永訣
 
  ※ 超有名設定イギリス貴族アーサー=カークランド卿と日本の貿易商の令嬢本田 菊の結婚後の恋愛劇から少々設定をお借りしました。
本格的にやりたい放題なので、本家本元様がお好きな方は読まないでくださいませ。ってか勝手に王さん出してる時点で死亡。
それから毎回の事ながら時代背景なんかは調べてません(・∀・)でも明治時代に馬車が走っていた事だけは調べて写真で確認しました。
でもその馬車に誰が乗っていたのか、とかは全然分かりません・死 『生命』よりも前設定です。
 
 
卿菊 (日本女体化・パラレル・英日)
 
 
『永訣』
 
 彼女の安否については、いつまで経っても酷く心配だった。遠い海の向こうに旅立ってしまうその時、その瞬間まで、彼女、菊は不安の影を重く顔に映していた。けれども決して父親にも自分にも、一切の弱音を吐いたことも無い。
 幼い頃から花よ蝶よとまるで我が妹の様に愛し、ただその蕾みの華が開花するがごとき姿を見続けるだけで、自分は幸せだった。麗しい白い肌と大きな黒い瞳、そして汚れを全くしらない、早朝の誰にも踏まれていない雪の様な心。沢山の男からの求婚も父親は一切認めず、自分の娘が幸せになるのを心から願っている、と、そうコチラは解釈していたのだが、菊は結局不意に出てきた人種も言葉も習慣も、何もかも違う人間に娶られてしまった。身分は驚く程高いのだが、それが菊の幸せに繋がるとは到底思えない。
 ……もしも、自分が彼女に求婚していたのならば、事態は大きく変わっていたのだろうか。そう後の祭りとしかとれない考えばかりが頭の中を過ぎる。それでも、妹の様に愛してきた彼女を今更妻とするのも少々忍びないのは確かだ。
 今日、久しぶりに彼女に会えるというのに、それも人生で最後となる機会かも知れないというのに、憂鬱ばかりに苛まれながらも王は着込んだ服の襟を正す。
 
 
「菊、嬉しいか?」
 この日何度目か分からぬ質問を、菊の目前に座る彼女の夫、アーサーはにこやかにまた言った。それでも菊は呆れる事も無く微笑んで「はい」と返す。その笑顔の輝きを二度と忘れまい、とアーサーは堅く心に誓ったものだ。
 豪華客船の一等室を借り、仕事を休みまでしてアーサーと菊は日本訪れる事になったのだ。最近の貿易として東方は非常に重大だと言われているのだが、それにしてもアーサー卿は嫁に傾倒しすぎだと、アーサーの召使い達は笑顔を浮かべ、嫌みな仕事仲間は嘲笑として口々に言った。そして実際、当の菊本人もアーサーは自分に気を遣いすぎだと、そう思っていた。
 違う国の出身で扱いにくい妻だというのなら、いっそ子供だけ成して後は適当に遊んでもいいものなのだが、どういう訳か彼は暇さえ有れば自分と共に時間を過ごそうとしたり、仕事が忙しい時は仕事先から物珍しい物を送って寄越したりなんてことさえした。お陰で菊の部屋には子供が嬉しがる様なテディ・ベアなどが、それこそ森の演奏会でも始まりそうな程敷き詰められていた。それを眺めると、恋人に贈り物をした事すらした事が無いかの様で、彼は本当に上流貴族だとは思えなかった。
 長い長い旅路の果てにようやく辿り着いた極東の小さな島国、そこは日本が育った世界、生まれた胎盤。まだ肌寒い空一杯に桜の花々が舞い上がっていた。
「桜が……」
 嬉しそうに笑った菊を抱え上げて、アーサーは待機していた馬車に数人の召使いと共に乗り込む。昨今外国文化の激しい輸入で整備された道々を、こうした彼等日本人にとってのアウト・サイダーである自分達が闊歩する姿も珍しい光景ではなくなりつつあった。目が回る程の発展(日本人にとってそれを“発展”とするのかは分からないが)を遂げている日本を、暫くぶりに訪れた菊は目を瞠ってキョロキョロと顔を巡らせる。そうやって今晩泊まる菊の住んでいた屋敷に着くまで、彼女はずっと不思議そうに、そうして少々切なげにジッと外を眺め続けていた。
 それでも懐かしい屋敷についた途端に、彼女は出迎えてくれた父親を一目見るなり安心と共に泣き出す寸前の様な笑顔を浮かべる。駆け寄れない彼女の代わりに彼女の父親が駆け寄りその手を取りあった。
「お久しぶりです」
 そう笑う菊の声は軽く上擦り、気丈な彼女の瞳が潤む。その光景は隣に立って菊を支えていたアーサーにとっては、嬉しい反面複雑な心地を覚えた。出来うる限り良い生活と、心を許せる環境を作ってやりたいと思っているのだが、菊にとってはアーサーの存在そのものが緊張の元と成っているのだからどうしようもない。
 
