西日

 

 

 太陽の人(西日)

 

 初めて出会ったときは、彼女の靡く黒髪がとても綺麗だった事が、一番印象に残っている。民族衣装がとても似合っていて、少々気後れする質ではあったけれども好奇心が強く、何か品物を見せると楽しそうに寄ってくれた。
 一番の目的は布教活動ではあったものの、東の小さな国、というのが気になり数度その領土に足を踏み入れる度、彼女はにっこりと微笑んで自分を招き入れてくれる。それはポルトガルも同等な扱いではあったけれど、まだ巨大な国家にあまり踏み入れられていない事が、とても嬉しかった。
 けれども日本はそれから鎖国という長い年月自分の元に姿を見せなくなり、そして次に会ったときにはもう、日本のあの長かった髪はバッサリと短くなり、はにかんだ様な笑みはそこから消え去っている。
 隣りに立って、男物のスーツに腕を通している日本の肩を抱くアメリカが満足げに笑っている反面、日本の顔には大きな影が落とされていて、不思議に胸の奥が滞った。
 こんな感情は、一体いつ以来だろうかと、スペインは自問を繰り返すけれども答えは返っては来ない。別段彼女に特別な意識を働かせていたつもりは一切無いし、彼女を無理矢理組み敷いたというアメリカが憎かった訳でも、無い。と思う。
 ゆるやかに、酷くゆるやかに、久しぶりの会合で日本は自分に目線をやった。黒くあの時とまるで変わらない大きな瞳に、自分の姿がハッキリ映ったのが分かった。瞬時、覚えているのかという事で鼓動が早まるのが分かったけれど、日本は自身に目線をやったかと思うと直ぐに、俯いてしまう。
 目線を合わせることのない軽い会釈だけの挨拶を済ませ、アメリカに連れ立って日本が消えていった廊下の奥を振り返り見返しながら、足下から延びる自分の影が延々と続いているかのように感じた。  
 アメリカが忙しくて居なくなった瞬間を狙い、会議中ずっと俯いていた日本の元にそっと近寄った。直ぐ隣りに座っても、彼女は顔をこちらに顔を持ち上げないから、もしかしたら寝てるんじゃないか、なんてしょうもない事を考えながらそっと顔を覗き込んだ。
 暗く影が落ちた彼女の瞳はしっかりと見開かれていたけれども、その視点は定まらずに一体何を見ているのか、まるで分からない。
「……日本?」
 そっと声を掛けるが、それでも彼女は顔を上げないし、目は大きく見開かれままだし……男装をして髪を短くした日本は、中性的な匂いを放って、まるで人形か何かの様だ。
 確かに今は、アメリカにとったら珍しい異国の人形の様な物なのかも知れない。スペインは思わず眉尻を下げて小さく首を傾げると、言葉を探しながら黙り込む。
「なにしてるのかな、君は。」
 不意に声を掛けられて上を向くと、キョトンとした様子のアメリカがこちらを見やっている。その手にはコーヒーのカップが二つ。
「久しぶりにおうたから、挨拶しようと思うたんやけど、なんや返事もしてくれへん。」
 取りなすつもりは無かったのだが、アメリカの存在に若干下が早くまわるのを覚え、自身であせっているのだと認識した。
 アメリカは「ふぅん」と小さく頷くと、眼鏡の奥の薄青い瞳をゆったりと細め、口元になぜか満足そうな笑みを浮かべる。その光景に薄寒いものを覚え、俄に自身の腕が知らず粟立つ。
「あまりにも急激な変化と、彼の国民が変化について行けずに反乱とか起こしちゃってるからね。」
 だから……と続けようとするアメリカに、思わずスペインは右手を挙げてアメリカの台詞を遮った。彼は一瞬不愉快そうな顔をしたものの、それさえ気にならずにスペインは声を上げる。
「今、彼って……」
「そうだよ。その方が何かと便利だろ?それに日本が望んだんだ。」
 ケロリと彼が言う。それは、他に男が近寄らないから? そう問いかけようとして、スペインは声を無くして日本に目線をやると、彼女はいつの間にかコチラを見ていて、果てしない時を挟み目があった。
