現代パラレル 女体化 オレンジデイズ(笑)
下宿先の右隣セーシェル、左隣のフランスは、なぜか時折酒と肴を持って真ん中に住んでいるイギリスの部屋とやって来ては酒を呑んで騒ぐ。それを聞きつけて下に住んでいるスペインや、誰も呼んでいないのにロシアが、更に本当に来る方が珍しいのだがオーストリアとハンガリーのカップルが顔を出したりなんかして、大変な事にしばしばなった。
そして今日は、やはり暇人なフランスとセーシェル、そして珍しい事にオーストリアとハンガリーのカップルがやって来ていた。
が、ハンガリーはどちらかというと作りすぎてしまった料理の始末をしに来たようで、食卓には酒のつまみとしてはあまりにも豪勢な料理が並ぶ。がつがつといつでも金欠なセーシェルが料理を喰らう様を、まるで母親の様にハンガリーはにこやかに眺めていた。
「ところでお前、あの子とはどうなったんだよ?」
まだ夜七時だというのに完璧に酔っぱらったフランスが缶ビールを手に、トロンとした目をイギリスに向けて尋ねる。瞬時、まさかこの場でその話題が出されるとは思っていなかったイギリスは心底焦って、取り敢えず思いっきりフランスの頭を叩いた。
「えっ!今イギリスさん好きな子でもいるんですかぁーっ?」
キャーッ!っと、なぜだか嬉しそうに皿から顔を上げたセーシェルが声を上げる。そういう話題自体あまり好きではないイギリスは当然「うっ…」と唸って仰け反るしかない。
「誰ですか?名前は?かわいいですか?同い年ですか?」
マシンガントークでセーシェルが質問を投げ掛けてくるのを、言葉を詰まらせてイギリスは俯いた。
「名前は日本って子だ。因みに顔は可愛いがボイン好きなイギリス好みとは言い辛い。」
とてつもなく楽しそうに、フランスが右手の人差し指を立てて、にこやかにそう説明すると、セーシェルも楽しそうに「ボイン好きなんですか!」と嬌声をあげた。そこはどうでもいいポイントだ。
「日本?日本ってドイツとよく一緒に居る子だね。」
不意にその場に居なかった者の声が聞こえ、一同ギョッとしてその方向に目線を映すと、そこにはにこやかにハンガリーの料理を食すロシアの姿があった。仰け反りつつイギリスが「あいつ入ってきたの気が付いたか?」と耳打ちするが、フランスは勢いよくブンブンと首を振る。
「ドイツ……ああ、あの足が悪い子ですか?」
ロシアの出現にもあまり動じていない体でオーストリアがそう言うと、ハンガリーがポンッと手を打った。
「あの黒髪の可愛い子ですね。……でも、お二人付き合ってるんじゃ無いんですか?」
ちょっと言いにくそうにハンガリーがそう言うと、ガックリ気落ちしかけるイギリスを余所にオーストリアが落ち着いた口調で「いいえ」と救いの声を上げた。
「彼……ドイツの方はそれなり好意を持っている様ですが、そのような浮かれた話は聞いたこと無いですね。」
そう言ってから「まぁ、ドイツの事ですから……」と付け加える。
「良かったですね、まだチャンスが少しはあるみたいですよ!」
ロシアの出現に本気で驚いていたセーシェルがやっと我に返り、フォローとはあまり言えない事を言った後、「あ」と呟き自身のポケットの中を探った。やがて じゃーん! と自らの口でセーシェルは言いながら、ポケットからイギリスの前に二枚の紙を差し出した。
「この間、バイト先で頂いたんですが、行く暇も相手もいませんので、イギリスさんに上げますっ!気前いい!」
完全に酔っ払っているのだろう、あまり呂律の回らない口調でそう言うと、無理やりイギリスの手の中に紙を押し込む。
「なんだよ、誘ってくれたら俺が一緒にいってやるのに。」
酔っ払い同士、フランスがセーシェルにそう絡むと、セーシェルはバシンッとフランスの背中を思いっきり叩きケラケラ笑う。
