はコチラから見て“ムコウ側”の人間だろうが……あそこには許可証無しでは入れない。
 第一、そんな丸腰で一体全体“コチラ側”に何の用があったんだ?」
 不審そうなルートヴィッヒの言葉に、菊は俯いて眉を歪め、何か考える様な仕草をしてみせる。
「……覚えて無いんです。何故こんな所に居るのか……」
 菊の返答にルートヴィッヒは益々訝しげな目線を彼女の送り、何も言わずにじっと菊を見つめる。菊は頑なに俯いて顔持ち上げようとしなかった。そうして沈黙だけが辺りを支配するものだから、フェリシアーノがオロオロと二人の周りを行ったり来たりし、やがて耐えかねた様に「とにかく!」と大声を上げ、ルートヴィッヒと菊は同時に驚いて肩を跳ねさせた。
「とにかく菊ちゃんはパスタ冷める前に食べて!ね?話はそれから。あ、オレはフェリシアーノ。こっちの大きいのはルートヴィッヒだよ。よろしくね。」
 菊の背中を押しつつニコニコ笑うフェリシアーノに、少々戸惑いながらも菊は素直に従い、明るい机のある部屋に押し出された。先程の部屋とは違い、綺麗に整理された台所と木製の机、椅子、そして小さなラジオが置かれたシンプルな部屋だが、どこか暖かみがある。背中を押されたまま空いた席に座らされると、台所にフェリシアーノは一度引っ込み、今度は自分達の分のパスタを両手に持って引き返してきた。
 そこに来てようやく菊は自分が酷く空腹な事に気が付き、渡されたフォークに麺を絡ませ、そっと口に運んだ。
 
