※ 性的描写が入ります。
光の世界 下
静かな森の中に聞こえてくるのは、湖の水音、葉がこすれる音、そして森の奥に住んでいるいくつかの鳴き声。それから2人の異邦人の声だけである。
「本当に何も知らねぇんだな」
微かに震える震える菊に向かって、特に何も考えずにそう言うと、瞬時、彼女は悔しそうに形のよい下唇を噛みしめ、泣き出しそうな顔でギルベルトからそっぽを向いた。重なるように、幼い頃の菊の姿をはっきりと思い出す。
十歳を超えるか超えないかの頃から光を失った菊には学ぶ術など無く、口伝でしか物事は伝えられていない。光を失うまでは、小説や勉強、絵画が大好きな、多感の子供で、両親からは当然の様に寵愛されていたのだ。彼女が時折描いていた絵は、どれも素晴らしく美し、そして暖かかった。
それら全てを奪い去ったのは、ギルベルト自身なのだ。両親からの愛さえ、ギルベルトが奪い去った。
恐ろしいほどの罪悪感で逃れたい心地ばかりが先行していても、いつの間にか罪悪感は仄暗い感情に移り変わり、寂しく一人ぼっちの姿を追い求める。昼は楽しい友人に揉まれ、淡い恋心を違う女性に抱いたりしていたが、夜は吸い寄せられるように菊の元へ通い詰めた。
いっそ執念とも思える感情は、年々膨張し、やがて見て見ぬふりなど出来そうにないところまで来てしまい、自覚せざるを得なくなった。一度自覚すると既に止める術はなく、沸々と煮えたぎる想いは、カークランドとの婚約で破裂した。
怯えて俯いていた顎を持ち上げて顔を覗き込むと、満月の月夜だからか一層青白く見える顔が、震える唇でギルベルトの名前を呼ぶ。醜い感情は溢れだし、既に己を止められる方法も無くなってしまった。乗り出して前髪を指先でどかし、なだらかな額に鼻先を寄せる。
「知ってるか、貴族は処女しか嫁にしないんだ」
解らない言葉が混じっていたらしく、見えない深淵の目を丸くして身を縮める。ほんの少し腕を伸ばせば直ぐそこに居る。触れれば暖かく、言葉をかければ返してくれる。
手の甲で頬をなぞり、細い顎を指先で撫でながら下へと向かう。逃げようとする腰を抱え込み、再び唇を合わせながら服の上から体の線を探る。薄めの腹部から胸部の膨らみを掴むと、無理矢理合わせられていた唇を離しギルベルトの顎を押し返す。
「お願い、やめてください……」
声色は怯え、震えている。しかし欲情は萎えることもなく、俯いたために露わになった白い首筋に噛みつき、草原に投げやると肢体を抑え込んで胸元のボタンを弾くように服をむしり取る。殆ど外出したこともない女の力など、力などいれずとも容易に押さえつけることができた。
怯えが強く叫ぶこともままならないのか、何度も名前を繰り返し呼ばれるだけで、叫んだり助けを求めることもしない。口を無理矢理ふさぎたくは無かったため、いっそ震えて縮まってくれていた方がありがたかった。
馬乗りになって服を開き、乳房を露わにさせる。ギルベルトを除けようと伸ばされていた腕も地面に下ろされ、地面を深く引っ掻いていた。細い指に沢山砂が付き、爪の合間にまで侵入している。もう片方の掌は己の顔に当てられ、恐らく泣いているだろう瞼の上を覆い嗚咽を漏らしていた。
きつく締めていたベルトを外しながら、少しばかり控えめな乳房の下にうっすらと浮かんだ肋骨が、嗚咽と共に揺れるのを見やる。長い年月指をくわえて眺めていたものがようやく自分のものになるというのに、喜びなど感じる暇もなく焦りが先行する。
腹部を押しながら撫で、スカートを捲りあげるとショーツの上から秘部を撫でる。一瞬体に力が入るものの、抵抗といえるほどに強くも無い。ただ、嗚咽が強くなるのを聞く。
革手袋を外し、茂みから指を潜り込ませるが、潤みは一切ない。当たり前だ、これは強姦であってキモチイイわけがないのだと、妙に冷静に考える。恐らく痛がり、泣き、完遂した時には嫌われているかもしれない。泣きじゃくる彼女を手前に、急激に冷めていくのが解る。