 それからニコリと微笑むのだが、その瞳やはり光が入って居らず、自身の知っている彼女からはほど遠い姿だ。
「君も協力してよ。ね。」
 後ろで酷く楽しそうなアメリカの声が響く。  
 ようやく会議が終わり、眠たい目を擦りながらスペインは廊下を歩いていると、ふと暗い廊下の向こうに何かが蹲っているのを見つけ、思わずギョッとして立ち止まった。
 が、よくよく見るとソレが日本だと気が付き、知らずホッと安堵の息が漏れ、大股で蹲っている彼女の元に近寄る。
「どうしたん?体調でも悪いんか?」
 しゃがみこんで彼女の背中に手を置きそう呼び掛けるが、やはりうんともすんとも返ってこない。取り敢えず誰か呼ぼうかと顔を持ち上げた時、日本の腹部を押さえたその指の合間に、赤黒い染みが浮き上がっているのを見つけ、思わず言葉を無くす。
「なんや、怪我したんか。」
 眉間に深い皺を寄せ、とにかくどこかへ運ぼうと思って彼女の細い肩に手を掛けた瞬間、パシンと鋭い音をたてて日本はスペインの手を叩いた。驚き目を丸くするけれど、日本は光りのない瞳でチラリと一瞬だけ、スペインに視線をやるが、直ぐに立ち上がる。
「大丈夫です。大丈夫、大丈夫……大丈夫、ですから……」
 口のなかでブツブツ呟きながら、フラリと日本は壁に手を付きながら歩き始める。彼女の歩いた後、点々と白い壁に血のもみじ型の跡が付けられていくのをスペインは横目で見やった。
 日本の顔は真っ青に染まり、額には脂汗が浮かび、目線はあっちやこっちに移って定まりはしない。
「日本、動かん方がええって。」
 腹部の染みが更に大きく広がっていくのが見えて、スペインは失っていた自分を取り戻すと慌てて立ち上がり、日本の壁に付いていた細い腕を掴んで青い顔を覗き込む。
 その瞬間、虚ろだった彼女の顔に瞬時、手にとって分かるほどの恐怖が一杯に溢れ上がり、ブルッとその体が震えた。「え?」と思うよりも早くに、彼女は直ぐに自分から顔を反らし、掴まれた腕を剥がそうとしてまた藻掻く。
「動かん方がええって、なぁ……」
「触るな!」
 彼女らしからぬ口調と声色が響き、思わずキョトンとするスペインの前で、強く奥歯を噛みしめて、影の落ちたキツイ瞳がスペインを捉える。
 険しい表情でスペインを睨むけれども、それでも掴んだ腕を離さないように掴んでいると、不意にきつかった黒い瞳が揺らぎ、再び恐怖を含んだ表情を浮かべると、また彼女は俯き体中を小刻みに震わせた。
「ご、ごめんなさい……私……」
 泣き出しそうな黒い瞳を歪め、血で濡れている手を口元にやるから、まるで紅でも引いたかのようにその唇が血で光る。
 依然、呆気にとられているスペインを前に、日本が肩を震わせて小さく謝罪を述べる。それは目の前に立ったスペインでは無く、ここには姿形も見えないアメリカへの謝罪だった。
 どうしていいか分からなかったけれど、取り敢えずコチラに視線を向かわせなければと、どうしてかその時はそう信じ込んで思わず両腕を伸ばして俯いた彼女の血の抜けた頬を掴み、無理矢理に上を向かわせる。
 体全身がビクリと震え、怯えた目が、泣き出しそうな目がスペインの向こうを見やった。彼女の噛み合わない奥歯がカチカチと震えて鳴り、口内で小さく拒絶を示すけれども体は動かないらしい。
 今まであまり領土を攻め込まれたりなんて、数えるほどしかなかったからか、意外にもこんな事には打たれ弱かったのかも知れない。いや、何をされたのかもよくよく知ってはいないわけだから、何も言えないのだが。
「俺、アメリカやない。な?」
 軽く頭を傾げてそう言い聞かすと、焦点の合わない泣き出しそうな瞳が揺れて動く。怯えた目が暫くジッと瞠らせていたけれど、やがて小さく日本は息を吐き出す。
「……スペイン、さん。」
 小さいけれど、確かに彼女はそう呟くと、ふと細い体から力が抜けてスペインにもたれかかってきた。ずっと気を張っていて今の今まで立っていたのか、今は完全に気を失ってしまっている。
 
