memo log ミルクと紅茶 & 君とディナー

 

 ミルクと紅茶
 
 
 酷く苛々としたこの家の主は、折角の薔薇園すらも脇目を振らず歩き続ける。
 元はと言えば自分の責任…否、あくまで責任は突然仕事をふってくる上司であるが、それにしても客人が勝手に他人の家をうろつく等、あのハンバーガー頭ならともかく、彼に限ってはありえないと、勝手にそう思っていた。
 しかし2時間も放っておいた(好きででは勿論無い)罪は自分にだってあるだろう。
 折角久しぶりにこうして会えたというのに、苛々は大股で歩く彼のその一歩で益々増長するばかりであった。
 角を曲がった瞬間、思わず足を止めて目の前のベンチを無言のまま見つめた。
 それからベンチで寝入ってしまった彼を見下ろし、まるで猫の様だ と無意識に頬が緩んだのを急いで引き締める。
 午後の麗らかな光が相当気に入ったらしく、ベンチに真横になった彼は全く目覚めそうにも無い。
 ふと、自分の白い手袋を口で取ると、柔らかな黒髪に手を伸ばしそっと撫でる。そのサラサラとした黒髪が、ずっと気になっていた。
 ん と彼が小さく呟くが、特に気にせずその手をあの頬にそっと伸ばした。酷く、柔らかい。
「…日本」
 そっと囁くが、彼は全く聞こえていないらしく、唯自分の耳には寝息ばかりが聞こえてくる。
 彼も彼で此処に来るのに大変な苦労をしたのだろうが、それを分かっていながら自分は決して彼に感謝する台詞等出てきはしない。
 だから結局彼が、あの美しい微笑を伴いながら自分に対して「時間を割いていただいて有り難う御座いました」と言うのだ。
 まるで的違いの感謝であり、その言葉が自分の喜びに繋がることは決して無い。
  日本 ともう一度囁くが、彼は深い眠りから目を覚ますことは無く、ひょっとしたらずっとこのままなのでは、と少しだけ恐ろしく思った。
 それから、まるで白雪姫の様だと笑う。流石、随分長い間何者の前にも晒される事も無かっただけあるな。再び頬が酷く緩むが、今回はどうでも良かった。
 どれだけお前に会いたかったか と、この場の柔らかな風にすら呑まれてしまう様な小さな声で呟くと、ゆっくりと身を屈め、そっと日本の唇に口づける。
 柔らかな感触と、どこか不思議な香りが鼻をくすぐった。お香だと、確か彼が言っていたものだ。
 数秒そうしていて、ゆったりと離すと、彼のシッカリと結ばれていた瞳が揺れながらも開いた。
 ガラス玉の様な瞳が、ウロウロと空を彷徨いながら、やがてイギリスの顔を捉え、見たことも無い無邪気さで日本が微笑む。
「ああ、なんだか今、紅茶の香りがしました。」
 夢でしょうか と日本が呟く。彼が寝ぼけたままなのをいいことに、イギリスの手は日本の髪を数度梳く。そして滑らかだと微笑んだ。
「そうか。で、何をしていた?」
 懸命に棘が無い言い方にするも、ようやっと意識を取り戻した日本は軽く声を上げてから、申し訳なさそうに小さく謝罪を述べる。
 悲しげに曲げられた眉も、伏せられた瞳も、勿論自分が望んだものでは無いのに。
 嗚呼、ちいさく胸中で唸ると、起き上がった彼の頬にまた唇を落とした。
 目を見開いて顔を真っ赤にした彼に、挨拶だ と言っておきながら、彼以上に顔が赤くなるのを感じた。
「……紅茶の香りがしました。」
 彼が、赤い顔のまま微笑んだ。
 
 

 

 君とディナー
 
 
 同盟国となってから初めての、楽しい筈の食事。
 彼好みの食事を出来るだけ手配し、ムカツキながらもわざわざフレンチを用意して待っていた。
 それなのに、目の前の彼は難しそうな顔で、その上着慣れない洋服で酷く居心地が悪そうだし、しかも先程からじっと何かを考え込んでいる。
 会話をしたいのだが、どうやらそれすら出来ない……やはり東洋人は良く分からないな、とイギリスはこっそりと溜息を吐いた。
 
 出された皿を見つつ、イギリスは一番端に置かれたフォークとナイフに手を伸ばすと、日本も同時に手を伸ばした。
 ゆったりと肉を一口大に切り分け口に運ぶと、日本も同じ様に口に運ぶが、どうやら切った肉が大きすぎたのか苦戦して、懸命に飲み込もうとする。
 面白いので暫く見ていたら、やがてイギリスの視線に気が付いたのか顔を赤らめワインを一口飲んで事なきを得た。
 暫くカチャカチャと音がするばかりで、酷く空気が重い。
「……何か、会話をしないか?」
 思い切って提案すると、眉間に皺を寄せつつフォークの背に必死に料理を乗せていた日本は、驚いた様に顔を持ち上げた。ペタン、と音を立てて折角乗った料理がフォークの背から元の皿へと滑り落ちた。
「あっ…」と、日本が切なそうな声を出し、落ちた料理を見やる。
 そう言えば先程から自分の動きをジッと見つめ、同じ様に食そうと努力していた様だが、彼の食事は一向に減っている様子は無い。
「日本での今の季節は?」
 気にせずに尋ねれば、彼は両手にナイフとフォークを持ったまま動きを止めて「春です」と一言応え、それからまた必死にフォークの背に料理を乗せる。
「そうか。じゃぁ花が咲いてるんだろうな。」
 と、実はそこまで興味も無いが尋ねると、彼は顔をコチラに持ち上げて返事をした。また、フォークの背から料理が滑り落ちる。
 もしも日本の耳が猫ならばきっと耳を垂らしてしまう、という程しょんぼりし、またまたフォークの背に料理を乗せる作業を始めた。
 
 もしかしなくても、コレはちょっと楽しい。
 礼儀正しく勤勉で、ちょっと天然だが大抵の事は直ぐにこなしてしまうのに、彼はどうやら英国式テーブルマナーが酷く苦手らしかった。
 それで自分の真似を懸命にしているらしいが、それもままならないらしい。
 彼の事だから、きっと、家で練習とかしてきたのだろうな、と思わず頬が緩むのを感じる。
どこか天然なのに、普段は毅然としている日本が、あわあわとナイフを扱っているのが危なっかしくもあり小さな子供に向ける様な愛らしささえある。
 
 カシャン、と音がし、考え事を中断して顔を持ち上げると、顔を少々青くした日本が、ジッと床を見つめている。
 ああ、落としてしまったな。 と、冷静に考えつつ日本を見つめていると、酷く申し訳なさそうに眉を曲げ小声で自分に謝った。
「いや、気にするな」
 とイギリスが言うと、日本は益々恐縮して申し訳なさそうな顔をするものだから、自分がそんなに恐ろしそうに見えるのかとちょっと落ち込む。
 ゆっくりと右手を持ち上げると、持っていたフォークをスルリと手から滑り落とし、カシャンと無機質な床に音を立てた。
 ハッと驚いて顔を持ち上げた日本の真っ暗な瞳に、ニッと笑いかける。
「話さないか、日本。その為に呼んだんだ。礼儀の習得なんて、その内出来るようになる。」
 少し戸惑ってから「はい」と応えた彼は、久しぶりに笑みを浮かべていた。