微睡み,血潮

 

『微睡み』 米日
 
 
 和式、とやらの水槽に入れられたゆらゆら泳ぐ金魚を横から見つめながら、アメリカは机の上に付けた腕に右頬を押し当ててぼうっと浮かない顔をしていた。
 板引きの室内に膝を付き、その蒼い瞳は唯金魚が動く通り四方に揺れる。
「どうしたんですか?」
 不意に後ろから掛かった声に、それはそれは面倒くさそうに振り返り、向こう側に居た人物を見つけると軽く肩を竦めて見せた。
「何かあったんですか?そんな所で塞ぎ込んでいるなんてあなたらしく無いですね。」
 昼食の準備をしていたのだろう彼は、かっぽう着とやらで手を拭きながらコチラに向かってきた。黒い瞳が何処までも深い。
「…うん……でもさ、その『あなたらしく』って、結局人の一面性じゃないか。オレだってそんなに単純な訳じゃないんだ。」
 アメリカの返答があまりにも意外だったのか、日本はその黒い瞳を大きくさせて驚いてみせる。
 日本のその態度にアメリカの機嫌は益々急降下。
 なんだい、と子供の様に唇を突き出すアメリカに思わず日本は眉を曲げながら微笑んだ。
「本当に、一体何があったんですか?」
 床に膝を付いたアメリカと顔を合わせる為にか、日本はしゃがみ込んで首を傾げる。
 サラサラな黒い髪がこぼれ落ち、その顔はまるで幼児を諭すかの様な表情だ。
「……言いたくない」
 アメリカが頬を膨らませてそう唸る様に言うと、日本は吐き出すだけのため息を吐き半笑いを浮かべた。
「それじゃぁ、一つだけ、何でもしてあげますよ。それでちょっとは元気を出してくれますか?」
 にっこりと微笑む日本を、アメリカは不思議そうな顔で一時見つめた後に、にっこりと微笑み笑い返す。窓の外からは燦々と太陽の光が木々に降りかかり、正しく世界は今二人だけの様だった。
 
「本当に、こんな事でいいんですか?」
 クスクスと笑いながら、額縁窓の向こうに佇む松の木を眺めながら、正座した膝の上に乗っかった金髪の髪の毛をさわさわと撫でる。
 膝の上の主は心地よさそうに眼鏡の奥の蒼い瞳を三日月の様に歪めて微笑む。
「なんだか、とても懐かしいよ。」
 とろん、と眠たそうにアメリカが囁く。今にも寝てしまいそうだ、と日本は笑った。
「男の膝の上の何が心地良いんですか。」
 アメリカは眠りの入り口に立ったままでその日本の台詞を聞き、ふふ、と口内だけで笑い声を立ててからゆっくりと瞳を閉じた。
 自分の頭の下に、とても暖かな体温を感じ、それは酷く自分を安心させてくれる。
「ねぇ、日本、オレの事好き?」
 問いかけると、小さな沈黙の後 ええ、嫌いじゃないですよ と彼が春の柔らかい風の様に囁いた。
「そう。オレは、好きだなぁ。日本の事。」
 柔らかな何かがそっと降りてきて、自分の頬に当てられた。
 けれどそれは眠りの直前。意識が離れるまじか。
 昔から嫌いだった微睡みの直後に訪れる小さな不安は、その日だけはとろけて消えた。
 
 
 
旅行中「男の気持ちが分かるには男になりきれ!(・∀・)」
という事で友人に膝枕してもらいました。意外と高くてそこまで柔らかく無く「なんだよー」と笑ってましたが、その体制のまま布団かぶってみんなで話していた所(一人が左右で二人に膝枕してました)なんだか異様に懐かしさが溢れてきました。
……これか!と、気が付いた。モシャモシャ髪をいじられ始めたらもうダメ。超眠くなる。
結局男は子供に返りたいんだね。きっとそうだね。 と、なんだか今急に特攻隊の人が「かあちゃーん」と最後泣きながら突っ込んだ、という話を思い出して泣きたくなりました。
 
 

 

