土日 ※ 土日、パラレル、アラビアンファンタジー、お菊はにょた
 
 
 楽しそうに口笛を吹くサディクを見つけ、たまたま屋敷に足を運んでいた顔なじみの友人が彼に片手をあげて声を掛けた。サディクはいつもながら仮面を被っており、その表情までは見えない。
「上手くいったのかい?その様子なら、うまくいったんだよなぁ」
 高い笑い声を漏らす友人の顔を見、サディクは盛大に口の端を持ち上げて見せる。声は一つも漏らさなかったけれども、その笑顔だけで十分に返事となるだろう。
 サディクの友人は、微かに苦笑を浮かべて肩を竦めると、大きく手を広げて見せた。太陽はいつものごとく燦燦と照らされていて、サディクの豪邸の池の表面がキラキラと光っているのが見える。
「こんだけ恵まれた地位を持ってるのに、良くやるよなぁ……」
 あきれ顔でそう溜息を吐く友人に、サディクも大理石にそのまま腰を下ろして、楽しげに首を微かに傾げて見せた。友人はそのサディクに向かい軽く身を乗り出すと、表情の分からないその顔を覗き込む。
「あんだけの護衛を並べて、一体何を運んでいたんだ?」
 サディクが外国人集団に狙いを定めて襲う前、ちらりとその行列を目にしていたから分かるのだが、あれほど厳重に運んでいるものなのだから、やはり相当なものだったのだろう。
「なぁに、大した宝石も布も、刺繍も絨毯も運んじゃいなかった。」
 それにしてはえらく上機嫌なサディクの様子に、暫し男は不可解そうな顔を浮かべるが、やがて理解したのか、ハッと目を大きくさせた。
「まさか……」
「……だからあんたにゃぁ、見せれねぇな。」
 クツクツと喉を、それは楽しそうに鳴らすサディクの顔を、男は小さく唇を尖らせてサディクの顔を見やる。サディクは酷くご満悦そうに笑うと、男が持っていた篭から林檎を一個取り出し歯を立てた。
 
 
 『 Araubian Gece 』   - アレイビアン ゲジェ -
 
 
 菊はいつの間に気を失っていたのか、真っ白な部屋の中目を醒まし、ゆったりと頭を持ち上げて周り見渡したけれど、やはり全くその世界に見覚えはない。見知らぬベッド、見知らぬ綺麗な刺繍が施されたクッション……そして奴隷の部屋の様に鉄格子がはめられている。
 最後の記憶は一体何だっただろうかと、思わず懸命に記憶を辿るのだが、頭の奥が微かに痛んでどうしてもその作業に集中出来ない。菊はこめかみに指先を当てて眉間に皺を寄せる。
 その時、部屋の外から足音が聞こえて菊は顔を持ち上げると、鉄格子の向こうに一人の男が立っているのを見つけ、思わず目をを大きくさせた。彼は、白い不思議なマスクを目元だけ付けて、口元には楽しそうな笑みを浮かべている。
「おう、起きたかい。」
 クツクツと喉を鳴らして笑う彼ののど仏を見つめながら、思わず菊は身を縮めて身構えた。彼の後ろには一人の黒人が冷ややかな目で菊を見やり、そしてマスクをつけた男の服装は煌びやかで宝石がいかなる場所にも散りばめられている。
 その雰囲気からも、マスクの男が相当身分が高い人間なのだろうことが分かったし、黒人を宦官として奴隷に使う人々がこの地域の、それも相当な身分の高い人々のしきたりの様に定着していると聞いていたからだ。
「ここは俺のハレムだ。あんたは今日からここで暮らす事になるんでぇ。」
 そう言いながら牢を開ける音が聞こえ、菊は目を鋭くさせて彼の動きを見つめ、部屋に足を踏み入れたその隙を突き、服の中に隠していた短剣を勢いよく引き抜く。普段扱っているソレとはまるで違い為か、瞬時に踏み込みを計る事さえ出来ずに思いっきり飛び込まざるを得ない。
 瞬時に仮面の男はその刃から逃れるが、間髪入れずに菊はまた踏み込み装飾が施された短剣を彼に向かい繰り出した。カシュッと小さな音が鳴ったかと思うと、彼の頬から耳の付近にまで細く薄い一本の赤い線が走り、小さな血の玉が浮かぶ。
 そしてそれと同時に、彼の目元を覆い顔を分からなくしていたその仮面がスルリと取れ、鋭く、そして楽しそうな彼の瞳が顕わとなる。
「サディク様!」
 外で奴隷らしき男が声を上げるのだが、彼が入ってくるのをサディクと呼ばれた男は片手を上げて制し、口の端を持ち上げて不適に笑った。菊は一瞬眉間に皺を寄せ不可解そうな顔をしたが、刃物を持った手を休めようとはしない。
 空気を斬る音だけが鳴る中、サディクは器用に菊が繰り出すその刃を避けていく。サディクの先程切れた頬から、微かに血が滲んでいる。
 頸動脈を的確に狙って繰り出されたその刃を微かに体を動かすだけで避けると、菊の細い腕を掴み、グイと自分の方へ引き寄せた。菊はバランスを失いよろけると、サディクは菊の首をグッと掴んだ。
 少し力を込めれば潰れてしまいそうな程に細い首にギリギリと力を込めていくと、菊は徐々に肩を震わせ苦しげな様子を見せるが、それでも尚ナイフを振りかぶろうとし、簡単に叩き落とされる。
「この国では、女は畑と一緒なんだぜぃ。女には男の子供を生むことしか望んじゃいねぇ。」
 鼻が合うほどに顔を近づけて、苦しそうに微かに舌が見える菊の唇を見やり、満足そうに笑って藻掻く菊の体を床に叩き付けた。急に空気が肺の中に入ってきた物だから、菊は盛大に咳き込み背中を丸めて、それでも潤んだ黒い瞳でサディクを下から睨め付ける。
 それを見やったサディクは、「おうおう怖ぇな。」と楽しそうに小さく呟き、床に落ちていた菊の短剣を拾い上げると、そのまま何事も無かったように部屋の外に出て行ってしまった。
 
