ストリップー
11年に1度、太陽が大爆発するのだという。太陽フレアが発生し、北極圏の近くではオーロラが空を飾る。まだ幼い頃、手を引かれて家族全員でオーロラを見つけに旅立った。
半分眠りながらも、両親に揺さぶられて目を覚ますと、空を渡って一面、ヒラヒラと光のカーテンが揺れ動いていた。凍てつく寒さの中、町の灯りも届くことなく、木々がシンと黒く佇む夜に、光は幾重に渡って暫く揺らめく。
見上げているのと同時に、父親の書斎から、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の版画が載せられた本を抜き取って隠れ見たのを思い出した。サロメは透けた布を7枚まとって、舞を見せたという。それは、初めて菊が触れたストリップだった。
美しく、麗しく、耽美で素晴らしかった。触れたことの無い興奮で、その夜は暫く眠れなかかった。
煙草の臭いで目を覚ますと、朝の光を浴びて銀髪を輝かせ、ベッドに座り煙草を吹かしていたギルベルトを見つける。高い鼻と彫りの深い顔つきは、うらやましいを通り越して憎々しい。
「少しください」
「起きたのか。喉ガラガラだぞ、先に水分摂っとけ」
メンソールが強い煙を吐き出し、体を捩ってナイトテーブルに置かれた灰皿に煙草を置き立ち上がる。ショーでいやというほど見ている尻をぼんやり見やりながら、ガラスの向こうで朝日を浴びる民家に顔を顰めた。
窓から外を眺めていた菊の頬に冷たさが走り見上げると、紅茶のペットボトルが当てられている。喉がカラカラとひきついていたため、一気にあおると体の隅々へと渡って潤っていくのが解った。口からペットボトルを離すのと同時に、煙草が差し出されてくわえる。
「あのさぁ……ルッツがそろそろ卒業なんだ。そしたら一緒に国に帰ろうと思う」
「……へぇ」
煙を吐き出し呟くと、大きな手がおりてきて髪の毛をくしゃくしゃに撫でられる。見上げると、八重歯を見せながら自嘲気味に笑っていた。吸っていた煙草を取り上げられ、ギルベルトは体を捻って遮光カーテンを閉め、菊は再び布団の中へと潜り込む。
いつもならば一緒に潜り込んでくる彼は、ずっとベッドに腰掛けたまま煙草を吹かしていた。
それから数日ギルベルトは休暇をとり、菊の部屋に近づかなかった。久しぶりの出勤にステージを眺めていると、珍しくロヴィーノが扉の向こうからノックをして声をかける。
ステージから目を離すよりも早く、脱ぎ捨てたジャケットの下の右肩に、ハッキリと菊の花の刺青が入れられているのに気がつく。苦笑しながら振り返って訪ねてきた主を見やると、相変わらず不機嫌な様子のロヴィーノの後ろに、まだ幼さが残る金髪の少年が立っていた。
踊り子は、一応8人在籍しているのだという。ただ、フランシスのように時折やってきては、自分の娯楽を交えていく人間もいるため、正確な数は解らないという。
まず一番人気である、ギルベルト・バイルシュミットとルートヴィヒ・バイルシュミット兄弟だ。彼等は主に軍服で現れ、時折鞭片手に黒のレザー警察服で踊る。どちらか決めるのは本田の気紛れであり、二人の意見は全く聞き入れられない。
ギルベルトは昔から菊と知り合いであるらしく、菊が劇場を開いた時から踊り子をしていた。片親だった父を大学生の頃に亡くし、一人で弟を育てるためのことだった。 そのルートヴィヒは医学生であり、学校のために週末しか舞台には立たない。ルートヴィヒまでが舞台に立つ過程は解らないが、彼等は菊と非常に仲が良かった。
ギルベルトが一人で舞台に立つ時はよく、ポールダンスを披露するなど、器用なところを見せた。彼等が舞台に立つと、観客は歓声を上げて舞台に群がる。
次に本田菊のお気に入りであるサディク・アドナンは、所帯持ちだという。そのためか、ギリギリにやってきて帰りは早い。いつも慌てて衣装を着込み、帰る時は申し訳なさそうに帰っていく。
元々飲食店を経営していたのだが、不景気の煽りを思いっきり受けて、職を失った。そんな中声をかけ、給料も多めに渡す菊に恩義を感じているのか、何かにつけて「オーナー、オーナー」と、おじさんながらよくなついた大型犬のようだ。
