卿菊・女体化・パラレル
ファードレ
フェリシアーノはアーサーの部屋の前に立ち、ボンヤリと下を見つめているアルフレッドを見つけ、ついっとしゃがみ込んで目線を合わせる。そして小さく首を傾げた。
「どうしました?」
いつもの様にニコニコと問いかけると、アルフレッドは頬を膨らませ上目勝ちにフェリシアーノを見やるが、何も言わずにまた俯く。そして「ああ」とフェリシアーノは頷いた。
今部屋には菊とアーサーが二人が居て、ちょっと入りづらいらしい。子供がそんな事気にしなくて良いのに、久しぶりに会う父親というのも酷く居づらいのだろう。
最近ちょっとばかり反抗期で父親に反抗心は持っているものの、その態度を出して母親に叱られるのも嫌なのだろう。どう言ってあげようと悩んでいると、不意に扉が開き中からアーサーが出てくる。
「……どうした、お前等?オレはちょっと書斎に行ってるから。」
訝しげにアルフレッドとフェリシアーノを見やってから、アーサーは書斎に向かい歩き出す。開けられたままの扉の向こうで、ちょっと照れたように菊が笑った。
その日はアーサーが書斎に籠もり、庭をアルフレッドと菊の二人だけで歩いていた。空には軽く雲が引かれ、今日は小春日和で久しぶりに少々暖かい午後だ。
「林を見にいこう!」とアルフレッドに袖を引かれて菊は誰か人を呼ぼうとするが、それをアルフレッドは首を振って制して、身を乗り出し口を開く。
「二人で行こう!」
ね!と笑いかけるアルフレッドに半ば押されて菊は空を見上げる。微かに曇ってはいるが、雨は降りそうも無い。久しぶりに暖かいのだし、と、菊はやっと頷きアルフレッドに笑いかけた。
書斎の窓から菊の車椅子をアルフレッドが押しつつ庭の向こうに行くのを、アーサーは目の端で見送る。二人だけというのは頂けないが、まぁ庭のなかなら別段問題もないだろう。そう、ちょっとだけ眉間に皺を寄せながらアーサーは窓の外にやっていた目線をまた書類に落とす。
アルフレッドは暫らく車椅子を押しながら歩くと、幾分そうしてきたのか、やがて屋敷さえ小さくなって見えなくなる。そこからはただ噴水の頂きだけがチラチラ見えた。
「もうもどりましょうか。」
と菊が言うと、アルフレッドは慌てて顔を持ち上げて必死めいた様子で首をふるふると振る。
「もうちょっとだけ。」
アルフレッドのその言葉に、菊は困ったように笑い、最近アーサーとばかり一緒に居たものだから、いつの間にか淋しがらせていたのかも知れない。と、そう菊が考えている間も、アルフレッドはずんずん進み、いつも行く散歩のコースを大幅に外れはじめた。今日は暖かいといえど所詮冬は冬。ずっと歩いているとそろそろ指先がかじかんでくるし、気のせいか先程よりも寒くなってきた気がする。
「ねぇ、アルフレッド……」
と菊が声をかけようとした瞬間、ポツリと菊の鼻先に何か冷たい物が落ちてきた。雨だ。先程まで雨は降りそうも無かったというのに、いつの間にやら雲は随分厚みを帯、大粒の雨が急にザァッと二人に降り落ち始める。
ずっと暖かかった筈の気候が一変し、雨に濡れると途端に体温が体から離れていく。しかも雨は結構な激しさで、すぐに二人はバケツの水をかぶったかの様になってしまった。
「わぁ!」と声をあげ、アルフレッドは慌てて家に向かって車椅子を押そうとするのだが、雨によってぬかるんだ土のせいで直ぐ様車椅子は車輪をとられ、転倒した。
「母様!」
声を上げ、泥まみれの土の上に投げ出された菊にアルフレッドは駆け寄り、その腕を取って立ち上がらせようとするのだが、小さなアルフレッドには菊を支える力も無い。その上足場も安定せず、手を付いて立ち上がろうとするも滑って立ち上がれない。
「ごめんなさい……」
アルフレッドは目に涙を溜め、上目勝ちに菊の事を見上げるそのアルフレッドの頬を、上半身だけ持ち上げた菊が両手で包んだ。地について懸命に藻掻いたために手の平まで泥が付いた手の所為で、アルフレッドの頬もちょっと泥が付く。
「大丈夫だからしっかりしなさい、アルフレッド。あなただけでもお屋敷に戻って人を呼んできなさい。」
いつも弱く折れてしまいそうな母は、その時ばかりは眉を上げ凛とした表情をする。その顔を見ると微かに涙を目の下に溜めていたアルフレッドは慌てて涙を拭い、大きく強く頷いた。
ゴロゴロと空が唸り、光ったのを合図にアルフレッドは駆け出す。それまで雷は苦手だったのだが、今のアルフレッドにとってはもうそんなことどうでも良かった。ただ冷たい雨に打たれているだろう体の弱い母の事ばかり頭を過ぎり、いつも恐ろしかった空の上の爆発音などどうでも良く感じる。
林に沿って歩いていたから、来たとおり走ると遅くなると思い林の中に突っ込んだ。今の今まで優しかった林は表情を一変させ、ザアザアと雨に打たれて不気味な音を立てていた。暗く染まった世界は自分を孤立させている気がして、怖くて怖くて軽く膝が震える。それでも走るのは止めてはならない。