自我を持った子供のころから十数年間想い続けたの彼女は、昔から一寸たりとも変わらず、まるで少女の様だった。
脱ぎ散らかした上着を寄せると、露わになっていた菊の上半身にかけてやる。隠していた腕を退かして顔をのぞきこむと、ぐしゃぐしゃになった光の無い真っ黒な瞳が震えながらギルベルトを見上げた。
「……何にもしらねぇから、ちょっとからかっただけじゃねぇか」
頬を掌で拭うと、近場の湖でハンカチを濡らして再度丁寧にぬぐった。菊があからさまに安堵し溜息を吐くのを目の端で見やりながら、体を冷やすために水をすくって顔を洗う。
「……なぁ、俺の事、憎んでるか?」
振り返って問いかけた声色は、自分で思ったものよりもずっと真剣で、言ってしまってから、ここまでした癖にようやく心臓が震え出す。ギルベルトの上着ごと自身を抱きしめる彼女は、暫く俯いていたが、やがて意を決したように面を上げた。
「そんな事……でも、今は、怖い……です」
潤んだ真っ黒な瞳が、泣いたせいで小さくシャクリを上げる度に揺れる。まだ睫毛には涙の粒が付着し、木の合間から差し込んできた月明かりに反射し、キラキラと瞬きの度に光って見えた。
「その眼……」
指でそっと頬に触れると、長い黒髪を揺らして小さく首を傾げた。十の頃からまるで変わらない、無垢な黒いビー玉。急に彼女を抱いてしまおうと考えていた自身がその瞳に映り込み、ゾクリと寒気が背中を走り抜ける。
幼い子供を犯しかけた。そんな背徳感を覚え、ギルベルトは放心している彼女の頭を乱暴に撫でると、手早く自身の衣服を全て脱ぎ捨てた。
「俺は、水浴びする。疲れてるなら寝てろ」
どこかで湧いているのだろうか、水は一切臭いがせず、小魚が泳いでいるのが見えた。片足を入れると下は砂利になっており、穏やかだった水面が微かに騒ぐ。水は少々冷たいけれど、火照った体には丁度良いかもしれない。
「……ギルベルトさん、あの時」
不意に背後から声が聞こえてきて振り返ると、小さな体を草原の上でさらに小さく縮め、見えない瞳でぼんやりとギルベルトを見つめている。
「あの時、私は飛び出したことを悔やんでおりません。いいえ、寧ろ誇りに思っております」
妙にキッパリと言い切った菊の声を聞いた後、ギルベルトは冷たい水を顔に掛ける。そうでもしなければ、頭に熱が上がってそのまま泣き出してしまいそうであったからだ。
「……うるせぇ、馬鹿。早く寝ろ」
湖から上がると既に菊は寝入りはだけた服がそのままであり、白い肩が上着から丸見えである。一瞬ドキリとしたけれど、何も見なかったことにして上着を掛け直す。流石に寒いと、身を縮め、そそくさと火をおこす。
何も考えずに連れてきてしまったけれど、これからどうしようかと、揺れ動く炎を見つめた。爆ぜる薪を見つめながら、明日彼女に食べさせる食事さえ用意出来ないのだから、弟が居たら怒鳴り散らされるだろう。否、確実に殺される。思わずギルベルトが苦笑を浮かべた丁度その時、菊が小さく唸って身を捩った。
夜も更け、徹夜で火の番を決めたギルベルトは、一つの形に留めない炎を見つめていた。パチパチと炎が爆ぜる音が聞こえる中、不意に隣で寝入っていた菊が飛び跳ねるように体を起こす。
黒い髪に数枚の落ち葉を付けて、菊はジッと森の奥を見やっていた。落ちかけた衣服の隙間から真っ白な乳房が見え、慌てて上着を掛け直した。
「……き」く。と言う前に彼女の腕が伸び、ギルベルトの口を押さえた。それから声を抑え、身を寄せる。
「……誰か、来ます。それも十数人」
彼女のその言葉言い切るかその前に、ガサガサという足音が聞こえてくる。その上、灯りがチラチラと見え、ギルベルトは瞬時に眉間に皺を寄せた。
恐らく馬車を操っていたあの男が知らせに行ったのだろうが、こんなにも早くに捜索が来るとは思っていなかった。菊の服のヒモを締め直すと、彼女を小脇に抱いて立ち上がる。
「菊ー!返事をしろ!」