「やだぁ、セクハラされるのでお断りです。」
そう、酒の場で二人盛り上がっているのを他所に、イギリスは手の中でくしゃくしゃになってしまった二枚の紙を広げてみる。それは、水族館のペア無料招待券であった。
水族館・・・彼女は好きだろうか、と、その前に誘えるか否かの心配をすることすら忘れ、イギリスは思いにふける。と、それまで大人しくウォッカをちびちび飲んでいたロシアが、にっこりと笑いながらイギリスに身を乗り出した。そして彼は彼なりに楽しそうに、
「彼女に会ったら、お兄ちゃんによろしくって伝えておいてね」
そう、酷く意地悪く笑う。
魚の泪
メールはあの後数回交わしたのだが、特に内容など無いものだったし、一週間に一度しか同じ授業をとっていない為に会うことも会話をする事も、そしてその会話の内容さえ見つけられないままだった。このままだと本当に今学期の履修を終えて長期の休みに入りかねない。
その前に、せめてもう少し会話をしたい。そう望む反面、どう切り出して良いか今の今まで分からなかった。今日こそ何かに誘おう、誘おうとしながら結局全然食事にさえ誘えずにいる。
ふと、昨日セーシェルに貰った水族館のチケットを財布に挟みながら、大きく一つ深呼吸をして心を落ち着かせた。それから、教室の扉をゆっくりと開けた。いつもの席に、いつもの様に座っていた彼女がイギリスが教室に入ってきたのに気が付きこちらに顔を持ち上げ、そしてふんわりと笑う。
席について儀礼といっていいほど当たり前の挨拶を交わし、ふとイギリスは黙り込む。考えてみたら、いきなり二人で出かけようなんていくらなんでも引かれる気がし始めたのだ。やはり最初は食事なんかに……そう悶々と悩んでいた時、不意に彼女から名前を呼ばれて思わず肩を跳ねさせてしまった。
「あの、どうしたんですか?大丈夫ですか……?」
心配そうに顔を覗き込んでくるから、思わず体を引きかけてとどまる。それで慌てて何か言わないと、と、ギュッと手を強く握る。そして
「……今日一緒飯を食わないか?」とやっと言ってのけた。言ってから瞬時に後悔をする。
吃驚しているのか、無表情で固まってしまった日本を面前に、背中に冷たい汗が流れるのを感つつ、イギリスは必死にぎこちない笑みを顔に貼り付けるのが精一杯だ。が、小さく笑って日本は頷いた。
気合いを入れた食事、といえばそれなりの場所でそれなりの物を、そして夕食だと勝手に思い込んでいた。否、別段高級じゃなくても構わない、ただ向こうでフランスがニヨニヨしながらこちらを伺っている昼の食堂で無ければ……
その上「私、本当に友人が少なくて……」とずばっと友人宣言しながら日本がニコニコ笑うもんだから、もう惨めなのか嬉しいのかすら分からない。
「いつも買ってるんですか?」
ちょっとだけ首を傾けて、イギリスの食べている学食のラーメンを見つめ、箸を咥えながら日本が尋ねる。彼女の弁当は冷凍食品の類が見られない程に丁寧に、そしておいしそうに仕上がっていた。
「……ああ、いつも買ってるな」
若干冷たくなったラーメンを啜りながら答える。
「そんなんじゃ栄養偏ってしまいますよ。」
目の前に座った日本が、そう言うと自らの弁当箱に収まっていた色合いの綺麗な卵焼きを一つ摘み上げ、イギリスの面前に翳す。
「ちょっと、自信作です。」
そう言って微笑む彼女に他意はあるのか無いのか、取り敢えずイギリスの動きを完全に停止させるには十分な破壊力がある。なんだこれはそのまま口に含んでいいものか。そう一人でざわざわ胸中でよく分からない葛藤を繰り返す。向こうでこちらを観察しているフランスの視線が痛い。
「……あの、蓮華を。」
