土日 ※ 土日、パラレル、アラビアンファンタジー、お菊はにょた
 
 

 
 
『 Araubian Gece  4 』   - アレイビアン ゲジェ -
 
 
 対面した敵の頭領は、黒い髪にバター色の肌をした、愛おしい人物を彷彿させるには十分の人物であった。サディクは笑みの奥、口の中だけで舌打ちをすると、武器の剣に手を伸ばす。
「我が、お前の様なわっぱを恐れるとでも?」
 自信満々な声色と、その幼い容姿に影が走るのを見やりながら、見掛けで判断を仕掛けていた自分を、サディクは律した。
 幼い容貌をし、いかにも儚そうで、従順そうで……そんな菊は、一度自分の信念とそれた出来事と出遭うと、意地でも自分を曲げようとはしない。それどころか、こちらが驚くほどに抗ってくる。
 彼は、そんな彼女が生まれ育った土地の、少なくとも近くで生きているのだ。甘く見てかかれば、たちまち首を食いちぎられてしまうだろう。
 
 このままでは埒が明かず、取り敢えずこの軍の大将をとって、さっさと街に攻め入らない限り、軍資の面でも遠征であるサディクの方が不利である。だからこそ、サディクは懸命に指揮官を捜した。
 そして無理矢理道を作り、大将の元へ滑り込んだ。当然、それは容易な事ではなく、すでに双方死傷者が出ているだろう。
 どれほど驚くかと期待していたのに、サディクを見やった小柄な男は、馬上でニヤリと微笑むだけで、特に慌てる様子も見せなかった。2人は、ごく静かな対面を果たしていたのだ。
「もうじき日も暮れる。ちゃっちゃと決着を付けようじゃねぇか。
 生きるか死ぬか、もしくは逃げ出しても良いんだぜぃ。」
 そう笑ったサディクに対して言ったのが、彼の先のセリフであった。
 
