チェンジング・オフ

※ この小説は暴力シーンが入ります。パラレルと女体化。
 

廊下をツカツカと音を立てて一人の男が勢いよく歩いてくる。眼鏡の奥の蒼い瞳は、いつだって自信に満ちあふれていた。彼は生まれてから一度だって敗北を知らない、信念を曲げることも、妥協さえ知らないで生きてきた。そして彼が追い求めるのは、自分の持っている『正義』であった。
「よう、アーサー。」
 やがて彼は一人の人物を見つけると、楽しげに笑いながら右手をサッと持ち上げてみせる。名前を呼ばれた人物は、少々眉を顰めながらも挨拶を仕返した。なにせ幼い頃からよく知っている人物だし、小さな頃はアーサーが良く面倒を見ていたりもした。
「オレに話って……今度は何を始めるつもりだ、アルフレッド。」
 うんざり、という様子で軽くアーサーが肩をすぼめると、アルフレッドは気にも止めずニコニコ笑いながら両手を大きく広げてみせる。
「そうそう、聞いて欲しいんだ。オレさ、今度本格的に“ムコウ側”の『ヴェラ』を一掃しようと思ってるんだ!なんと名簿表が手に入っちゃってね。」
 名案だろ、彼は楽しげにそう言った。
 

 
 
 

CHANGING OFF F
 
 
 

 しとしとと、まるでやる気のない雨が鉛色の空から絶えずに降り注ぎ、べったりと肌にまとわりつくかの様な不快な湿気が辺りに満ちている。窓から濡れた灰色の街を見ていた菊は、重たい溜息を一つ吐き出して、先日ルートヴィッヒが言った言葉を思い出した。詳しいことは聞けずにいたが、今まで言えずにいた核心をグサリと刺されてしまった様でちょっとだけ辛い。アーサーと話し合わなくてはならないだろう、と、一応の事情を知っている者なら誰でも思っていたのだが、誰も言い出せずにいた。
 菊自身、早く会いたいのと同時に会うのが恐ろしいという気持ちさえあった。自分が一体なんなのかさえ分からないし、今はもう知りたくもない。……けれどもずっとここに居るわけにはいかないし、やはり会いたかった。会いたい……見上げていた窓から目を落とし、洗い物をしていた自分の泡だらけの手を見下ろした。
 と、その時、玄関が不意に開き、パッと菊は顔を持ち上げた。
「お帰りなさい、ルードヴィ……」
 ここの家の主の名を呼びながら振り返り、そして言葉を飲み込んだ。しとしとと降り続ける雨が微かな音を立てるだけで、暗く灰色になった室内で菊は訪ねてきた人物を見つめたまま目を少しだけ大きくさせた。コトリ、と音を立てて、その主は土足のまま室内に一歩だけ侵入すると、にっこりと微笑んだ。
「やぁ。」
 細い金髪をしっとりと濡らし、その端から小さな雨粒が今度は床の上に落ちる。灰色の瞳はいつもどおりニッコリと人工的な笑みを象り、知らず菊は寒気を覚える。菊は水が自分の指から滴るのも構わずに身構え、そして一心に彼、イヴァンを睨んだ。
「一人?不用心だね。」
 コトコト、と床に少々高めな音を立てつつにこやかに歩み寄るイヴァンに、手元を探りながらイヴァンから目線をずらさない。やがて戸棚に指が当たり、そこから一本包丁を取り出してこの前と同様にイヴァンの目前に翳した。が、イヴァンはまるで気にしないらしく、にっこり笑ったまま菊に歩み寄る。
「近寄らないでください。」
 懸命に絞り出したつもりの声は上擦り、指先が冷えて少々震えた。それでも睨むのを止めない菊に、イヴァンは笑うのを決して止めずに近寄ると、キュッと包丁を自らの右手で掴む。途端、真っ赤な血が少しだけイヴァンの腕を伝いポタリと床に垂れた。菊は包丁をそれ以上押すことも引くことも出来ずに、大きく目を見開いたままゆっくりと小さく息を飲み込む。そして、包丁から指を離さざる終えなくなる。
 地に濡れた手で包丁を投げ捨てた彼は、そのまま菊の顎を掴もうとして菊が彼の手を弾いた。ちょっとだけ沈黙が走るが、イヴァンは菊の震えた足を見やってから口の端を持ち上げて、今度はその右手で菊の喉を掴み上げる。べっとりとイヴァンの血が菊の白い喉元にまとわりつき、菊はグッ、と声を漏らしながらもイヴァンの服を掴んで彼を睨んだ。
「僕さ……」
 その状況で、イヴァンは不意に無表情になるとそっと口を開けた。菊は体を仰け反らしたままにイヴァンを見やる、と、その表情は今まで彼に向けて抱いていた感情からかけ離れる程に、どこか寂しげである。
「僕、剥製とか大っ嫌いなんだ。この苦しいばかりの世界を生きて、やっと死ねたのに。……可哀想。」
 薄れていく空気を追い求めて菊の赤い舌が口内から伸ばされるが、イヴァンはその姿から目線をズラしたままもう一度小さく「可哀想に」と呟いた。そしてやにわに菊を解放する。ストン、としゃがみ咳き込んだ菊と目線を合わせる様にイヴァンもしゃがみ、それからそっと菊の頬に手を添えた。その頬を指でそっとなぞり首の付けにあった小さなホクロでふと指を止めた。
「……流石、クローンだね。こんな所も同じなんだ。」
 イヴァンの囁くような一言に、菊は思わずイヴァンの顔を見上げて固まった。眉が盛大に曲げられ、不安と恐怖を入り混ぜた様子でそっと口を開く。
「クローン……?」
 菊がそう聞き返したのを、イヴァンは相当嬉しそうにニッコリとした笑顔で返す。それから再び菊の顎を掴み、ちょっとだけ顔を近づける。
「そうだよ。……ねぇ、君に良いことを教えてあげるよ。」
 
