赤と白

 

英日 『赤と白』上・下

 

※ パロです。時代構成もしてません。結核日本タソと英の英日です。恥ずかしい感じです。

 

「限りのある命ならば、どなたが愛するのか。夢の様なたった一つの瞬きの間だけ、口吻を落とすのですか」
 酷く不機嫌そうに、彼が言った。
「何度言えば分かるのです。私に近付かないで下さい。」
 目が痛くなる様な真っ白の布団と真っ白なサナトリウムの壁に包まれながら、手には厚い本が一冊抱えられている。それは自分が彼に与えた物だった。
 まだ彼の体が異変を来たす前、英語の勉強をしていた彼に与えた、自分の大好きな詩集である。
 ありがとうございます。 と彼は微笑んだ。 きっと直ぐに一冊読めるようになります と。
 しかし今ではその一冊すら、読み終える事が出来るかどうか分からない。
 
 初めてあったのは記憶も朧な幼い頃だった。
 貿易業を営んでいた自分達の両親によって、パーティーの間一緒に遊びなさい、と引き合わせられた。
 あまりに自分達と毛色の違う彼を初めて見たとき、自分と同じ人間かどうかすら一瞬分からなかった。
 彼も自分の顔を不思議そうに眺めてから 目が綺麗ですね と言ったのだ。緑色の瞳は初めて見たらしい。
 自分の両親は陰で彼等家族の事を黄色い成金の猿だと罵っていたが、自分は菊の拙いながらに懸命な態度に酷く好意を抱いていた。
 それから会えるのは本当に僅かだった。
 彼が仕事でコチラに来るか、自分が仕事だと言い張って数年に一度日本に行くか。
 
 けれど今回は違う。
 菊が結核にかかったと聞きつけ、全ての仕事を途中で投げ出してまで船に乗り込んだ。
 日本に来るのにどれ程月日がかかるか知ってはいたけれども、会わずに彼が帰らぬ人となるのだけは耐えられない。
 そしてやっと会えたと思ったら、彼は自分を突き放した。
 
 元々白かった肌は病気の色を持ち、痩せていた体は更に弱々しくなっていた。
 ずっとお前に会いたかった。なんて普段女にも言わない様な事も今回は平気で口から出てきた。
 それでも 余計なお世話です と彼は自分の手を振り払う。
 
 結核は決して治らない病気では無いが、彼がその病気だと気がつくのに随分と時間がかかってしまったらしく、今に喋ることすら困難になるらしい。
「自国に帰ってください。もう来ないでください。近付かないで下さい!」
 彼はそう言いながら自分の体をグイグイと扉の向こうへと押しやっていく。
小さなその体に力は殆ど無いにも関わらず、彼に抵抗出来ずに自分は出口へと押し出された。
「菊!あけてくれ、菊。」
 思いっきり閉められた鉄製のドアを不協和音がする程自分の拳で叩くけれども、彼は開けてくれはしない。
 病がうつってしまうのが心配なのだろう。そんな事は分かっているが、あの瞳が見たい。何度でも見たい。
 不意に扉の向こうで菊が激しく咳き込んだ。心臓が飛び上がる。
「開けてくれ、菊…」
 両手と額を冷たい扉に押し当て、泣きそうな声で懇願してみても、彼は扉を開けてはくれない。
 暫く続いていた咳が止むと、彼の枯れた声がする。
「本をありがとう御座いました、アーサーさん。私はあなたがとても好きでした。」
 彼も冷たい扉に額を押しつけているだろうか。なぜだか、そうしている気がしてならない。
 オレだってずっとお前の事が好きだったのに!と叫びたいのを抑える。否、胸苦しさに抑え付けられる。
 どうしてあの小さな体を掻き抱かなかったのか。男だから、とか。国籍が違うから、などとと理性を取り澄ましていた自分が悔しくてならない。
 お前に会いたい。これ程傍にいるというのに、どうしてお前に会えないのか。
 
「嗚呼、菊、たった一時の間だって構わない。お前の瞼にキスを落とさせてくれ!」
 それは泣き声に聞こえただろう。まるで駄々っ子の様に。
「帰って、下さい」
 そして彼も泣き出した。あるのは一枚の厚い鉄の壁。




 

