学園パロ

 全くもっと清々しい程の青空と、その青空の横に付いたもこもこの白い雲が、自分達二人を酷く孤立させている様だった。線香に満ちたこの世界の後ろでは、残された財産について早くも卑しいハイエナのごとく親戚が集まって話しをしている。まだ自分は少年期を抜けきっていない、それ故幼い妹を連れて一人でふんばるだけの力が無い事を、あの連中は知っていて、それで財産欲しさに自分達兄妹の間を引き裂いてしまうつもりなのだ。
 泣くことすら止めてしまい、隣でぼんやりと黒光りする墓をじっと見つめた妹を、チラリと見やった。もしも妹が一人で見知らぬ家に引き取られるとなったら、どんなに彼女が辛い思いをするかなんて、それこそ火を見るよりも明らかだ。だったら少々生活が辛くても、専属のお手伝いが居なくても、兄妹が二人で一緒に暮らせる世界の方が断然幸せなのだろうと思う。
「日本」
 名前を呼び、もう一度彼女を見やろうと隣に目線をやる、が、そこにはただポツンと彼女が持っていたはずの線香の束が砂利の上にばらまかれていた。慌てて後ろを確認すれば、そこにはやっぱり誰一人居なくて、どこにも愛しい妹の姿は見あたらない。
 呆然と立ち竦んだ自分の合間を縫って、酷く涼やかな風が一つ吹いた。
 
 
 
 露日?  
 
 
 
 パッと目を覚ますと、全身にじっとりと冷ややかな汗をかいていた。何時の間に寝てしまったのか、時計はとっくに学校が終わっただろう時刻を指し示している。けれど昨晩一睡も出来なかったのだから仕方が無いのかも知れないが、あまりにも夢見は最悪だった。
 日本が院内の集中治療室に運び込まれてからもう丸一日が経ち、長時間に渡る手術がやっと終えたというのに未だに日本は目を覚まさない。ベッドを借りて泊まり込んだのに、やはり進展は無いらしい。
 目の前で昏々と眠る彼女は、その心音とは無関係にもう息さえしてないように思えて、酷く恐ろしかった。その寝顔を見ながら冷たくなった指先を懸命に摺り合わせても体温は戻らないし、不安は全く消えてはくれない。
 結局肋骨が二本折れ、背中と後頭部を強打していたというが、詳しい説明の時は意識が朦朧としてあまり覚えては居なかった。何もかもが嘘だったらどんなに良かった事かと、そればかり頭から離れない。
 何時の間に置かれたのか、二束の花束が中国の椅子の横に置かれていた。
 
 
 中国まで学校を休むようになって四日程経った頃、中国が過労で倒れた、なんて噂まで流れはじめる。頭を割りと強く打っていたらしく、今だに彼女は眠り続けているらしい。と、面白いほど噂の的にされていた。
 その噂の渦中に居る筈であるロシアは、それでも誰にも声を掛けられる事なくぼんやりと椅子に座り頬杖をついている。
「あのぅ、ロシアさん。」
 放課後の騒がしい最中、突然背後から声を掛けられ振り向くと、いつもの様にポツンとリトアニアが生徒会の資料を抱えて立っていた。それまで意識が空中を彷徨っていたロシアは、やっと今日生徒会が入っていた事を思い出し重い腰を上げる。
 見慣れた生徒会室の一つの席だけがポカリと空いているのを横目で見やり、ゆったりと自分の席に着いた。が、生徒会長の癖にイギリスまでもどこかに意識がとんでおり、ひどくグタグタのままその日の集会は終わってしまった。
 もともと細かいところを仕切っていた中国はいないし、イギリスが腑抜けて居るのだから当然な結果であろう。ため息を吐き出しロシアが立ち上がると、それに続きリトアニアも立ち上がった。
 寮へと続く道に差し掛かった頃、ふと思い出したかの様にリトアニアが顔を持ち上げてロシアを見やった。
「……そういえば、先程聞いたんですが、日本さんの容体が急変したらしいですよ。」
 一応様子でも見ているのか、リトアニアはその女の子の様に大きな瞳を恐々ロシアに向ける。
 その態度から疑ってしまう程にどうでもよさそうなロシアなのだが、今回の事件に関わっている限り興味があるのかとその話題を出した。けれどもロシアはどうでもよさげに「ふぅん」と呟いただけ。
 
