愛は理解

※ 普と♀日 普→←♀日 こんな関係が好きだ!


 
愛は理解 
 
 旧知の仲であったギルベルトは、大戦が終わり、国としての呪縛から逃れて気軽に菊の元へ遊びに来るようになった。日本文化にもとより興味があった、という彼に、菊は日本語を教えて過ごした。
 頭が良いのか、直ぐになんでも出来るようになるギルベルトに物を教えるのは、中々に面白い事であった。たまに訪れては、菊が日本語を教える……その関係が少しだけ崩れたのは、冬も半ばの頃であった。
 帰り支度をしているギルベルトを余所に、細雪だったけれどいつの間にやらボタン雪へと姿を変えている。あらゆる交通機関を遮断され、仕方なくその日は菊の家に泊まることになった。
 最初は嗜む程度にするつもりだった日本酒を、双方たらふく飲んでしまった為、珍しくもギルベルトが完璧に我を忘れて菊を押し倒した。抵抗すれば逃れることが出来ただろうけれども、敢えて菊はそうしなかった。
 そうする事で、二人の関係が好転するのではいかと思ったからだ。今から考えれば浅はかだったけれど、その時は酔っていたのもあるだろう。
 しかし朝が来ても二人の関係は別段好転することもなく、ただその日からギルベルトが一晩泊まっていくようになったことだけ、変化した。人間の様な恋人ごっこも無く、これは恐らくギルベルトが飽きた時に終わるのだろうと、心の何処かで思っている。
 その証拠か、ギルベルトはもう一ヶ月も姿を見せない。毎日ぼんやりと空を見上げながら、菊は彼の来訪を待ってみたけれど、訪れるのは虚しさばかりだった。
 
 定期の総会が行われた折り、久しぶりに菊は欧州へと足を踏み入れる。懐かしい面々の中に交じりながら、淡々と己の仕事をこなしていく。
 目の端で見つけた彼は、いつものように尊大そうに椅子に腰深く座り、顰めっ面をして資料に目を通していた。こうした公共の場で、彼と目があったことは一度だって無かった。
「菊!また菊のおうちに行っていいー?」
 ブンブンと大きく手を振って駆け寄ってくる主を見やり、強張っていた顔を緩めて菊はフェリシアーノのハグを向かい入れる。鬱々とした雰囲気を一変させてくれる友人は、やはり偉大だと思う。
「フェリシアーノ君がいらっしゃるのなら、うんとごちそうを作らないといけませんね」
 クスクス菊が笑いながら言い顔を持ち上げると、それまで資料とにらめっこしていたギルベルトと不意に目が合う。相変わらず顰めっ面をしたその目が一直線に菊に向いていて、慌てて視線を反らした。
 一瞬貫かれたような感覚を覚え、心臓が妙にバクバクと訴えている。
 会議が終了し、逃げるように会場を後にしようとする菊に、フェリシアーノが駆け寄った。
「ねえ菊、良かったらこれから飲みに行かない?何人か呼んだんだよ。気晴らしになるよ」
「そう……ですね。それならばお邪魔しましょうか」
 一瞬脳内で一人の人物が、その席にやってくるのか考えていた。恐らくは、兄弟で来るだろう。
 もっとよく考えれば良かったのに、結局は軽々とやってきてしまった事を後悔しながら、菊はコップに口を付けた。
 元来欧州とそう会話があうはずもなく、それでも宴会を見やっているのは楽しい筈なのに、菊は帰りたくてならなかった。ギルはエルザが好きなんや、と、彼の友人から聞いたのはもう世紀をまたぐほど昔のこと。けれど国にとっては、ほんの一瞬だ。
 考えただけで胸が痛むというのに、嬉しそうに彼女をからかっている姿を見るのは、流石に居たたまれない。思い人が振り向かないつらさは、菊だって現行で理解している。だからこそ、更に辛い。
「菊?やっぱり疲れちゃった?長旅だったもんね」
 そう心配そうに尋ねてくるフェリシアーノに、菊はふんわりと笑顔を浮かべて「それでは今日は失礼しましょうかね……」と、億劫そうに呟いた。一刻でも早く、この場から、あの光景から逃れたかった。
「送っていこうか?」
「……外に車を待たせてありますから」
 フェリシアーノの言葉を待たずに菊は立ち上がると、フェリシアーノ以外誰にも気付かれないようにその場を後にした。
 