 
 気を失ってしまった彼女を運び、取り敢えず空いていた会議室らしき所のソファーに座らせると、日本のシャツのボタンを一つずつ解いていく。
 包帯の様な布をしっかりと胸部に巻き付け、どうやらこれで胸の膨らみを誤魔化しているらしい。微かにスペインは目を細めてから、滑らかな白い肌に真新しい切り傷が付いている、彼女その右脇腹に指先を伸ばし、躊躇い、触れるのを止めた。
 あまり深い傷では無さそうだけれども、血はまだ止まりそうに無い。暫く悩んだ後、結局手当も出来て、その上彼女とそれなり仲の良いだろう中国を呼び出す事に決め、日本を一人残し急ぎ足でその部屋を後にした。
 
 苦々しげな表情で中国は日本の手当を済ますと、あまり顔色の良くない彼自身の顔を顰め、そして眉間に指先を強くあてて立ち上がる。
 最近イギリスらへんともめ事を起こしたばかりの彼も、あまり体の調子は良くないのだろう。苛々とした様子で中国は小さく舌打ちをすると、スペインに鋭い視線を送った。
「我を呼んだことは懸命だったし、感謝するある。」
 そう言ってから、中国はその続きを言いかけたけれども、顔を顰めたまま俯き口を閉じてしまう。彼女の兄分であるのだから、言いたい事も沢山あるのだろうけれど、結局彼は何も言わずに日本の頬をそっと叩いて起こした。
 一瞬、スペインは彼を止めようとしたのだが、それよりも早くに日本はそっと黒い瞳を覗かせて、目を覚まして目の前の中国とスペインに視線を寄越す。
「……中国さん?」
 不思議そうに二人の事を見比べてから、不思議そうに小さく首を傾げて掠れた声色でそう、自身の兄の名前を呼ぶ。いまだ日本の顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいた。
「我の方から口利きしておくから、お前は直ぐに家に帰れ。」
 何か酷い内乱でも起こっているのだろうのは、傷を見ただけで分かる。それがこれから急に良くなるとは思えないし、このまま会議に出られるほどに彼女の体力が続くとは到底思えないから、至極真っ当だろう。
 けれども日本は俯くと、眉間に小さな皺をよせて下唇を噛みしめると顔をパッと持ち上げて中国を下から大きな瞳で睨み付ける。
「いいえ私は、一つの国として舐められたくはありません。弱い所など見せてはいけないのです。」
 じんわりと汗が額に浮き上がっているのに大きな声を出した物だから、また小さくうめき声を上げると日本は腹部を抑えて辛そうに身を縮めた。苦々しそうにその様子を見ていた中国は腕を伸ばし、日本の頬を両手で包み込むと、グッと上を向けさせる。
「やっぱりお前は帰るある。」
 声を荒げてそう言った中国と日本あ、暫く無言で睨み合ったのだけれども、それは彼女が小さく首を振ったことで終わった。中国は盛大な舌打ちを一つすると、「勝手にするある。」と一つ言い残し、荒々しい音をたてて部屋を出て行った。  
「お見苦しい所をお見せしてすみませんでした。」
 日本は特に慌てる様子も無く、シャツのボタンを上からゆったりと閉めていく。白い日本の首筋にいくつか咲いた赤い跡が段々と隠れていくのを脇目で見やり、ゆったりと視線を下ろして足下を見やった。
「……俺も、休んだ方がええと思うよ。」
 上着のボタンまでしっかり締めて、腹部に付いた血の跡を隠す彼女へ視線をまたやってから言うと、先程の険しさなどまるで嘘の様な落ち着いた表情な顔を持ち上げ、そしていっそ、微かに笑みを浮かべてみせる。
 そんな日本の表情にどう応えて良いのかわからずに、笑みさえ返さず、ただ無表情で返してしまう。自分らしくないな、と心の何処かで思ったけれど、表情なんて作れない。
「……分かってます。でも、大丈夫です。」
 一体どの辺が大丈夫なのかまるで分からないけれども、日本が穏やかにそう微笑むから、やはりそれ以上言葉が出てこずに、取り敢えず会議室まで彼女の体を支えてやる事にした。強がっていても、日本の足取りは危うくってよろついている。  結局またアメリカの隣でぼんやりと座っている彼女を見つけて、スペインはどう言って良いか分からずにそのまま席に座り、横目で日本の姿を見やる。けれでもそれ以上何もせずにそこに座っていると、スペインの代わりとアメリカに話しかける人が、一人居た。
「美國、いい加減にするよろし。リーダーごっこはよそでやるある。」
 いつの間に席を立っていたのか、アメリカのすぐ横で中国は険しい表情で仁王立ちしている。自身も最近ごたごたしていた為に顔色が優れないのだが、やはりというべきか怯む様子は微塵も見せない。
 アメリカは顔を持ち上げて中国を見やるが、何も言わずにただ眼鏡の奥の目を微かに細める。
「何?オレが君に何かしたかな?」
 いっそニッコリ微笑んでアメリカがそう言うのを、中国は険しい表情を崩さずに見やった。そして一つ盛大に舌打ちをすると、アメリカの隣に座っている日本にチラと視線をやる。
「とにかく、日本は体力的にこれ以上は無理ある。我が連れて帰る。」
 その中国の言葉を、アメリカは顔をしかめさせて聞いた。けれども不機嫌というよりは不思議そうに。
「日本の調子が悪いっていうのかい?日本、そうなの?」
 首を傾げて隣を見やると、日本もアメリカに視線を返し、少々青い顔で小さく首を振る。
「いいえ。大丈夫です。」
 一体どのへんが大丈夫なのか聞き返したい程な様子だというのに、アメリカは日本の言葉に納得すると中国に軽く肩をすくめてみせた。
 中国はそんなアメリカに向かい心底嫌そうな顔をする。
「どうせテメェは日本に発言させるつもりはねぇんだろ?だったらやっぱり連れ帰るある。」
 中国はツカツカ日本に歩み寄ると、その腕を掴み立ち上がらせようとするが、日本は困ったように首を傾げるばかりで立ち上がろうとはしない。
「……日本、今おまえがここから立ち去ったとしても、それは我が強請したことで、おまえに責任はねぇある。」
 眉間に皺を寄せ、険しい表情をしながらもなお、中国の声色にはどこか嘆願の意が含まれている。それでも日本は、微かに首を振ってそこから動こうとはしない。
 その様子を眺めていたアメリカは、大きな動作で肩を竦めてみせた。
「小さい国だけど、日本も大事な国なんだ。一緒に参加させるのは当然じゃないか。」
 ねぇ、とアメリカが日本へ目線をやったけれど、そこで思わず口を噤み、いつのまにか腹部を抑え机に突っ伏している日本を見やる。その腹部、指の隙間を縫ってポタリポタリと赤黒い血が滴っていた。
 言葉を失いガタリと音をたててアメリカが立ったのと同時に、日本が掠れた声色で「大丈夫です」と囁く。
 