ベリーダンスを習っていたらしく、彼のダンスは誰より本格的である。首と名のつく箇所全てに銀やコインの飾りをつけ、動く度にシャンシャンと音が鳴る。登場はさながらアラビアンナイトの王様だが、一枚ずつ脱ぎ捨てると、やがてほとんど裸といえるベリーダンスの衣装があらわれる。
そしてサディクにあからさまな敵対心を抱いているのがヘラクレスである。普段ぼんやりとしており、のんびりと猫と遊んでばかりいるのだが、体つきや端整な顔は女性受けが良いらしく、やる気の無いダンスでも笑って許されていた。
彼はダンサーというより、飾りである。立っているだけで色気があるのか、殆どモデルウォークをするだけか、他のダンサーの背景の一人だった。
アーサーは盆を抱えたまま、今のところ得られた情報を思いながら、ヘラクレスのダンスともいえないステップを眺めていた。後ろでロヴィーノがアーサーに対する文句を弟にぶちまけているけれど、それも無視して顔を上げオーナーがいるだろう場所を見上げる。
オーナーである本田菊は、沢山いる従業員の中で一番一緒にいる時間が長いものの、誰よりも理解出来ていない。着ている服は大抵シックなもので、ほとんど毎日黒のハイネックという、ストリップ劇場のオーナーらしからぬ恰好をしていた。
ギルベルトと一緒に部屋から出てくる姿を数度目撃していたし、ゲイなのだと思っていたが、よく女の従業員と笑顔で話をしている姿を目撃するため、バイセクシャルなのかもしれない。あんまりアーサーが真剣な様子で眺めているのに気が付いているらしく、目が合うたびに悪戯っぽく笑う姿を何度も見かけた。
「アーサーさん、あなた料理はできますか」
仕事が終わりシャワーを浴び終えたところで、何か胃に入れようと大部屋に向かうと、大量の食材を用意した菊が台所に立っていた。正直料理は殆どしたことが無かったけれど、もう少し話をしてみたくてついつい頷く。
彼は従業員のためにケーキを焼くのだという。前、ギルベルトが「菊はストレスが溜まったら料理を大量に作る」と言っていた事を思い出しつつ、任されたふるいで粉を細かくしていく。寝静まったアパートの中に、バターと砂糖の甘い香りが一杯に漂い始めた。
やがて「もう休んできていいですよ」と促されたものの、部屋のソファーに座ってテレビを点け、時折振り返ってオーブンを見つめる姿を見やる。いつもの無表情は思慮深くともとれ、また何も考えていない様にも思えた。彼はいつも、空のように姿は見えても実体が存在しないかの様に感じられる。どこか、現実離れしたような。
「アーサーさん、私ね、あの劇場を閉めるつもりなんです」
「……え?」
驚き立ち上がるも、菊は相変わらずアーサーに背を向けてオーブンを見つめていた。彼の頭の上にポツリと点いた人工灯が、暖色な割にそっけなく彼の後姿を映している。
「家族にバレましてね、閉めざるを得なくなってしまったんですよ」
「じゃあ俺はどうなるんだよ」
声を荒げるアーサーをようやく振り返り、彼は柔和な瞳をいっそ優しく細めて見せた。
「住むのはここでいいですよ。お仕事も紹介しますし……まぁ、あなたはお家へお帰りなさい」
オーブンから終了の合図が聞こえ、彼は再びオーブンへと視線をやって、黄金色になった生地を取り出す。甘くて美味しそうな香りが立ち込め、菊は愛おしそうな様子で取り出すと、冷ましながら冷蔵庫から果物を出した。楽しそうなその様子は、ストリッパー劇場のオーナーには見えない。
「帰れねぇよ……」
ここでの生活はまだほんの少しだけだが、協調性がほとんど無いアーサーでも、どうにかやっていけるのだと解らせてくれた。同い年程度の少年でも、彼らが十分んな教育を受けていないとしても、それでも話をすればいくらでも得られるものはある。
冷たい実家の雰囲気を思えば、ここでの生活はずっと楽しい。家に帰るぐらいならば、毎晩恥ずかしい恰好で酒を運んでいる方がずっとマシだ。
「まだ先の事ですからね、もっと人生を考えなさい。あなたは自分が思ってる以上に、ずっと子供なんですから」