 静まりかえった自室に荷物を置くと、ゴロリとベッドに横になり天井を見上げる。そしてぼんやり考えはじめた。
 彼女は、あの時自分に「かわいそう」と言った。本当の事をいうと、あの「かわいそう」という言葉の真実の意さえ、良く分からなかった。当然の事ながら、自身は自身の事をかわいそうだなんて微塵も思っていないし、小さな頃からそんな事思ったことさえない。
 ゆったりとした動作で手の甲を顔に押し当て、大きく息を吸い込む。
 
 
 暗闇の真ん中で目を覚ますと、ゆっくり上半身を持ち上げたあがりで、やけにココが寒いことに気が付き軽く身震いをした。そっと立ち上がって周りを見ても、音も一つの光も無く、孤独ばかりがただ横たわり、日本は困り果て眉尻を下げて歩き始める。
 自身の足音すら聞こえない世界をひたすら歩き続け、やがて遠くで小さな小さな声が上がっているのに気が付き、思わずそちらに向かって走りだす。どこまで続くのか分からない世界を走っているのだけれども、息も上がらないしどこも疲れない。不思議なほどの開放感と心地よささえ覚えるほどだ。
 そしてやがて辿り着いたのは大きな見覚えのある扉で、声だと思っていたのはその扉の向こうから響く新世界交響曲、つまり夕方に流れる放送だった。しばらくその扉を見つめていたのだが、日本は小さく息を吸い込み気合いを入れると、そっと力を込めて押す。と、音を立てて扉が開き、真っ黒だった世界が瞬時扉の向こう側からなだれ込んだ夕焼けのオレンジ色に染まった。
 風が吹き込み日本の頬を撫でて通り過ぎると、開けられた窓の白いレースのカーテンが膨らんだ。日本はぼんやりと辺りを見やり、前の自身の部屋があまりにも綺麗に再現されていることにひどく感心してしまう。そうして一通り見回した後、窓の前に立った一人の少女に気が付き思わず目を見張る。
 その姿は自身だった。自身の幼い頃の姿だった。
「……こんにちは」
 何と言っていいか分からずに、一言そう声を掛けると、幼い頃の自分は小さく首を傾げる。日本はしゃがみこんで幼い頃の自分と目を合わせた。こんなにも冷静なのは、どこかでこれは夢だと理解していたのかも知れない。
「どうしたんですか?」
 笑ってそう日本が尋ねると彼女は、今の今まで泣いていたのだろう黒く潤んだ瞳を日本に向けた。
「本当は、一人は嫌です。」
 小さく首を傾げた彼女が、控えめに小さくそう囁いた。あまりにも突然なその言葉に、日本はちょっとだけ瞳を大きくさせてから、小さく微笑む。……そういえばこの頃自分には、誰一人として居なかった。母も父も兄も、自分を邪険に思っている気がして、いつも部屋に閉じこもっていたのだ。
「大丈夫、きっとすぐによくなります。もうちょっとの我慢です。」
 笑ってそう言うと、小さな分身は大きく瞬きをしてみせる。確かもうすぐギリシャと会い、兄と仲良くなる筈だ。悲しい事も沢山起こるし、嫌な体験もするけれど、それでも生きていて良かったと、今は確実に思えた。
 そう考えた瞬間、兄がどれほど今自分を心配しているだろうと、そう頭をよぎる。否、兄だけでは無い。もっともっと沢山の人に出会い、その人達の何人かでも自分を心配してくれているかも知れない。心配といかなくとも、考えてくれているかも……
 沢山の人々が頭を過る中、不意に灰色の目をした巨体の男の顔が浮かび、日本は一人驚く。到底自分を心配しているとは思えなかったのに、車にひかれた時最後に見た顔だったからか、頭からどうしても離れなくなってしまった。
 そう頭を悩ませた時、一番大切なことを思い出す。そうだ、確か車にひかれて気が付いたらこの世界に来ていたのだ。と。もし死んでいないなら、どこにかは分からないが、もう帰らなくてはいけない。
「……私、もう帰らなくちゃ……」
 呟いてから顔を持ち上げると、つい先程まで幼い自分だった筈の子は、灰色の瞳を持った少年に変わっている。日本はハッと息を飲み込みその少年を見つめた。『彼』の事を考えていた所為か、その少年はどこまでもあの巨体の男とその顔つきだけは酷似している。
「もう帰っちゃうの?」
 顔はロシアにソックリだというのに、その声色も悲しそうな顔も全く違い可愛らしく、日本を見上げたその顔は子供らしい。驚いていた日本はその表情を見て思わず頬を緩め、彼の頭をそっと撫でて笑った。どうせ夢ならば、何が起こっても不思議では無いのかも知れない。
「すぐ、会いに行きます。」
 日本のその言葉に、少年は顔を持ち上げ、少しだけ不安そうに尋ね返す。
「本当?」
 疑り深い声色で問われた言葉に、日本はにっこりと微笑んで深く頷きもう一度少年の頭に手の平をあてがい撫でる。
「はい、本当です。」
 日本がそう言うとゆっくりとした動作で立ち上がるのを見送りながら、少年は眉を歪めて泣き出しそうな顔をした。そして小さく「ごめんね」と呟いた。
 日本は笑って首を振りドアノブに手を掛けると、追って後ろからまた少年の声がする。
「どうしたら、どうしたら一人じゃなくなる?」と。
 閉めかけていた扉の向こうから、オレンジ色に染まった綺麗な顔の少年を見やり、日本はうっすらと微笑み口を開く。
 