 
 
 
 結局日本はアメリカに担がれて緊急帰宅して、アメリカが居ないのでそのまま会議も延期、という事になる。帰ってしまえば良かったのだろうけれど、スペインはどうにも気になって久しぶりに立ち寄ってみよう、という気になった。
 また国交を繋ぎたいと思っていたし、丁度良いチャンスだと、流石のアメリカだって説明したら分かってくれるだろう。
 そう、スペインは自国から持ってきたトマトを紙袋に詰め込み、酷く穏やかな鳥の鳴き声ばかりが聞こえる日本の午後の道を歩いていく。彼女の家の傍はいやに静かで、今、本当に国内抗争が起きているなんて信じられなかった。
「にほーん、おったら返事してー」
 バンバン扉を叩きながらそう声を上げても、誰も出てくる気配はしない。あの怪我なら日本が出られないのは分かるけれど、一緒に居る筈のアメリカさえ出ては来ない……
 スペインは小さく首を傾げると、まさかなと笑いながら戸に手を当てると、信じられないことにアッサリと扉は開いた。日本は安全だと聞くが、まさか鍵をしなくても良いほどに安全地帯なのか?それは凄い。
 暫く目を丸くさせていたのだが、ようよう自分で納得したらしいスペインは、取り敢えずそのままお邪魔することにする。懐かしすぎて、一体どうするべきなのかさえあまり覚えてない。
 取り敢えず靴を履いたまま数歩歩いてから、慌てて玄関まで戻り靴を脱ぐ。自分の大きな靴の横にちょこんと置かれている、彼女の小さな革靴に目線が止まり、なぜだか胸の奥が小さく痛んだ。
 病気かな、と思わず自身の胸元に手を置き、盛大に眉を顰めながらもスペインは立ち上がり、また袋を胸元に寄せる。赤い宝石の様に艶があるトマトが袋の中で揺れ、柔らかい土の薫りがした。
 