 
 雨の中急な往診が入り、フェリシアーノは買い出しに行き、不本意ながら菊を一人家に残してきてしまった。ルートヴィッヒは早足がちに誰も居ない街を抜け、やっと勝手知ったる我が家に着きドアノブを回そうとし、急にそのノブが回り思わず飛び退いた。そしてそこから出てきた男、イヴァンを見やり思わず言葉を失う。
「あれ?今お帰りかな?ご苦労様だね。」
 あまりにもイヴァンがにっこりと笑い自然にそう言う物だから、ルートヴィッヒも一瞬考えが飛び黙り込んでしまった。けれどすぐにその状態から抜け出すと、慌てて扉を開き中に飛び込んだ。
「菊!?」
 そしてそこで、首と頬をべっとり血に濡らしている菊を見つけ、思わず駆け寄り彼女の名を呼んだ。昔イヴァンに襲われた事があると聞かされているのを瞬時に思い出し、やはり彼女を一人にしてしまった事について後悔の念が強くなる。真っ青に染まった菊の顔をはたいてやり、そこでやっと彼女はルートヴィッヒに目線をやった。衣服に乱れは無いし、外傷も無い様なのだが、菊の体は小刻みに震えている。そしてやがてその目線をルートヴィッヒに向け、そして小さく彼の名を呼び、右手でしっかりとルートヴィッヒの服の裾を掴んだ。
 その瞬間、ルートヴィッヒの中で何かが弾けた。気が付いたらルートヴィッヒはその小さな菊の体を強く抱き寄せ、微かに鉄の匂いがするその首もとに顔を寄せた。
「一緒に行こう、菊。こんな街から出て、オレとフェリシアーノとお前の三人で、遠くへ、行くんだ……」
 どこか理想論の様な響きの籠もるルートヴィッヒの言葉を聞き、ぼんやりと菊はやがて本降りになるだろう雨の音に耳を澄ませる。ふらふらとどうしていいか分からない今の自分にとって、しっかりと抱き留めてくれるルートヴィッヒのその厚い胸板が有り難くはあった。が、それでも尚、瞼の裏では彼が微笑む。
 