木の根に足を引っかけ大きく転倒すると、軽く頬を枝で切ってしまいその箇所が熱くなるのを感じた。それまで耐えていた涙がボロボロ零れ顔に痛いほど強く当たる雨と熱い涙が混じり、顎の先からどんどん零れていく。
それでも、やはり走るのは止めてはいけない。体が雨に濡れて冷たくなるのと反対に、走り続けて体の芯だけが異様に熱い。自分が吐き出す息と、ザワザワという林の声にグルグル取り囲まれたきがした。
暫く書類に没頭していて気が付かなかったのだが、いつの間にか窓を強い雨が打っている音が鳴っていた。顔を持ち上げて何気なく窓の外を見やり、部屋の外に待機しているフェリシアーノを呼ぶ。
「アルフレッドと菊は?」
いつもの散歩ならばもうとっくに帰ってきている時間だが、一応気になり尋ねる。と、フェリシアーノは「ちょっと待ってて下さい」と一言言い置いていつも二人が居るだろう所に向かった。
結構な時間が経ち、ペンの端を咥えたまま書類に目を通しているところに、先程まで笑っていたフェリシアーノは顔色を一変させ慌てながら部屋に転がり込んできた。
「ア、ア、ア、アーサー様!大変です。お二人がいらっしゃいません!」
転がり込み叫んだフェリシアーノのセリフに、暫しアーサーはぼんやりとした後、アンティークの価値が高い椅子を大きな音を立てて引っ繰り返して立ち上がる。
「馬を出せ!」
近くにあったコートと雨避けの為に黒いローブを取り、馬場に向かい駆け出したその後を、フェリシアーノも慌てて駆け出しアーサーの愛馬を引き連れ出す。冷たい雨がザアザアと辺りを強く打ち付け、吐き出す息は白くモヤとなる。
今日は割と暖かかったのだが、雨が降り出してからは立っているだけで寒さで体が小さく震えた。
「皆にも探すように伝えておけ。」
「はいっ」というフェリシアーノの返事を聞くよりも早く、アーサーは馬に乗り駆け出す。バチバチと雨が顔にぶつかり、痛い程だ。
早く着くと思い林の中に入ってしまったのが間違いだったのだろう、もうずっと同じ箇所をぐるぐるしている錯覚に陥り、アルフレッドはパニックを起こしていた。指の先と足の先から体温は抜け落ち、酷く冷たくもう感覚は無い。
怖くて怖くてたまらなく、もう流れていた涙も出なくなってしまい冷たい雨に火照っていた体が冷え切ってしまった。
と、その時雨の音の中に混じって誰かが自分の名前を呼んだ気がして、思わず顔をそちらに向ける。その時初めて立ち止まったアルフレッドがそちらに顔を向けると、もう一度誰かが自分と母の名を叫ぶ。
アルフレッドはその声を聞き、何か考えるよりも早くに草が茂った中に突っ込み、擦り傷を作りながら藻掻きに藻掻き、林から抜け出た。
そして抜け出た瞬間、アルフレッドの目前で巨大な馬がいななき前足を高く上げた。あまりの迫力に声を失って尻餅を付いたアルフレッドを、馬に乗っていた人物が名前を呼び腕を伸ばす。
思わず立ち上がりその腕にアルフレッドは捕まると、軽く馬の上に持ち上げられる。
「大丈夫か?」
抱き上げた人物が鬼気迫った様子でそう尋ねると、自分が羽織っていたローブを脱ぎアルフレッドに掛け、その布でゴシゴシとその体を拭く。アルフレッドは自分を抱き上げた人物、アーサーを見やり呆然としていたその表情を崩し、突然声を上げて「わぁっ」と泣き出す。ボロボロと零れる涙を、驚いて慌てたアーサーが雨で濡れ冷たくなった体と一緒にゴシゴシ拭いてやる。
「もう大丈夫だから、な。菊はどこだ?」
アーサーに宥められてアルフレッドはわんわん泣きながら林の向こうを指さす。と、アーサーは「捕まってろ」と一言呟くのと同時に、アーサーはもの凄い早さで馬を走らせ始める。思わずアルフレッドは振り落とされないようにアーサーに強くしがみつく。と、なぜか懐かしい心地がして安心感さえ覚え、また涙が零れた。
やがて延々と続くかのような野原の合間に倒れた車椅子が見えるが、先程まで倒れていた場所に彼女の姿は無い。
「菊!どこだ、菊!」
アーサーがそう声を上げると、近くの木の下から「アーサー様?」と問いかけるような小さな声が聞こえる。木の下に入って少しでも雨風を防ごうとしていたのだが、それでも随分濡れてしまっていた。
意識する間もなくスルリとアーサーは馬から滑り降りると、直ぐさま菊に駆け寄り自身が来ていたコートを脱いで菊に着せる。
「大丈夫ですから……」
そのコートを受け取ろうとせずにそう言いかけるが、無理矢理その肩にアーサーはコートを掛ける。
「そんな顔で何が大丈夫だ。」
寒さで白い肌が更に白くなり、いつもは朱い唇が色を失い黒髪がいつもよりも濡れて見えた。アルフレッドはピョンっと馬から飛び降りると、急いで二人の所まで駆け寄る。
「アルフレッド!」
思わず菊が手を広げてその名前を呼ぶと、駆け寄るアルフレッドの目から再び涙がボロボロと零れた。
抱き留められて胸に頬をすり寄せると、ふと頭の上に大きな手の平が降りてきて自身の頭を優しく撫でる。