 彼は暇さえあれば来るらしく、菊は置かれたクッションの上で横になったまま、こちらを見ている彼の仮面を睨み、その視線を反らさない。彼は、朝方差し入れられた、全く手つかずな菊の食膳を見やりずっと浮かべていた笑顔を消す。
「もう二日も食ってねぇのかい。」
 苦々しい声色でそう言うと、体さえ動かせない菊に向けて小さく舌打ちをしてガチャガチャと音をたてて鍵を開ける音がした。菊は体を小さくを震わせて無理矢理上半身を起こし、入ってくる大きな体を見上げながら、身構える。
 彼は身を屈めると菊の顎を捉え上を向かせ、右手に持った瓶を傾けて菊の口を無理矢理こじ開けて、瓶の中の水を注ぎ込む。
「飲め。」
 冷えた声色でサディクは瓶の中の水を菊の口内に注ぎ込んでいくのだが、大半が漏れて菊の首、胸元を濡らし菊の服を濡らした。やがて口元から瓶が離れると、菊は口内の水を全部床に吐き出す。
 瞬時額に青筋を立ててサディクが腕を大きく振り上げた。けれども菊は怯える様子を見せずに、ただギュッと眉間に皺を寄せてサディクを睨み上げる。
 数秒、サディクは腕を振り下ろすことも出来ずに二人はただ睨み合う。折れたのはサディクが先で、サディクはもう一つ盛大に舌打ちをすると、横に置いていた瓶を手に取り、まだ中に入っていた水を、菊に思いっきり掛けた。
「頭ぁ冷やしとけ。」
 俺に逆らうはない方がいいぜぃ。そんな捨て台詞を言い置いて、彼はそのまま出て行ってしまう。菊は濡れた体を抱いて、頭の中がクラクラするのを覚えながらクッションに横になった。
 目を瞑ると、その時になってやっと恐ろしさでもやってきたのか、菊は奥歯が噛み合わなくなるのを覚えて、更に強く体を抱きしめる。ここには小さな窓が、高い位置に一つしか付いて居らず、殆ど明かりなど入っては来ない。
「……兄さん。」
 ポツリと小さく呟くと、瞼の裏で笑っている懐かしい姿が浮かぶ。心配しているだろうか?否、心配など……
 最近訪れなかった眠気に突如襲われ、それ以上何も考える暇さえ無いまま、菊はドロドロとした眠りに落ちていく。
 
