※ 人間買いのイヴァン君とモブ少年が登場します。卿菊だけど卿菊じゃなくて、違う話しを読んでると思って下さいw
私が書きたくて描いた感じなので、そんな感じです……
『 A captive 』
かけていた眼鏡をとると、未だに少々怯えを滲ませた様子でアーサーを見上げる妻に視線をやった。彼女は車いすにちょこんと座り、膨らみかけた腹を大事に抱えている。
「街に?何しにいくんだ」
「子供の物を自分の目で見て探したいんです」
仕事を全て家でこなしているために、机の上には常に膨大な書類が積まれ、一日菊の相手を出来ない日もあった。彼女は日長一日子供の服をぬったり、つわりがきつい日はベッドの上で過ごしているなど、娯楽らしい娯楽には触れずに過ごしている。
確かにどこかへ連れて行ってやりたいとは思っていたものの、街の治安はそれほどに良くないし、差別も未だに色濃い。しかしアーサーの仕事はまだまだ終わりそうにないし、明日も明後日も終わる目処さえ付いていない状態だ。
「出来るだけメイドつけていけよ。あと日が昇ってる内だからな。それからあんまり治安が悪い所には近寄るなよ」
アーサーがつらつらと述べる言葉を、熱心に頷きながら丁寧に聞くと、最後はいつもしかめっ面な顔に苦笑を浮かべ頭を撫でられた。子供っぽい扱いに黒い瞳を真ん丸にしてキョトンとしていると、彼は外で待機していたメイドを呼んだ。
「あまり治安悪いとこには近寄るなよ。あと、昼は仕事中断して昼飯には顔出すから、それまでに帰ってこい」
ぱあっと顔を輝かせる菊は何度も頭を下げると、メイドと連れだって楽しそうに家を後にした。窓からその姿を見送り、それから机の上の積まれた書類に目を遣り、溜息を吐く。
イギリスには光と影の世界があって、だからお前は絶対に危険な場所には立ち寄るな。と、会話をするようになってからアーサーから散々言われてきた。日本にだってスラムはあるし、大して違いが無いと思っていたが、輝かしいドレスを着た人と泥にまみれた子供達の格差は、初めて見た時非常に驚かされた。
子供用のおもちゃや家具、服をみてから馬車に乗ると、後は家に戻るだけだというのに、馬車はどんどん街中へと入っていく。
朝に降った雨に濡れた石畳、街角に群れている労働者と春を売る女性達。不安になって小窓を開け使用人用の個室に同乗していたメイドに問いかけても、彼女は伏し眼がちに黙り込んで菊の問いかけには答えない。前々から差別心の強い使用人は沢山いて、一応アーサーも気を使っているようだが、全てを排除することは叶わない。それでも彼女たちは、菊の存在自体を無視することなど一度もなかった筈だ。
「おろしてください」
腹部をギュウッと守りながらそう声高に言った瞬間、馬車は急に停まる。窓を開けていないために景色は解らないが、饐えた臭いとやかましい声が飛び交うのを聞くだけで、いつも暮らしている範囲からは大幅にずれているのが解った。
手元の杖を握りしめ、降りようか逡巡するものの、行動に移すよりも早くギシリと音を立てて馬車に誰かが足をかけた重みで大きく傾く。
「こんにちは。はじめまして」
姿をあらわしたのはアーサーよりも更に大きな男であり、透ける様な金髪に鷲鼻、そしてスミレ色の瞳がその色とは反対に柔和な雰囲気を一切持たず、小さく笑った。圧倒されて動けない菊の顎先に指先を当て上を向かせると、更に顔を寄せて黒の深淵を覗きこむ。
「なるほど、確かに珍しいね。わかった、高く買うよ」
姿の見えない誰かに向かってそう言うと、体の下に腕が回りそのままグイと持ち上げられた。そこでようやく我を取り戻して、抵抗しようと思わず手に当たったもの、男の耳を思いっきり引っ張る。
「やだ、おろしてください!」
「わぁ、痛い痛い」
出来るだけおもいっきり引っ張ってみても、男は子猫と戯れているかのように穏やかに笑っている。暴れているせいで一番武器になりそうな杖が転がり落ち、体温が一気に冷めて行く。
「僕の名前はイヴァン、まぁ、明日には売っちゃうから君の名前は聞かなくていいや」
「売る……」
目を丸くして呟き返すと、イヴァンはにっこりと笑って頷く。
「恨むなら僕じゃなくて、おうちの人を恨んでね」
