DUKE

※ 「SUDDENLY」さんのDUKE設定をお借りして書いております。やってみたかたのですよ。


 
 
 
 『Un segreto』
 
 
 菊は王耀に嫁ぐとされていたため、どこからも声をかけられたりはしないが、アーサーは違った。カークランド家に嫁ぎたい、嫁がせたい人々は、それはそれは沢山おり、結婚の申し込みは後を絶たない。
 しかしながら当人達は、もとからそんな物など少しも気にとめていない。アーサーが望むのは、身近な異性でも地位でも名誉でもなく、遠くにいる思い人のことばかりだ。幼い頃出逢った菊とアーサーは、互いに恋心を抱き、手紙のやりとりと密かな逢瀬を繰り返し、今に至る。
 あまりにも密かな逢瀬には、いつも別れが付きまとった。二人が出会いと別れを繰り返す一番の理由は、昔から根強い東西のいがみあいである。彼等が生まれるよりも以前から確立した、あまりにも深い溝が、彼等の関係を否定していた。
「お久しぶりです。この度は、私までお招きいただき有り難う御座いました。」
 深々と頭を下げていた菊は、ゆったりと顔を持ち上げた。そして翡翠色の瞳とガッチリ視線が合い、ほんの一瞬だけ互いの存在を確かめあった。
 この日、菊は王耀の、アーサーは見知らぬ少女のエスコートをしていた。目の端ばかりでその姿を追いかけながら、菊は王耀の進む道なりに付いて歩く。
 会場は西であり、舟に揺られ長い時間をかけてやってきた。人でごった返した会場には、東の人間は王耀とその他数人しか見かけられない。耀の意向で、菊も耀も自国の服を着ているため、存在が更に目立つ。
 とある貴族の息子が家督を継いだ、その祝杯パーティーだというが、要は顔見せだ。だからこそ各地から有力な貴族達が集まり、ごった返している。その人の多さでは、流石にアーサーと話すことも叶わないだろうと、菊は肩を落とす。
 西の人間達は目鼻立ちも、髪の色、瞳の色、全てが華やかで美しく、なんだか居たたまれない。アーサーがエスコートをしていた少女も、やはり美しかったと心の奥で思う。
 手紙でのやりとりは、無論依然として続いている。しかし距離が距離なだけに、長さはあれど頻度は少ない。後は西の噂話で耳にするしか、リアルな情報を手にすることは出来ない。
 アーサーが縁談の申し込みを片っ端から断っていると聞いて安心していたし、最近の手紙には菊を喜ばせようという彼なりの試行錯誤が見える。手紙から彼がいつも付けている香水の匂いが薫ってきた時は嬉しくて、紙に染みこませるため沢山お香を焚いた。
 そうして安心していたけれど、逢えない日々はあまりにも長い。信じてはいる、信じているが、怖いものは怖いのだ。
 王耀と少し距離をおいてついて行っていた菊の肩に、トンと誰かがぶつかり顔を持ち上げた。鼻先を掠めた知っている香水に、振り返る前からその存在は分かっていた。そして予想通りの翡翠色の瞳がジッと菊を見やっていて、思わず動きを止める。
「…アーサーさん」
 思わず小さく名前を呼ぶと、緑色の瞳がチラリと床におとされる。そこにはぶつかった際に彼が落としてしまったのか、うす青色のハンカチが落ちている。
 拾い上げて手渡そうとすると、微かに首を振って踵を返す。金色の髪が証明に当てられキラキラと輝いているのを見やると、自分の髪の色とはあまりにも違い、遙か遠い見知らぬ人のように思えてきて、菊の胸が締め付けられた。
 こんな大衆の前で会話をすることが叶わないのは分かっていたけれど、それでも少しは会話が出来るのを期待していた菊は、しょんぼりと肩を落とす。そして残されたハンカチをキュッと握り締めると、中でカサリと何かが音を立てた。
 小さく首を傾げてハンカチを広げると、手帳を千切ったらしい紙が挟まれていて、何やら走り書きされている。いつもみる綺麗な文字とは違い、どこか焦っている様子が見て取れる。
『裏口に続く廊下に来て欲しい』
 読み終えると顔を持ち上げ、前にいた王にそっと話しかけた。理由は憚りが一番妥当だろうと、早口に伝えると応えも曖昧に聞き流し小走りに歩き出す。
 始めてきた屋敷ではあったけれど、簡単な案内を受けていたから、アーサーが指し示した廊下がどこだろうかは直ぐに分かった。緩みそうな頬を引き締め、人の波を抜けて菊はアーサーに指名された廊下へ抜け出る。
 