 
 通された部屋の椅子に座り、落ち着かない心地を懸命に平らにする。この家自体、菊が日本を離れてからあまり訪れなくなったのだが、事業では昔と変わらずに良いお付き合いをさせてもらっていた。
 何もかもが懐かしい調度品に囲まれていて、昔から王はこの客間に通されていた。あまりにも幼い頃から伴にいた為に、王にとって菊はやはり妹の様であったし、彼女もきっと自分を兄の様だと思っていただろう。今日久しぶりの再会を果たして、一体彼女に何と言えばいいのか、もうそれすらも分かりはしない。小さな頃など、否、彼女が海の果てまで嫁いでしまうその前まで、何の気兼ねもなく彼女と笑いあったりしたのに……。
 眉を歪め、ただ時間を刻々と刻む時計の音に耳を澄ます。菊が嫁ぎに行くその直前まで、どれ程この音が止めばいいと思ったものか。
 ドアがノックされるその音で、王はやっと自分の思考から抜け出した。それは今回の仕事にも大きく関わってくるだろう社交界開始の合図であり、夢にまで見た彼女との再会の前奏でもあった。
 
 
 大人しいワイン・レッドのドレスを着込んだ菊を発見する事は、思った以上に容易な作業だった。彼女が目立ったとかそういう事ではなく、(否、実際彼女はかのアーサー卿夫人という事とその容姿で目立ってはいたのだが)やはり幼き頃から伴に生きてきた所為か、会場に入ったその瞬間に菊の姿は目に留まった。そして目に留まったが最後、数日もの間自分を悩ませていた思いなど、ただその一瞬で吹き飛んでしまう。菊が、自分の妹がそこにいる。それだけで良かった。
「菊!」
 駆け寄ってその名を呼べば、椅子に座っていた彼女は弾かれた様に振り返り、そして想像以上に嬉しそうに、微笑んだ。
「王さん!」
 駆け寄って手を取って互いの名を呼べば、それだけでまるで幼子にでも戻ったかの様な心地だった。彼女は日本を発つそのままの姿で、恐らく睫の本数すら変わらないかも知れない。
「旦那はどうしたあるか?」
 一時顔を見やったり特定の挨拶を交わし終えてから、彼女の噂の旦那の姿が見つからないので訪ねれば、菊は少しだけ顔に陰を落として困ったように瞳を伏せる。その切なそうな表情に、事情もまだ分からないのに王の胸が痛んだ。
「お仕事の関係の方に挨拶をしに行っています。本当だったら私もお供しなければいけないのですが、足が動かなければ邪魔になるだけだと……」
 そう言ってから必死の微笑む菊が可哀想で、愛しくて、兄の性というべきか、ついつい棘が出てきてしまう。
「邪魔になる、ってお前の夫に言われたあるか……?」
 一瞬で空気が黒くなった事に気が付いたのか、日本はちょっとだけ驚いた様に顔を持ち上げてフルフルと必死に首を振った。
「悪気があった訳じゃないと思います。アーサー様は……なんというか……そういう所がおありなので」
 弁解のつもりで言ったその言葉が逆効果だという事に、残念ながら素直で在りすぎる菊には予測など出来なかったのであろう。「アーサー様……」と菊の言葉を脳内で王は一度復唱すると、にっこり笑いながら、うっすらとした青筋を額に立てた。
「菊、我はずっとお前の事を心配していたある!殆ど他人と変わらない男に嫁ぐなんて、我は反対だったある!」
 ガッ、と菊の両手を掴むとその顔を覗き込みながら、王は周りなど気にせずに声を荒げて訴えた。菊は菊で困った様に「はぁ……」と呟く。
「毎日耳に馴染みのない言葉を聞いて、愛想の無い夫と暮らさなくてはならないし、更には不味い飯を食わなきゃなんねぇっていったらもう拷問あるよ!?」