 真っ白な壁の廊下にずっと居座ってやろうと胡座をかいて座り込むこと三日間。
 夜は流石にホテルに帰り、見舞いが許される時刻にはやってきて扉の前で座り込む。
 毎日新しい花束に持ち替え、毎日アイロンを通した服を着込み、後は日が沈むまで頑として動かない。
 一応伝染病の病院なのだと、幾人もの医師達が説き伏せにやってきたが、今度は一切日本語もドイツ語も分からない振りをしてやる。英語を喋る奴が来たら、フランンス語を喋ってやった。
 
  「あいや!お前また来たあるか!」
 毎日毎日此処にやって来ているのだから、必然的に毎日毎日こいつにも会う事になる。名前は 王 とかいったか。
 国籍は中国で、昔から菊とは兄弟の様に育ってきたというが、こちらは少々気にくわなかったりする。
「五月蠅い。菊から扉を開けるまでオレは動かない。」
 フンッと鼻を鳴らすと、奴は胡散臭そうにオレを一瞥してから、鍵を取り出し難なく鉄の扉の向こうへと消えていった。
 彼は前に一度結核になってしまった事があり、免疫があるので平気なのだと言う。
 何も音がしないサナトリウムの廊下は、少々肌寒く、暗く、陰鬱でならない。ああ、会いたい。
 
 今朝方宿泊しているホテルの方に父様から手紙が来ていた。
 早く帰ってこいという。あんな東洋の猿など放っておけ、と。
 その文字を目にしたとき、思わず口元に笑みが浮かんで、手紙はグシャグシャに握りつぶしてやった。
 今国に帰るぐらいならば、ここで自害してしまった方が幾分もマシだろうに。
 
   どれ程時間が経っただろうか。ふと自分がうとうとしている事に気がつき、思わず身を引き締めた。
 どうやら太陽は沈みかかっているらしく、肌寒さが自分を襲う。
 あの王という男はもう帰っただろうか・・・それともまだ扉の向こうに二人でいるのだろうか・・・?
 と、その時、室内の方から激しい咳の音が聞こえ初め、思わず腰を浮かして乗り出した。
『菊っ!しっかりするある!今医者呼ぶからな!』
 あの王という男の、悲痛な叫び声が廊下にまで響いたが、予想していた様に王は扉から駆け出してくる事が無く数秒の後再び声を荒げた。
『何言ってるか!お前っ……お願いだから、我の言う通りに…』
 菊が、何か喋っているのだろうか…その声はこの鉄の扉の所為で聞こえはしない。
 ……彼は、死ぬ、のだろうか……?
 開けてくれ、と扉に縋り付きたいのに体が動かなかった。扉の向こうも、コチラも、酷い静寂が支配していて、まるで体痛くなりそうである。
 
 
   よく一緒に薔薇園を見に行った。ソファが凄いと初めて家に招いた時彼がはしゃいでいた。小さな頃は二人で望遠鏡から宇宙を何時間も眺めて夜を過ごした。小さい頃はまだよく笑っていた。
 あなたと居ると退屈しません。 と彼が微笑む。あの柔らかい肌。美しい黒髪。何故あの時「オレもだ」と言わなかったのか!
 本当にあげたかったのは、そんな本一冊では無いのに…!
 あなたが喋らなくなる。あなたが微笑まなくなる。自分の記憶からあなたがプッツリと消え去ってしまう…!
 
 ガチャリ、とあれ程待ち望んだ扉が開いたというのに、恐らく自分は酷く絶望で満ちた顔をしていただろう。実際、逃げ出したかった。
「菊が、お前を呼んでるある。」
 不服、といよりも『諦め』を刻んだ顔で王が自分を、あの絶望の白い室内に招き入れる。
「…菊」
 呼んだ名前は、閑散とした室内が直ぐに吸収してしまう。
 そこに居たのは…本当に自分が知っている、彼 だったろうか…
 青く染まりきった顔に、随分と縮んでしまった体をコの字に曲げて、眉毛を歪めていた。
   それから真っ白な壁と布団と…真っ赤な彼の掌と口の周り。
 
 大きく、自分の目が見開かれていく。あれ程望んだ彼が、今はもう枯れていく。
「こ…な…お、見苦しい…所、を……」
 苦しそうに、それでも懸命に、彼が言葉を紡ぐ。それなのに自分は、何一つ言ってはやれない…。
「きく……」
 囁く様に名前を呼び、数歩近付くと、彼が首を静かに左右に振った。後ろで王が己の顔を隠す。
「ちか…づか、な……」
 こんなになっても自分を拒むというのか。そんな、酷い事があるというのか。
「いやだ。」
 キッパリと告げると、彼との距離をグングン狭めていく。彼はビクリと震え、体更に縮める。
 恐れているのか。一体、何をこれ以上恐れろというのか…!
 小さく畏縮した彼を、優しく、けれど強く抱きしめる。まだ此処にいて、まだ暖かく生きている。
「血、が…」
「血がついたから何だ。服に付いたら死ぬのか?お前みたいに!」
 言った瞬間、ポロリと涙が滑り落ちた。視界がどんどん歪み、見たくてたまらなかった彼の姿まで歪ませる。
 菊、菊、と何度も何度も名前呼び、その顔を包み込むとかの瞼に唇を落とす。
 