 
 周りの騒音の所為で、菊がどれほど声を上げてもその声が彼等の耳に届くことは無い。どうすべきか辺りを見回し、キラッと何かが光るのを見つけ、考えるより走り出した。
 小さな体は、隙間を縫って走るのには適していて、戦闘の合間をどんどん駆け抜けていく。飛び交う矢が足下に激しく突き刺さり、馬が目の前でいななき、何度も菊は転びかけた。
 いつの間にか菊が目指すべき2人は対峙していて、互いの手の中には剣が握りしめられている。今すぐにでも斬りかかろうとする2人の名前を、深くかぶったローブを取り去り、菊は懸命に叫んだ。
 その姿に、彼女の事を知っていた人間達は驚き、思わず彼女が駆けていく為の道を開けた。
「サディクさん!」
 対峙していた2人の合間に飛び込み、菊は出来うるだけの声を荒げて彼の名前を呼んだ。それは、2人の剣がかち合う少し前、そしてサディクに向けられていた弓矢が引かれた少し後である。
 サディクが菊を抱きとめたその瞬間に、彼女の細い右肩にザクリと音をたてて、矢が突き刺さった。王耀は驚き、一瞬目を大きくさせて、睨むように後ろを振り返り矢を持った人物を睨む。
「何戻ってきてやがるんでぃ。オレを置いていったら、殺すって言ったじゃねぇか。」
 グラリと揺れた体を抱き上げて、サディクは咆えるようにそう叫んだ。菊はサディクに寄り掛かりながらも、足に力を入れて彼と目が合うように向き合う。
「あなたにならば、構いません。」
 菊は眉を上げて振り返り、立ち竦んだままの兄に泣き出しそうな顔を向ける。
「兄様、お願いです。これ以上殺し合いを続けるなら、菊を殺してからにして下さい。」
 顔を持ち上げてサディクを見上げると、その黒い眼を細めて「お願いします」と囁いた。いつもなら朱が混じっていた頬は、肩から抜けていってる為に血の気が無くなり、青ざめている。
 背中に回していた掌がジットリと濡れてきたことに気が付き、己の手の平を翳せば、その手の平一面血で濡れている。もとより赤い生地の着物であったから、その多量の出血に気が付かなかったのだろう。
 踏ん張っていた菊の細い足から力が抜け、最早立っているのもままならない様子で、サディクにしがみついたまま辛そうに肩を揺らし弱い息を繰り返す。
「取り敢えず止血だけでもしねぇと。」
 後ろを振り向きグッと引っ張るけれど、菊はどこにまだそんな力が残っていたのか連れて行かれないように力を入れた。
「菊!」
「まだです、返事を聞いていません。お願いです。話し合いを……」
 真っ青な表情で、額に汗の粒を浮かべているけれど、それでも尚、眉を持ち上げ頑として譲ろうとしない。サディクは一瞬呆気にとられながら、仮面の置くの顔を顰め、軽く舌打ちをした。
「くそったれ、分かったよ!おい、話し合いすんぞ!」
 向こうでどうしていいか分からずに立ち竦んでいた王耀は、急に話題を振られ一瞬戸惑ったが、眉間に皺を寄せて一度頷く。出来れば、元々そうするつもりであった。
 その上今はそんな事よりも、サディクが抱えている少女の方が気になって仕方がない。赤い着物の模様である白い菊が、段々と赤く染まるのを見やりながら微かに地団駄を踏んだ。
 菊は一度安堵の溜息を吐き出すと、体の力を全て抜き、サディクにもたれ掛かる。サディクは菊を軽々と肩の上に抱え上げると、医療班を呼ぶように怒鳴った。
「てめぇ、菊を殺したら承知しねぇある。」
「殺すわけねぇだろぃ!」
 駆け寄ってきた王耀がそう声を掛けると、サディクは彼に向かい声を荒げる。そして簡易で建てさせたテントに入ると、胡座をかき中央に彼女を座らせた。
「いいか、オレの首を咥えてろぃ。」
 抱き寄せてそう言うと、菊もおずおずとして口を開き、サディクの太い首を緩く噛んだ。サディクは菊の肩から伸びた二本の矢の内、一本を掴んで息を吐き出す。
 そして溜める間もなく菊の体から引き抜いた。菊の喉元が苦しそうに鳴り、噛み付く力が増しギリギリと歯が食い込むのを感じる。もう一本も直ぐに引き抜くと、白いテントに点々と赤い跡が飛んだ。
 ギリギリと食い込んでいた歯を首から引き抜くと、赤い染みがサディクの首に浮かぶ。が、それ以上に待っていたかの様に肩口から血が溢れた。
 片肌脱がし傷口を露わにすると、待機していた医師に手渡す。そしてテントから一歩抜けると、暗くなりつつある空の下に立った。
 ゆったりとした動作で、菊の血が飛んだ真っ白な仮面に手を伸ばし、そっと外すと、目の前に立っている王耀に唇の片端を上げて笑ってみせる。と、血の滲んだ己の首を手で拭った。
 