……当然といえば当然か、と、固まっていたイギリスは思わず「ハッ」と目覚め慌てて蓮華を手に取るとそっと差し出す。卵焼きを渡しながら、日本がイギリスのギコチナイ様子を見やりつつ心配げに「卵、お嫌いでしたか?」と尋ねられたので勢いよく首を横に振る。
渡された卵を、そっと口に含む。家庭的な料理を殆ど口にした事が無いのに、直ぐに味覚から懐かしさを覚えた。素直に、おいしい。
「うまい」
直ぐにそう一言呟くと、こちらの様子をジッと窺っていた日本が嬉しそうに頬をちょっと赤くして笑った。
「私料理ぐらいしか出来ないので、そう言っていただけるととても嬉しいです。」
自分で言ってから、少しだけ悲しそうに笑って己の膝元に手を置いてそっと鉄製の足に付けられた機具をなぞる。その直ぐ後、ちょっとばかり重苦しい沈黙が横たわった。と、イギリスは気まずさと同時に彼女の少しばかり悲しそうな表情を見るのが辛くて、慌てて身を乗り出す。
「あのな、実は友人からたまたま水族館のチケットを二枚貰ったんだ。たまたまだ。」
イギリスの、全く今までの流れと関係の無い話題振りに、驚いて日本が顔を持ち上げる。
「それで、あのな、期限がもうすぐ切れてしまうんだが、勿体ないだろ?無料招待券なんだぞ。勿体ないだろ。」
「はぁ」としかイギリスの言葉に返しようが無く、日本はイギリスの言っている言葉の真の意味をくみ取れずに首を傾げて見せた。
「だから、なんだ、その……行かないか、一緒に。」
言い切ってしまってから、イギリスは自身の言葉が恥ずかしかったのか思わず赤面して視線を日本から外す。と、日本は日本で一瞬固まる。
「……ダメ、か。」
言葉が返ってこないのだから、俯いたままガックリとイギリスは肩を落とした。
「外に出たら私、車椅子に乗らなければならないんですよ……?」
キュッ、と結ばれた両手を膝の上に置き、俯いた日本が呟く。その声色に反応してイギリスは顔を持ち上げ、俯いた彼女を見やる。
「それは……転んで車道にでも飛び出したら洒落にならないからな。」
訝しそうにそう返すイギリスに、今度は俯いていた日本も顔を上げて視線を互いに交わさせる。
「でも、そうなるとずっと押して貰う事になってしまうかも知れないんですよ?」
「そのぐらいオレにだって出来るだろ。」
いっそムッとして、何でもない事の様に……否、何でもないし当然だと思ってイギリスがそう返す。日本の大きな瞳が、ゆっくりと見開かれる。
「……みんな、奇特な目で見るかも……」
日本がそこまで言ってから、やっと彼女の意図を掴みイギリスも訝しそうな表情を解いて少しだけ目を見開く。
「そんなの……そんなの関係無いだろ。」
ぶっきらぼうと言って良いほどの素っ気なさ、まるで取るに足りないことを言ってのけた様な口調でイギリスはそう吐き捨てる。イギリスのその言葉が言い放たれた後、再び日本が俯き溜まり込む。辺りの騒がしさばかりが目立ってこの場だけが別の空間の様だと密かに思った。
彼女は、考えているのだろうと思っていた。が、その肩が微かに震えているのを見つけて、そっと顔を覗き込み名前を呼ぶ。すると顔を持ち上げた彼女が、潤んだ瞳で笑った。
「私、魚好きなんです。」
あの時は舞い上がっていたからあまり考えなかったのだが、日曜日に彼女の最寄り駅で待ち合わせになり、行き帰りは兄に送ってもらうと彼女は言った。
兄……家に帰ってニヨニヨしてようやく気が付いたのだが、前にロシアが酷く嬉しそうに彼女の兄の話を出したではないか……彼女の兄が、一体どうしたというのか、そういえばロシアにも彼女自身にも聞いてはいなかった。
ソレが故、駅で彼女とその兄らしい人物を見かけ、思わず立ち去りたい気分で一杯になる。が、それよりも早くに日本がこちらに気が付き車椅子から大きく手を振って自分の名を呼んだ。