若い男の声が森の奥から聞こえてきて、ギルベルトと同時に菊が顔を持ち上げる。そして彼女は少しばかり眼を大きくさせると、ポツリと名前を呼んだ。
「アーサー様」と。ギョッとしてギルベルトが菊を見やると、抱き上げたその腕に力を込める。そんな筈が無い。カークランドの家はここから更に、最低でも一日はかかる距離だ。例えそれが自動車でも、そうやすやすココにまで来られる筈が無いのだ。
「……アーサー様、そういえば途中まで迎えに来て下さると仰っていました」
キュッとギルベルトの腕にしがみつきながら、菊は少しばかり切なげな表情をしてみせる。菊は、暇だからな!と笑うアーサーの声を思い出す。一度も顔さえ見たことの無い男であったが、優しい人であるのは分かる。
対してギルベルトの脳内に浮かんだカークランドの顔は、冷たい目をした男だった。血統を重んじる憎き貴族、そして菊を連れ去り、ギルベルトのささやかな楽しみさえ容易に盗むしたたかな男だ。ほんのささいな会話だけでも嬉しいギルベルトに対して、その聖域を侵してカークランドは菊を盗む。
菊を抱えたまま走り続けながら、掠れる月を見上げた。夜が明けるまで後三時間、という所だろう。まだ空は黒い。流石に人一人抱えて走るのは堪えたのか、ギルベルトは久々に喉の奥が痛むのを感じる。
「くそっ……囲まれたな」
三方人の気配がする。あと一つ残った道は、海だけだ。まだ遠いけれど、もう間近に潮の匂いと波の轟きが聞こえてくる。
焦り苛つくギルベルトに対し、菊は恍惚とした様子で塩の匂いと波の音に聞き惚れていた。素敵です。そう囁く菊の指先が、虚空を掴んだ。ギルベルトから離して貰えると、近くの木に寄り掛かり、目を瞑る。
「ギルベルトさん……まだ大丈夫です。」
ゼエゼエと肩で息をするギルベルトの方を振り返り、菊はふんわりと微笑む。先程まで幼児の様だったのに、今では妖美で人間離れしている。
「私が誘った、と仰いなさい。私が唆したと。あなたは将軍様なのでしょう?私は居なくても誰も寂しがりやしません。ね?」
冷静に、そして他意さえ無く言われた菊の一言に、ギルベルトの血は一斉に頭へと昇る。怒鳴りかけた口を懸命に噤み、固めた拳で近くの木を思いっきり殴る。その音に驚き、菊は眼を大きくさせ、微かに震えた。
どうしてそんな事が言えるのか。居なくなられては非常に困るから、今こうして盗んでしまったというのに……ギルベルトだけではない、沢山の人間の思いを、彼女は微塵も感じては居なかったのかと、虚しささえ覚える。
「てめぇ、ふざけろよ!俺様がたかだか女一匹に声掛けられただけでこんな事するなんて、誰が信じるってぇんだよ。」
泣き出したい心地に襲われながら、ギルベルトは己の顔を両手で包み込んだ。こんな事になるのならば、もっと前からしていれば良かったのだ。カークランドも弟も関わるよりも早く、奪ってしまえば良かった。
「……ギルベルト、さん」
困ったように差しのばされた菊の指先がギルベルトに届くよりも早く、草が掻き分けられる音と共に、誰かが運動量の所為で上がった呼吸音が聞こえてくる。香水をする間も無かったのか、いつもよりもその香りは薄く、菊の鼻にさえ届くかどうか分からない程だった。
顔を持ち上げたギルベルトは、盛大に顔を顰める。そして傍にいた菊の腰に腕を回し、引き寄せる。
「菊を、返してくれないか」
男の鼻の頭の上に汗が溜まっていて、その表情はギルベルトの知っている御貴族様では無い。アーサーは顔を上気で赤らめ、肩で息をしている。眉間に深い皺を付け、必死めいた色をみせていた。
そんなアーサーを見やりながら、ギルベルトは鼻先でフッと笑う。半ばやけっぱちじみた様子だけれど、不用意にギルベルトに近づけない理由が、アーサーにはあった。何故なら彼が菊を抱えて立っている場所が、崖の直ぐ傍だったからだ。だからこそ、アーサーは菊が人質にとられている様に感じていた。
