ストリップー
たかだか18の、まだ子供らしさが抜けきらない男が家を出て向かう先など限られている。昔好奇心ながらに出向いたフランスのモンマルトルはムーラン・ルージュ周辺に酷似した、欲望に服従した人々の群れと、目の奥がチカチカする赤色濃い看板の下をくぐっていく。
そこはあらゆる国の繁華街の中でもずば抜けて煌びやかで、薄暗くて、真っ当に生きている人間ならば内心どうあれ、赴くことなど無い場所だ。下着同然の服を身にまとい、明らかに自我を失った女たちが誰彼構わず一夜のお誘いをかけている。
性の経験にまだまだ乏しかったアーサーは、布を盛り上げる胸部やらはち切れそうな白い太もも、噎せ返る香水の匂いに中てられ足早に彼女たちを掻き分けた。青さを嘲笑する声が追いかけてくるのに、顔を赤くしつつも目的地へと急いで行く。
アーサー・カークランドはそれまで、殆ど苦労らしい苦労をしたことの無い少年だった。金持ちの家に生まれ、良い学校に通い、容姿にも恵まれ、頭もそこそこ良い。しかし家族仲だけは生まれたころから悪く、何かにつけて兄弟と喧嘩し、両親とは笑い合った記憶も無かった。
家での構想は昔から繰り返ししていたものの、昔から金銭面での苦労が一切なかったため、どうしてもお気楽になってしまっていたらしい。荷物をまとめて出て行ったものの、住所不定の18歳に働き先など見つかるはずもなかった。夜の公園のベンチに座り込んでいた所へ、昔馴染みの男、フランシスが通りかかる。
彼は軽薄そうな柔らかなブロンドを指先で弄りながら、これまた軽薄な笑顔を浮かべてアーサーにとある地図を握らせた。それは、フランシスが18の頃に家を出て暫く働いていた場所なのだという。一晩で稼げる金額はアーサーが望むよりも多く、この際地図の場所が怪しい繁華街であってもどうでもよかった。
指定された店は古びたビルの地下にあり、階段を駆け下り現れた、場違いとも思えるアンティークの重い扉を押し上ける。以外にも広い室内の天井付近には煙草の煙が舞い上がり、扉口からも見える中央の舞台を染める赤の照明を怪しくさせていた。人々が舞台へ向かいごったかえし、歓声と笑い声が絶え間なく鼓膜を打つ。
広い室内には強烈な香水の匂いを漂わせる女性が多数であるが、舞台から離れた位置に設置されているテーブル席には幾人かの男性客が見える。めまぐるしく色を変える照明の中に、重低音なショーミュージックが流れ、一斉に歓声がわき立った。
舞台奥、左右別々の出入り口から姿を現したのは二人の男で、二人とも長身でガッチリとした体つきだ。全身真っ黒な軍服に身を包んでいるものの、ブーツは編み上げで女物の様な高いヒールが付いている。それが歩くたび、音楽の合間を縫って大きな音を立てた。迷いの無い真っすぐな足取りで、部屋の中央にまで伸びた、モデルが歩くような細長い舞台を歩いていく。
目元まで被っていた帽子を後方へ投げ捨てると、二人とも後ろへと流した髪型と、目鼻立ちがはっきりとした精悍な顔つきが現れる。一瞬で変わっていく照明では、彼らのパーツが何色なのかさえ解らないが、西欧人であるのは一目で解った。
ダンスというには荒削りで力強いダンスをしながら、毟るように服を脱ぎ捨てていく。右側の男は一目で解るほどに厚い胸板に、肩から上腕にかけてや腹回りまでガッチリと硬い筋肉がついている。対して左の男はそれほどでないものの、細身に鍛えていると解る程度の硬さを持ち合わせ、楽しそうに八重歯を見せて笑っていた。