顔を持ち上げた彼女の兄、中国は一目自分の顔を見やるなり「あ」と一声呟き、そしてみるみる眉間に皺を寄せる。
「お友達ってお前、男あるかっ!?」
イギリスはイギリスで曖昧な笑みを浮かべて少し顔を反らす。
今だから言えるのだが、否、今だからこそ言ってはいけないのかも知れないほどにイギリスの中での黒歴史な訳だが、中学生の頃少々道を踏み外しかけてたりしていた。喧嘩をしたりたむろったりしたりはしなかったのだが、授業をサボって屋上で煙草を吹かしたり何かしていた。因みに今主張したい彼の不幸は、その当時の風紀委員長が彼、そう、中国だったという事だ。
約四年ぶりの再会は奇跡的であったが、勿論望んでいなかったし最悪の場であり状況であり、そして人選であった。
中国はイギリス、日本の約三つ年上で、もう社会人なのだろう。当然その当時中学一年生だったイギリスの事など覚えて無さそうなものなのだが、悲しいことに一度たてついて殴られた記憶があるので彼も覚えてるかもしれない。
「兄さんに何か言われるいわれはありません。」
若干頬を膨らまさせて中国を見上げて日本は唇を尖らせる。そのやりとりを余所に、一人脂汗を流しながら中国がどうにか自分の事を思い出さない事を願う。
ロシアは恐らく中国が昔から武道に長けていたという事を知っていたのだろう……いや、彼のことだからイギリスの黒歴史を知ってたってなんら驚きではない。そして彼は彼なりに素晴らしいほどに楽しんでいるのだ。嫌な奴だ。
「やっぱりダメある、日本は家帰って兄ちゃんと休日を過ごすべきだと思うある。」
グイと中国が車椅子を押しかけて、思わずイギリスは中国の腕を掴んでその動きを止めた。ムッ、と不機嫌そうな中国の視線とぶつかり、思わず冷や汗を掻きながら口を開く。
「あ、あの、ちゃんと日が暮れる前には妹さんお返ししますから。」
普段ではあまり使わない為、慣れない敬語を懸命に脳内から振り絞りそう伝えた。とにかく、今はとにかく彼が自分の事を思い出す前にこの場を切り抜けたい心地一杯だ。
「そんなの当たり前ある。……なんかお前、前に会ったことないか?」
グッと顔を寄せられるものだから慌てて後退し、ブンブンとちぎれそうな程首を振った。
「もう、兄さんいい加減にして下さい!私だって男性のお友達ぐらい居ます。」
眉間に皺を寄せ、頬を膨らまさせて日本は中国を見上げながら睨む。と、その視線には弱いのか中国も眉間に皺を寄せ、それでも眉尻を下げて口を噤んだ。
そしてイギリスはイギリスで再三のお友達宣言に若干慣れ始めて、ただ今にも命が絶えそうな溜息を吐くだけにとどまる。
「……分かったある。そのかわり、門限はちゃんと守るよろし。」
中国は以前不機嫌なまま車椅子から手を離す。それと同時に日本は顔を持ち上げてイギリスを見上げると、ニコッと笑った。
「行きましょう、イギリスさん。」
軽やかにそう言われ、「ああ」と返事を返し車椅子を押し出す。案外に軽くて、思わずドキッとしつつも何も言わずに駅員の差し出した板を乗り越えて車内に入る。瞬時、ほんの微かだがドア付近の人達の目線が寄越されるのを少しだけ感じた。
「……兄さん、私がこんなだから小さい頃からずっと心配症なんです。嫌な人だなんて、思わないで下さいね。」
ちょっと心配そうに微笑む彼女に、自身もうっすらとだけだが笑顔を浮かべて小さく頷く。
「分かってる。きっと日本の事が大切なんだろ。」
そう返すと、再びふんわりと彼女が目を細めた。
薄暗い館内のスポットライトを浴びて、水槽の中で何匹もの魚がヒラヒラと優雅に泳いでいる。セーシェルから貰った件の券の水族館は存外に大きく、休みの日という事もあって沢山の子供連れがやってきていた。