 勢い余って王は菊に抱き付けば、元々耳を大きくして盗み聞きをしていた連中は皆一様に驚き振り返り驚愕の目線を送ってくる、が、やはり王にとってはそんな事どうでも良い。ただ久しぶりに会えた菊に自分の思いを述べたくて溜まらなかった事をはき出せた、というだけで良かった。
「失礼、俺の菊になにかご用でも。」
 不意に後ろで心なしか怒気を含んだ声がし、くっついていた王は菊から離れるとやはりニッコリ微笑んだまま後ろを振り返り声の主、アーサーと(表面上)にこやかな対面を果たした。アーサーもアーサーでにこやかな笑みを浮かべているものの、どこかしら顔にどす黒い影が落ちている事には変わりない。
「初めまして、我は菊のちっっっさい頃から一緒に育ってきた王ある。」
 右手を差し出しながら笑う王に対峙し、負けじと左手を差し出しながらアーサーも笑う。
「菊の夫のアーサーだ、よろしく。」
 握られた手は、勿論互いにそれなり力を入れたものの、軟弱紳士には到底武術の達人である王の握力に勝てる筈もなく、その痛みに知らずアーサーの顔が引きつる。
「すまねーある。我の国では握手は力を入れる事が良い事あるね。」
 嘘付け。と流石に中国人と握手した事のあるアーサーは内心で大きく毒づき、離された左手を小さくブンブンと振った。が、後ろで心配そうにコチラをみやっている菊に気が付き振る事すら止めてポーカーフェイスを決め込む。その様子を詰まらなそうに王は鼻をふんっと鳴らして見やった。
「オレはもう少し仕事があるから、もう少し待ってろ。」
 そっと菊に近寄り、その耳元でアーサーがそう呟くと菊も顔を持ち上げて「はい」と微笑む。その横暴な口調がやっぱり王にとっては気に入らないのだが、当の本人である菊は別段どうでもいいのか、にこやかに夫を送り出した。
さて、確かに不満は山ほどあるのだけれども、今の王にとてその事を並び立てるよりも断然、菊と昔話をする方が大事だった。夢にまで見た、懐かしく愛しい人。例え一晩語り明かしたって足りないだろう。
 
 
 大分夜も更けてきて、そろそろお開きだろうという頃、それでも尚沢山居る会場の人々を掻き分けてアーサーは再び菊達の元へやってきた。
「菊、そろそろお前は部屋に戻れ」
 戻ってきて菊と王の話を遮る様に第一声そう言うと、菊は顔を持ち上げ「はい」と素直に頷き近くにあった杖を握る。それから王にふんわりとした笑みとお辞儀を一つ残して、危なっかしい歩みで一歩踏み出す。その姿に思わず王は手を伸ばしかけるのだが、それよりも早くアーサーの腕が菊の腰に回り、その細く脆そうな身体をしっかりと支えてやる。
 そしてこちらまで届かない小さな声で何かを菊の耳元で2,3語喋る、と、菊は彼の顔を見上げて自分に向けた物とは明らかに種類の違う、どこか照れる様な笑顔を彼に向けながら頷く。王にはその様子に見覚えがあった。幼い頃何度となく菊に問いかけた言葉を、今は王の代わりに彼が受け継ぎ、彼が菊に問いかける。
「菊」
 王は思わず彼女の名を呼ぶと、二人は王を振り返り翡翠色をした瞳は無表情で、黒色の瞳は少々驚いて王を捉えた。
「お前、幸せあるか?」
 そう問いかけた王の台詞に、振り返った菊はその白い頬を少しだけ朱く染めて微笑む。その笑顔を見やった王も、つられる様に眉を歪めながらも微笑んだ。
 
 やがて二人の姿が完全に見えなくなると、もう一度椅子に座り直しながら楽しげな音楽と周りの声を遠くに聞きながら目の前に置かれたシャンパンを一気にあおる。そして幼い頃あんなに愛した菊の姿を、ただその思い出の中で追いかける。