熱気と歓声にあてられ、くらつく頭を押さえ壁へ追いやられる。にやつくフランシスを思い出し、額を押さえながら扉に手を掛けようとした時、不意に腕を引っ張られる。振り返れば、まだ幼さを残した、自身と大して変わらない年齢の少年が立っていた。
「てめぇなんだ?まだガキじゃねぇかよ」
鳶色の髪の毛に、一本アホ毛がぴょんと伸びている。大きな目はいっそ可愛らしいけれど、目つきは鋭く口調も汚い。
上だけキッチリと燕尾服を着込んでいるものの、下は革のホットパンツにタイツと赤いハイヒールという、男の恰好とは言い難い装いをしている。その上頭には二本の長い兎の耳が伸び、手にはいくつもの煌びやかな酒が盆に載っていた。上から下までジロジロと眺めるアーサーに対して、彼は苛々を露わに眉間に深い皺を寄せる。
「フランシスに働き場所として紹介されたんだ」
思えば帰りのお金さえ持ち合わせていない、いっそ腹をくくってにらみ返すと、彼は不機嫌に喉を鳴らす。
「オーナーの所に案内してやる」
同じ顔のウェーターに酒を押しつけると、彼は足早に裏口へと入り小さな扉を開けた。真っすぐ伸びるコンクリートむき出しの階段を上ると、質素な鉄製の扉をノックする。返ってきた声は低いものの、大人しそうで柔らかである。
重たげな扉の向こうは、華やかな舞台とは打って変わって落ち着いたインテリアがそろっている。舞台が見えるガラス張りの巨大な窓、暖色の絨毯に黒の大きなソファー、ランプもアンティークで仄かな灯りを灯し、立って振り返った人物を優しく彩っていた。彼は、中性的な頬笑みを浮かべ、濡れた黒曜石の瞳を細めて二人を見つめている。
「どうしました、何か問題でも」
華美とは言えない様相は、人種の違いと落ち着いた人物像を炙り出していた。隣にいた男は口早にアーサーを紹介すると、さっさと階段を降りていく。
「フランシスさん、ね。で、歳はおいくつですか?」
くつくつと喉を鳴らし、ソファーに腰をかけてアーサーを見つめる。果ての無い目の奥に、不思議な恐怖感を覚えながら戸惑いつつ本当の年齢を告げた。彼は形のよい眉を動かし暫し思案する仕草をしていると、不意に扉が勢いよく開かれる。
「おい爺、見てたか俺様のダンス……て、誰だ?」
扉口にいたのは、先ほどまでストリップショーを繰り広げていた二人の内の一人、細身の方だ。彼は半裸の上半身にうっすらと汗を浮かべ、最初は満面の笑顔を浮かべていたものの、アーサーを見つけるなり訝しそうに顔を顰める。
「おやギルベルト君お疲れ様、見ていましたよ。こちらはアーサーさん、今度からここで働くそうです」
ギルベルト、と呼ばれた男は訝しそうな様子を崩すことはなく、真っ向からアーサーを観察する。緋色の瞳に見つめられ、居心地が悪いながらも見やり返す。
「ひょろひょろじゃねぇか。これで舞台立てんのか?」
「ええ、ですからウェーターをやらせます」
脳裏に先ほどの、鳶色の髪をした男がちらつき、安堵と同時に不安を覚える。不意にガラスの向こうの音楽が変わり、照明も色を変える。目の前にいたギルベルトが舌打ちすると、踵を返して扉から出ていく。去っていく彼の右肩付近に、大きな菊の花が彫ってあるのが印象的でつい目で追いかける。
オーナーはギルベルトが出て行ったことにも気がつかない様子で、テーブルに置かれていたオペラグラスをひっつかみガラスに張り付く。舞台には体格のいい男が一人現れ、クルリクルリと回転しながら中央へと歩いてく。顔には仮面がつけられ、恰好はさながらアラビアンナイトに出てくる王様のように派手であり、足首につけられた鈴の音がこちらまで聞こえてきそうだ。