 広い彼女の屋内を歩きながら部屋を覗いていくと、一つの部屋で布団の中で眠る彼女を見つけ、立ち止まりその寝ている姿を見やる。
 先程の苦しそうな表情とは打って変わって随分楽そうな表情を浮かべては居たけれど、やはり一人で置いておくなんて……アメリカの姿を思い浮かべてから、スペインは小さく肩を竦めた。
 我が儘な子供の子育て経験の所為なのか、こういう時にどうにも放っておけない性分になってしまったのかもしれない。自分よりも年上らしいのに、彼女の顔は酷く幼くて、自国の平均的な女性よりも体は細くて小さくて、だからこそ、あの首もとに付いた赤い跡が痛々しくみえてならなかった。
「台所借りるな、日本」
 にっこり微笑みそう呼びかけても、深く寝入った彼女はうんともすんとも言わない。本当に生きているのか、少々不安になりながらも彼女に触れることなく立ち上がり、台所とおぼしき場所を探し始める。
 
 
 良い香りが鼻孔を擽り、それまで深い眠りの底に横たわっていた日本は不意に目を醒ました。ジクジクと脇腹が痛み、気分が果てしなく悪いけれども、台所から漂ってくる薫りが気になってならない。
「アメリカくん……?」
 まさかと思いながらもそう、体を起こして襖越しに声を掛けると、暫くして裸足らしきペタペタという音がし、想像さえしていなかった人物が笑顔で襖を開けた。
「起きたんかぁーまだ動かん方がええよ。」
「……スペインさん」
 懐かしい顔に、日本は思わず目を大きくしてそう応えると、彼は嬉しそうに頷き襖を開け放ったままでそのまま台所へと戻っていく。卵の良い香りが充満し、自分の国民とよりも大きな背中が、午後の光りにあたって見える。
 眩しくて思わず日本が目を細めた時、彼は何やらお皿の上に何かをよそう。
「あんまり勝手が分からんから、ちょっと形が変になってもうたけど……」
 振り返り、少々気恥ずかしそうに笑うスペインの顔を、日本はただ不思議そうに見上げている。やがて歩み寄ってきた彼の手の中にある皿を見つけ、小さく首を傾げた。
「きっと、今まで体験した事なかった様な辛い思い沢山したんやろうけど、そんな思い詰める事やないって。」
 大陸も色々大変やったよー、と、スペインは眉尻を下げながらもにこにこして、日本に暖かな湯気を立てるオムレツを差し出す。その薫りの所為か空腹感を覚え、こんなになってもまだ尚腹が空くのかと、少々情けなくて笑みが零れる。
 少しばかり戸惑いながらも日本は手を伸ばし、オムレツを受け取る。
「今度スペインに遊びに来たらええよ。一杯土の匂い嗅いで、腹一杯うまいトマト食ったら、きっと良くなると思う」
「……なんで、こんなに良くしてくださるんですか?」
 上目遣いにスペインを見やった彼女の目は、どこか疑念に満ちていて、これが自分に嬉しそうに話しかけてくれた子と同一人物かと思うと少々やるせなくなる。あの時は、世間知らずだと思ったのに……
「俺んとこにもな、一人子供がおって、日本みてたら何か気になって仕方が無くてなぁ。」
 眉尻を下げてそう笑う彼を見上げ、日本は微笑を口元に浮かべながら小さく肩を竦める。
「私はあなたよりよっぽど年上です。」
 寧ろおばあちゃんと言っても過言じゃありませんよ。と付け足しながら日本はその長い睫が付いた瞼をゆったりと下げた。背徳にかられた様な表情をしたまま、彼女はそっとお箸ですくった卵の欠片を口に含んだ。
 瞬時、柔らかな卵の味が口一杯に広がり、スペインが大事に育てていたのだろうトマトと、そして懐かしい土の気配が直ぐそばに感じられた。大丈夫だと、まるでそう言われている気がして、思わず口に入れている箸を強く噛む。
 視界が揺らぎ、知らず目の中一杯に涙が貯まってしまっている事に気が付き慌てて両頬を包み込むと、ゆったりと頭の上に手を置かれた気配がするが、日本は顔を上げられずに小さく呟いた。 「だから私は、子供じゃないですよ。」と。  
 