 正しく其の行為は、夢の様なたった一つの瞬きの間であった。
 幼い頃の彼が、自分の頭の中で声を立てて笑った。やはり、美しかった。
 
 
英日を書こうとするとなんか妙に古くさくなります。鮎です。 っていうか・・・ な ん だ こ れ

 

 

 

露日  『蛾』

 

 

 走って逃げていたその右手を思いっきり掴まれ、引き倒される。
 右肩に酷い痛みを感じ、小さく唸って身を縮めた。
 かわいそう と露西亜が笑う。
 あまりに違う体格。鷲鼻。彼の国の雪の様に白い肌。
 ああ、自分はきっと殺されるのだろう、と、小さく息を吐き出してから理解した。
 
 彼は酷く畏縮して、見開かれた真っ黒な瞳が僕を捉えてユラユラ揺れた。
 彼独特の民族衣装から真っ白で二カ所赤い跡が付いた細い首が覗き、思わずゾクリと背が震える。
 転んで起き上がらない彼の上に馬乗りになって、その腕を押さえつけながらにっこりと微笑んだ。
「ねぇ、アメリカに開国したって、本当?」
 だったら何ですか。 というぶっきらぼうな声は、掠れて震える。思わず笑みが零れた。
「かわいそうに。そんなに僕が恐い?」
 初めて見たときは蛾の様だと思った。地味な。
 あの裾が妙な服の所為かも知れないし、何を考えているのか理解出来ない仏頂面の所為かもしれない。
「僕もわざわざ頼んだりしたのに。あいつに先を越されるくらいなら、はじめっからこうするんだったよ」
 彼の細い喉もとを右手で掴みあげ、ギリギリと容赦無く締めていく。
かっ……ぁ… 彼の口から空気を求める様に真っ赤な舌が蠢いた。
それを掴みたかったけど、今は我慢する。
 小さな頃から蛾は嫌いではなかった。触ればかぶれてしまうあの鱗粉も、他人の目を避ける様な佇まいも、気味が悪くて大好きなくらいだ。
 大きく見開かれた目から2,3粒の涙が垂れるのを、すかさず唇でぬぐい取る。
 殺してしまえ、殺してしまえ。と、自分が胸中で囁いた。
 そしてあの気にくわない国に捕らわれてしまったなんて、元から気がつかなかった振りでもしようか。
 一度、彼は酷く痙攣したかと思うと、その肢体から全ての力が抜け、見開かれた瞳があの白い瞼に覆われて、動いていた舌ピタリと動きを止めた。
 ああ、殺してしまった。
 冷静にそう考えてから、そっと強ばった右手を彼の喉もとからそっと引き離す。
 頭を巡ったのは踏み潰された蛾であった。死んでしまった。いなくなった。
 血を全部抜き取って、代わりに蝋にでも漬けて、それで自分の元にずっと置いておくのも悪くないかもしれない。
 でもそれでは、つまらない。
「ねぇ、ホントに死んじゃったの?」
 その声は意図していたものと大分異なって、どこか懇願じみていて虫酸が走った。別にいいじゃないか、死んだって。
 
 ヒュッと空気が抜ける様な音がしたかと思うと、日本はその体を盛大に揺らしながら咳き込んだ。
 生きていたんだ と囁く主の顔は酷く無表情で、それでもいつもの作り笑いよりはマシだと日本は遠のいたままの意識で考えた。
 死ぬかと 思いました  日本は枯れている声は果たして自分のものかすら、まだ分からない程に頭が痛む。
 僕も死んだかと思った。 ロシアは未だに無表情のままで、何故だか日本は安心まで覚える。
 
 そっと彼は自分の首もとをその冷たい指でさすった。
 ああ、惜しかったな。 と密かに思った。亜米利加に押しかけられた時、あれ程自分の命を守ろうとしたのに。
「ああ、惜しかったな」
 自分の心中と同じ台詞を、彼は泣きそうに呟いた。