フィオーレ

かなり短めな小説です、卿菊でアルフレッド君(アーサーと菊のお子様)が出てきますごめん。
妄想も良いトコですが、それでもいい方のみお読み下さいませ。
 
 
 
 
フィオーレ
 
 
 
 季節の変わり目になると必ずといっていいほど、菊はよく体調を崩した。もうこちらに住むようになって随分経つというのに、未だ日本の気候の慣れから解放されないらしい。
 その事はとても彼女らしいのだが、やはり若干の淋しさを覚えてアーサーは小さなため息を洩らした。
「……ごめんなさい。」
 そのため息を聞いてしまったのか、それまで眠っているとばかり思っていた菊が、その熱で潤んだ瞳を見せ、擦れた声色で謝罪を述べる。
「悪い、起こしたか。」
 手を伸ばして菊の額に、その前髪を掻き上げ触れると、冷たくて心地良いのか、少しだけ目を細めた。
「別に怒ったりはしてないから、おまえは早く熱を下げることだけ考えてろ。」
 我ながらガッカリしてしまう程ぶっきらぼうにそう言うと、もう慣れてくれたのか菊は嬉しそうに微笑んで頷く。
 と、次の瞬間ドカリと重い音がして背中に結構な痛みが走った。ギャッ、と思わず叫びかけて菊の横になっているベッドに手を置き振りかえると、腕を組んだ少年が偉そうにたっている。
「ア、アルフレッド!」
 思わず、といった様子で菊は息子の名を叫び上半身を持ち上げるが、名を呼ばれた本人は5歳らしく唇を尖らせただけで別に何とも無さそうだ。
「もう、どうしておまえはお父様にそんなことなさるの?」
 元からの熱のせいに加わって恥ずかしさにか、菊は顔を真っ赤にさせ眉を歪めて、息子の頬をキュゥっと摘み上げると、アルフレッドは益々頬を膨らませてアーサーを睨む。
「だってそこはオレの位置だもん。たまにしか帰ってこない癖に、オレの場所とるからいけないんじゃないか!」
 舌足らずな喋り方なのだが、口にする言葉も口調もかなり生意気。つい最近まではアーサーにもまとわりついてきたくせに、この間長期の仕事から帰ってきたらすでにこんなことになって居た。
「またそんな口をきいて」
 珍しく眉をつりあげて怒る菊に、若干アルフレッドは引き気味になるが、それでもアーサーに対する敵対心はくすぶらない。
「たまにしか帰ってこない癖に、帰ってきたらきたで母様の事いじめるだろ。だからオレは怒ってもいいんだ!」
 ビシッとアーサーに向かって指差すアルフレッドに困惑してアーサーは菊に目線を遣ると、彼女もアルフレッドの真意を理解出来ずに小さくかぶりを振った。
「いつオレが菊をいじめたんだ?」
 アーサーは片眉を上げて問うと、アルフレッドはキュッと眉を持ち上げ、心持ち得意そうな顔をする。
「いつもだったら母様と一緒に寝られるのはオレなのに、たまに帰ってきて母様と一緒に寝て、母様の事泣かせてるだろ。声、聞こえるんだぞ。」
 瞬時走った沈黙の後、気まずそうにそっとアーサーは菊な目線をやると、アルフレッドが一体何のことを言っているのか理解出来ずにか、菊は暫しキョトンとしてから一気に顔を真っ赤にさせるとそのまま両手で覆い俯いてしまった。普段気丈なのだが、この手の事にはとことん打たれ弱いらしい。
「き、菊……」
 慌ててその肩に手を回して宥めようとすると、アルフレッドが「あっ!」と声を上げた。
「また泣かせた!」
 責めてくるかのような息子の視線に、年甲斐もなく思わずアーサーはムッと眉を歪める。
「おまえが泣かせたんだろ。……菊、子供が言うことだ……」
 これで「もう一緒に寝ません」なんて言われたら事は重大だと思いながら宥めるものの、中々菊は顔上げてくれないしアルフレッドは煩いし、熱でボーっとしていたせいか、菊は「もうお嫁に行けません……」なんて口走る始末で、取り敢えずアーサーは苦笑を浮かべて「その心配をする必要は無いと思うぞ……」と言ってやる事しか出来なかった。
 