 
 肩に感じる、ジンジンという定期を持った痛みに、菊は起こされ目を開けた。肩を庇う様に、仰向けに寝かされていたけれど、そこがまた兄に宛がわれた自室だと気が付いた。
 右から左側へと顔を向けると、見知った顔が、しかも素顔が鼻先にあり、驚いてビクリと体を震わせた。起き上がろうとしたけれど、肩が痛くてそれさえ出来ない。
「……指先は動くかぃ?」
 サディクの骨張った指先が、菊の怪我を負った方の指先をつつくから、菊はキュッとサディクの指を握る。
「痛い、ですけど、大丈夫です。」
 頬を緩めて微笑む菊に、サディクは身を乗り出して額に唇を落とした。そして腕を伸ばし、起き上がるのを手助けする。
 兄が持っていたのか、菊は昔着ていた着物を身に纏っていて、部屋は懐かしい香が焚かれていた。故郷の華の薫りが、部屋一杯に溢れている。
「……兄様とお話ししましたか?」
 暫く薫りにうっとりとしていたのだが、不意にそのことを思い出し、肩を寄せているサディクの服を引っ張り、下から心配そうに見上げた。と、サディクは軽く肩を竦める。
「ああ、話したぜい。」
「それで?」
 酷く心配そうな様子で、菊は眉根を下げサディクの腕をキュッと掴んだ。サディクは苦笑を浮かべると口を開き掛ける、が、それよりも早くに扉口で第三者の声が聞こえてきた。
「手紙にあった賠償金の三分の一と、それから煙草を中心とした商品の関税を一定期間のみだが、低くする。こちら側からは、平和協定で互いの領土を守る事と、お前が自由であることアル。」
 ぽかん、とした様子で兄を暫く菊は無言で見やっていた後、申し訳なさそうな様子でそのまま俯く。
「すみません、私があんな……」
 狼狽えた様子でそう言う菊に、サディクは再び苦笑を浮かべる。
「女一人の希望で国が変わるかぃ。オレが一番良いと思ったから納得しただけでェ。」
「我はお前の為ある。」
 フンッと鼻を鳴らして笑ったサディクに対して、王耀は飄々とした様子でそう言ってのけた。サディクは眉間に小さな皺を寄せるが、何も言わずに立ち上がり、菊の傍から一歩退く。
 菊は目線でサディクを追いかけ、不思議そうな声色でそっと声を掛ける。サディクは菊を振り返ると、胸元から、赤い染みを作った仮面をその顔に付けた。
「あんたはもう自由だ。」
 口元に笑みを浮かべているサディクを見やりながら、菊は隠れたその仮面の下の顔が見えてくる気がした。今の彼の声は、どんな呼びかけにも頑として応えない菊へ呼びかけ続けている、そんな声色に似ている。
 菊は立ち上がると、痛む肩に手を当てながらもサディクへと歩み寄った。仮面で表情を隠していても、それでも尚サディクが驚いて戸惑っているのも分かる。
「ならば私も連れて帰ってください。」
「菊!」
 菊の言葉に男2人は同様驚いた様子なのだが、王耀は立ち上がっていさめるように妹の名前を呼ぶが、菊は王耀を振り返って微かに微笑んだ。
「私の自由なのでしょう。私はもう、兄様に迷惑は掛けられません。」
 だめですか? と、サディクに顔を戻し、不安そうな様子でそう問いかける。問いかけられた主は、動揺を隠すように小さく身をひく。
「ああ、ダメだな。オレぁもう、あんたの頑固さには付いていけねぇ。」
 菊から顔を反らしてそう言うサディクに、菊は切なそうに眉を歪めながらも体を乗り出し、サディクの顔を隠している仮面に腕を伸ばす。そしてゆっくりとはぎ取ると、その眼を覗き込む。
 菊の視線に耐えられず、サディクはゆるゆると視線をズラし、気まずそうな様子で菊の足先を見ていた。菊は暫くサディクの顔を眺めた後、自身がつけた歯形に指先を当てる。
「サディクさん。」
 呼びかける様にその名前を呼ぶと、サディクは下を睨んでいた瞳を持ち上げ、泣き出しそうな様子でこちらをジッと見ていた菊へと顔を向けた。
「ずりぃな。」
