チェンジング・オフ

※ この小説は暴力シーンが入ります。パラレルと女体化。
 

「『CHANGING OFF』……?」コンピューターの画面一杯に出てきた文字を、小さな声でイヴァンは読み上げた。部屋に一人、片膝をつけたまま画面を見つめていたのだが、文字の後に映し出された写真に思わず身を乗り出した。トーリスがアーサー宅から持ち出したMOに、特に深い興味など持っていなかったのだが、もしかしたら弱味を握る事が出来るかもしれない、と思い起動したのだが……
 画面を見やっていたイヴァンは、そこに映し出されていく数々の画に思わず顔をしかめた。それから細かくびっしりと書かれた文字を目にし、先日見やったあの少女を思い出す。

 
 
 

CHANGING OFF F
 
 
 

 ルートヴィッヒの家に居着いてしまってから早くも三週間が経とうとしていた。いつかはちゃんとアーサーと向き合わなくてはならないだろうと、菊の胸中にわだかまりがあったものの、自分自身謎が多すぎて怖じけ付いてしまっているのも確かだった。もし本当にアーサーが菊をスパイか何かと認識しているのならば(菊自身そんな風には全く思っていないものの)匿ってくれたルートヴィッヒにも、“ムコウ側”に存在をひた隠しにしている『ヴェラ』のメンバーも、捕まってしまうだろう。
 パンッと真っ白なシーツを広げながら、菊は憂鬱に染まりかける自分の気持ちに喝を入れ直した。と、菊が立っていたベランダの下から、菊を呼ぶ声がして菊は下を覗き込む。そこには、ニコニコと嬉しそうな笑顔で菊に向かって手を振る一人の人間、ヘラクレスの姿がある。
「ヘラクレスさん!どうしたんですか?」
 あんまり菊が体を乗り出すものだから、結構ガタが来ていた腐りかけのベランダがみしみしと鳴り、慌てて体を引く。そして掃除していたフェリシアーノ、患者を相手にしていたルートヴィッヒに一言言い置いて外に駆け出でる。なんだかんだ言って、凄くヘラクレスの事が気になっていたので訪ねてきてくれたのが嬉しかった。
「菊に会いに来たの。」
 にっこりと微笑んだそのヘラクレスの姿は、確かに菊が見知った彼そのままだった。ヘラクレスにつられて菊もニッコリ微笑むと、不意に後ろから少々戸惑う様な声色でルートヴィッヒが「誰だ?」と訪ねてくる。慌てて振り返った菊は、ふんわりと微笑みながらヘラクレスを紹介した。
「私が昔働いていた孤児院に居た、ヘラクレスさんです。」
 菊がそう言うと、ルートヴィッヒは「ほう」と一度頷いてから「一緒に働いていたのか」と妙に納得をしつつ再び診療室に入りかけるが、慌てて菊が
「いえ、私が働いている時に施設内に居た子です。」
 といえば、そのヘラクレスの体を見つめて眉間の皺を更に深くしつつ、
「失礼だが……歳はいくつなんだ?」と遠慮がちに訪ねた。菊の年齢を大きく読み違えていた経験から、この、どうみても青年である男が、菊の19という年齢から考えて、実は未だ14,5であったらどうしよう。なんて恐ろしい考えがルートヴィッヒの脳内を駆け抜けていった。
「20だけど……?」
 ちょっとだけ首を傾げて不思議そうにそう返したヘラクレスに、一瞬ルートヴィッヒはほっとしてから「ん?」と眉間の皺を深くさせる。
「ちょっと待て。そうなると菊の……」
「ルートヴィッヒさん!患者さんをお持たせしていますよ。」
 ルートヴィッヒのセリフをみなまで言わせずに、菊は慌てて彼の背を押して再び建物の中に押し込む。ルートヴィッヒはどうも納得のいかない様だったが、菊は有無を言わせなかった。ルートヴィッヒが患者の元へ帰り、二人きりになった菊とヘラクレスは積み上げられていたブロックの上にちょこんと座る。
「よくここが分かりましたね。」
 にっこりと微笑んで菊が口を開くと、ヘラクレスもにっこりと微笑んで一度頷いた。
「みんな菊の事知ってたよ。それにね……オレ、4年前からヴェラに入ってたんだ。」
 一瞬、菊の脳内をマシンガンをぶっぱなすバッシュがもの凄いスピードで通り過ぎていった。そして思わず青くなる。
「あの、大丈夫ですか?危なくないですか?」
 幼い頃から知っている彼は、どう考えても戦闘向きでは無い。少なくともマシンガンをぶっぱなしたりは、確実にしないだろう。
「うん。『ヴェラ』っていっても、オレは特に何もしないよ。ただ知ってる情報をまわしたりするだけだから。」
 よく分からないが、今確実に“ムコウ側”の反抗勢力である『ヴェラ』は着々と巨大化しているらしく、『ヴェラ』の組員となれば強盗ところか『ペチーカ』すらも中々手を出せないらしい。昔は壊れかけでいつでも飢えていた孤児院も、今では立派な建物と様変わりして、狙われたり色々大変らしい。菊は少しだけ俯くと上目遣いがちにヘラクレスを見上げた。菊と目線があったヘラクレスは、にっこりと笑う。
 彼と別れた頃は、丁度自分がアーサーと出会った頃で、彼はまだ13歳だった。いつもボーっとしている子だったので、一人で働いていけるのか酷く心配だったが、今では物を考えて戦っているのだ。誇らしさと同時に、酷く寂しさが押し寄せる。自分は六年間、自身にどういった理由が降りかかったか知らないが、六年間も彼と連絡をとらなかったのだ。辛かっただろうに。
「……ごめんなさい」
 思わず菊が謝罪を口にすると、ヘラクレスは不思議そうな顔を持ち上げて菊を見やる。
「なんで菊が謝るの?」
 何と言っていいか分からずに黙り込んだ菊の手を取り、ヘラクレスはその手をグイと引っ張って菊を立たせた。前のめりになりつつ立ち上がった菊の頭と、自分の頭の上に手を置いてほわほわとまた笑った。
「オレ、すっごい背、伸びたの。」
 嬉しそうに笑うヘラクレスを不思議そうに見やっている菊の、ヘラクレスから見れば小さな身長に腰を屈めて彼は目線を合わせる。その勢いに押されて、思わず菊も「はいっ」と勢いよく頷く。と、ヘラクレスも満足そうに笑って頷いた。
「オレね、ずっと菊を守ろうと思ってた……。だから早く大きくなって、みんなを守れるようになりたかったんだ……」
 お日様を背に立った彼が眩しくて、思わず菊は瞳を細めた。
 