 元来子供というのは乳母に預けてしまい、そこまで両親が面倒を見たりはしないものなのだが、(実際アーサーはそうして育ってきた)一応乳母は居るものの、菊が頑として自分が一番アルフレッドの傍にいると言い張るものだから殆ど菊がアルフレッドの面倒を見てきたことになる。
 妊娠時、あまりにも自身の足で歩こうとしなかった所為で、医師に筋力が今以上に落ちてもう二度と杖があっても自分の力で立ち上がれなくなるかも知れないなどと言われたのだが、動き回る子供に懸命に付いていこうとする事で彼女の足はどうやら最悪な結果とはならなかったらしい。あれほど心配されていた菊の足は、今でもゆったりとではあるが確実に動く。
 アーサーはそんな菊と自身の分身である筈の我が子を見下ろしたまま、取り敢えず腕を組んで黙り込んだ。ほんのつい最近まで、慕って飛びついてきたはずの我が子の姿は、まるでそこには無い。
「兎に角、今菊は熱が酷い。お前はあの部屋に近づくなよ。」
 ツイッとアルフレッドの鼻先に指を当てると、彼は眉をムッと持ち上げたままその手をパチンと叩く。
「何でさ!キクが熱出したときはいつもオレが傍にいるのに。」
「母親を名前で呼ぶな。」
 アーサーの真似でもしたのか、先程までちゃんと「母様」と言っていたはずなのに……と、ふにふになアルフレッドの頬を両側から摘み上げ、額に青筋を立てながら言うものの、アルフレッドはまるで効いていないらしくバタバタと暴れて何か怒っているらしい。コレを育て上げている菊を、今心底尊敬せざるを得ない。
「今日はオレがお前の面倒を見てやるから、何がしたいか言ってみろ。」
 絶対にむくれるとばかり思っていたのに、アーサーがそういうとアルフレッドはパッと顔を輝かせて「本当っ?」と子供らしい声を上げる。思わず驚いて頷くと、彼は目を輝かせたまま懸命に考え始めた。
「えぇっと……じゃあ森に行って、釣りもして、馬にも乗りたい。」
 指折りをしつつそう言うアルフレッドと向かい合えるようにアーサーがしゃがみ込むと、ウンウン悩んでいたアルフレッドは上目遣いにアーサーを見やって更に悩み出す。
「……でも、オレ達が二人だけで遊んだらキクが可哀想だ。」
 ポツリと漏らしたアルフレッドの言葉に、思わず笑みを浮かべながら「母親を呼び捨てにするなって」とその頭をはたいた。
 
「ねぇ、父様は母様が嫌い?」
 一面に花が咲いた野原の中、草に埋もれそうな程小さなアルフレッドがアーサーを見上げて問うた。思わずギョッとして「何だ急に」と問い返すと、彼は小さく瞼を伏せて俯く。
「だって、あまり家に帰っても来ないじゃないか。」
 子供らしく頬をむくらせてそういうアルフレッドを、苦笑を浮かべながらアーサーは見やって足下に生えていた野草を一本折った。鼻先に持ってくると微かな甘い香りがして、熱を持った彼女でもこの程度の香りならば気に障らないだろう。
「お前達を食わせていくためだろう。」
 アーサーのその返答に納得できないのか、アルフレッドは眉間に皺を寄せてアーサーを見上げ唇を小さく尖らせる。
「母様が可哀想だ……もし父様がいなかったら、オレが母様と結婚したのに。」
「無茶言うな」
 アルフレッドの言葉に思わず噴き出しつつ、アーサーは我が子の小さなその頭に手を置いた。不意にあの悪夢の様だった出産時の事を思い出すのだが、今ではなんてこと無い思い出の一つの様な気がするから不思議だ。
 