 
 面会時間ぎりぎりに病院に駆け込み、肩で息をしながら病室に目線をやり、そして大きく溜息を吐き出し思わず己の額に手を当てる。
「どこが……」
 先程リトアニアが言った言葉を思い出し舌打ちをし、ロシアはやっと室内に足を一歩踏み入れた。自身が大嫌いな消毒薬の臭いが充満し、白いベッドにはこれまた血の気が失せて白くなっている彼女が寝かされている。
 中国はそのベッドの横に置かれた椅子に座り、ベッドに突っ伏して眠り込んでいた。確かに目は覚ましていないようだが、別段悪化しているわけでは無いのが見て取れる。
 起こしてしまうとうるさそうなので、中国には気付かれないようにそっと中に忍び込んで椅子に腰を下ろし部屋中を染め尽くす窓の外から見える夕焼けを眺めた。夕方の放送か、外からは新世界交響曲が流れこんできて、一体いつぶりにこんなにもじっくり夕焼けを眺めているのだろうと不意に思う。
 まさか自身までもが噂に乗せられ、こんな所まで来てしまうとは思っても居なかったから少しだけ面白い。何人かが既にお見舞いに来ているのだろう、花瓶にいけられた華の他にも更に一束、花瓶の横に置かれていた。
 まるで日常の一部の様に感じるそこに座り、暫しぼんやりと時間が経つのを感じた後、まるで寝入っているだけの様に安らかな顔をした彼女の頬に、そっと指を伸ばした。頭に巻かれた包帯もまるで嘘のようで、否、彼女自身がまるで人形の様な気さえする。
 ただ安定した心音が部屋に響き、目を瞑るとまるで彼女の心音と新世界交響曲が一つの音楽であるかの様だ。その中で、ふと前に言った彼女「あなたはかわいそうな人」という言葉がまた頭を過ぎり、ロシアはその細長の目をまた小さく開く。
「本当は……」
 誰にも聞こえないように、小さく囁いてみるけれども、長年仕舞ってきた言葉は凝り固まって言葉には成り得ないし、ロシア自身その次になんて言ったらいいのか、本当は知らない。
 もしも自分と彼女の立場が入れ替わり、あの時車に轢かれたのが自分であったなら、誰か一人でも悲しんでくれただろうか。悲しんでくれた所で、自分には何一つの利益などないというのに、その答えを知るのが酷く恐ろしい気がした。どれだけ自分が一人で居るのか知るのが、怖かった。
 だからいっそ、自分の感情を押し殺したのかも知れない。
 そこまで考え、ロシアは自分が考えている事に驚いた。どんな答えを追っているのかも分からないその考えが、自分を追い詰めていく気がして逆に怖いのに、一度考え始めると止まらない。
 本当は子供の頃両親と一緒に居たかったのかも知れない。素直に向かい合える友人が欲しかったのかも知れない。けれども、そう思う自分がとてつもなく弱い生物な気がして反吐が出る。
 目を瞑り新世界交響曲と日本の奏でる生きている音を耳にしながら、小さく眉間に皺を寄せて思う。胸中で小さく小さく、どうしたら……。と。
 永遠に口からは出てこないだろう問いかけを、自身素直に受け止められないその呟きを胸中で繰り返したその時、掠れてしまった上に酷く小さな、声がした。
「……笑ったら、いいと思います……」
 自分でも中国でも無い第三者の声に驚き、ロシアは瞑っていた目を開いて寝入っているとばかり思っていた彼女に目線をやると、彼女は真っ黒な目をコチラに向け、呼吸補助のマスクの下で薄く笑う。驚き言葉を失ったロシアは、取り敢えず隣で寝ていると思われる中国を、日本に目線をやったままバシバシ叩いた。
「い!?……いたっいたいあるっ!!なにす……ってギャァァァ!ロ、ロシア!なんでおめぇが居るあるか!」
 起きて早々酷くうるさい声を上げながら、中国は更には椅子を後ろに倒しながら立ち上がり、猫の様に警戒する。が、ロシアは兎に角それどころではない。
「そんな事より、君の妹が……」
 そこまで言いながら、言うのが面倒になったのか中国の襟元を摘み上げると日本の顔が見えるところに置き直す。と、それまで警戒していた筈の中国の顔が崩れ、瞬時泣き出しそうな表情に変わる。
「に……日本……」
 そう名前を呼んだ中国に、日本は笑って、けれどもまだ肋骨が痛いのか小さな声で「はいっ」と返した。
 