 部屋に戻り風呂にはいると、やっとホッと息を吐き椅子に深く座る。頭の奥がジクジクと痛み、やっと己が疲れているのだと自覚し始めた。
 さっさと寝てしまおうと、ベッドの中に潜り込んで直ぐ、チャイムの音が聞こえ、億劫そうに顔を覗かせる。寝間着に着替えてしまっていたけれど、どうせ自身のお付きの人間だろうと、そのまま扉へと駆けた。
「はぁい」
 ついつい日本の癖で、相手のことも確認せずに扉の鍵を開いてしまった。開いてから「あっ」と思ったのだが、時は既に遅く、慌てて閉めることも出来ずに尋ねてきた主の手が差し込まれ、大きく開かれる。
「おいこらテメェ、そんなほいほい扉あけんじゃねぇよ。俺様だったからいいが、強盗だったらどーすんだよ」
「……私がそんなに弱いとお思いですか」
 菊は驚きで目を大きくさせてから、直ぐに細める。ギルベルトはほのかに酔っていて、意地悪そうに口角を持ち上げた。
「体調がわりぃんだろ。一発でヤられんぞ」
 コツンと額を突かれ、菊はムッと顔を顰めた。歳は菊の方がずっと上だというのに、昔菊に色々教授していた事があってか、今でも時折子供のように扱う。彼の方がずっとずっと精神年齢は低いというのに。
 その上菊の許可も得ずに、ドシドシと部屋の中に上がってくる。もう眠ってしまおうとしていた所だから、止めようと思う反面身体が動かなかった。
「いいんですか?まだ皆さん集まっていらっしゃるでしょうに」
「んだよ、お前の体調がわりぃっていうから、来てやったんだろ」
 勝手に冷蔵庫を開くと、菊が日本から持ってきていた緑茶のペットボトルの中身を一気に煽った。そして、右手に抱えていた大きな買い物袋をテーブルの上に放る。
「熱とかあんのか?」
 ぶっきらぼうな言葉を聞きながら、菊は袋の中をそっと覗き込んだ。ペットボトルの頭がいくつか覗き、中にはもう開けられた幾つかの薬の箱が見える。
「こっちにはお前んとこみてぇなコンビニがねぇからな。家にある奴つっこんできた」
 解熱剤に鎮痛剤……そしてルートヴィッヒさんのだろう、胃痛薬も入っていた。しげしげと眺め終えてから、全てを袋の中に戻す。
「申し訳ありませんが……熱とかでは無くて、恐らく月物の所為もあるのかと思います」
 子供が出来ない筈なのに月経があるというのも、あまりにも滑稽な話だ。けれど、菊の心持ちの違いなのだろうか、時折そうして菊の腹が強く痛む。
 最近は月に一度訪れるその痛みが、浅ましくて情けない気さえした。まるで自分が、子供を孕む事を祈っているかのようで。
「……ああ、そりゃあ俺の家には無いな」
 手に持っていたペットボトルを机の上に置くと、眠たそうな様子で彼が応える。
「そんな訳で、私はもう寝ます」
「おう」
 帰ってくれ。という事を暗でいおうとしたものの、ギルベルトはまるで気が付かぬ様子でポケットから小さな本を引っ張り出していた。
「あの……私、もうお相手出来ないですよ」
「体調悪いんならさっさと寝ろ」
 テーブルランプを一つともすと、残りの電気を全部落として彼が言った。手に持たれた本を見やると、それが日本の物だと解り、思わず布団から身を乗り出す。
「日本の書物を、もう読めるのですか?」
「ああ、漢字が少ないのだったらな」
 本の表紙を菊が見えるようにすると、得意げに笑みを浮かべる。子供向けの本ではあったけれど、これなら確かに言い回しの良い勉強になるだろう。
 思わず感心してジッと本を魅入っていた菊は視線を感じ、ふと顔を持ち上げると、赤紫の瞳が一心に菊を見やっている。目鼻立ちが良く、髪の毛の一本一本が見えるほどに透き通った色彩は、あまりにも自分と違い、慌てて目を反らす。見比べられるのなんて、ごめんだ。
 しかしながら顎を掴まれ、グイと顔を寄せられる。全く持っていつもどおりの強引さに、菊は肩を震わせて身構えた。齧り付く、と言った方が正しいのではと思えるほどに荒々しいキスを受けて、菊は逃れようと胸を押しのけるために腕を突っ張った。
 ようやく身体が離れたと思ったものの、ポイッと突き押されてベッドの上に倒れ込む。海外のベッドは柔らかく、勿論衝撃などほとんど無いも等しかった。
「……なぁ、簡単に男泊めてんのか?」
 キョトンとしてのし掛かるギルベルトを見上げる菊に、彼はにっこりと微笑んで見せた。一瞬ギルベルトの言葉を考え込んでから、ようやく口を開く。