掛けられた言葉の意味さえ理解できず、かたまっている中、そのまま馬車の外へと連れ出される。灰色の空に立ち込めた雲は厚く、辺りは太陽の光を遮られて暗い。嗅いだ事も無い生活圏独特な人間臭さとアンモニアの臭いが強く、思わず顔を歪めると頭の上から喉を鳴らす声がする。
カークランドの屋敷に居た時は目にすることの無い、ボロボロな服を身にまとい、石畳の道路には所々にゴミが散っている。
「……夫に連絡を」
「なんて?商品は無事につきましたよ、って?」
思わず強く唇を噛みしめると、外には解らない程度に膨らんだお腹を包み込む。それに気がついたのか、男はスミレ色の瞳を楽しげに細め、顔を寄せる。
「何かいるの?ああ、だから厄介払いされたの」
眉間に皺を寄せて眉根を釣り上げると、再び髪の毛を掴んで強く引っ張るが、それでもクルクルとイヴァンは笑うだけだ。道は更に狭くなり、見上げた空の先には洗濯物がびっしりとはためき、ただ同じ景色だけが続いている。
細長く小さな家がいくつも連なり、最終的にお店の様な場所に着いた。裏口から真っ直ぐ地下室につれてこられ、物置の中で座りこんだ。カビ臭く、天井……つまり一階からは楽しそうな声や歌が聞こえ、食器が絶えずぶつかったり椅子がひかれる音がするため、食堂か何かなのかも知れない。
灯りらしい灯りは無く、ずっと高い所に空いた、硝子のはめられていない窓がポッカリとかすかな太陽の光を差し込んでいるばかりだ。大きさは子供の頭程で、例え足が言うことをきいたとしても逃げ出すことは叶わなかっただろう。
溜息を吐きだし、どうにかする方法が無いかと辺りをグルリと見回す。眼が慣れないうちは全てが重い暗闇であるが、徐々に広い地下室が見えてくる。置かれたものにはことごとく埃が被っているものの、酒樽の類は頻繁に持ち運びがあるのか綺麗なまま置かれていた。
ふと、部屋の隅っこの暗がりからコチラを観察する眼を見つけ、瞬きと共に菊もその光を見返す。藍色の光は警戒しつつ菊に近寄り、差し込む夕日の光にその姿を露わにした。まだ幼い少年で、明るい茶色の髪に頬にはそばかすが散っており、先ほどから菊を観察していた瞳には怯えがありありと映っている。
「こんにちは」
そっと呼びかけるとビクリと震えてから、恐る恐る菊の前まで四つん這いのままはって出てくる。歳はまだ10歳前後程で、服装はどこもかしこも解れてボロボロだ。
「お姉さんも売られちゃうの?」
「そうみたいですねぇ」
苦笑を浮かべると藍色の瞳をキラキラと輝かせ、ピッタリと菊の隣にくっついて座る。愛犬のポチを思い出して頭を撫でると、彼は嬉しそうに眼を細めた。
「こんなに小さいのに……」
思わず声を漏らすと、不思議そうな色を宿して藍色の瞳が菊を覗きこむ。
「小さくないと煙突に入れないんだ。お姉さんはどうしてここに?」
「さぁ……どうしてでしょう」
懐妊と共に妬みの類は嫌というほど感じているため、一体誰の差し金でどうしてこうなったのか、身に覚えがありすぎて想像もつかない。しかし雇っているメイドに売られる、というのは流石に情けないくて肩を落とした。
まさかアーサーに厄介払いされたとは微塵も思っていない。むしろどうにか今の状況を伝えられないものか、そればかりがグルグルと頭の中を巡るが、結局何も思いつかずに溜息ばかりが飛び出してくる。
「飴、食べますか」
ポケットに一杯詰まっていた飴を一つ取り出して少年に手渡すと、彼の瞳は再びキラキラと輝き受け取った。前に喜んだ菊のために、掌一杯アーサーが飴を持ってきて、それを無造作に詰め込んでいたのだ。ミルクと蜂蜜が混ぜ込まれていて、彼曰く私に似ているらしい。
菊も一粒口に放ると、柔らかな甘みが口の中に溶けだし強張った心が解けて少しばかり落ち着いた。落ち着いて周りをグルリと見回してみても、やはりどこにも逃げる場所は無く、この二人以外の気配は感じられない。
カタリ、という物音が聞こえ咄嗟に少年を抱え込むが、現れたのは人形の様に綺麗な顔をした……しかし氷のように冷たい美少女だ。この世のものと思えないほどに整い、感情が見えない顔に、思わず恍惚とする菊を差し置いて忌々しそうにコチラを睨む。
「貧相な女だ。本当に売り物になるのか?しかも子持ちだ」
まるで魚を揶揄するような言い方に、思わずムッとしながらも雰囲気に飲まれて言葉も返せずただ下から見上げるばかり。
「えぇー鮭だったらお得だよ」