 
「アーサーという男のファミリーネームは?」
 食事も半ば終わりかけた頃、パスタをすすりながら不意にルートヴィッヒと名乗った男が訪ねてきた。吃驚する程にパスタがおいしかったので、思わず夢中になっていた菊は慌てて顔を持ち上げる。
「カークランドです。アーサー=カークランド様。」
 少しばかり躊躇いがちに菊がそう言うと、ルートヴィッヒは眉間の皺を更に深くして菊から視線を反らすと、額に掌を当てて溜息を吐いた。よほど彼に嫌な思い出でもある様な、そんな態度だった。
「そいつの元で働いていたのか?」
 応えを聞きたくもなさそうなのだが、ルートヴィッヒは眉間に皺を寄せたまま質問を続ける。そしてその質問に、思わず菊は頬を染めて俯いた。
「いいえ……その、一応婚約、していました……」
 チラリと求婚された時に貰った指輪を見やると、その指輪はきちんと菊の指の根本であの時と同じくキラキラと光り輝いている。自分には勿体ないといったのだが、彼は「買ってきたものは仕方がない。」と勝手に自分の手をとってこの指輪を通した。月の光の下ですらキラキラとその指輪は輝く。今まで生きてきて辛いことばかりだった自分にとって、こんな物が手にはいるなんて、思ったことすらない代物だ。
 と、菊の回想を不意にやぶってルートヴィッヒが口を開いた。
「……言いづらいのだが、その話が本当なら……その、遊ばれていたのかも、しれないな。アーサー=カークランドといえば“ムコウ側”でも1,2位を争う資産家だし……四年前に結婚もした。“コチラ側”の新聞に載った程だ。余程豪勢だったんだろうな。」
 その思いもしない台詞に、菊は驚いて顔を持ち上げ目を見開く。自分の知っているアーサーは、当然のことなのだが結婚などしていなかったし、そのことを隠し通せるほど付き合いが浅いわけも無い。
「……嘘、です。」
 こぼれ落ちんばかりに目を見開いた菊が、そっと机に手を置いた瞬間、その手の下にあった新聞に目をやり、少しだけ固まって、そして椅子をひっくり返して立ち上がる。不穏な雰囲気に気が付かずにパスタをすすっていたフェリシアーノが、その音に驚いて顔を持ち上げた。
「……どうしたの、菊ちゃん?」
 自分の作ったパスタより、その隣に置かれた新聞を穴が開くほどジッと見つめている菊に怖々と声を掛ける、が、目を一心に新聞に注ぎ逸らそうともしない。ルートヴィッヒも不審気に眉間に皺を寄せる。
「な、んで……?」
 大きく見開かれた瞳が映したのは、今日の月日が書かれていた右端で、一見すればなんでもないその一行に菊の呼吸は止められた。そこに書かれた数字は、自分が知っているソレでは無く、明らかに大きくズレている。しかも一日や二日のズレでは無く、年単位だ。
 思わず一歩後退し、手がカタカタと小刻みに震えるのが分かる。頭が酷く混乱していた。二人が自分に声を掛けてくるのが理解は出来るのだが、その声すらどこか遠くに追いやられていく。
 白い部屋で目が覚めた時、自分は階段から落ちて半月もの間目を覚まさなかったと聞いた。歩くこともままならない程に筋力が低下していた為にリハビリをしたし、一時的な記憶障害もその時頭を強打したからだ、と聞いたのだが……そういえば目が覚めたとき、どこかアーサーの雰囲気が酷く変わった様な気がしたのだが、本当は何年もずっと眠っていたのかも知れない。
 その上部屋にはあった筈の鏡が無くなっていて、何度頼んでも結局入れて貰えなかった。それも関係が在るのかも知れない……。よろめきながらそのまま数歩下がって早さを倍以上にしている心臓に両手を当てて、懸命に呼吸の仕方を思い出す。浅く激しい呼吸が、まるで混乱に余剰するかの様に増していく。と、不意に横に目線をずらすと、そこに置かれた食器棚の扉に反射して、自分の顔がクッキリと浮き上がっている。それは、自分が知っている自分の顔よりも、確実に4歳ほど幼い容貌。
 血の気がザッと音を立てて引いていくのが分かった。目が覚めてから何にも増して、記憶が酷く端的で曖昧で、目が覚めてから過去について一切の記憶に自信を持てなかったのだが、一応毎日見つめ続けた自分の顔が幼く見えるのぐらいは分かる。
 が、時間はいつだって一方通行で、アーサーも新聞の日付すらも歳を取っていくのに、自分の顔が若返るのだけは理解出来ない。食器棚の扉に映り込んだ幼い自分の頬を、現の自分の手が包み込む。柔らかさも暖かさも、実際そこに存在している自分の物だという事を誇示していた。
 ガラスに映り込んだ自分の目がみるみる見開かれ、色の少ないその鏡にすらも自分の顔色がみるみる青ざめていくのが見て取れた。浅い呼吸の幅がどんどん狭くなって、酸素が肺にまで届く前に吐き出されていく。目の前がクラクラと揺れ、なぜか胸の辺りに鋭い痛みが走った。
「大丈夫か?……フェリシアーノ、紙袋を持ってこい。」
 いつの間に側に来ていたのか、全身から力の抜けた菊の体をルートヴィッヒが慌てて受け止め、呆然としていたフェリシアーノに声を掛けた。未だにフォークを握っていたフェリシアーノは飛び上がって台所の影に走り込む。
「過呼吸だ、大丈夫、ゆっくり息を吸うんだ。」
 そっと菊の背中にルートヴィッヒは自身の大きな手を当てて、落ち着かせようと声を掛け、やがてフェリシアーノが持ってきた紙袋を口元にあてがった。仕事を終えたフェリシアーノが心配気に菊とルートヴィッヒの周りをウロウロと歩き回ってべそをかく。暫くしてようやっと落ち着いてきた菊の顔を、そっと遠慮がちに覗き込む。
「……どうしたの?大丈夫?」
 フェリシアーノに声を掛けられて、ちょっと目線を上げて菊は真っ青な顔のままふんわりと微笑んだ。カタカタとその体が小刻みに震えているのも、彼女の背に手を寄せているルートヴィッヒには直ぐに分かる事なのに、
「……驚かせてしまってすみません、よくなるんです。もう大丈夫です。」と言った。ただその雰囲気が、どうにも聞きづらくて二人は口をつぐんだ。
 
 
 