 心底悔しそうにサディクはそう言うと、身を屈めて顔を寄せる。けれど、それよりも早くに横から飾りの鞠が飛んできて、サディクの額に見事にヒットした。当然、サディクはそのまま後ろに倒れ込む。
 驚いた菊は、倒れたサディクに駆け寄るべきなのか、鞠を投げた兄をいさめるべきなのか、混乱の為どちらを先にしていいのか分からなくなってしまい、幾分立ち竦んだ後サディクの顔を覗き込んだ。
「ハレムなんて、そんな破廉恥な所我は許さないある。」
 片眉を持ち上げ、怒りを露わにした王耀を見やり、菊は困り眉を歪めた。そんなの勿論、自分だってハレムなど大嫌いだ。あそこに閉じ込められたとき、死んでしまった方がましだとさえ思った。
 だから兄の言葉に反論出来ずに居ると、サディクは億劫そうに体を起こし、鞠が当たって赤くなっている額を手に平で撫でる。
「ハレムなんざ、ただの機関なだけでぇ。子供を一番に生んだ女が正妻になれるから、要はオレが菊のみ相手にすりゃぁ良いだろ。」
 取り繕うつもりで言ったのに、菊と王耀はギョッとした様子でサディクを見やったものだから、サディクも驚き2人を見やった。菊は顔を赤くさせてプクプクと頬を膨らませる。
「取り敢えず、里帰りはするよろし。」
 眉間に皺を寄せ、未だ納得出来ずに唇を尖らせていた王耀はそう言いながら、肩をガックリと落とす。
 やっと帰ってきたというのに、どうして直ぐに嫁に出さないといけないのだろうか。しかし、コチラ側の人間の責任者の妹と、仮にも王継承者の一人との婚姻は、政治を円滑に進めるにも最高である。
 これがもし、本当に政治の事だけならば、当然こんな婚姻に反対しただろうけれど、菊が「行きたい」と言うのならば、仕方がない。
「兄様、今暫く、傷が治るまでここに置いてくださいますか。」
 菊が微かに首を傾げてそう言うと、難しい表情を浮かべていた耀の表情も簡単にほどけてしまう。
「いいある。いくらでも、お前が望むならいつでも居ればよろし。」
 ニコニコと笑ってそう言った王耀に、菊はサディクを見上げると、苦笑を浮かべる。ならば直ぐに食事を用意させてくる。と声を弾まし、そのまま兄は部屋を出て行った。
 残されたサディクは菊のベッドに座り込むと、血が少なくて青白くなっている菊の頬に手の甲を当てると、愛おしそうにその線をなぞる。その手を包み込むと、菊はふんわり微笑んだ。
「……本当に私だけを見ていて下さいますか?」
 非常に落ち着いた声色でそう言うと、サディクも笑顔を浮かべてその問いに応える。と、菊は先程以上に目を細めてサディクを見つめた。
「私、こう見えても嫉妬深いんです。」
 にっこりと微笑んでいるけれど、その実黒い瞳は笑っていない。サディクは思わず苦笑を漏らすと、軽く肩を竦める。
「じゃぁ、オレが国王になったら、アンタだけの特別の宮殿を作ってやらぁ。それならオレもアンタもハムレには行かなくて済む。」
「……そんなのって、良いんですか?」
 暫く黙って、不思議そうに瞬きを繰り返した菊は、首を盛大に傾げたまま、サディクの顔を覗き込んでそう問う。
 彼女は相当ハムレが衝撃的だったらしく、そこから抜け出せるとなれば、それに越したことは無い。サディクは菊の頬に掛かった黒髪の毛先を弄び、唇を寄せた。
「出来るか出来ないかじゃ無くて、やるかやらないかでィ。」
 楽しそうに鼻歌さえ歌い出すサディクを菊は見上げ、眩しそうにその目を細める。
「……今日から菊は、完全にあなたの物です。だから、離れないでくださいね。」
 心底切実そうにそういった菊の顎先を捉え、まるで齧り付くように口付けを送ると、離してからにんまりとサディクは笑った。
「それはこっちのセリフでィ。」
 寒い砂漠を風が吹き抜け、鳴き声を上げている。カタカタと叩かれた窓の外では、果てしない砂漠に、ぼんやりと太陽が佇んでいるのが見えた。
 
 
 
 
 
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