卿菊 ※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。
 
 
 太陽のほとり
 
 
 父がいないのにも関わらず、父方の親戚である太った伯母は時折家にやってきた。そしてもう何回も来ているというのに、毎度母に「英語がとてもお上手なのね」と、ヘタクソな皮肉を言うのだ。それがアルフレッドは嫌で嫌で仕方が無かったのだが、母が行儀良くしなさいというものだから、眉間に皺をよせたり母の後ろに隠れたり、そしてドア付近や机の下に潜んで伯母を悪い魔女に見立てて睨む。
 母は「もう五歳なんだから……」とよく言うが、アルフレッドは自分はまだ子供で、だから融通が通る事もハッキリでは無いがちゃんと理解していた。だからこそ叔母を睨む事も止めないのだ。
 
 ある晴れた日、午前に伯母はやってきてペチャクチャ甲高い声でひとしきり喋って帰っていった。帰った後、決まって母が疲れた様子になるのを知っているから、あの悪い魔女が何かしてるのでは無いかと、その日アルフレッドは伯母が来て帰るまでずっと伯母にくっつき監視した。
 将来この家を継ぐアルフレッドが自身にくっついているのが嬉しいのか、伯母はひどくご満悦そうに「あなたはお父さまにそっくりね」と、赤い口紅がベッタリ塗られた口で言う。瞬時、アルフレッドは堪え難い苛立ちを覚えて伯母を下から睨む。
「オレは母さま似だもん。」
 と、誰にも一度も言われたこと無いし、自身そう思った事の無い台詞が、思わずそう口から出てしまった。ギュッと短ズボンを拳を作り強く握り締め、泣きだしそうな瞳を自分の足の先に向け、懸命に意識を他に向ける。その為に、アルフレッドは暫く足先をもぞもぞ動かしていた。
 叔母がジッとこちらを観ているのに気が付き、顔を上げられずに居ると、不意に叔母の口から笑い声が漏れるものだから、驚いてアルフレッドは顔を持ち上げて叔母を泣き出しそうな目で見やる。なぜか、悔しくてたまらなかった。
 
 やっと帰ってくれて安堵を覚えたものの酷く疲れてしまっていて、菊はお気に入りのソファーに腰を降ろし深いため息を吐いた。もう昼飯は胃に入りそうもない。
 今日はいつも流しながら聞く筈の、彼女自身のストレス発散らしい皮肉がいちいち胸につかえた。それはいつもだったら仕事に出掛けてすぐに来る筈のアーサーからの手紙が、いまだに来なかったからだ。
 もしかして彼の身に何かあったのではないかと、思わずそんな事を考えてしまう。ゆったりとした動作で菊は窓の外に目線をやった時、ふと扉のノック音が聞こえそちらに顔を向けた。
「失礼します……」
 入ってきたのはフェリシアーノで、彼はアーサーの執事であるにも関わらず最近アーサーが出掛けても家に残ることがあった。それは彼が、あまりにもアルフレッドに好かれていて、その事を知っているアーサーは時折フェリシアーノを家に残していく。
「その……坊っちゃんがご飯を食べないって仰ってまして……」
 フェリシアーノは眉尻を下げて困った様にそう言う。フェリシアーノがアルフレッドの事を坊っちゃんと言うたびに、アルフレッドはその呼び方は嫌いだ!と頬を膨らませるのだが、今だに半ば面白がりフェリシアーノはアルフレッドの事を坊っちゃんと呼んだ。
 菊は自身も食べないつもりだった癖に、フェリシアーノの言葉に思わず「まぁ」と困った顔をする。
 