 
 アーサーは部屋に置かれた豪勢な椅子に腰をかけながら、机の上を間断入れずにトントンと苛々しながら指で音を立てる。机に肘を付け、眉間の皺を深く深くさせていた。
 彼をそうさせている理由はただ一つ、未だに自分の探し人が見つからない事にある。外はまだ雨が降っているし、それ以前にもうコチラ側に居ないとしたら……
 嫌な思考を振り払う様に目を固く閉じたその時、数度のノックと共に白衣を着た男が一人入ってくる。菊と同じ色の肌と髪、そして瞳を持ったその男は、アーサーの負けず劣らず不機嫌そうに目を鋭く吊り上げていた。
「もうこれ以上“コチラ側”を探しても無駄あるネ。……壁の出入り口のカメラに“向こう側”に行く菊の姿が映し出されているある。」
 そう言って机の上に放ってきた数枚の紙は、確実に彼女だと分かる目深にコートのフードを被った女が映った、監視カメラから摘出された写真だった。その姿を紙にちょっとだけ目をやって確認したアーサーは、思わずという様に固く目を瞑る。一番可能性があり、そして一番望んでいない結果だ。
「問題は……ムコウ側をどうやって探すか、って事ある。……もしもまだ生きているとしたら。」
 どこか冷たく淡々とした口調のまま、黒髪の男は腕を組む。薄暗い室内ではその表情までは確認出来ないが、恐らく彼は無表情なのだろうと思った。
「それなり懸賞金をかけたら、金が欲しいだけの奴なら直ぐに差し出すだろうが、なにしろ“ムコウ側”には反抗勢力や“コチラ側”に逆恨みを抱いている奴がごまんと居るある。勝手に菊を“コチラ側”の人間だと思い、変に勘ぐられて拷問や殺される危険性が高くなるある。」
 相変わらず組んだ腕を解かずに、男は座っているアーサーにじっと目線をやったまま淡々と喋る。が、アーサーは少しも目線を上げようとはしない。
「……もし菊を『“コチラ側”の危険因子』として探すのなら、“コチラ側”に恨みを持った人間は寧ろ菊を仲間と認識して菊は殺される可能性が減るある。勿論、奴らは菊を匿おうとするから見つかる可能性もグッと減る。それでも金が欲しい奴は菊を差し出すある。」
 そこまで男が話して、やっとアーサーはその翡翠色の瞳を持ち上げて男を見やった。
「……つまり、菊を殺される可能性も高いが、見つかる可能性も高い方法で探すか。それとも殺される可能性も見つかる可能性も低い方法か、という事か。」
 アーサーの返答に、男は満足そうに鼻を鳴らしてうっすらと微笑んだ。まるで分かりの良い子供でも見る様な目線だ。
「お前がどちらを選択するか、我には口を出せない問題あるが、我は……こうなった今でもアイツの兄のつもりある。」
 少しだけ目を伏せると、菊と唯一の血縁を持った男、王はそう言い残して直ぐに踵を返し、来るときと同様に静かに部屋を後にした。残されたアーサーが決断するのに、勿論時間などあまり要さなかった。
 
 
 
 昨日過呼吸を起こした全てが謎の女、菊は、お昼になると何事も無かったかのようにフェリシアーノと共に昼食を作り始めた。もしかしたらまた何か変な者を拾ってしまったのでは……とルートヴィッヒは頭痛を覚えた。けれどもフェリシアーノとは違い、彼女はよく働き、自分の助手の様な仕事まで自らで買って出てくれた。
 借金ばかりあるこの病院で、別段盗みなんかする様子でも無いし、本当にただの記憶障害でどうして道ばたで倒れていたのか忘れてしまっただけかもしれない。もしも何か凄い事に巻き込まれてしまっていたとしても、拾ってきてしまった以上ええいままよ、いっそフェリシアーノと一緒に面倒をみてやろう、とさえ思えた。
 自分の神経が図太くなっているのか、それとも色々と諦めてしまったのか……ルートヴィッヒは自分の額をグッと抑え、深い溜息を吐いた。正にその時、ドンドンと扉が叩かれる。今日の午前の診察はもう終わりにするつもりだったのだが、もしかしたら急患かもと玄関の扉を開け放つ。
 そしてそこに居たのは長身の自分と同じぐらい巨体の、黒ずくめの一人の男だった。思わず一歩後退し、強盗用に玄関に取り付けている催涙スプレーにそっと手を伸ばす。
「……この女を、見なかったか?」
 が、ルートヴィッヒの緊張をよそに、その男は一枚の紙を差し出す。そこに映っていた人物は、どうみても菊で、長い黒髪を風にたゆたせふんわりと幸せげに微笑んでいる。そしてその写真の下には、恐らく“ムコウ側”からしても法外としか見受けられない金額が記されていた。
「いや……見て無いな。この女、何をしたんだ?」
“コチラ側”に住んでいれば嫌でも身につくポーカーフェイスをフルに活用し、無表情のままそう答えると、男はちょっとだけ頷く。
「壁の向こうに、許可証も無く侵入し大切なデーターを盗もうとした。……もし見つけて無傷で連れてきたなら、それなりの金は出る。」
 そう言い終えて男が紙を懐に仕舞い込み、黒光りする車に手をかけた所で慌ててルートヴィッヒは再び彼に声を掛けた。
「ちょっと待て。一体誰が彼女を捜しているんだ?」
 振り返った男は、その眉間に皺を刻んで不審そうにルートヴィッヒを見上げる。瞬時に後悔と不安がルートヴィッヒの胸をよぎるが、男は僅かな沈黙の後に無表情のまま口を開く。
「アーサー=カークランド様だ。」