果物を綺麗に洗い、刻み、生クリームを取り出して丁寧に均していく。手慣れた様子から、住民のために何度も何度もケーキを焼いてきたことが容易に想像出来た。
「時折思うんです。私は独りきりで死んで行くんだろう、って」
クリームで一面真っ白になったケーキに、よく熟れた苺が乗せられ、最後にホイップクリームが市販のもののように飾りつけられていく。既に空は白ばみ初め、寝不足と疲れで頭の中が痛み始めるけれど、ひらりひらりとケーキを作る彼の姿から目が反らせない。
この東洋人は、年齢さえわからなかった。一説にはおっさんであるサディクより、更に年上なのだというものがある。直接聞いたけれど、彼は曖昧に笑うことしかしない。下手すればアーサーの倍近く生きている可能性があり、それがアーサーを気後れさせた。
ケーキが振舞われるのと同時に、バイルシュミット兄弟が辞めること、劇場が無くなることが伝えられた。最初は全員驚いた様子だったが、この業界ではよくあることなのか、彼らは直ぐに納得を示して数ヵ月後に来るお別れを心地よく許した。
結局何も決まらないままアーサーも荷造りをしている時に、バイルシュミット兄弟の見送りとなった。店の従業員全員に送られていく二人組は、たかだか半年の付き合いながらとても淋しい気分にさせられる。
従業員のほとんどがアパートから出ていくとあり、一時は常に満杯だった大部屋からも荷物が運び出され、いつか菊の言った「独りきりで死んでいく」という言葉がリアルに感じさせられた。たかだか18のアーサーにとって死などリアルなものではなく、明日さえずっと遠くにある。
菊の背中には大きな傷跡がある。まるで巨大な肉食獣にでも引っかかれたような、肉が少し抉れた痕だった。
それは彼が幼少のころに付けたもので、家族で車に乗っている時事故を起こし一人で生還した勲章なのだと笑っていた。直ぐに親戚の家庭に引き取られ、それなり愛されて過ごしたという。現に、彼の義理の兄である耀は成人した後も事あるごとに菊に干渉していた。
大きな傷跡はそれだけでコンプレックスの証となるのにも関わらず、彼はそれをとても愛おしがっていた。まるでペットかなにかか、家族か、分身か影のように、鏡で見やっては何度も細い指先でなぞる。語りかけている姿は、さすがに頭がどうかしたのかと怖かった。
初めて菊を見たとのは有名な劇場の舞台の上だった。大学に入るなりみるみる堕落していった友人、フランシスに連れられてアントーニョと自分のいつもの三人でストリップショーを見に行ったのだ。そこは低俗なストリップショーというよりも、男女交えて妖美に歌ったり踊ったりする、芸術と言いくるめてしまえるようなものを披露している。
普段、弟であるルートヴィヒを養うために働いてばかりいるギルベルトには刺激が強く、頭痛がし始めたころに現れた。真っ黒なかつらをかぶり、シックなワインレッドのドレスはどうみても女性で、歌いだすその声が予想外に低く中性的で驚かされる。しかし背中の大きく開いたドレスで振り返って自慢げに腕を開いたところで、誰もが傷跡に見入ってしまった。
フランシスは彼と知り合いだったらしく、舞台が終わってから飲み屋に姿を見せた。彼は幼い顔とは裏腹に、菊はギルベルト達よりずっと年上で、もうじき自分の劇場を持つのだと誇らしげに言った。そこで「やってみないか」と声をかけられたのだ。今から思えば、飲み会など行きたがらない彼は、はなっからフランシスを誘いたかったのだろう。
戸惑いつつも提示された金額は大きく、慢性的に金欠だったギルベルトは容易く折れてしまった。アントーニョとフランシスも面白がって一緒に舞台へ立ったけれど、飽き性のフランシスはふらふらといろんな土地を渡り歩いている。
オーナーとなった菊は進んで舞台に立たなくなり、ギルベルトはいつも彼の傷跡を思い出した。業務あがり、大部屋で二人っきりの時にそのことを言うと、彼は一瞬呆気にとられていた。恋人というには粗暴で、セフレというには依存している不思議な関係の始まりはこの日の朝方から始まった。
シーツ一枚まとってベッドで寝っ転がるギルベルトに背を向け、煙草を吹かしている菊の背中をただ見つめた。夜の住人である二人にとってはあまりに眩しい朝の光が辛いが、小さな背中に咲く刺青のような痕が美しくて、目が離せない。