 
 
 その日も一応病院に寄ったものの、日本は目を覚まさないし中国は家に帰りたくないと駄々をこねるしで大変だった。仕方なく家に戻っていつも日本がいる台所に立つイタリアの包丁の音を聞きながら、ドイツは溜息をいくつも吐きながらもテレビを見ている。
 そこに電話が鳴り、ドイツが立ち上がるよりも早くにイタリアが駆け出し受話器を取った。仕方なくまた座り直そうとしたその時、「ヴェー」っと激しい声を上げて泣き出す物だから、慌ててイタリアに駆け寄る。
「誰からだっ?」
 そう問うと、涙を拭いながらしゃくりの合間に「ちゅ、中国」と紡ぐから、「まさか日本の容態が悪化か!?」と脳内を過ぎり慌てて受話器を受け取り耳に当てる。
 が、中国から告げられた言葉に、ドイツは思わず頬を緩めた。
 
 
 授業のプリント、林檎、花、本、と色々な物が置かれていく病室で、ぼんやりと日本は窓の外を眺める。オレンジ色に光る空を、なぜだかとても懐かしいものの様な気がして、ちょっとだけ目を細める。毎日毎日、メンデルスゾーンの新世界交響曲はこの空に鳴り響く。
「しかしお前、どうしてそうちょくちょく来るあるか。」
 若干の憤りと、多大なる諦めを込めて兄がそう呟くのを聞き、日本は彼の方に顔を向けた。兄は花瓶の水を入れ替えていて、彼、ロシアはいつもと同じ椅子に座りながら小さく方を竦める。
「これでも一応責任の一端は感じてるからね。」
 本気なのかそうでないのか、いまいち掴めない、いつもどおりの彼のセリフを聞いて思わず日本は呆れたように笑う。今まで彼に感じていた怖さが、この間の夢のせいか綺麗に消え去ってしまった。
 中国の方を見やっていたロシアが顔を戻し、日本と目が合った瞬間ちょっとぎこちなく笑う。いつも凍りついているような灰色の瞳が、夕焼けに溶かされたかのようにその冷たさを失い、笑った。