 パーティー会場から少し抜けた廊下には人気が無く、少し薄暗い。
「アーサーさん?」
 彼以外、誰にも聞こえないように小さく呼びかけるけれど、やはり人影は無い。西の人間の中には、東の人間をよく思わない人も多いため、耀に離れないように言われていた。けれど……
 薄暗い廊下を、菊は戸惑わずに歩き始めた。もう一度名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、グイと腕を引っ張られて、振り返る。いつも手の平を覆っている手袋は脱いでいるらしく、柔らかなその心地が伝わってきた。
 先程の表情とは打って変わって、やわらかな笑みを浮かべているアーサーは、「シッ」と己の口に人差し指を当てて手招いた。扉を開くと、扉と部屋の隅に死角が出来、そこに人二人ほど入れる隙間がある。
 小さな隠れ家のようなその場所に潜り込むと、心底嬉しそうにアーサーはキュウと菊を抱きしめる。いつもどおりの様子に、菊は安堵で胸をなで下ろし、知らず頬を緩めた。
「よくこんな場所を……」
 呆れを含み、苦笑を浮かべながら菊が微笑すると、アーサーは子供っぽく笑って見せた。
「庭だと結構目があるし、今日は親父が一緒だから抜け出せなかったしな」
 言いながらアーサーは唇を菊の頬に寄せ、なだらかな肌に何度も浅いキスを送った。アーサーの香水と菊の香木の匂いが混ざり、解け合う。
「綺麗なキモノだ。よく似合ってる」
「振り袖っていうんですよ」
 桜色の生地に、上品な金の刺繍を施している。一から織り込んだもので高価であり、王が用意したものだった。
「私の顔をお忘れになったのかと思いました」
 浴びるようなキスの合間、冗談か本気か分からない言葉を言い、クスクス笑う。その菊の頬を手の平で包み込みながら、アーサーは微苦笑をした。
「そんな意地の悪い事を言うな」
 短い黒髪を指先で弄び、そして唇をよせ、アーサーが呟く。遠くでパーティの楽しそうな声色と音楽が聞こえてくるが、ここは暗くてこの二人以外なにも存在しない。
 会うことも叶わない長い時間を埋めるように、二人は暫く無言で身体を寄せ合う。近頃色気を醸し出した彼女は、甘い薫りが漂い、身体に柔らかさが増したように思える。
「……アーサーさん、あの女性は?」
 戸惑いがちにそう尋ねると、アーサーは顔を持ち上げ見えない菊の顔を見つめて微笑んだ。
「従兄弟だ。どうしてもエスコートが必要だからって、頼まれた。なんだ、心配だったのか?」
「あなたこそ意地の悪い」
 唇を尖らせる菊に、嬉しそうにアーサーは喉を鳴らした。頬を摺り合わせ、首筋に鼻先を埋める。
「…なぁ菊、触って良いか?」
 多少荒くなりつつある息を耳元に感じ、菊は戸惑い勝ちに頷いた。子供の時代から口付けはしていたけれど、手で触れ合うことはあまり無い。思春期に入ったからなのか、アーサーは過度に触れたがるようになった。
 普段は他人に触れられることを好まないのだが、相手がアーサーであるとなれば話は別だ。彼が望むのならば、出来る範囲の事ならなんでもしてあげたくなる。
 手袋を脱いでいたからか、着物の隙間から忍び込まされた手の平がヒヤリと冷たかった。しかしやがて、冷たかった指先は菊の胸元を撫でるとあっという間に熱を持ち、熱いほどに感じられる。
 戸惑いがちな指先が、ゆったりと菊の肌を撫でていく。触られている菊はこそばゆさと恥ずかしさで、顔が一気に熱を持つのが分かった。
「んぅ……」
 その熱から逃れるように身を捩ると、アーサーは慌てて胸元から手を引き抜く。
「す、すまん、やりすぎたな」
 よく分かりもしない着物の襟元を直しながら、アーサーは身を伸ばして菊の額に唇をよせ、抱く。顔を真っ赤にさせ、足下から力が抜け始めていた菊は、アーサーにしがみついた。
「いいえ、嬉しいです」
 顔を持ち上げてにっこりと微笑み、薄暗い中のアーサーを見やる。ふんわりと微笑む菊の頬に手を添え、今度は唇にキスを落とした。
「よかった、菊。今日はこうして触れられて……」
 触り心地の良い黒髪を撫でると、菊は嬉しそうに目を細める。そしてアーサーの手を取って己の頬に当てて微笑んだ。
「私も嬉しいです、アーサーさんとお会いできて」
 薄暗い中ではなく、日の光が当たる場所で正々堂々と抱きしめてみたいと思う一方、このまま両掌の中で隠しておきたいとも思う。細い肩を抱き寄せると、スルリと背中に腕が回った。
『菊ーどこあるかぁ?』
 数秒間抱擁を静かに楽しんでいると、扉の向こうから王耀の声が響く。ピクリと菊は震え、アーサーの胸に頬をすりよせた。
 耳が過敏になっているのか、それまで気にもしなかった足音が、妙に大きく聞こえてくる。縮こまる菊を宥めるように、アーサーがその背中を撫でた。
 二人が居る方向へ向かっていた足音が急に途絶え、いつの間にそこにいたのか、フランシスの声色が聞こえてくる。扉に遮られて明確には聞こえないが、二人はいくぶんか会話をし、そして王耀のものらしい足音は踵を返す。瞬時、ホッと菊が息を吐き出す。
 そこから暫く二人は口を噤んで何も喋ろうとはしなかった。何かを話さないと勿体ないと思う反面、この沈黙を守りたいとも感じ、双方口を開くことが出来なかった。足下から漏れた光の先では、楽しげな音楽と笑い声が響いてくる。
 
