La Vie en rose ※ 卿菊の小話です。一番最初はスクロールしてみてください!多分ありますのです…… 菊女体化、パロ注意!
 
 
 
 太陽が昇って少しだけ経った早朝、息苦しさに意識が少しだけ浮上した。しかし重い瞼は開かず、そのまま寝返りをうとうとするも、何かがズッシリ体の上に乗り、身動きがとれないことにようやく気が付く。
 そこでようやく瞼を開けると、薄暗い中、アーサーの胸の上で見知った彼女が心地よさそうに寝息を立てている。顔は見えず、つむじばかりが見えるのだが、規則正しく上下する細い肩や、安らかな吐息などで寝ていることは直ぐに判った。
 こんなにもピッタリとくっついてくれた事は中々無いため、暫く起こそうか起こさないか悩んだ。しかしトイレに行きたいし、苦しくてもう少しとりたい睡眠がとれなさそうだしで、そっと名前を呼んで小さく体を揺する。
「ん」
 数度揺すると、鼻から抜けていくような小さな声が漏れ、やがて目を擦って身を起こした。だが状況が掴めていないのか、暫くぼんやりと辺りを観察してから、ようやく自分がアーサーの上に乗っかっていることに気が付き、慌てて退く。
「す、すみません、いつの間にか」
 照れて苦笑を浮かべ、そそくさとアーサーの上から降りる。暖かな体温は惜しかったけれど、寝苦しさとトイレへの解放に小さくホッと息を吐き、寝巻を整えている彼女の耳元へキスを落とし、ガウンを纏って立ち上がった。
 アルフレッドが学校へ行っていることもあり、出来るだけ家を空けない様にしているため、今回の出張は非常に短期だった。更に半日短縮できると気が付き、真夜中に帰ってきて彼女を起こさない様に布団へ潜り込み、そのまま寝入った。
 恐らく、夜中にそれに気が付いた菊が、身を寄せてそのまま眠ったのだろう。用を足して戻りながら、そう考えて頬が勝手に緩み、そのままの表情でベッドに埋もれた彼女を覗き込んだ。
 白いシーツに栄える真っ黒な瞳が、数度瞬き見られていることに気が付き、ゆったりと体を起こす。先ほどまで敷布団のように扱っていたことを怒っているのかと一瞬思ったが、柔らかく細められた翡翠の瞳に怒気は感じられない。
「今日は朝食をベッドで摂って、一日中部屋でのんびりしないか?」
 ベッドに置かれた指先に触れながら言うと、彼女は数度瞬きをして、小さく首を傾げた。
「でも……いつまでいらっしゃるの」
「そうだな、取り敢えず向こう三カ月は何の予定も無いけどな」
 アーサーの言葉に菊の表情はパッと明るくなり、アーモンド型の黒い瞳がキラキラと輝く。最初は無表情だったというのに、近頃は表情がころころと変わって愛らしかった。お互いそう思っているなど、勿論二人は知らない。
「御寒いでしょう、早く入ってください」
 布団を捲って手招く姿に頬を緩めてベッドへと飛び込み、小さな体を抱きしめると彼女が笑いながら背中へと腕を回す。菊が寝巻として着ている日本の着物の裾から手を挿し込み、滑らかな背中を撫でそのまま腕を左右に広げて着物を剥いてしまうと、半分抗議、半分楽しそうな声をあげ、アーサーの胸を押すが引き寄せてしまえば直ぐに腕の中に収まってしまう。
 絹の髪に鼻先を埋め、体温を確かめながら瞼を閉じると、直ぐに眠気が訪れた。腕の中で名前が呼ばれるが反応しきれずにいると、アーサーが眠気に負けていることに気が付いたのか、それ以上何も言わずにそっと寄り添う気配を感じる。
 