ギルベルトがアーサーに嫌悪感を抱いているのを、アーサーは知っていた。けれども菊との婚約を嫌々ながら親戚が認めたのは、菊がバイルシュミット家と深い関係を持っていたからだ。だから最後までその繋がりを、菊に求めていた。そうして将軍家に媚びようとしていたのだ。
そんな貴族に嫌悪感を抱かない筈が無い。否、それだけではない。社交場でも馬鹿にされ、沢山の差別を受けてきたバイルシュミット家だ、その恨みを晴らすならば今しかないのだろう。花嫁を取られたとなれば、とんだ笑いものだ。
「返してくれ……要望があるなら、何でもきく」
ギルベルトの胸の中に居る小さな存在を見やりながら、アーサーは心地が焦ってはやるのを覚えた。やっと……やっと手に入れかけたのだ。彼女の部屋も用意したし、どこへでも連れて行ってやる為の馬車だって用意した。後は彼女だけなのだ。
そんなアーサーを見やり、ギルベルトは再び苦々しく笑う。
「お前等みたいな家に、菊はやらねぇよ」
ギルベルトにとってのカークランド家は、平気で人を貶める家だ。平気で人を殺し、当然の様に妻を子を愛さない、貴族だ。そんな所に彼女を渡す筈がない、絶対に。
ジリジリと後ろに下がっていくギルベルトの足下は、もう既に海である。
「……菊」
焦った声色でアーサーが名前を呼べば、菊は不思議そうな様子で顔を持ち上げ、黒い瞳でアーサーを捉える。その眼は、本当はアーサーを捉えてないのだというのが、嘘の様だ。
けれども初めてあったときから既に菊の光は遮断されていた。まだ慣れず、容易に歩けないのか、菊の膝小僧は傷だらけであった。そして彼女の寂しい部屋に、このギルベルトという男はいつも居なかったではないか。
沢山の本も読んで聞かせたり、家に咲いていた花を持ってきて遣ったり、珍しい食べ物も送った。嬉しそうに笑う姿が好きだった。初めてこの身分に感謝したものだ、菊とずっと一緒に居られる権利があるのだから!
「アーサー様」短くそう名前を呼ぶと、菊は微かに震えるギルベルトの体にしがみついた。
「あなたが私にダンスを教えてくださったでしょう?あの時私、とても楽しかったし嬉しかったです」
ギョッとして菊を見やるギルベルトを余所に、菊は眉根を下げて泣き出しそうな、少し困った表情を浮かべてみせる。
「あなたの事はとても好きです。……でも、どうしてこの方を一人に出来ましょうか。ギルベルトさんは、私なのです。同じなのです」
しがみつく菊の存在に、ふとギルベルトは寂しい菊の部屋を思い出す。両親にも投げ出され、殆ど物の無い寂しい世界。目の見えない菊には、太陽の光さえ届かないかの様な、そんな寂しい部屋。
それは子供時代から弟にコンプレックスを抱いていた己の心の中のような、そんな風景だ。そこに追い詰めた主を、菊はきっと理解しては居ない。
思わずフッと笑い、ギルベルトはしがみつく菊を抱く腕に力を込めた。さぁ、喜劇はお終いだ。幕を閉じろ。いつだか本で読んだそんな言葉が脳内に響く。そして、やにわに崖の上から海の中へと、飛び込んだ。
瞬時にアーサーが菊の名前を呼ぶけれど、水の中の2人には当然届かない。
水が口に入ったのか、波間に浮かんだとき、ギルベルトは菊が咳き込むのを聞く。このまま暫くしてまた陸に上がろうと考えていたのだが、思っていた以上に波が強く、また菊のドレスが水を含んで重い。
「海、ですか?しょっぱい」
掠れながら、それでも嬉しそうな声色で菊はそう呟く。ギルベルトも菊を抱く力を強めながら、「ああ、そうだ」と頷き、思わず目を瞑る。
「大丈夫だ、菊。見ろ、太陽が昇って来た。」
まだ太陽は昇らず、雲の向こうにまで闇は延々と続いている。けれども菊は、ギルベルトの胸に頭を寄せてふんわりと微笑む。
「ええ、分かります。分かります。綺麗ですね、ギルベルトさん」
嬉しそうな柔らかな声色。冷たい水の中、抱きしめた暖かな存在を覚える。思いっきり奥歯を噛みしめると、菊を抱きながら水を掻いた。
恐らくもうすぐ、ムコウ側から赤い太陽が昇るだろう。そうしたら、懸命に歩んでいけばいいのだ。
一応終わり