 
 一人で歩くのは流石にまずいだろうと、廊下を曲がって行く姿を追いかけたのだが、不意に菊の姿が消える。フランシスは不思議そうに小首を傾げ、辺りを見回すが人影は無い。
 先程受け取ったシャンパンに口を付けて戻ろうとした瞬間、扉が目に付く。床と扉に僅かな隙間があり、そこから二人分の靴が見え、思わずフランシスの顔が引き攣った。
 子供時代、結婚するという二人を随分と生暖かく見守っていたが、まさか本当にこれほど長続きするのだとは思わなかった。今や西を牛耳る第一後継者と、東の王に溺愛されている少女だ。この二人の関係がばれたら、世界はそれこそ混乱するだろう。
「菊ーどこあるかぁ?」
 後ろから王耀の声が聞こえ、思わずフランシスの背筋が伸びる。相手はフランシスを見つけ、不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「フランシス……菊をしらねーあるか?」
「菊ちゃん?あー……そういえばさっき庭に出てたよ?」
 思わず視線を王耀から反らし庭を見やると、王耀は少々驚いた様に首を傾げさせる。
「庭?一人であぶねぇあるなぁ」
 不審そうな様子は見せながらも、耀はフランシスの言葉を信じたのか、フイッとその場で踵を返す。フランシスは思わず安堵の溜息を漏らし、扉を見やる。
 会場の淑女たちが捜している主が、今こうして東の少女と睦言をしているなどと、誰も思いやしないだろう。出来るだけその時間を与えてあげたいのは山々だが、しかしながら時間的にはそろそろ限界だ。
 王耀も勿論、カークランド夫人の座を狙っているお嬢さん方とそのご両親が目を光らせ捜しているし、カークランド卿も目だけで長男を捜している。こんな場でバレたら、流石のお兄さんも収集する自信が無い。
 少し迷いながらも扉に近寄ると、控えめながらノックをする。扉の向こう側であるけれど、直ぐに二人が息を飲み身構えるのが分かった。
「アーサー、そろそろ誰かが探しにくるぞ」
 小さく声を掛けると、やや間があってから隙間が空き、翡翠色の双眼が訝しげにコチラを覗いた。その背後に隠された少女は、困惑を交えて恐る恐るこちらへ視線をやる。
「んだよ、髭か」
「お久しぶりです」
 つまらなさそうなアーサーに対して、菊は伏せ目がちに瞼を伏せ、白い頬をポポッと朱く染めた。相変わらず恥ずかしがり屋らしく、恋人との逢瀬を見られただけで顔を真っ赤にさせて大変愛らしい。
 早速呼吸を荒げ、手を取って挨拶をしようとするフランシスに、アーサーは今まで以上に厳しい視線を送って唇をひん曲げている。
「…菊、先に行ってくれ。俺は後から会場に戻るから」
 フランシスの事を完全に無視し、身を乗り出して菊の額にキスを送ると、手を合わせて場所を入れ替わる。明るい光の元へ押し出された菊は、眉根を下げてアーサーを振り返った。
 名残惜しそうに視線を送る菊に、アーサーは困ったように微笑むと、微かに繋いだ指先を絡めた。
「菊、また手紙を書くし、すぐに会える」
 伺い下から見上げたアーサーの瞳に、菊はようやくふんわりと微笑んだ。
「はい……私も、私も書きます。どうぞお元気で、風邪など召されないでくださいね」
「ああ、お前こそ。振り返るなよ」
 慈しむようにアーサーの頬を一撫でした菊は頷き、そのままスルリとアーサーとフランシスの間を抜け、再び騒がしい会場へと姿を紛らわした。
 
「良かったある、菊!どこ行っていたあるか?」
 会場に入るなり、目敏く王が見つけ出し駆け寄ってくる。
「少し外の空気を吸いに……」
 曖昧に微笑んでやり過ごそうとすると、王は微かに細い眉を歪め、眉間に皺を寄せた。
「少し着物の襟が緩んでるある。しっかりしめとくよろし」
 指摘されてギョッとすれば、確かに微かに襟が緩んでおり、慌てて直す。王がそれ以上追求してこないのは、着物が着崩れしやすい事を知っていて、特に不審には思っていないのだろう。
 何事もなかった振りを続け王の後ろに付いて歩く。と、不意に振り返り、人々の合間でコチラを見やっていたアーサーの瞳とかち合った。
 互いに、今は隣に違う人を連れながらも、いつまでも目で存在を追いかけ続ける。菊と目があったアーサーは、優しい笑みを浮かべた。会話も、手を振ることも叶わない。
 けれど大丈夫。確かに大丈夫であった。会える時間もほとんど無く、交わした会話もあまりなかったけれど、互いの思いに何も変化は無かったし、これからもそうそう変わらないだろう。
 数秒見つめ合った後、どちらともなく視線を外す。瞑った瞼の裏で、パチパチと金髪が爆ぜるように輝く様を思い起こし、菊は小さく息を飲んだ。