 アーサーが二度寝から目覚めると、既に寝巻と整えた菊が窓際の椅子に座って良い天気の外をぼんやりと眺めている。気付かれない様にベッドから降りたが、直ぐに黒い瞳がクルンとアーサーの方へと向いた。
「取り敢えず朝ごはんにするか?」
 思えば昨晩の食事を摂り損ねていたため、胃が空腹を訴え小さく鳴いた。その音に二人で笑い合い、アーサーがベルをとった所で、ノックの音が響く。呼ぶまで入ってくるな、声も掛けるなと言い置いたこともあり、立派な眉毛の間に皺を寄せる。
 申し訳なさそうに執事が来客を告げ、それが叔母の名前であると直ぐに気が付いた菊の表情は強張り、笑顔が消えた。柔らかなその頬に触れ、少し擽ると強張ったままの笑顔を持ち上げて見せる。
「追い返せ、まだ仕事中だ」
「奥さまだけでも、と……」
 直ぐに返された執事の言葉に忌々しげに舌打ちし、「解った、服持ってきてくれ」と肩を竦めた。
 メイド達が慌てて廊下を駆けていく音を聞きながら、アーサーはしゃがみこんで顔を覗き込んだ。先程までの嬉しそうな様子は全く見えず、青白い顔が更にあおいくなってしまっている。
「お前はずっと黙ってていいから、な?」
 冷たくなった指先を包み込んで言うと、しょんぼりと項垂れていた菊の柳眉がぐいっと持ち上がり、首を左右に振る。
「いいえ、あなたは御疲れですもの、私が御相手致します」
 一生懸命気合いを入れている様子に何も言えず、ただ苦笑しながら頷いた。菊はようやくやってきたメイド達に囲まれ、直ぐに身支度を整えられ、長い髪は一つに括られ整えられる。先に身支度を終えベッドに座り、唇に紅が引かれるのをうっとりと眺めていた。
 朝ごはんも食べることが出来ず苛々とした様子で笑顔を浮かべた夫を心配気に見上げた後、笑顔をつくってソファに座った叔母に丁寧な挨拶を述べる。アーサーもそれに続いたけれど、声は一本調子であからさまであり、ますます菊の胃に負担をかけた。
 叔母はアーサーがいるとは思わなかった様で、目を丸くしてから直ぐに何でも無い様子で紅茶を一口のみ込んだ。
 
 最初は菊の方が意気込んでいたが、アーサーと叔母による嫌味の攻防に圧倒されたり、叔母の親戚の美しい少女の話などにうんざりしている間に、殆ど黙って夫の隣に座るだけになってしまった。アーサーは終始笑顔を浮かべているものの、いつも向けられている笑顔とは全く違い冷たく、なんとなく口も挟めない。
 一見穏やかに見える御茶会は一時間を余裕で超え、やがて昼食の時間へと食い込んだ。ここで帰ってくれるかと思い気や、彼女は大きな御尻をソファから持ち上げようとはしない。仕方なく、本当に仕方なく菊は彼女を昼食へと誘うと、「待ってました!」と言わんばかり叔母は口角を持ち上げる。
「嫌味が通じねぇって、本当にイギリス人かよ。このままじゃ来週あたり家に招待されちまう。こうなったら作戦を変えるぞ」
「さくせん?」
 肩を引き寄せられて、自信満々に言われた言葉をオウム返しする。しかし彼は菊の問いかけに答えることはなく、そのまま肩をひっぱり食堂へと出向いた。既に叔母は席に着き、遅れてきた二人を不機嫌そうに見やる。
 着席すると直ぐに前菜のスープが運ばれ、粛々と全く楽しくない食事会は続く。アーサーの言う『作戦』が解らず、チラリと彼を見上げると、ふと目線に気が付いたらしく若葉色の宝石の様な瞳が悪戯っぽく細められた。そういう子供のような動作が、普段とのギャップを生んで可愛らしいとさえ思える。
「ほら、ついてるぞ、ダーリン」
 しょうがないなぁ。とでも言いたそうに眉根を下げて腕を伸ばし、唇の端に付いているステーキのソースを親指で拭い、ペロリとわざとらしく舐めて見せた。呼ばれたことない名称で呼ばれて、普段二人きりでしか見せない様な行動を叔母の前でされ、一瞬で菊の顔が真っ赤に染まる。
 しかしそんな菊を置いて、まるで日常の一コマであったかのように、アーサーは食事を続けた。戸惑った菊は暫くもじもじと口の中で礼の言葉を探す。
「あ、う、ダ……あ、ありがとうございます」
 俯いてやっと出てきたセリフに、夫はにっこりと笑顔を返した。様子を探る様に黒曜石の瞳が叔母の姿を探ると、彼女の冷たい瞳が二人を観察していて、益々指の先が冷たくなる。そのプレッシャーから逃げるためか、もうちぎらなくても良いパンを、更に細かくとちぎってしまった。
 