子供によっては車椅子が物珍しいのか指を指してくる子供も居たのだが、その度に日本は子供に向かって笑い返していた。大抵慌てるのは子供の両親だけで、手を取られて離れていく子供をどこか寂しげに日本は見送る。
「あ、クリオネですね。私本物はじめて見ます。」
小さな水槽の前でそう日本が声を上げるから、彼女の後方から身を乗り出して見やると、不思議な形をした生物が懸命に両手を羽ばたかせていた。
「……あまりこういう所にはこないのか?」
先程から歓声を上げて浮かれる姿を見やっていたイギリスはふと疑問に思い尋ねと、嬉しそうにクリオネを見上げていた日本が俯く。瞬時、NGワードだったのかとイギリスが胸中で激しく後悔の念を抱いた。
が、日本は顔を上げると嫌に明るい口調で喋りはじめる。
「私の足、私は覚えてないんですが幼い頃事故にあったかららしいんです。だからか兄は私を外に出すのを嫌がるんです。……母はその事故の時に私を守って亡くなってしまって、父は中学生の時に病気で。」
カラカラと日本の車椅子を鳴らしながら館内をゆっくりと歩いていくと、やがて巨大な水槽の前に辿り着く。
「それに私、恥ずかしい話なんですがずっと人見知りで、中高は殆ど友人らしい友人も居なかったんです。中学生の頃体も弱くてあまり出席できなかったし、高校の頃は居ても居なくても変わらない存在でした。だから一緒に遊びに行く友達も居なかったんです。」
周りの子供達はいつの間に居なくなったのか、辺りは静かで巨大な水槽の中を何匹もの巨大なマグロが悠々と泳いでいた。
日本は車椅子越しにこちらを振り返ると、ふと頬を緩める。
「だからイギリスさんに声をかけられたとき頑張ってみようかと思ったんです。大学生になってイタリアさんともお知り合いになれたし、きっと大丈夫だって。」
巨大なマグロの鱗は絶えず照明に反射してキラキラと輝いた。一見地味な魚だが、光に当たった瞬間はキラリと目に痛いほど輝く。
「すみません、私の話ばかり……そうだ、イギリスさんの事も教えてください。」
若干恥ずかしそうに俯きながら彼女がそう言う。一瞬の沈黙の後、イギリスがやっと口を開いた。
「俺は……オレの親父は会社を持っていて、あまり家に帰ってこない人だった。帰ってきたら帰ってきたで母親と喧嘩するんだ。・・・それで、家を出た。」
静かな水族館に自分の声はいやによく響き、思わず意識がどこかに飛んで行きそうだ。
「だが今思うと逃げただけなのかもしれない。」
そうイギリスが言った後、微かな沈黙の後日本がその沈黙を破る。
「海で泳いでる魚って、よく見ると沢山傷跡があったりするんですよね。」
それまで打つ向き勝ちだった彼女は顔を持ち上げ、目の前を泳ぐマグロに目線をやる。つられてイギリスも巨大なそれを見上げた。巨大なマグロの腹が自分達の背よりずっと高い所に居る。
「マグロって泳ぎ続かないといけないんですよね?もし怪我したとしても、きっと泳ぎ続けるんだと、思うんです。群れからはぐれても、どんなに冷たい海でも、荒れてる潮に揉まれながらも、一人で泳ぐのを止めないんです。」
悠々と泳ぐマグロ達がライトに当たり、いやに美しくきらきらと輝く。
「だから、きっとあんなにきれいに輝くんです。」
そう言って振り返った日本が、彼女特有だといえるほど綺麗に笑う。
「廊下で私の事助けてくださった時、窓からの光を浴びてイギリスさんの髪の毛が凄くキラキラしてたんです。綺麗で羨ましくて、魚の鱗みたいだと思いました。」
静かで薄暗い館内にこぽこぽという泡の音が鳴り、マグロの鱗が光を反射させて嬉しそうに笑って自身を見上げた彼女をキラキラと輝かせた。