 
 水パイプを肺の奥まで深く吸い込むと、甘いフルーツの薫りがする煙を吐き出す。サディクは横になり足を投げ出していて、参謀の現場にしてはいやにゆったりとしていて、臣下は一様に曇った表情を浮かべている。
「これ以上国を大きくなさる必要がおありか……」
 軍司令官であるパシャがそう唸るように言うと、水パイプから口を離し、ペロリとサディクは軽く唇を舐めた。顔は殆ど仮面に隠されて見えないけれど、口元にはしっかりと笑みが刻み込まれている。
「俺は、親父みたいに女に囲まれるだけで満足したりしねぇんでぃ。」
 確かに先代のスルタン(王)は情欲にばかり捕らわれていて、周辺国家との諍いにさえあまり頭を使っていない節があった……その為、軍司令官や将軍などのパシャが、現在軍事権の実質的指導者である。それが、サディクには気に入らないのだろう。
 色情などに狂っていた父親を、バカにすれど微塵も尊敬の念など持ってはいなかった。事実今でもサディクは、唯一神の為に祈りは説いても、それ以外の全ての物には何等愛情さえ抱いてはいない。
「それに今、どんだけ周辺国からバカにされてるか、わかんねぇ訳でもあるめぇ。」
 そこにきてようやく重たそうに上半身を持ち上げ、気怠そうに起き上がって胡座をかいた。
 ここは、この国は東と西の中間点であり、文化の融合点である。それが故に貿易で富が入ってくるのと同時に、他国から狙われる要因になりえるのだ。少しでも隙を見せれば、そこを狙われるのは必須だろう。
 それにも関わらず、先代のスルタンは殆どの業務をほったらかして女の尻ばかり追いかけていた。……ハレムなど、馬鹿げた組織だとしか思えない。
「まぁいい、兎に角収穫が終わる頃に交渉が決裂次第、攻め込むつもりでいろぃ。」
 床に、高い水パイプの吸い口を乱暴に置くと、サディクは立ち上がり首を鳴らした。そこに居た人々は一様に背筋を伸ばし、恐る恐るサディクを見上げるが、彼はやはり笑顔をその口元に浮かべている。
 
 会議らしい会議など出来なく、それでも深夜に入り寒さを覚えてサディクは小さく身震いをして、腕を擦った。日中は暖かいのだが、やはり夜中から早朝は冷え込む。
 鉄格子越しに、差し入れた飯に蝿がたかっているのを目にしてサディクはまた顔を顰めた。そんなに気に入らないならば、いつもの様に殺してしまえばいいじゃないですか。と宦官に言われたのだが、どうしてもそんな気にはならない。
 寝入っているのか、彼女は自分に背を向けて横になっていた。暫くその姿を薄暗い明かりの中眺めるのだが、ふと、どんなときも彼女は足音さえ聞こえれば目を醒ましていたことを思い出す。
「おい、生きてるかィ?」
 思わず声を掛けるのだが、それでも彼女はピクリとも動かずに横たわっている。もう一度声を掛けるも、やはり少しも動かない。
 慌てて扉を開けて中に踏み込むと、クタリとした彼女の体を抱き上げる。最初流石に栄養失調でも起こしたのだろうと思ったのだが、抱き上げると体に籠もっている熱がありありと分かった。
「薬持ってこい!あと服だ。」
 外で待機していた奴隷に、サディクはそう呼びかける。彼女が身に纏っている服は、未だに水に濡れしっとりと冷たくて彼女の体を冷やしている。取り敢えずそれを脱がせようとした時、そこでやっと意識を取り戻したのか、彼女の指がサディクの腕を掴んだ。
 開かれた目は熱で潤んでいるが、それでも尚サディクを睨むのを止めようとはしない。けれどもサディクは気にせずに菊の着込んでいた服の裾を緩めて脱がし始めた。
「触るなっ」
 初めて聞いた彼女の声は熱で掠れていて、サディクの腕を振り解くほどの力さえ残っては居ない。ただほんの微かな足掻きをするばかりで、簡単に素肌が顕わになっていく。
 悔しげな彼女の瞳から微かに涙がにじむ。
「そんな顔すんじゃねぇ。誰がこんな可愛げのねぇ女を抱くかってぇんだィ。」
 ほぼやぶっていく様に彼女の服を脱がしていくと、下半身に纏っている服装はそのままに毛布を一枚かぶせ、肩へと担ぎ上げる。彼女の小さなうめき声を聞くが、そんなことを気にせずに僅かな明かりを頼りに、病院に向かい歩き始めた。
 