 結局イヴァンと何を話したのか、菊は一切口を開こうとしなかったし、未だにルートヴィッヒの提案に頷いてはくれない。もう『ヴェラ』の行動開始まで遂に10日を切ろうとしていたのだが、荷物は纏まったもののルートヴィッヒには菊がここに残るだろうという小さな確信さえあった。もう明後日にはこの家を後にしようと思っていたのだが……
 その日もフェリシアーノと菊で作った料理を前に三人で手を合わせていた時、遠くで、それでも“コチラ側”で激しい発砲音が響く。発砲音など日常茶飯事なのだが、その時に聞こえた量が半端無いので、思わず顔を持ち上げて院内唯一の扉を見やった。実際に彼等が駆け込んできたのはそれからおよそ五分後程で、外で降り続ける雨水にぐっしょりと濡れながら、その右肩からダラダラと真っ赤な鮮血が絶えず流れ落ちている。
「……すまん。」
 彼は、バッシュは苦々しくそう呟いて真っ青な顔でその場に蹲った。
「バッシュさん!」
 慌てて駆け寄った菊にだけ聞こえる様な小さな声で、事の経緯を説明した。彼の言葉によると、“ムコウ側”の『ヴェラ』狩りの激しさが増したという。瞬間、菊の脳内に先日会ったばかりのヘラクレスの笑顔が通り過ぎる。
「……あの、ヘラクレスさんは……」
 真っ青なバッシュに、思わず菊がそう訪ねると、彼はその細面を少しだけ傾け菊を見やった。そして菊の動揺をくみ取り、少々眉を顰める。
「恐らく“ムコウ側”のスパイが紛れ込んでいたのだろう。我々の情報が全て流れてしまった可能性が高い。もしかしたら、もう……」
 バッシュの言葉に、菊は思わず数歩後退して瞳をもう少し大きくさせた。菊と入れ替わりにルートヴィッヒがバッシュを抱えると、すぐさま診断所に駆け込んだ。残された菊とフェリシアーノは、この後も訪れるだろう逃げ込んできた人々の事を考える余裕さえ失ってまたポツンと無言で立ちつくした。外では未だに銃声が鳴り響いていた。
 