「ああ、やはりサディクさんは別格ですね。お給料上げちゃいましょうか……」
明らかに興奮した声色に若干退きつつ、口を開く。
「なぁ、オーナーはゲイなのか?」
アーサーの言葉に目を丸くして振り返ると、破顔してみせた。黒髪を揺らして暫く笑ってから、オペラグラスをテーブルの上に戻してアーサーへと歩み寄る。
アーサーよりも背も低く、年齢さえも若く見えるというのに、威圧感が強く思わず半歩だけ下がった。彼は気にすることなく笑みを浮かべ、首をかしげて見せる。
「私の名前は菊です。オーナーと呼んでくださいね。さて、坊や。あなた帰るお家はあるんですか?」
坊やと呼ばれたことに動揺しつつも首を横に振ると、彼は「それならば私のところへおいでなさい、家賃安くしておきますよ」と笑う。身の危険を感じつつも、不思議な魅惑に惑わされつつ頷くと、彼も満足そうに頷いた。
取り敢えず閉店するまで待てと言われ、菊の部屋のソファーで休んでいた。彼は仕事があると部屋を出て行ってすぐ、長旅の疲れで寝入ってしまっていたらしい。次に目が覚めた時は音楽や歓声もすっかり消えていた。
目を擦りながら窓から舞台を覗き込むと、数人のウェーターがテーブルから空のカップを除けている。時計は無いけれど、既に深夜遅くになっていることは解った。
「あら、起きましたか。あなたの紹介は明日にしますので、今日はもう家に帰りましょう」
菊は疲れた様子も見せず、のほほんと手招きする。貞操の危機を感じながら、行くあての無いアーサーはそのまま彼の後へと付いていく。バニーガールのような恰好をした、中性的なウェーター達は既に着替えており、片づけも殆ど終わらせている。
「フェリシアーノ君、先に帰っているので戸締り頼みますね」
「ああ、うん、あとでね」
手を振っているフェリシアーノと呼ばれた、先ほどの目つきが悪い男性と同じ顔をした男が、笑顔一杯に手を振っていた。後で、という言葉が気に掛りながらも無言のまま付いていくと、ビルの後ろにある駐車場へと進んでいく。
エンジン音を鳴らせながら二人の前にバイクが一台停められる。運転していた主はヘルメットを脱ぐと、銀髪を揺らして菊を見上げた。
「おせぇよ」
悪態を吐くギルベルトに笑みを浮かべ、車道へと降りる。
「私は今日車を出すので、ギルベルト君はこの子を送ってやってください」
あからさま不機嫌になるギルベルトに睨まれ、思わずにらみ返す。暫しにらみ合う二人を置いて、菊は駐車場に置いてある黒塗りのキャディラックに乗り込むと、エンジンをかける音が低く鳴り響く。
「早く乗れよ」
舌打ちをしてからヘルメットを投げられ、慌てて抱え込むとかぶった。見るからに大きく、高価で、装飾過多なバイクに乗るのは初めてで、てこずりながらバイクの後ろへと座った。苛々を隠すことなくエンジンを踏みこむと急発進し、荒々しい運転で角を無理やり曲がる。
いまだに消えないネオンが目の奥に差し込み、グルグルと頭が混乱し、目的地に着いたころには胃袋がひっくりかえったような酔いを覚えていた。着いたのはそこそこ大きなアパートで、窓の多くはまだ灯りがついている。
ギルベルトに引っ張られるように中に入ると、真っすぐ二階への階段へと昇っていく。昇ってすぐの所には居間のような場所に、ソファーとテレビ、台所が付いている。そのソファーに座っていた一人が顔を持ち上げ、ギルベルトとアーサーを見やった。
「……兄さん、菊は?」
それは、ギルベルトと一緒に踊っていた、長身の方である。ただ、ギルベルトと一緒で、既にシャワーを浴びたのか、後ろに固められていた髪の毛は既に下りている。