 菊がアルフレッドの部屋に行くと、アルフレッドは頬を大きく膨らませてベッドに腰掛けていた。菊は腰を落としてアルフレッドと目線が合うように床にペッタリ座ると、微かに首を傾けてアルフレッドの顔を覗き込む。
「どうしてご飯いらないの?たべなきゃ大きくなれませんよ。」
 別段怒気も含まずそう問うと、アルフレッドは頑なに閉じた口を微かに震わせるが、やはり開かずに深く俯いてしまう。アルフレッドの双眼が今にも泣きだしそうだから、菊は怒りもせずにただじっとアルフレッドを見やる。
「何かあったんですか?」
 柔らかい声色で菊が聞いても、アルフレッドは首をフルフルと振っただけでうんともすんとも言わない。
「……じゃあ、ご飯の時間空いちゃったから母様と遊びますか?」
 取り敢えずこのまま放っておくのも忍びなく菊はそう問うと、やっとアルフレッドは顔を持ち上げて菊の顔を見る。ふと菊は頬を緩めて微笑む。
「……じゃあ、駆けっこが良い。」
 ポツリと漏らされた言葉に、思わず菊は目を見開き微かに開いた口をそのままに目を瞠ってアルフレッドの顔を見つめる。けれどもアルフレッドは俯いたまま顔を持ち上げずに、少しばかり戸惑ってから続く言葉を口にした。
「母様は、駆けっこも鬼ごっこも出来ないじゃないか。なんで母様は走れないの?なんで母様の髪の色と目の色はオレと違うの?」
 ふと目線を持ち上げ、一瞬アルフレッドは菊を見上げるのだが、完全に固まってしまった菊を見つけて、やはり俯き母親から意図的に視線を外す。
「この国じゃぁ珍しいけど、でも直ぐに……父様は、飽きちゃうって……足も」
「アルフレッド!」
 悲痛な菊の声色に遮られ、言葉を見失ったアルフレッドは思わず顔を持ち上げて菊の顔を見やり、固い顔をしていたアルフレッドの表情が崩れ落ちた。生まれて今まで、母の泣き出してしまいそうな顔なんて、初めて見たから。
 クッ、と喉の奥が詰まった心地がし、直ぐに酷い後悔を覚えてアルフレッドは半歩分後退し泣き出しそうな瞳を更に潤ませる。そして微かに戸惑い、やがて駆け出し菊とフェリシアーノの横を駆け抜けて廊下に飛び出した。途中、またあの泣き出しそうな母の顔を見てしまうのが恐ろしくて、後ろを一度だって振り返れずに長い廊下を一気に走り抜いた。
 