いつの間に現れたのか、イヴァンが少女の背後に立っている。長身のため彼だけが飛びぬけて見え、思わず押されて身を縮めた。
「兄さんが、そう言うなら……」
美少女はウットリと相槌をうつと、それまで尊大そうに腕を組んでふんぞり返っていた姿勢を整え、一歩ひいてイヴァンの背後に回る。威圧的な表情は打って変わって頬を薔薇いろに染め、すっかりほころんでいた。あからさまの態度に苦笑をしつつ、再びイヴァンを見上げる。
彼は全面に笑顔を浮かべて身を屈ませると、手元のランプで菊の顔を映しだし、じっくりと見やる。視線とランプが眩しくて顔をそむけようとするも、顎を掴まれて真っ直ぐに視線を合わせられた。
「ハレムの方に売ろうかと思ったんだけど、彼らは西洋人の方が好みでしょ?やっぱり悪趣味な貴族連中かな。そうしたら裸じゃないほうが受けるかな」
ゾッとするような事をいいながらも笑顔を保つ男を睨みつけると、会話の内容を知ってか知らずか少年はピッタリと菊にくっつく。
暫く菊を観察した後、手を一つ打ってから笑顔を少女へと向けた。「ナターリヤのネグリジェ一枚頂戴」という言葉に、そしてようやく向けられた念願の瞳に少女は顔を輝かせ、一つの文句も言わずに軽やかな足取りで引っ込んでいった。
「念のために聞いておくけど、旦那さんの名前は?」
「……アーサーです。アーサー・カークランド」
東洋人の妻を持つ貴族を調べれば、アーサーの存在など直ぐに解ってしまうだろう。それならば菊の居場所を彼に知らせることが出来た方が、これからの危機も回避しやすくなる。
微かな逡巡の後に応えると、イヴァンは満足そうに頷き立ち上がった。そして戻ってきたナターリヤに何かを耳打ちすると、そのまま振り返ることも無く真っ直ぐ扉へ向かい、姿を消した。すっかり太陽が落ちてしまったため、今やランプが無いと殆ど真っ暗で何も見えない。
頭上の楽しげな声色は益々盛りあがり、時折歌声や怒鳴り声までもが混じって聞こえる。その喧騒は楽しそうではあるが、菊に不安感と恐怖ばかりを植え付けていた。
「着替えろ」
差し出されたのは可愛らしい刺繍がいくつも施された、白を基調にしたネグリジェである。受け取って戸惑うものの、入って来た時と同じ、今にも噛んできそうなほど冷たい視線に負け、長袖ながら少々薄い生地に袖を通した。
ゆったりとしたワンピースの形は腹部を隠し、体の線も程良く隠した。しかし普段は大抵着物で、アーサーに乞われた時ぐらいしか着たこともない。普段の服の方がよっぽど体を強調させていると思えるのに、彼曰く西洋の男性にとってはネグリジェは相当魅力的なのだという。
「貧相な体だ……寝ろ」
ふん、と鼻を一つ鳴らすと、左腕に持っていた毛布を菊と少年に手渡す。肌寒かったために直ぐに包みこまれると、用事を終えた筈のナターリヤは冷たい視線を降り注ぎながらも中々立ち去らない。
「えっと……何か……」
「本当に子供がいるのか」
不意におりてきた言葉に、眼をパチクリと揺らしながら思わず頬を緩めて自身の腹を撫でる。少しばかり大きくなってきたお腹は、いつもの夜であれば今頃アーサーが慈しんで撫でてくれていた筈だ。
「はい。後半年ほどで出てまいります」
喉を鳴らして笑う菊に、ナターリヤはしゃがみ込んで地面に手をつくと、しげしげとまだよく解らないお腹を見つめる。興味津津な様子がおかしくて眼の端を下げ、その様子を暫く眺めていた。
「……売るのは明日の夜だ」
いくらか眺めてから立ち上がると、今までと同じ調子で繰り返す。菊と少年を見比べてから、底の高い靴を鳴らして先ほどイヴァンが出て行った扉から、先ほどまで菊が着ていたドレスを抱えて彼女も姿を消す。残されたのは二人と毛布だけで、再び地下室は真っ暗に染まった。
頭上からはいつまでも楽しげな声が響き、横になって眼を瞑っても当然眠気はやってこない。少年だけでもと、最初は足台を作って窓を覗いたり扉をいじったりしたが、結局出られそうも無く少年が先に毛布にくるまって寝息を立てていた。
話を聞けば少年には家族も無く、お手伝いで置かれていた家から売りに出されてしまったらしい。行き先はこれから決まるけれど、小さな少年は体が小さいから煙突掃除にも、炭鉱でも、細かな作業を必要とする製糸工場でも働ける。
赤毛の髪に指を通らせて頬を撫でてから、少年と同じ毛布に入って騒がしい天井を見つめた。