『血潮』 米日
 
 
 ガシャン、と音を立てて床にぶつかったお気に入りのお皿が粉々に砕け散った。
 あ、と声を漏らし棒立ちになると、ご飯を待っていたアメリカが台所に勢いよく飛び込んできて声を上げた。
「わわっ!日本大丈夫かい?」
 あわあわと飛び散ったお皿の破片を拾おうとして、日本がそのアメリカの腕を制す。
「危ないですよ。私が拾います。」
 廊下の奥の物置から箒とちり取りを取り出すと、丁寧に陶器の破片をかき集めていく。
 大きな破片を拾っていく最中、一つの破片が指に刺さり小さな血の玉が浮き上がるが、どうやらアメリカはその事に気が付いていない様である。
 その様子を後ろでじっと眺めていたアメリカが、不意に頭を傾げて不思議そうな声を出した。
「どうしたの?日本。」
 その声が酷く悲しそうで、思わず日本はアメリカの方へと顔を持ち上げる。
「どうもしませんよ」
「嘘だ」
 返した言葉を言い終わるか否かの内に、アメリカがきっぱりと日本の台詞を嘘だと決めつけ言い放つ。
 日本の眉間にうっすらと皺が寄る。
「例え何かあったとしても、それが一体あなたに何の関係があるんですか?」
 言い放ってしまってから、しまった、と、そう心の中で叫び声を上げてしまう程に、目の前のアメリカの顔がみるみる内に険しくなっていく。
 日本とまるでリーチが違うその長い足で、たったの数歩で詰め寄られて、思わず日本は少しだけ後ろに下がってしまった。
 持ち上げられた彼の手に、思わずビクリと震えながらも身構えるが、その持ち上げられた腕は自分の背中にスルリと回されてガッポリと、まるで元から其処に嵌る筈のパーツの一部の様に日本はアメリカに抱きしめられる。
 瞬時、体温が上がりその腕を振り解くのも忘れて立ち竦んだ。
「昔さ、凄く小さい頃悲しい事があるとよくこうして抱きしめられたんだ。
心臓の音が聞こえるだろ?水の中に居るみたいじゃないかい?」
 楽しそうに紡がれるそれらの言葉が、何故だか日本には泣き出す寸前の様な気がして、胸がザワザワと騒ぐ。
 見かけよりも厚い胸板に耳をピッタリと押しつけると、彼の心臓が全身に血を流している音が聞こえた。そしてそこに確かに存在する暖かさが伝わる。
 もしも自分が人間として生を受けていたのなら、きっと胎児の時この音を聞いたのだろうと、まるで知りもしない幻想に身体が漂っていく。
「ねぇ、本当に何があったの?」
 彼が囁くように尋ねてくるが、それはもうどこか遠くの様な気がして、彼の血潮が今も噴火を続ける音を聞きつつ、小さく首を振った。
「なんでもありません」
 昔良く、こうして中国に抱きしめられた事を思い出したなんて、彼にはきっと言えない。
 不意に流れ出した自分の暖かな涙が彼のシャツに染みこんだ。
 一種の安定剤の様に、彼の心臓の音は唯地球が回るのと同様途絶えることなく自分を包み込むだけ。
 
 
 
 
昨日の『微睡み』と対のつもりで書いたものです
書きながら村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が読みたくなりました。
あれ、最高です。未読の方は読んでみて下さい。グロイけど、最高なんです。
 
 

 

『掌』 米日
 
 
 午後の光が縁側に座る二人をポカポカと包み込み、お昼ご飯を食べたばかりの二人はなんだか酷く眠くなっていた。
「ねぇ、日本。左手開いて」
 不意にその微睡みを破ったのはアメリカで、彼のにこやかな笑顔につられ何の抵抗も無く日本はその左手を彼の前に翳す。
 アメリカはその左手にそっと自分の右手を伸ばしてピッタリと合わせる。間接一つ分大きな掌を見つめ日本は少し首を傾げた。
「オレさ、最近やな事があったんだ。日本も最近、やな事があったんだろ?」
 いつもの何の影も無い笑みを浮かべたまま、彼はまるで歌でも歌う様に言葉を紡ぐ。
「悲しい事があるとさ、心臓が冷たくなるよな。昔は心臓に穴が開いたんじゃないかと思ったんだ。そこから血が流れるから、冷たいんじゃないかって。」
 合わせられた掌は、その接触部分があまりにも暖かく、なんだか天から降り注がれる太陽の熱よりも暖かいんじゃ無いかとさえ思える。
「もしオレ達が二人で一人だったらさ、心臓だってもっと丈夫だったと思わないかい?」
 小さな子供が将来パイロットになりたい、と話す様に彼は嬉しそうにそう言いながら笑った。
 その笑顔がなんだか酷く切なくて、日本も笑いかけて笑い損ねる。
「でも、私達が一人だったら、あなたが大好きな事が出来ませんよ」
 合わせられた掌はそのままに、垂れ下がった足を少しだけ遊ばして日本がそういうと、アメリカはちょっとの間考えるような仕草をした後、パッと顔を持ち上げる。
「そうだね。一人じゃセックスできないよ。」
 そりゃぁ、大変だ。と、なんだか慌てる様に言ったアメリカに、日本は思わず顔を綻ばせた。
 うっすらと微笑んだ日本に、アメリカは不意に表情を無くし、真面目というよりも呆けた様になる。
「ねぇ、日本、オレの事好き?」
 いつかに聞いたアメリカの台詞に、日本はパチパチと数回瞬きをしてからジッとアメリカの顔を、合わせた掌越しに眺めた。
「嫌いじゃ、無いですよ」
 うっすらと微笑んだ日本に、アメリカもにっこりとした笑みを返しそっと顔を寄せ一度口付ける。
「オレは、好きだなぁ。日本の事。」
 なんだか泣き出しそうな声色に、日本は少しだけはにかんだ。
 
 
実は三話完結だった、というオチ。