卿菊
444444ヒットのキリバン
リクエスト:「初々しいながらお互いの性格が解ってきたあたりの卿菊」
『麗しの』
アルフレッドが生まれて半年経っても、アーサーはまだ家で仕事をしていた。随分忙しそうにしているから、仕事は沢山あるのだろうけれど。
寒さに身じろぎをして目を覚ますと、まだ空は濃い藍色が世界に満ちていて、起きるまでまだまだ時間があることを知る。ずり落ちていた布団を引き寄せ、隣で眠っているアーサーの肩にも綺麗に掛け直した。
眠っている時は起きている時から一転、非常に無防備な姿で、思わずしげしげと観察する。長くて金色の睫毛に立派な眉毛、よく皺のよる眉間は、仕事をしている時以外は見かけなくなった。起きると、コチラの人と比べると少し目は大きめで、童顔の類に入るらしい。菊からすれば、そうは見えないけれど。
鼻も高くて彫りも深く、綺麗であると思う。じっくりと観察していると、不意にパチリと目が開いて硝子の様な緑色の瞳が覗く。若干寝ぼけているらしい彼は、しげしげと見やる黒い瞳を見返してから、左手で自身の顔を隠した。
「……なんだよ」
起きたばかりで掠れた声色が、戸惑いを滲ませながら聞こえる。
「いいえ、目が覚めてしまったから、アーサー様の顔を拝見していただけです」
「あまり見ないでくれ」
下からジッと見上げていると、大きな掌で視界を隠された。次いで引き寄せられて無理矢理に視線を顔から外させる。
「まだ寝てろよ、疲れてるだろ」
小さな小さなアルフレッドに触れる時の様に、優しく頭を撫でられ寝かしつけられる。撫でられる、という行為自体大人になってしまえばほとんど無いけれど、心地よくて再び眠気を覚えた。
鼻先をアーサーの胸に押し当てて目を瞑ると、菊が眠るよりも早くに彼の寝息が聞こえてくる。胸も上下にゆったりと揺れ、菊の体にまわされた腕はいつもよりも暖かい。
アルフレッドが生まれてから暫く寝込んでいた菊は、ようやく目が覚めると殆ど使っていない自室のベッドにいた。そこから休養のために自室で寝起きし、調子をとりもどしてからアルフレッドの世話のために子供部屋で寝起きした。
四か月ほどで夜泣きがおさまると、夜は乳母に任せるようになり自室に戻ろうと思ったところで、アーサーが菊の部屋へ顔を出した。「寝室、もとに戻すだろ」と有無を言わせぬ様子で言われ、寝る準備をしていた菊は思わず頷く。
アルフレッドを生んでから、夫と枕を共にしていなかったから、てっきり自分の役目は終わったのかと思っていた。しかし子供の死亡率は非常に高いため、上層の人々が沢山の子供を生むのは日本でも変わらない事。しかし医者には「もう子供はできないんじゃないか」と言われ、アーサーの心も他に移るのだろうと、ぼんやり思っていた。
期待と不安を綯い混ぜにしながら寝所についていったが、特に何をするでもなく抱き枕にされて眠ってしまった。久しぶりの体温に懐かしさを覚え寝付きはよかったけれど、早朝に覚醒してしまう。
欠伸を噛み殺して書斎へ向かうアーサーを送り出そうとした所で、ふと名前を呼ばれる。
「そうだ、今日はお前の見舞いにフランシスが来るから」
そういえば最近見かけていなかったフランシスの顔を思い浮かべ頷く。伸びてきた掌が頭を撫で、翡翠の瞳が柔らかく細まる。
閉まる扉を見送り、子供部屋でまだ眠っているアルフレッドの顔を見に急ぐ。心地よさそうに眠っているのを確認してから、部屋に置かれた椅子で読みかけの本を開き、彼が目を覚ますのを待った。
しかしアルフレッドが目を覚ますよりも早く、窓の外で物音が聞こえて直ぐにフランシスがやってきたことを告げる。読みかけの本にしおりをしおりを挟み、客間へと顔を出すと、既に夫とその友人は面と向かっていがみ合っていた。
「菊ちゃん!よかった、元気そうだね」
菊を見つけた途端、フランシスは嬉しそうな声をあげて手招く。アーサーの隣に座って夫をそっと観察すると、いつもにように不機嫌そうな様子でフランシスを睨んでいる。
「ええ、もうすっかり」
にっこり笑いながら投げ出された彼の手に指先をちょん、とフランシスに気付かれることなく触れると、それまで深かったアーサーの眉間の皺が平らになった。
「お兄さん、お見舞いしたいって言ってたんだけど、アーサーの奴が『まだ来るな』って」
「お前の顔みたら、菊の具合が悪くなるだろ」
紅茶に口を付けて吐き捨てると、大袈裟な様子でフランシスは泣く真似をする。思わず喉を鳴らして笑い、用意されていたティーカップに口を付けた。
「もー、すぐそういう事言うんだから。ほんと、アーサーは意地が悪いよね」
いつものように愛想笑いを浮かべて、肯定も否定もしない姿を期待して声をかけると、やはり目を細めた彼女は僅かに口角を持ち上げてほほ笑みを作る。
「アーサー様はお優しいですよ、とても」
前だったら聞いた事もない、キッパリとした口調で言い放った。その場にいた者は全員驚いたけれど、一番驚いただろうアーサーは目玉が零れ落ちそうなほど目を見開き、にこにこしながら座っている妻の姿を見やる。
僅かな沈黙ののち、誰かが口を開くよりも早くに、赤子の泣き声が遠くから聞こえ、慌てて菊は杖を引き寄せて立ちあがる。
「すみません、少し失礼します」
丁寧にペコリと頭を下げてから、扉の向こうで待機していたメイドと一緒に廊下を抜けていく。やがて完全に足音が聞こえなくなると、にやにやと口元に締りの無い笑顔を浮かべ、フランシスはアーサーに向き直る。
黄金色の髪の合間から見えた耳まで真っ赤にして喜ぶ姿に、「ふーん」とか「へぇー」とか言いながら紅茶を飲んだ。
「菊、菊、もう寝よう」
結局泣きやまず、フランシスが帰ってしまうまで客間には戻れなかった。しかし、それでも上機嫌なアーサーは食事の時もにこにことしていたし、夫に構うこともなく子供部屋に籠っていたというのに、それでも就寝を誘いに来た彼は笑顔だ。
上機嫌な理由が全く解らず、首を傾げながら、嬉しそうな彼が嫌な訳も無く、知らず頬を緩めながら頷いた。
「ご機嫌ですね」
さしのばされた腕に掴まって立ちあがりながら問いかけると、擽ったそうにしらを切って肩を竦める。
「ところでさ、もう体は大丈夫なのか」
「勿論です、もう半年前ですよ」
一瞬驚いてから、思わず笑って答えるとアーサーは言い辛そうに暫しもぞもぞとした。そんな姿にもう慣れているので、首を傾げて静かに言葉を待つ。探るようにこちらを向く翡翠に向かってにっこり笑うと、彼はようやく決心したように口を開く。
「じゃ、じゃあさ、今日いいか?」
何がいいのか一瞬解らずキョトンとしてから、みるみる内に顔が熱くなって思わず俯く。その動作に傷つくアーサーを余所に、支えてくれている腕に絡めた手の力を強める。
驚いて見やってくる彼に笑い返す。
「久しぶりなので、お手柔らかにお願いしますね」
妹は年女さん、キリバンリクエストありがとうございました!
今年もよろしくおねがいします。(´∀` )