 石を落とすと広がる波紋を、別段面白くもないのだがジッと見つめたまま、庭にある小さな池の縁に座り込んで足をブラブラと揺らす。池の上に漂う小さなボートに乗り込もうか暫く悩み、止めた。
「アルフレッド」
 不意に名前を呼ばれ、アルフレッドはそちらに目線をやって母の姿を見つけてから慌てて立ち上がる。が、杖で上体を支えて懸命に歩いていた母の体が不意に揺らぎ、地面に倒れ込む。
「母様!」
 思わず逃げだそうとしていた事さえ忘れてアルフレッドはそう声を張ると、まるで兎の様な俊敏さで倒れ込んだ母の元に駆け寄った。そしてその顔を覗き込もうと顔を傾けた時、キュッと抱きしめられ思わずハタリと目を大きくさせる。
「つかまえた」
 クスクスと笑う母の声を包まれながら聞き、騙されたと気が付く。そしてそこで目の前がどんどん潤んでいき、わなわな震えやがて頭が真っ白になった瞬間「わっ」と泣き出してしまった。
「酷い事言って、ごめんなさい」
 しゃくりを上げながら肩を震わせ、ボロボロ零れる涙も気にせずに取り敢えずそう謝ると、母のいつも暖かい手の平が優しく自身の頬の涙を拭ってくれるのを感じる。それから頭をそっと撫でられた。
「でも……オレがね、言ったんじゃ、ない、の……」
 ひっくひっくとしゃくりを上げながら、懸命に言葉を紡ぐアルフレッドの顔を、ちょっとだけ首を傾げながらジッと菊は微笑み見守る。そして小さく頷き優しく促す。
「叔母さんが……オレもね、母様に全然似て無くて、良かったって……」
 俯きボロボロ泣きながら頑張って言葉を紡ぐアルフレッドに、菊は別段驚く風でも無く「そう」と相づちを打ちアルフレッドの頬を包み込み涙をハンカチで拭う。
 暫くそうして菊はアルフレッドを宥めると、ようやくシャクリも止まってきたのを見計らって、菊はアルフレッドの頬を包んで自身の顔に向けさせる。涙で濡れた瞳を向け、アルフレッドはキョトンと首を微かに傾けた。
「アルフレッド、母様の秘密知りたい?」
 菊は身を屈めて自身の唇に指を当てると声を潜め、顔を近づけると小さくアルフレッドにそう言った。と、アルフレッドも目を大きくさせて菊に向かい身を乗り出す。そして小さく頷いた。
「誰にも絶対に喋っちゃいけないの、守れますか?」
 そう菊が問うのを、更に身を乗り出してコクコクとアルフレッドが頷くのを、菊はそっとその耳元に唇を寄せる。
「母様の足ね、本当は悪い魔法使いに動かなくされちゃったんです。」
 こそっと内緒話で言われたその言葉に、アルフレッドは五歳児らしく目を真ん丸にして菊の顔を見つめ、口をポカンと開けた。
「本当?」
 思わずという感じで漏れたアルフレッドの問いに、菊はニッコリと微笑んで小さく首を傾げた。
「お父様は母様の足を治す方法を探しているの。だからお忙しいの。」
 とても楽しそうに笑う母を見つめながら、アルフレッドは先の質問をもう一度繰り返そうとし、笑う母を見て口を噤む。今はその質問はこの場にそぐわない気がしてならなかったのだ。
「母様の髪と目の色も変えられてしまったの。だからね、アルフレッドは本当は私にそっくりなんです。」
 菊の手がアルフレッドの頬を撫で、自身とはまるで違う柔らかなその猫っ毛を優しく撫でる。その手つきがあまりにも気持ちいい物だからアルフレッドは目を細めてその手を受け入れた。ぽかぽかと暖かな陽気が体に降りかかる。
「……本当はね、オレは、母様が走れないのも髪が黒いのもどうでもいいんだ。でも……」
 大きなアルフレッドの目から、またポロポロと涙が零れたものだから慌てて彼は手の甲でゴシゴシと擦る。笑っていた菊がふと表情を曇らせ心配そうにアルフレッドの顔を覗き込んだ。
「でも、誰かが母様の事そう言うの、すごく、やだよぉ」
 ボロボロと涙がその柔らかな凸凹一つもない頬を伝い、擦ることも忘れて上を向きアルフレッドは再び泣き出した。子供という物は小さな体一杯に涙という液体でも詰め込んでいるのではないかと疑ってしまうほどに良く泣いた。菊は懐からハンカチを取り出すとアルフレッドの頬をそっと抑える。
「……母様は、アルフレッドと父様がそう言ってくれるのなら大丈夫です。大丈夫だから。」
 腕を伸ばして菊はアルフレッドを包み込む様に掻き抱くと、その背を落ち着かせる様に優しく撫でながら、そうアルフレッドの耳元で呼びかけた。ヒックヒックと繰り返されるシャクリの間隔が次第に遠くなるまでずっとそうした体勢で待ってやる。
 シャクリの声も聞こえなくなってき、柔らかな午後の光りに揉まれながら静かな世界に包まれた時、不意に二人の後ろから大きな声がワッと楽しそうに響いた。
「坊ちゃん!今まで内緒だったんですが実はオレも魔法使いなんですよ!」
 楽しそうな声に驚いて二人は振り返り見やると、そこには嬉しそうな顔をしたフェリシアーノがしゃんと背筋を伸ばしてニコニコと立っている。
「だからホラ、オレにはお二人が今一番欲しいものが分かるんです。」
 笑いながらフェリシアーノは後ろ手に隠していた一つ、まずはホットココアが入ったアルフレッド愛用の大きなコップをアルフレッドに差し出す。パッと顔を輝かせてアルフレッドはソレを受け取ると、鼻先をあの甘い香りの立つ湯気に向け、そして軽く礼を述べるとそっとコップに口を付けた。
「そして奥様にはコチラです。」
 パッと菊の眼前に差し出された一通の手紙を、菊は大きく目を開いて見やる。そしておもむろにソレを受け取った。
「ありがとうございます、フェリシアーノさん。」
 頬を緩めて丁寧に礼を述べると、印が押された手紙を割れ物でも扱うかのようにそっと開きかけた瞬間、後ろから第三者の声が聞こえてきてその場にいた全員が驚きそちらを見やる。
「なんだ、誰も迎えに来ないと思っていたら手紙今着いたのか。」
 今帰ってきたその足そのままの姿で、庭の端からコチラに向かってツカツカと歩いてくる。慌てて立ち上がろうとする菊をアーサーは片手を上げて制止すると、着ていた厚着のコートを脱ぎフェリシアーノに手渡す。
「向こうは暫く酷い吹雪だったからそれで遅れたんだな……どうした?転んだのか?」
 アーサーはアルフレッドの直ぐ横まで来ると涙で濡れた頬に触れ、微かに首を傾け不思議そうに片眉を持ち上げる。が、泣いていた事を指摘されてむくれたのか、アルフレッドは何も言わず頬を膨らませてそっぽを向く。けれどもアーサーは別段アルフレッドのご機嫌を損ねた事などどうでも良いのか、彼を簡単にヒョイと片腕で抱え上げてもう片方の腕で菊が立ち上がるのを手助けする。
「お帰りなさいませ。……お迎えできずすみません。」
 俯いた菊に向かい頬を緩ませて軽く身を屈め、その額に唇を落とす。
「何もなかったか?」
 頬を微かに朱くして上目勝ちにアーサーの顔を菊は見上げながら、眉尻を下げて菊は小さく微笑んだ。
「はい、何もありませんでした。」
 その返事を聞くとアーサーは満足そうに笑い菊の腰に手を当てて家に入るように促し、アルフレッドを抱えたまま歩き出す。
「明日は三人でどこかへ行くか。」
 アーサーのその言葉にアルフレッドは父親を見やり、ふと母が言っていた事を思い出し抱えられたまま父親の顔を見上げた。光りの中で自分と同じ金髪がキラキラ輝き、緑の瞳がゆったりとアルフレッドの方に向けられる。
「なんだ?」
 アルフレッドの視線に気が付きそう言ったアーサーの言葉に、アルフレッドははにかむ様に笑い「なんでもない」とふるふる首を振った。