 
 
「なんの御用ですか?」
 アーサーが仕事をまだしている内に、一人の初老の男が彼を訪ねてきた。アーサーは不機嫌を露骨に見せながら、その男を見やる。と、男も酷く腹立たしそうにアーサーに向かって歩み寄ってくる。
「まだ子供が出来ないそうじゃないか。」
 腹立たしげに男がそう言うのを、アーサーも同様に顔を顰める。結婚したのは5年前で、菊が死んでから1年しか経っていなかったが、アーサーにとってはもうどうでも良かった。そして言われる通りに結婚したのは良いが、結局今まで手すら触れていないのだから、今子供が出来たらどう考えても不義の子である。お陰でアーサー=カークランドは不能である、なんて噂が立つ程だった。
「欲しくないです。用はそれだけですか?終わったなら帰って下さい。」
 アーサーは立ち上がるとツカツカ歩き、男が入ってきた扉を自身で開けてみせる。男の眉間の皺が更に深くなり、怒りで顔色を青くさせたが、アーサーは相変わらず無表情でジッと男の顔を見やった。数秒の重苦しい沈黙が走る。
「……あなたは、六年前の事件で何人死んだか後存知ですか?」
 六年前、当時の“コチラ側”反抗勢力である『ヴェラ』が無理矢理押し入ってきた事件で、当然襲撃にあったオペラ劇場内に居た“コチラ側”の人間と、乗り込んできた『ヴェラ』組員は壊滅状態となった。その上“コチラ側”による“ムコウ側”の『ヴェラ』残党狩りが行われ、関係のない人間までもが何十人、否、へたしたら何百人死んだかも知れない。
 勿論その中には“コチラ側”の大富豪の跡取り息子なんかも居た。
「私には関係の無い事だ。」
 吐き捨てる様にそう言った男を、アーサーは顔を顰めて見やり、内心舌打ちをした。そして六年間、ずっと言おうとして言わなかった事を口にした。
「あなたは、『ペチーカ』のイヴァンと今でも連絡をとっているんですか?」
 ビクリ、と男の肩が軽く震え、ギリリと奥歯を噛みしめアーサーを睨み付ける。幼い頃は彼のその目が酷く怖かったが、今のアーサーにとってはこの男は萎れかけて誰も目にさえしなくなった実の様な気さえする。
「誰がその事を……?」
 悔しげな、そして少々焦っている男の声を聞き、内心アーサーは笑い転げたかった。が、グッと堪えて言葉を続ける。
「フランシスです。六年前に私に宛てた手紙に書いてありました。六年なんて、まだまだ時効じゃありませんよ。」
 イヴァンがどうやったか知らないが、彼が一枚噛んでいるのは明らかだった。『ヴェラ』は少々正義に夢を抱きすぎている組織だったが、イヴァンは酷く頭の回転が早く、自分の利になる事を常に追い求めている。
「……帰る。お前はそろそろ目を覚ませ。結局死んだモンは生き返らないんだ。」
 何か言いたげにアーサーを睨んでいた男は、不意にアーサーから視線を外すと忌々しげにそう言い歩き始めた。アーサーはその男の言葉に思わず嘲笑を浮かべ、小さくお辞儀をした。
「さようなら、父様。もう来ないでください。」