朝が来て暫くするとパンをいくつか持ったナターリヤと、更に数人の少年と少女が連れてこられた。結局抜け出すことも叶わず、再び太陽は傾いた。薄暗い室内から連れ出されると、子供達と一緒に格子付きの馬車に詰め込まれる。
揺られる世界を見ていると、更に複雑な道を抜けて行く。誰も彼もが自分よりも酷い扱いを受けている人々に、どこか侮蔑をこめて見やって来る。まだ珍しい東洋系の菊が気になるのか、あまりにも真っ直ぐ向けられる視線に耐えきれなくなり遂に馬車の隅で膝に顔付けて蹲った。
カビ臭くて狭い部屋へ連れ込まれると、イヴァンに抱えられたまま人がぎっしりと密集している部屋の中央に連れ出された。異常なほど部屋に立ちこめた熱気が辛く、思わず身を縮めるが、イヴァンは気にすることも無く舞台の最前に置いていかれる。
数字がいくつも飛び交う中、毒気にやられてクラリと意識が遠のき、額に脂汗を浮かべさせて俯いた。体中が震え唇を噛みしめる中、不意に胸の奥が緩み弾かれる様に顔を持ち上げる。
争っているのは既に二人らしく、けた違いの数字を言い合う。客は殆どが姿を隠すために眼もとを仮面で覆っているのだが、その二人も多分に漏れず顔を仮面で隠していた。小太りの男とボサボサな黒髪の、まだ若いシルエットを持っている男。
「お前の倍出す」
若い男の冷静な声を最後に、鐘が鳴り響く。仮面の奥の瞳がどこか余所にずれることなく、ただ真っ直ぐに菊を見つめていた。
受け渡しの場所は人でごった返し、中には全裸の少女なんかも居たけれど菊は顔を輝かせて声を挙げる。
「アーサー様!」
「菊っ」
彼は真っ直ぐ駆けよると菊を抱き上げ、安堵のため息と共に菊の肩口に顔を埋める。菊はアーサーの頭にかぶせられていた黒のかつらをとると、麦色の髪に唇を寄せた。いつもの精悍な香水の香りに頬を緩め、頭を抱え込むように抱き寄せる。
「あ!私昨日お風呂入ってません」
「なんだそりゃ」
慌てて離れようとする菊に笑い声を立て、眼もとを覆っていた仮面をとり汚れていた菊の頬を掌で拭う。強張っていた黒曜石の瞳が安堵に揺れて、アーサーの掌を包み込み頬を寄せて笑い返す。
「何も酷いことされてないよな?」
「大切な売り物だもの。何もしないよ。はい、じゃあお代もらっていいかな?」
いつの間に近寄っていたのか、二人のすぐ後ろで満面の笑みを浮かべたイヴァンが立っている。ギョッと二人で小さく飛び上がり、慌てて振り返った。
「人攫いは警察に突き出してやる」
舌うちと共に、菊を地面に降ろすと腰につけていた短銃を引き抜く。銃口を真っ直ぐに向けられたというのに、イヴァンは相変わらず余裕の笑みを浮かべて軽く肩を竦める程度で脅威の欠片も抱いていないらしい。
「ええー僕は正規なルートで買っただけだよ。むしろ君に今回の招待状を出したのは僕だから、感謝して欲しいな」
あくまで穏やかな口調に苛々を露わにしながら、菊を抱き寄せる腕に力を増した。もう一度舌うちをすると、拳銃を腰に戻して再び抱きかかえる。
「……メイドは全員解雇だな」
誰がどこで繋がっているのか洗いだした後は、使用人を解雇しなければならない。菊にお付きの日本から共にきた様な使用人数人を残し、全員に暇を出さざるを得ないだろう。昔からアーサーの機嫌に振り回されたり、菊に差別意識を持っていたがために追い出された人が多く、入れ替わりが激しい。
「あ、それなら……」
眉根を下げて上目がちに覗く妻の姿に、知らず表情が蕩ける。
慣れた馬車に乗り込むと安堵に眠気が襲ってきて、アーサーの肩に頭を寄せると眼を瞑った。夢うつつにアーサーの言葉に返事をしながら、抱き寄せられた腕を抱きしめる。
「ああ、そうだ、ルートヴィッヒさんお弟子さん欲しがってたから、きっと喜びますね」
買い取った子供達は後方の馬車におり、明日からごっそり消えるメイド達の代わりに、沢山の子供達が入って来る。子供好きな菊は嬉しいらしいが、既にアーサーはげっそりとしてしまう。それは恐らく、あの生真面目で孤独を愛するな庭師も同じだろう。
苦笑を浮かべ相槌を打ち頬を撫でると、幸せそうな笑みを浮かべてからゆったりとした寝息が聞こえてくる。
違うキャラを出したい企画1イヴァン君 次はギルとかトーニョとか悪友関連がイイナぁ
因みに昔読んだぶっといハムレについての学術本がイメージです