館内を出て直ぐ、人の声が聞こえ従業員が何人か呼び込みをしている大きな広場の様な物が見える。真ん中に置かれた巨大な水槽に向かって、何列も椅子が並んでいる。
「イルカショー、ですね」
急に明るい外に出てきたせいか、目を細めながらイルカショーの列に並ぶ人々を日本は見やった。
「見るか?」
上半身を屈めてそう尋ねると、若干の沈黙の後チラリとイギリスを見上げる。思わず笑顔を浮かべると目線をもう一度大きな水槽に目線をやってから、コクンと一度頷く。
その頷きを見やってから車椅子を押し列の最後尾までやってきて、水槽に近付く為には階段を降りなければならないのだとようやく気が付いた。
「まだ前の列は空いているみたいだな。」
ジッと階段を見やっていた日本が、イギリスの言葉に申し訳なさそうに眉を歪めるのだが、勿論他意など込めているつもりのなかったイギリスは気が付かない。ただ、身を屈めさせると腕をスルリと日本の膝裏に滑り込ませると、日本が声を上げるよりも早くに日本の体をひょいと抱え上げる。
突然体を持ち上げられ、慌てて日本はイギリスの首に腕を回すと、思わず驚きの声を漏らす。それが故に、その場に集まっていた人々がこちらに目線をむけた。直ぐに降ろすように訴えたかったのだが、それすらも恥ずかしくなった日本は俯くと長い髪で顔を隠す。
やがて一番下の席につくと、日本をその席に座らせて、上に置いたままの車椅子を取りに再び階段の上に上がった。そして車椅子を担ぎ戻ってきたイギリスは、赤い顔をして俯いている日本を見やって軽く肩を竦める。
「どうした?顔が赤いぞ。」
恐らく本気で分からないのだろう彼に、文句を言って良いのか否か、兎に角周りの視線を集めているのをひしひしと感じている日本は俯いたままフルフルと首を振った。
結局、今日一日でどれだけ自分を印象づける事が出来たのか若干不安になりながらも、イギリスは日本の車椅子を押しつつ空を見上げた。
イルカショーも終わり、館内全て見て回った時点で既に四時ほどになっていて、中国との約束は一応日が暮れるまでだからもう帰らなくてはならないだろう。
それにしても……と、イギリスは空を見上げて、少しだけ目を細めた。
「……雨。」
厚くて暗い色をした雲の隙間から彼女の頬を目指し落ちてきたのだろう、右頬に右掌を当てて日本は空を見上げる。湿気を含んだ重たい風が一つ吹き、やはりと思う間もなく秋へ移り変わる為の大粒の雨が程なく二人の上にワッと降ってきた。
出掛けは降っていなかったし、天気も悪くなかった。それ故傘の準備なんて、当然二人ともしていなかった。コンビニは周りに無いし、駅まで少々歩かなければならない。
困った顔で空を見上げていた日本の上に、突然何かがフワリと落ちてきて空を見上げていた彼女を濡らす雨が途切れた。驚いて落ちてきた物を持ち上げて見やると、それはイギリスが先程まで着込んでいた秋用の、少々薄めの上着だ。
慌てて後ろを振り返ると、薄い長袖一枚のイギリスが肩を小さく竦めてみせた。
「あの……」
口を開けたのはいいが、どうやって返せばいいか分からずにまごつく。頭から被さっていたイギリスの上着を持ち上げて彼に返そうとするのだが、それをイギリスが腕を伸ばして押しとどめた。
「もうすぐ駅に着くから、それまでソレを被ってろ。……お前が風邪を引いて殴られるのはオレだからな。」
引き下がるか否か悩みながら、スッポリ被さっている上着をそっと手繰り寄せる。暖かなその感触と同時に、前イギリスに助けられ時に彼から流れてきた香りをふと感じた。柔らかく心地よい、紅茶の香りだ。
「ありがとう、ございます」
返すのも悪い……と、そう思考が動くよりも早くに日本は小さな声でそう礼を述べてそっと上着に頬を当て、雨の音にそっと耳を傾けた。