 男が部屋から一歩出て直ぐにそう言うと、男が驚いて振り返るも、それよりも早くアーサーは扉を閉めた。それから、シンと静まった室内で一本煙草に火を付け、深く深く吸い込んだ。
 
 
 
 ルートヴィッヒの小さな筈の家に、診療時間も疾うに過ぎたというのにバッシュやらヘラクレスやら、それからあれ以来音沙汰無かったフランシスまでもが手に土産をぶら下げてやって来た。各々ルートヴィッヒ、あるいは菊に話があっただろうに、人が沢山居る中では話しづらいらしく、結局はぐだぐだな飲み会に変わってしまう。そうなると近所の住民までもがちゃっかり混ざりに来るから後始末におえない。
そしてやがて飲み会が最も盛り上がってきて、フェリシアーノとフランシスが何やら歌いながら踊り始めたりしたのを遠目に眺めていたルートヴィッヒの近くにいつの間にかコップを一つ持ったバッシュが座っていた。彼はチラリとルートヴィッヒに目配らせをし、向こうで笑っている連中に聞こえない様に声を落とす。
「……もうすぐ我々『ヴェラ』は本格的に行動を開始する。貴様を再び巻き込みたくは無い。フェリシアーノと菊を連れてこの街を出るのだ。」
 そのバッシュのセリフに、思わずルートヴィッヒは驚いて顔を持ち上げバッシュを見やるが、勿論彼が嘘を吐くはずもなく、ただ真っ直ぐな瞳に見られ、出かけた大きな声を飲み込んだ。
「……いつだ?」
 缶ビールを一口胃に流し込んで、どうにか気持ちを落ち着かせ訪ねる。
「20日後だ。貴様には散々世話になったからな。……今回は、吾輩も死ぬであろう。」
二人の合間に落ち込んだ沈黙を、楽しげに続く宴会の音が割り込んできたが、雰囲気を崩さずにいっそ哀愁さえ寄せ付ける。
「勝機はあるのか?」
 ルートヴィッヒのその言葉に応えずに、バッシュは手に持っていたコップの中身を一気に飲み干し、それなのにまるで変わらぬ顔色でルートヴィッヒを一心に見やった。
「……“ムコウ側”の連中は我々の事を一つの命だとも思ってはいない。人身売買、治外法権、我々が飢えで死にかけている中、あいつ等はぬくぬくと家で紅茶でも飲んでいるのであろう。我々は我慢し続けた。そして、我慢しすぎた……。
それに六年経った今でも尚『ヴェラ狩り』が続いている。捕まった人間は全員見せしめ処刑だ。吾輩にはもう、我慢出来ない……」
 それは……それは、一種の罪意識なのでは無いだろうか。その言葉を飲み込んでルートヴィッヒは己の額を押さえて目をキツク結ぶ。もしかしたら無駄死にに終わるのでは無いだろうか……だから医者である自分を、わざとこうして遠くに行かせようとしているのではないだろうか……
「ルートヴィッヒ!バッシュ!なんでそんなトコに二人で居るのぉ?こっちおいでよ〜」
 ルートヴィッヒが口を開きかけた時、向こうで楽しげに歌っていたフェリシアーノが両手をブンブンと振って二人の名を呼んだ。慌てたルートヴィッヒと違って、いつもは五月蠅い事が嫌いな筈のバッシュは直ぐに腰を上げてみんなの元へ行ってしまった。その夜の楽しげな宴会の声は深夜にまで及んだ。
 