 用意された服を着させ、柔らかなベッドの上に寝かせると医師に持ってこさせた小皿を、サディクは受け取る。けれども彼女の口に当てるのだが、尚首を振り菊は飲もうとはしない。
「おい、いい加減にしやがれってぇんだ!」
 そう思わずサディクが声を荒げるのだが、声を荒げた瞬間に彼女の肩が震え、怯えた黒い瞳と出会うものだからそれ以上何も言えずに苦々しそうに口を閉じた。数秒の沈黙の後、サディクは大きな溜息を吐き出す。
「分かった、これ飲むんなら帰してやらぁ。」
 半ばやけっぱちでそう言うと、菊は目を大きくさせてサディクの顔を見やる。それからゆったりと小皿に視線を向け、サディクの手に自身の手を重ねて、やっとその中身を飲み始めた。
「苦ぇだろうが、我慢しな。」
 辛そうに顔を顰めた菊に対してサディクはそう笑うと、逃れられないように菊の頬に優しくだが手を当てる。皿の中を空にしてしまうと、サディクは片方の唇を持ち上げて満足そうに笑う。
 彼は空になった皿を医者らしき男に手渡すと、今度は彼に何か耳打ちをするが、菊のところまで届かなかった。不安そうな顔をした菊の方に一瞬仮面越しに彼は視線をやると、安心させる様に軽く肩を竦める。
「後は何か口に出来るもん持ってこさせるから、食って寝ちまいな。」
 やがて差し出された料理の、熱の所為かヨーグルトだけにしか手を出せずにそのまま寝入ってしまった。
 
 
 最近慣れた牢獄のような部屋とは違う、刺すような朝日に揺り動かされて菊は気怠そうに目を開く。熱は下がりきっては無い様だが、昨日よりはまだマシではある……それでも栄養がまるで足りていなく、立つことはおろか、体さえ動かせずにそのままの体勢で首を動かし、隣りに視線をやって思わずギョッとして立ち上がり掛け、出来ずにただ肩を震わせた。
 たったそれだけの動作でも目が覚めたのか、仮面を外していた彼は小さく唸り、ゆったりとその瞳を外気に晒す。しばらくぼんやりとしていたのだが、彼はやっと場所が把握できたのか体を起こし、部屋の隅に待機している宦官に顔を向けた。
「なんでぇ、なんで起こさねぇんだィ。」
 眠気と怒りどちらを含んでいるの分からない声色で彼がそう言うと、宦官はまるで表情を変えずに「お声を掛けたのですが、起きられなかったので。」とスラリと言う。
 宦官の言葉を聞くと、サディクは「そうかい」と軽く言って手をヒラヒラと揺らしただけでこの会話を打ち切った。
「それよりも飯はできてっかい?」
 ベッドの上に投げ出されていた仮面を探してまた顔に当てると、彼はそのまま軽く立ち上がり、ふと菊を振り返る。
「あんたはもっと栄養摂って元気になったら、どこへでも届けてやらぁ。」
 サディクのその言葉に、菊は無理矢理体を起こそうと奮闘するけれど結局上半身しか持ち上がらず、そのまま小さく首を傾げてサディクを見つめた。
「……私の名前は、菊です。東洋に住んでいました。」
 まだ拙いこの国の言葉に彼女はそう言うと、もう力が入らないのかそのままベッドの上にポスリと倒れ込む。サディクはいつもの笑みでは無く、不思議な程に無表情で菊の名前をもう一度呟いた。
 