 
「私、やはりアーサー様と話してきます。」
 バッシュの撃たれた肩の治療が些か大変だったらしく、半ば憔悴してしまったルートヴィッヒが部屋から出てきて一番に、立ち上がった菊がそう決心を口にする、が、ルートヴィッヒは溜息を一つ吐き出して自分の額を押さえる。
「ダメだ。今出歩くのは危険すぎる。」
 ルートヴィッヒに一蹴されるも、菊は引き下がらずにグッと手を握りしめたままルートヴィッヒに目線を投げやった。
「でも……このままだともっと被害が出てしまいます。……捕まった方も、殺されてしまうかも……」
 あれからルートヴィッヒの所に運ばれてきた怪我人は、この小さな医院では入りきらない程に増え、先程から手当が出来る者は近所から集まって手当をしていた。それでも怪我人は増える一方で、捕まった人々の話も、そして死んでしまった人々の話も聞く。 “ムコウ側”の『ヴェラ』一掃組織が此処を発見するのも時間の問題だろう。ならば、多少の危険を考えずにアーサーに会いに行って説得して貰えるように頼んでみたかった。例え、アーサーにはどうすることも出来ない問題だとしても、そうせずにはいられなかった。
「……今は、一緒に手伝ってくれ。」
 ルートヴィッヒ自身は、菊がアーサーの元に行ったらどうなるか分かるまではどうしても頷けなかった。約一ヶ月しか一緒には居られなかったが、それでも実際楽しかったし、あの平穏とは少々言いづらいものの、中々飽きることの無い日常を崩したくは無かったのかも知れない。毎日人々が死んでいく状況を目の当たりにしてきたこの鬱屈した仕事において、初めてフェリシアーノを拾った二年前の時から、中々どうして、人生は暗いだけの物じゃないと気が付いたし、人が集まってどんちゃん騒ぎは別に嫌いでは無いと初めて気が付いた。
 それなのに、その日常さえどんどん崩れていく。もしかしたらエゴイズムの一種なのかもしれないが、それでも今はどうにかして手放したくは無かった。手放したらもう二度と返ってこない気がしてならなかった。
「取り敢えず包帯を持ってきてくれ、菊。」
 床にズラリと並べられた怪我人を一人一人これから診なくてはならない。今は口論をしている暇も、自分の思いに沈んでいる暇もありはしないのだ。菊は「はい」と力強く返事をしておきながら、何故かその場で戸惑ったように立ち竦む。フェリシアーノもルートヴィッヒも驚いて顔を持ち上げ菊を見やると、困惑した表情のまま、泣き出しそうな声色で呟いた。
「包帯の場所……どこですか?」
 えっ? とフェリシアーノが眉を歪めて首を少しだけ傾げる。怪我人が運ばれてきてから散々出し入れしている包帯の場所を忘れてしまうなんて、流石のフェリシアーノさえ冗談だとしか思えなかった。だが、泣き出しそうな菊の表情は、どうみても冗談を言う様子では無い。不穏な雰囲気に思わずルートヴィッヒは息を飲み込んだ。
「えっと……包帯はここだよ。菊も疲れちゃったんだね。」
 フェリシアーノは無理に笑顔を作って、棚の一部からまだ開けられていない包帯の束を指し示して見せた。が、ルートヴィッヒは昨日の塩の置き場所を訪ねてきた菊を思い出し、思わず青くなる。そして菊の顔色もルートヴィッヒ同様、真っ青に染まっていた。
「ごめんなさい、私……」
 上擦った菊の言葉に、慌ててフェリシアーノが駆け寄ってその肩を掴んで宥めようとするも、カタカタと震えた菊は伏せた目線を上げようとはしない。
「もうお部屋に戻ろう。ね、菊。」
 震えたまま突っ立ってしまっている菊の背を撫で、菊を部屋に戻そうとフェリシアーノが菊の腕を引っ張るが、菊は動こうとしない。「菊?」と彼女の名前を不思議そうに問いかけたフェリシアーノも困った顔色その場に立ちつくす。
「私……本当はもっと前から沢山色んな事を忘れてしまって……だって、私はっ……」
 何かに恐怖するかの様にそう菊が声を上げた後、不意に己の口元を自分の手で覆い、ボロボロと大粒の涙が菊の頬を流れた。「わっ!」と慌ててフェリシアーノが菊の肩を掴んで宥めるも、ボロボロと一度溢れ始めた涙は急には止まらない。
「私……私、最近たまに分からなくなるんです。私の、名前さえ。」
 その瞬間、何処かで雷が地を裂いた。光を灯していた裸電球の微かな灯りがブツッと音を立てて消え、辺りは雨の日独特の妙な明るさを保ってここに居る人々を不気味に映し出した。不意に、裸電球を見上げていたフェリシアーノは菊が自分に寄り掛かってくるのに気が付き、慌てて彼女の名前を呼ぶが応答も無い。ただ、菊の体に信じられないほどの熱が宿っているのに気が付き、慌ててルートヴィッヒの名を呼んだ。
 それから一晩、菊は40度前後の高熱を出し全く収まる事は無かった。知恵熱にしては高すぎるし、“コチラ側”の物資では到底対応出来ない。このままでは確実に彼女は熱に浮かされたまま、死んでしまうだろう。ルートヴィッヒは悩みに悩んだ末、頭を抱えたまま、まだ夜も明けきる前にある場所に電話を入れる。ずっと前に菊を探しに来た男が、ルートヴィッヒに手渡した一枚の紙を見つつ。
 
 

C CHANGING OFFを施した脳に強い衝撃を与えてはならない。殊に、自分が一度死んだ事を教えてはならない。
 
 
 