 
 
プラス 米日
 
 
 腹部に傷を負った彼女を部屋に運び込むと、どうやっていいのか分からないけれども見よう見まねで布団を引っ張り出し、適当に配置し、彼女を寝かせる。気が付かなかったけれども、シャツは血で濡れていて一度手当をした跡が見えた。
 どうして良いのか分からずに取り敢えずシャツを脱がして、部屋中を探して救急箱を見つけると、中から包帯やらなんやらを取り出して手当を始める。こういうのは苦手な方で、あまり綺麗には仕上がりそうもない。
 あまり綺麗に出来上がら無かった手当の跡を見ながら、小さく息を吐き出して眉間に小さな皺を寄せる。彼女の胸元にきつく巻かれた包帯を横目で見やり、凹凸を潰したその胸元に指を伸ばす。
 本当は、男の振りをすると彼女自身が言い始めた事で、最初はアメリカも反対したのだが、意外にも頑固だったのかそれとも自身と寝たことが相当ショックだったのか、結局日本は自身の胸元を押さえつけ長かった髪を切ってしまった。だから、自分も協力してやろうと思ったのだ。
 苦しいだろうか?苦しいだろうに……こんな胸元を抑えている状態では治るものも治らないだろう。けれども解き方も分からない。そう、アメリカは懐に持っていたナイフを取り出し、日本の白い肌を傷つけないように布と肌の隙間に刃を差し込む。
「いつもこんなの持っているんですか?」と、顔を顰めてこちらを見やっていた彼女の姿を思い出し、思わず苦笑を浮かべながらちょっとずつ素肌を露出させていくと、いつ付けたのか赤い跡がまだ胸元にいくつか残っていて、思わず眉尻を下げて視線を横にずらす。
「君だっていつも長細いナイフを持っているじゃないか。」
 ナイフに革のカバーをしながら、気を失っている日本に小さく声を掛けるも、やはり返事は何も帰ってこない。
 彼女が夜に来ている浴衣とかいうものを取り出すと、これもやはり見よう見まねで着せると、目的もなく取り敢えず立ち上がった。こういう時に何をすればいいのか分からず、自身が幼い頃に熱なんか出したときどうして貰っただろうかと、気が付けば眉間に皺を寄せながら考えている。
 こんな時、本当だったらどうすればいいのだろうか?分からないことが悔しくて、彼女に子供扱いされた事を思い出しつつ、憤りを感じつつ音をたてて取り敢えず廊下に出た。
 何か食事を用意しようと台所に向かうけれど、日本が元気になるだろう食事は到底思いつかず、ぼんやりと立ちつくしてしまう。その時、扉が打ち鳴らされるのを聞き、なぜだか慌てて隣の部屋に身を隠した。
 彼女の兄か、はたまた仲の良い諸外国かと頭を巡らして考えるのだが、やがて聞こえてきた声色に思わずハッとする。なぜ、スペイン……?
 自分の性格上、こんな所に隠れたりする事は耐えられないと思っていたのだけれど。アメリカは小さく唇を尖らせ、襖一枚向こうの世界に耳を澄ませる。
 やがて何かを調理しているのか、台所で色々漁っている音が聞こえ、昨晩のぞき見をした、彼女が台所に立っている小さな背中を思いだした。真っ黒な髪を結い上げ、キチッとした格好で、まるで魔法みたいに細かな作業で美味しい料理を作り出していく。
 初めてだし巻き卵を見たときは酷く感動したものだった。「これはアートだよ!」と騒ぐアメリカに、日本は眉尻を下げて少々困った様に笑っていたのだ。
 泣かせるつもりなんて、本当に無かったんだ。でも方法を、俺は知らない。ずっとこうして生きてきたし、生き方は強引な力に頼ってばかりきたから、どうすればいいのか、まるで分からなかっただけなんだ。
 そう言って彼女は信じてくれるだろうか……?信じて、許してくれるだろうか?
 額を手の平で覆うと、襖の向こうから卵の良い薫りが漂ってきて、不意に見知らぬ懐かしさが込み上げてきた。座り込み、両手を口の前で合わせて小さく彼女の名前を呼んでみる。それでもまだ指先が薄ら寒くて、祈る様なポーズのままアメリカは暫く動けなかった。