 ハレムとは兄の国で言うところの後宮であり、一人のスルタン(王)はそれこそ沢山の女性を囲っている(性的な意味で)という話だったのに……と、菊は今夜もお供を一人引き連れて病室にやってくる彼を見やった。
 夜やってきては、ただ話をしていくだけだ。それは菊の国についてだったり、サディクの国の事についてだったり、または音楽や物語についてだったりして、一体何がしたいのかまるで分からない。
 最初は変に勘ぐってみたけれど、菊の体力が戻ってきても尚、彼は会話をするためだけにここにやって来る。自分の国の有名な物語なんかをすると、彼は酷く楽しそうにその話を、ただ頷きながら聞いていた。
「あんたはあそこで何してたんでぇ。」
 そう菊が中々高い地位に居ただろう事を理解したサディクが、この国に行列を作っていた理由を尋ねると、菊は一瞬目を大きくさせてから、悲しそうな表情で俯く。
「本当は私、帰るところなど何処にもありません。」
 菊の言葉が終わると、サディクは仮面越しでも驚いた様子を見せて横になっていた体を持ち上げて菊と向かい合う。サディクと枕を共にすると勘違いをした臣下が菊の体にまぶせたらしき、きつい香水の香りがする。
「私の父はある男に殺されました。それまでは何不自由の無い暮らしをしていたのですが……それで行き場を失った私を、異母兄妹である兄が、引き取ってくれたんです。」
 父親の死体は、大きな松の下にあり、背中に深い刃物の傷を受けている事以外には何も分からなかった。ただ金品の類が亡くなっていたから、物取りの無差別犯行だろうと当時は言われていた。
 結局何も解決せぬまま月日は流れていき、菊が年頃になると一人の男が結婚を申し込んできた。菊とは親子ほどに年齢が違う男であった。
「でも私、見てしまったんです。私の家の紋が入った財布が、あの人の家にあったんです。」(本当は印籠なんですが間抜けなので)
 そこまで思い切った様子で言った菊は、ゆったりとした動作で顔を持ち上げてサディクと泣き出しそうな目を合わせる。
「それで、怖くなって兄に相談したら、ほとぼりが冷めるまで国外に居た方が良いって……兄の傍に居ると直ぐに見つかってしまうから。
 もし全部解決したら、直ぐに呼び戻してくれるって約束したんです。でも私が居たら、きっと邪魔になるだけ。」
 俯いた菊の髪留めをサディクが弄び、スルリと長い髪が解けて背中に掛かった。菊は目を真ん丸にさせてサディクを見上げると、サディクは仮面に手を掛けて素顔を現す。
 サディクの長い指が菊の滑らかな頬を撫でてて唇に親指を押し当て、顔を若干上に向けさせた。不安そうな顔をした大きな瞳を、サディクは覗き込む。
「俺は、あんたのガキが欲しい。」
 身を乗り出してサディクは菊の頬を包み込むと、言い聞かせるように首を傾げる。菊は菊でどう反応していいのか分からず、何も言えずに固まってしまった。
「帰るところが無いならここに居ればいい。それが嫌なら、どことなりとも連れて行ってやらぁ。」
 どうする? と顔を寄せて訪ねると、思わず菊は体を退いて眉尻を下げ、サディクから顔を背けようとしてサディクの阻まれる。菊の腰に腕を回して、ほぼ無理強いで体を寄せていく。
 戸惑いながら腕をのばしてサディクの無精髭の生えた顎に指を掛け、背けていた瞳を持ち上げて上目勝ちに彼を見上げた。
「けれどもここには200人程の女性がいらっしゃるのでしょう?」
「あんたが望むなら、他の女にゃぁ手を出せねぇ。」
 サディクの言葉に訝しげな様子で菊は顔を上げ、眉間に小さな皺を寄せる。
「そんな事可能なんですか?」
「神に誓って。」
 この国の神様は偉大で一人しかいなく、誰もが一心に、そして熱狂的に神を愛していると聞いた。菊には軽口にしか思えない言葉だけれども、誓ってしまうのは流石に驚かされてしまう。
「……ならば」
 小さく首を傾げて呟いた菊に、いつものようにサディクはニヤリと笑顔を浮かべ、身を乗り出して菊の唇に口づける。畏縮して一瞬震えた菊の肩を掴み、更に深く唇を押し当てて服の上から細い腰を掴んだ。
 抱きすくめられて、首もとに顔を押し当てるサディクの胸元に手を当てて、小さくサディクの名前を呼んだ。「ん?なんでぇ。」と顔を上げずに返すサディクに、菊は震えた声を出す。
「灯りを、消して頂けませんか……?」
 菊の言葉にサディクは顔を持ち上げ、片手を上げて宦官に合図を送る。と、直ぐに部屋の中の灯りがフッと消え、彼の息づかいばかりが聞こえた。