「俺さぁ男と寝たの初めてだわ」
「奇遇ですね、私もですよ」
本当か冗談かよくわからない言葉が返され、ただ苦笑するしか無かった。それまで吸うことの無かった煙草を買い、ピアスの穴を開け、服装も変えた。彼が好むように、別れを愛して何より怖がる彼が安心するように、より軽薄で深く考えないような男を演じ続けた。
別れ際、菊は二人に用意していたプレゼントをそれぞれ渡した。半ば嫌がらせで備品として使っていた衣装と小道具、そしてルートヴィヒには時計、ギルベルトには菊の私物である指輪を渡した。
結局踊り子の半数は他店で働くこととなり、その他にもいろんな職場を紹介した。どうにかあぶれる者も一人だけで済み、アパートにはほんの数人だけ残る事となった。店を閉める作業も終え、夕方頃にはバイルシュミットを送るために集められるだけの従業員で駅へと向かう。
列車に乗り終えたのを確認し、引っ越し作業を進めるために車に乗り込む。高級車にぎゅうぎゅうと乗り込み、後部座席のフェリシアーノ、ロヴィーノ、フェリクスがきゃっきゃとお菓子の交換し、助手席のアーサーはむすっと外を眺めている。キーを差し込もうとした時、鞄の中で携帯が震えていることに気がついた。
「すみません、ギルベルト君から電話ですので」
ディスプレイを見れば見慣れた名前で、菊は車を降りて通話ボタンを押す。
「どうしました、何か忘れ物ですか?なんでも送りますよ」
『いや……ちゃんと別れの挨拶してなかったから』
歯切れの悪い言葉を聞きながら、誠実な彼らしいと苦笑を浮かべる。最後の方は居づらかったのか、あからさまに菊を避けている姿が逆に可愛らしいと菊に思わせた。
『俺さ、お前の事、ちゃんと好きだったみたいだ……』
列車は地下に入ったのか、ギルベルトの告白が終わるや否や、一瞬の間も与えずに通話が乱れ、やがてブツリと切れた。恐らく本当に最後だろう電話は唐突に終わり、菊にはひとつの時間も許されない。
「菊、なんの話だった?」
携帯を鞄にしまう菊に、フェリシアーノが笑顔で問いかける。いつも通りの笑顔を浮かべ、車のキーを拾い上げた。
「冷蔵庫にプリンを入れたままにしてたから、みんなで食べていいらしいですよ」
歓声を上げる後部座席をしり目にキーを差し込みながら、じっと見つめてくる翡翠の視線を感じ、気がつかないふりをしてアクセルを踏み込む。
数人を残し、アパートはあっという間にからっぽになってしまった。立地は中々良いから、直ぐに新しい住人がやってくるのだろうと、干渉気味に思う。
数人のために夜中クッキーを焼いていると、扉口に立っているアーサーに気が付き顔を上げた。
「アーサーさん、あなたどうするんですか。家賃は払っていただきますからね」
「お前はどうするんだよ」
猫のように、菊の様子を伺いながら近寄ってくる彼は、いつも通りの悪態を吐く。苦笑し手招くと、焼きたてのクッキーを数枚手渡す。キラキラと目を輝かせる姿は、彼がまだ子供っぽさを残しているのを感じさせる。
「さて、私はまた舞台にでも立ちましょうかね」
「本当か?」
クッキーを手渡した時以上に目を輝かせる姿に苦笑を浮かべると、淹れたての紅茶も手渡す。
「あのさ、その……俺がそばにいてやってもいいぞ」
長い金色の睫毛を伏せながら、もごもごと口の中で呟く。昔飼っていた犬を思い出しつつ首をかしげると、彼は日焼け一つしていない頬を真っ赤に染めつつ、更に時間をかけて言葉を紡ぐ。
「だから、その、お前が死んだ時は……」
「死ぬ時」
くるくると喉を鳴らし焼き上がったクッキーと紅茶をもって、ソファーの前の机へと並べる。向かい合って座ると、アーサーは暫くもじもじとしていたが、ようやく紅茶を口に含んだ。
「じゃあお願いしますか……でも私、ヒモはもたない主義なので、ちゃんと働いてくださいね」
不思議そうな顔を残し、ポケットに入っていた煙草を取り出し火をつける。煙は天井へ向かいふわりと舞い上がり、メンソールの薫りがクッキーの甘ったるいそれと混ざり合い、アーサーには頭がくらくらするほど強烈だった。