 連絡が入って、アーサーは着る物も取り敢えず、急いで車に乗り込んだ。危険だという言葉を無視し、酷く荒れてしまっているだろう“ムコウ側”へとアクセルを踏んだ。初めてアルフレッドから『ヴェラ』一掃の話を聞いて、勿論止めにかかったのだが、やはり無駄だった。生存さえ怪しかった菊の首を、本気で絞める様な真似はしたくなかったのに……
 土砂降りとなった空の下、傘を差すのも面倒で、怪我人が床を埋め尽くしているとある病院らしき建物に立ち入った。その怪我人達をみやり、思わず心臓が跳ね上がるのが分かった。連絡してきたのは男で、ここに「菊が居る」という一言だけだったから、もしかしたら怪我人として運ばれてきたのかも知れない。そう思えばこそ、危険云々など関係無しに自分自身で訪ねたかったのだ。
身なりの良いアーサーがこの家に一歩足を踏み入れたその瞬間から、憎い“ムコウ側”の人間だと悟った人々が一斉に彼を睨む。が、そんなこと今のアーサーにはどうでも良かった。取り敢えず辺りを見回してそこに彼女がいない事を確認し、少しだけ安心しながら、もしかしてもっと重傷なのかもしれないと思い、再び鼓動が早くなった。
「……こっちだ」
 いつの間にそこに居たのか、向こうの部屋へと続くだろう扉から、一人の長身の男が立っていた。几帳面そうな顔に金色の髪を後ろへ撫でつけていて、その声で自分に連絡をとってきた男だと分かる。導かれるままに進むアーサーの後ろを、数人のボディーガードが続く。
 そしてアーサーが入った部屋で、彼女は寝かされていた。赤い顔に呼吸が浅めで額にじっとりと汗を掻き、どうやら高熱を出しているらしい事はすぐに理解できた。思わず走り寄りたいのを抑え、コトコトと音を立ててあれ程待ち望んだ彼女に近寄り、その汗で濡れた頬にそっと指を這わせる。
「……“コチラ側”の医療じゃどうにもならん。」
 苦々しげにルートヴィッヒと名乗った男が呟いた。その声色で、アーサーへの連絡は不本意だろうことが良く分かったし、彼が嫌な人間で無い事も理解できる。アーサーは菊の布団を捲り少しだけ屈むと、彼女の軽い体を腰の辺りと膝の下に腕を差し込み抱え上げた。グッタリとした菊の額からタオルが滑り落ちる。
「菊を、これからどうするつもりなんだ。」
 少々顔を伏せたままそう絞り出すように言ったルートヴィッヒの顔をアーサーは見やり、少しだけ目を細めた。
「今まで世話になったらしいな。約束通りの金は置いておく。」
 そのアーサーの言葉にカッとなってルートヴィッヒは声を荒げる。灰色の冷たい部屋に妙にルートヴィッヒの声は反響した。
「金の問題じゃない!……あんたらはみんな、そうやって俺たちの命を軽んじているのか。」
 アーサーはその緑の瞳を少しだけ大きくさせルートヴィッヒを見てから、アーサーにしては深く頭を下げてみせた。その意外な反応に思わずルートヴィッヒは驚いてアーサーを見やった。
「……すまない。菊は、オレの大切な人だ。悪いようにはしない。それとここの事も、知らせるつもりは無い。」
 丁寧な口調のアーサーを見下ろしたままルートヴィッヒはキツイ瞳を緩ませた。その口調と態度で、彼の言うことは嘘の様な気がしなかったのだ。アーサーは数秒その体勢をキープさせてから顔を持ち上げてルートヴィッヒに目配らせをすると、菊を抱え上げたまま部屋を後にした。扉から出て行く寸前にルートヴィッヒを振り返り、そして少しばかり瞼を伏せさせて申し訳なさそうに呟く。
「悪かった……オレにはどうにも出来なかったんだ。……出来る限りの事はする。」
 その悔しそうな口調に、思わずルートヴィッヒはハッとして顔を持ち上げるものの、もう既にアーサーは自分の車を待たせている車に向かって歩いていってしまっていた。