 アーサーの言う『作戦』を理解したしたのは、食後の散歩でもやたらベタベタされたことからだった。叔母が求めているカークランドの夫婦像は、恐らくさほど仲睦まじいものではないのだろう。実際、彼女たちと夫婦で会うような社交界では、仲の良い姿は殆ど見せたりしない。
 いつも以上に密着した体、やたら名前を呼ばれ、御茶菓子は「あーん」と直接口へと運ばれた。叔母は呆れが過ぎて既に気味悪がり、菊の羞恥心も既に限界を突破し、足元はふらふらとよろついている。
「……それではそろそろ御暇します」
 不意に叔母が根をあげ、カークランド夫妻に軍配は上げられた。途端、アーサーは生き生きと「こんなに早く? それは残念です」と早口に述べ、テキパキ馬車の準備をさせる。
 彼が家を空ける前に菊と交わす、別れを惜しむような光景は全くなく、彼女はそのまま真っすぐに送り出された。彼女の太った体に纏わりついていた濃い香水が気に入らないのか、その足で使用人たちに部屋の窓を全部開けるように指示する。
「あの様子なら暫くはこないだろうな」
 悪戯で大成功を収めた子供の様に無邪気に笑い、寝室のソファへと腰を下ろす。菊もその隣に座ると、すかさず前のテーブルに揃いのカップが置かれ、温かで香り高い黄金の紅茶が注がれた。一口飲めば、ようやくホッと一息つける。
 折角良い天気で、アーサーが帰ってきた一日目の昼で、二人きりだったというのに、闖入者のせいで全てが台無しとなってしまった。それでもそれなり楽しかったのは、一人で叔母の対面に座っていなかったからだろう。
 クスクスと喉を鳴らして笑う妻に気が付き、ただ小さく首を傾げてその真意を問うと、彼女は楽しそうにアーモンド型の瞳を細めてみせる。
「私、あんな叔母様の顔、初めて拝見しました」
 普段あまり声に出すほど笑わない彼女を、アーサーも頬を緩めて見やった。片手をあげて、使用人たちに対して出ていくよう合図を送り、彼らは慣れた様子で後片付けを済ませて部屋を出ていく。
「もうちょっと続けるか、ダーリン?」
 突然言われた言葉に、どうしていいか解らず、真っすぐに目を見つめたまま「あ」だとか「う」だとか、文章にならない事を呟いた。
「……ひくなよ」
 半分苦笑、半分傷ついた様子で呟かれた言葉に、慌てて首を横へ振る。思わず身を乗り出したため、顔がいきなり近くなり、それに気が付き身を引こうとして腰に腕を回されて固定される。にやり、と笑う顔が、先程のいたずらっ子のそれとまるで同じで、やはり顔を赤くして身を固くする。
 そのまま菊の首筋に顔を埋めたため目の前に現れた麦色の髪を、整えるようにそっと撫でる。鼻先を髪に埋めているため、彼の笑う声は少しくぐもって聞こえた。