「……フェリシアーノ君、ですか?お友達だからです」
 逃れようとするも、抑え付けられて動くことも出来ない。首もとに顔を寄せると、チクリと痛みが走る。あれ程目立つ場所に痕を残すな、と怒っているというのに、いつも菊が困る場所にばかり痕を残す。
「今日は本当に気分が優れませんので……」
 顔を反らして拒否をするも服の中に手を忍ばされ、身体を強張らす。好き勝手に興奮した男が、ベルトを外す音を聞きながら、なぜこうもこの男が自分に執着しているのだろうかと思い始めた。
 テーブルランプのほのかなオレンジに照らされて、綺麗な銀髪がまるで金色に輝いている。開国して煌びやかな海外を見るようになり、その色に憧憬の念を抱いた。凹凸のある体つきも、背が高いのも格好良くて羨ましかった。
 目の色も髪の色も、肌の色さえ似通わない彼の思い人。何か自分が選ばれた理由があるとすれば、ただ都合が良いからだけだろう。そう考えると、分かっていたことだというのになんだか異様な程に悲しくなり、視界が歪んだ。
 ああ、いい歳をして恥ずかしい。また彼に馬鹿にされるのだろう。なんて思うのと反対に、これで今度こそなんらかの変化があればいいのにと、心の何処かでそう望む。
「な!な、何泣いてんだよ!」
 暫く泣いている事に気が付いていなかったギルベルトは、顔を上げて直ぐにギョッとし、慌てて腕を伸ばす。ボロボロと零れる菊の涙を、手の平でゴシゴシと擦る。
「だ、だって、ギルベルトさん、やめてって言ってるのに……」
 スンスンと鼻を鳴らす菊に、ベッド脇のティッシュを数枚取ると、鼻をかむ様に促す。
「あー、冗談だ!泣くんじゃねぇ!」
 力一杯涙を拭ってくるその腕を押しのけ、菊は上半身を持ち上げた。不思議な悔し涙はまだ頬を伝う。
「帰ってください……」
 追い払うような手つきをする菊に、ギルベルトはムッと眉間に皺を寄せる。乱れた胸元を手早く整える菊に、唇を尖らせたままギルベルトはベルトを締め直す。
「嫌だ」
「もう、来ないでください」
 テーブルランプの灯りから顔を背け、出来る限りギルベルトの顔を見ないように深く俯く。
「……ハァ!?ちょっと待てよ、悪かったって」
 腕を掴もうとするとパシリと弾かれる。
「おい、そんな怒んなって。悪かったってば」
 身を乗り出して顔を覗き込もうとするも、菊は顔を反らしてギルベルトを見ようとはしない。
「お願いです、帰って下さい。私はもう、代わりなんて嫌です」
「代わり、ってなんのだよ」
 腕を掴まれれば弾かれるし、コチラを向きもしないものだから、黒髪を弄りながら顔を顰めて尋ねる。深く俯いて涙を隠す姿は、長い付き合いだが初めて目にした。
「代わりは代わりです…エリザさんの…」
「……げ、なんであいつの名前が出てくんだよ」
 相手を見る事も叶わないから、菊は俯いてベッドが揺れるので相手の動きを読もうとする。不意にお腹の周りに腕を回され、身体を密着される。
 耳元に口を寄せて名前を呼ばれる。抜けだそうともがくけれど、がっしりと抱きしめられてしまっている。
「お前何か勘違いしてねぇか?」
 彼は子供をあやすように、ポンポンとお腹に回した手で優しく叩く。しゃくりで肩を揺らしたまま、骨張った指を見やる。
「……一ヶ月もいらっしゃらなかった癖に」
 手の甲をキュッとつねると、直ぐ耳元で「ギャッ」と小さく悲鳴を上げた。
「なんだよ、今までずっと俺様が行くばかりじゃねぇか。たまにはお前が来いよ」
 やはり子供をあやすように頭まで撫でられながら、泣いてぼうっとしたまま後ろのギルベルトを振り返る。と、額に先程つねった手の平を当てられた。
「お前、熱あるんじゃねーの?」
 泣いたせいで熱が上がっていたのか、ギルベルトは頷き先程の様に菊を無理矢理寝かせ、布団をかぶせる。すっぽりと潜り込んでいるのを確認し、満足げに笑うと、まだ付いていた涙の雫を指先で拭う。
 次の朝、疲れからか、それとも本当に昨夜から体調が崩れていたのか、熱がほんのりと上がって朝は起きれなかった。お陰でもう一日滞在することになり、食事などは悔しいながらにギルベルトに頼ることになる。
「……なぜ日本語を勉強してらっしゃるんですか?」
 ベッドの隣に椅子を引っ張りだし、菊の世話をしながら文庫本を読むギルベルトに声を掛けると、彼は暫し考えてから、「教えねぇ」と笑った。