「菊は車で帰ってくる。こっちはアーサーだとよ」
適当に紹介されて、アーサーも適当に頷くと、のそりと彼は立ち上がった。
「俺はルートヴィヒ・バイルシュミットだ。新しく働くんだな」
「あ、ああ、アーサー・カークランドだ。よろしく頼む」
求められるままに握手をすると、掌が大きく力強く握られると少し痛い。兄とは違い丁寧な口調の割に、見やってくる目線は同じように訝しそうだ。
「ギルベルト君お疲れ様、さて、空き部屋を案内いたします」
そこに菊は姿を現し、笑顔でアーサーへと手招きする。どうやら彼はストリップの店だけでなく、このアパートのオーナーもやっているらしい。言われるままに付いていくと、やがてベッドとクローゼット、小さな台所にシャワーとトイレが付いている少し大きめな部屋へ着く。
「店の連中はみんなここに住んでるのか?」
「まさか、家庭がある子もいますしね。さて、私の部屋は102です。16時になったら出勤ですので、30分前には私の部屋へ」
カギを握らせられ、簡単な説明を聞くと、彼はあっさりと部屋を出ていく。一人残されたアーサーは、手に持っていた荷物を部屋の隅に投げやると、ベッドに体を投げ出して目をつむった。
朝の11時程度に目を覚ますと腹がすいていたものの、お金も無いし、テレビが置かれた部屋へと向かう。先客は数人おり、アーサーの顔を見るなりそのうち一人が近寄ってきた。
昨日の鳶色の髪の男が二人、そのうち近寄ってきたのはフェリシアーノであったが、機嫌斜めのまま自己紹介して睨みつけるとすぐに逃げ出してしまう。兄であるというロヴィーノも直ぐに去ると、一人残っていた薄い茶色の髪をした、少女とも少年ともとれる細身の子も逃げるように帰った。
良い薫りにつられて台所に置いてある鍋の中を覗き込むと、見たことが無い煮物が入っている。おいしそうな匂いに胃袋を刺激されつつ、蓋を被せ直そうとしたところに声をかけられた。
「それ食っていいぞ。菊が作りおいてんだ。あいつ、ストレス発散で料理しまくるからな」
ギルベルトが欠伸を噛み殺し、シャワーを浴びたばかりの髪を拭いながらソファーに座る。リモコンを手にテレビをつけた。
「今日、菊の兄貴が来るんだ。あいつ、店のオーナーって隠してっから、変なこと言うなよ」
チェンネルを次々に変えていき、何も琴線に触れなかったらしく、そのまま切るとリモコンを投げる。
兄……嫌なものを思い出して顔を顰めたのとほぼ同時に、階下から菊の声が響く。次いで少し強い口調の声が聞こえ、階段の下を手すりから覗き込むと、菊と同じ髪色の、細身の男が立っていた。
もうすぐイースターであるため、初出勤日は全員がバニーガールに扮していた。最初は気恥ずかしかったけれど、全員が同じ格好であるし、仕事を覚えることにてんてこ舞いなアーサーにとって、やがて気にすらならなくなる。
4時に菊の元に行くと、昨日の穏やかな様子とは打って変わって酷く不機嫌だった。それが訪ねてきた彼の兄のせいだというのは明らかで、縮みあがりながらキャディラックに乗り込むと、無言のまま仕事場へとたどり着く。
最低でも踊り子は7人おり、全員がそれなりにかっちりとした体をしている。ウェーターには女もおり、数えられるだけで10人はいるらしい。客は昨日と同じ程度入り、週末になればもっと人が入るのだろう。
菊がいる部屋を見上げると、ミラーガラスになっているらしく、様子をうかがい知ることは出来ない。ショーミュージックを聞きながら、つい先週まで部屋に籠って勉強ばかりしていた自分が、まるで嘘の様だ。