 靴の裏さえ拭いていない癖に、アルフレッドは玄関先に立っていた一人の人物をその大きな目で捉えた瞬間走り出しその足に抱き付いた。抱き付かれてよろける菊を慌てて後ろにいたメイドが支えると、泥だらけになったアルフレッドの頭を菊は嬉しそうに撫でる。
「もう熱は大丈夫なのか?」
 どうみても顔色が悪いのに、菊は背筋を伸ばして立ったままアーサーを見やって小さく肩を竦めて笑う。
「はい。折角アーサー様がお帰りなんですもの、熱も引きました。」
 アーサーは特に突っ込むこともなく「そうか」と頷くと、「取り敢えず中に入ろう。」と促し菊の腕を取り居間へと向かい、ソファーに彼女を座らせる。フェリシアーノによって開け放たれた窓から柔らかな風が吹き込んできた。
「そんなに泥だらけになって、父様にどこに連れて行って貰ったの?」
 泥が付いたアルフレッドの右頬を擦り菊が柔らかな口調で尋ねると、ニマッと笑ったアルフレッドがちらりとアーサーを見やるから、思わず頬を緩ませながらそっと菊に歩み寄って後ろに持っていた花束を差し出す。
「野草だが……さっき二人で摘んできたんだ。」
 一瞬、動きを止めていた菊がその瞳を丸くしてからそっと手を伸ばしてその花束を受け取り、自身の鼻先に持ってきてそっと瞼を伏せる。そしてゆったりとした動作でもう一度瞼を開けると、アーサーを見やってニッコリと微笑んだ。
「……ありがとうございます。とても、嬉しいです。」
 菊が笑うものだからアーサーがその前髪を持ち上げて笑い白い頬を撫でると、後ろにいたアルフレッドが頬を膨らませてジイッと二人を見やっていた。
「オレだって摘んだんだぞ。」
 菊の服の端を掴んで懸命に主張するアルフレッドを、菊とアーサーは苦笑を浮かべて見やり、菊が代わりにその腕を伸ばしてアルフレッドの頬をそっと撫でる。アルフレッドは嬉しそうにその瞳を細めた。
 
 夜になって再びというか、元からと言うか、菊は熱が上がり夕飯もろくに口に出来ず床についた。アルフレッドを寝かしつけて(結局は慣れたフェリシアーノが)、アーサーは浅い呼吸を繰り返す菊の横に座る。
 昼間取ってきた野草の香りが微かに匂う部屋の中で、アーサーはジッとゆらゆらとゆれる蝋燭の炎の影に浮かび上がる菊の顔を見やった。
 前々からよく体調を崩していた菊の事を思うと、例え今と言わずもいつか訪れるだろう事を考えずにはいられなくなる。なまじっか、彼女自身の目標としていた子供が生まれた事もあり脆くなっているのではないかと思うと恐ろしい。
「……私は大丈夫ですからもう寝て下さい、アーサー様。」
 やはり寝ていたとばかり思っていた菊が微かに瞼を持ち上げて炎のオレンジ色に染まった瞳でアーサーを見やり、掠れた声でそういって微かに笑う。
「オレの事は気にしなくていい。」
 そう言ってから自身がここにいる事が逆に彼女を緊張させてしまっているのかと、今更になって少々不安になる。菊は黒い瞳を微かに細めて、白い頬を熱で赤くさせながら困ったように瞳を伏せた。
「……仕事をしなくても良い身になったら、田舎に引っ越そう。空気もここよりマシだろう。」
 身を屈めてそう言うと、菊は何も応えずにただ微かに口の端を持ち上げるだけ。
「一緒に行こう。それまで……」
 紡ごうとしていた言葉を飲み込み、アーサーは軽く眉間に皺を寄せて口を噤むと熱で熱くなった菊の頬に顔を寄せた。ちょっと触れただけで菊の体温が熱いのが分かる。
「……はい」
 やっと呟いた菊の言葉を聞いて、アーサーは嬉しいのか思わず眉尻を下げて笑った。そのまま菊のベッドに座り彼女が寝入るのを見届けてから、音を立てないように立ち上がり蝋燭の火を吹き消す。
 部屋を出る寸前に振り返り、戸惑いながらも小さく小さく「……菊、愛してる。」と呟くと、今度の今度の今度こそ寝入っているとばかり思っていた菊の声が「はい」と暗闇の中で聞こえた。