 宴会が終わったとなれば、無責任な人間は殆どそそくさと自分の家に帰り、一番盛り上がっていたフェリシアーノとフランシスは高いびきをかいて雑魚寝を決め込んでいた。相当な皿と、飲み散らかった缶やコップ、そして僅かなおつまみが散乱している。
「あの……お塩はどこに置くのでしたっけ?」
 相当酔っぱらっているのか、菊はふらついた様子でもう知っているだろう塩の置き場所なんかを訪ねてきた。思わず額に汗を掻きつつルートヴィッヒは塩の置き場所を教え、それから一杯の水をくんでやる。
「……こんな時に言うのもなんだが、オレとフェリシアーノはここを出るかもしれない。」
 ちょこん、と座った菊をじっと見つめながらそう言うと、菊はコップに口をつけながらパチパチと大きく目を瞬いた。ルートヴィッヒが何を言いたいのか察しようとしているらしいが、酔っている所為かどうにも話が掴めない。ゆったりとルートヴィッヒはしゃがみこんで菊と目線を合わせると、諭すように菊の顔を見やる。
「つまり、な。お前も一緒に来ないか?」
 ルートヴィッヒの言葉を飲み込むのに、数秒かかり、やっと菊は驚いてその大きな瞳を更に大きくさせた。
「でもっ……私にはアーサー様が……」
 その菊のセリフでルートヴィッヒは苦々しそうに顔を顰めて見せ、菊の肩をそれでも優しく掴んだ。
「もし会いに行って、向こうが本気でスパイだと思っていたらどうする?」
「そんなこと……!」
急いで否定しようと口を開いた菊に、間髪入れずにルートヴィッヒは声を荒げる。
「無いって言い切れるのか!?それで殺されたら、オレ達はどうすればいいんだ?」
 声の大きさとルートヴィッヒの剣幕に驚いて菊はビクリと震えてから、じっと年がら年中怒ったような彼の瞳から、その緊迫さを読み取って思わず声を詰まらせる。お陰でルートヴィッヒが先に瞳を逸らさせ、菊を残したまま立ち上がり菊からそっぽを向いた。
「……大声を出してしまって、悪かった。考えてみてくれ。……後片付けはオレがやっておく。」
 そう言うとフェリシアーノ達が寝ている診療所に姿を消してしまい、残された菊はポツンと座ったままコップからまた一口、水を啜った。
 
 それから二日ばかり晴天が続き、やがて太陽は厚い雨雲に隠されて長い雨期に突入する。