からくれないに 『お見合い』
 
 
 お見合いの席に選ばれた、都内の大きな料亭の廊下を抜けて扉を開けると、日本の小さな造りには似つかわしくない大きな男が、必死に身を縮めて小さな座布団の上に正座していた。その不格好さに思わず笑みがこぼれそうになるものの、菊はどうにか無表情を装って自分の席に座る。
 いい年になっても結婚しようとしない娘に、両親は遂に外国人を連れてきたのは、堅物の彼らには随分と思いきった決断だったろう。彼は随分長い間袖を通していなかったスーツをきつそうに纏い、気まずそうに顎髭を指先で撫でた。
「はじめましてサディク・アドナンさん。本田菊です。よろしくおねがいします」
 にっこりと笑みを浮かべて頭を下げると、彼は「よろしく」と流暢な日本語で返し、苦笑を浮かべる。
 お見合いで喋っているのは殆ど当人以外で、菊はにっこりと人当たりの良い笑顔を浮かべ、サディクは居づらそうに何度もお茶を口に含んだいる。浅黒い肌に無精髭、大きい体は和室にはあまり合っていないけれど、一生懸命縮こまっている姿はいっそ愛らしい。
「それでは若い者同士で」なんて常套句が告げられ、二人っきりにされてしまう。穏やかな午後、遠くでししおどしがコーンと、侘しい音を響かせているのを、途切れがちな会話の合間に聞く。
「……なんか、申し訳ねぇな。こんなおじさんにさァ」
 会話が途切れた時に、頬を掻きながらポツリと漏らす。湯呑みを見やっていた菊がその言葉につられてふと顔をあげると、黄金色の瞳が再び苦笑を浮かべた。
「……少し、外を歩きませんか?」
 窮屈な着物を少しだけ身じろぎして緩めると、机に手を置いて立ち上がる。しかしサディクは「あー」だとか「うぅー」だとか呻いただけで、困って眉間に深い皺を寄せ菊を見上げた。菊も初めて表情を崩して首を傾げると、彼は意を決したように立ち上がる。
 いや、立ち上がろうと足に力をいれた瞬間、ゴロンと大きな体が転がり、壁に後頭部を強かぶつけた。恥ずかしい姿を見せたためか、急なことだった為か、ひっくり返ったままサディクは固まる。菊は暫くキョトンと眼を丸くしてから、思わず噴き出し、慌てて顔を引き締めた。
「す、すみません笑ってしまって……足、痺れてしまったんですね」
 どうしていいか解らずに伸びていた腕を引っ張り座らせると、緩む頬に懸命に力を入れ、サディクの隣に座った。
「無理に正座なさらなくてもよろしかったのに」
 小さな体が横にチョコンと座り、新しいお茶を入れている姿を眼の端で見やる。顔がじょじょに熱くなっているのに気が付き、赤くなっているのがバレるのが恥ずかしく、彼女から懸命に顔を反らして大きい窓から見える純和風な景色を見やった。
 
 先程転んだ衝撃で、喋ることもままならず、春の庭先に降り立つ。カラン、カラン、と菊の履き物と水の音だけが聞こえてくる中、木陰を目指して歩き出した。着物を着ているために歩幅は小さく、サディクは手をとったほうがいいものか悩みながら、隣を歩く。
「こちらほどすみません、無理矢理この席に呼ばれたのでしょう」
 眼を細めて放つ声色は、幼い顔には似合わずに落ち着いている。サディクは慌てて首を振ると、頭三つも小さな彼女のつむじを見やった。
「いやぁ、そんな……面白い体験ができたってもんだ」
 菊は溜息を吐き、もう一度口の中で謝罪を繰り返す。その姿に今度は苦笑ではなく笑い声を立て、急にしゃがみ込む。
「これは庭桜でさぁ。綺麗に咲いてんなぁ」
 急に指示した草花を、菊も驚いて目を丸くし身を折る。目の前には真っ白に、端にピンクを落とした、幾重にも花弁が重なる美しい花がいくつも咲き誇っている。確かによく見れば桜に見えるけれど、木と言うほどしっかりした枝でも、見慣れた葉でもない。
「まぁ、これは桜なんですか?」
「ばら科でさぁ……お、都忘れも満開だな」
 太い指先が、小さな紫の花を優しくつつく。首を大きく揺らす都忘れは菊にも見おぼえがあり、直ぐに「ああ、本当だ」と頷き笑みを浮かべて揺れる花々を見やる。
「お詳しいのですね」
 眼をキラキラさせて笑いかける菊に、再び褐色の肌が一気に赤く染まった。無精ひげの生えた顎先を掻きながら、暫し言いづらそうに少し厚めの唇を動かしてから、照れて笑う。
「実は、駅前に花屋構えてるんで」
 お花屋さん……駅前を思い起こし、直ぐに「あ」と眼を少し大きくさせた。駅前にポツンと経営している小さな、それでも騒がしい駅前から切り離されたような雰囲気を持つ、可愛らしいお店が重いつく。
 いつも眼にはしていたけれど、朝はまだ開店する前であるし、帰りは既に閉店した後である。土日はなるべく家から出ない様に過ごしているために、店主の姿は一度として見たことが無い。
「綺麗なお店ですよね」
「ああ、知ってるんですかい!」
 心底嬉しそうな満面の笑顔を顔いっぱいに浮かべる姿は、まるで子供のようで、我慢出来ずに菊はクルクル喉を鳴らして笑った。笑われた主は暫くキョトンとしてから、先ほどと同じように耳の先まで真っ赤にして照れ笑いを浮かべる。
「……今度、是非寄ってくだせぇ。特大の花束作りやすから」
「はい、楽しみにしております」
 いつの間にか笑い合っていた事に気が付き、二人でハタリと笑顔を消して眼を合わせると気まずさを覚えて愛想笑いのまま視線をそらした。
 
 いつも通り仕事が終わったのは終電間際で、疲れた足を引きずりながら改札を抜ける。お見合いの返事はいつでもいいから。なんて言葉を貰った。最初は断るつもりだったけれど、なぜか返事も出来ずにそのままズルズルと延ばしていた。
 大きな欠伸を飲みこんで、いくつかの街灯とコンビニの白々とした光だけの道を進み、角に曲がったところで彼の花屋を見つけた。いつもだったらシャッターがおりている窓から、ほのかに光が漏れていて思わず首を傾げる。誘われるように近寄ると、いつもの『close』が今日ばかりは『open』になっていた。
 扉を押して開けると、重い音が聞こえて直ぐに暖かなオレンジの光に映えた色とりどりの花と、艶やかな緑色が見える。小さく店主の名前を呼んでみるが、一つの返事も聞こえず店内に影も見えない。
 足を踏み入れると空気が一瞬で変わり、どこか清々しく気持ちが良い。そのまま店内を進んでいき、レジの手前で足をとめ、背伸びをして棚の向こうを見やると、椅子に座って突っ伏したままサディクは鼾をかいていた。
 声を掛けないまま出ていこうか少し迷っていたが、このままでは風邪をひいてしまうだろうと、もう一度名前を呼んだ。彼の上体がグラリと揺れたかと思うと、頬に机に突っ伏していた跡を残したサディクが、充血した金色の瞳を菊へ向ける。
「う……あ、寝ちまってやしたか」
 寝ぼけたまま頭を掻き笑う彼に笑い返し、「風邪ひきますよ」と肩を竦めた。
「どうしたんですか、こんな時間まで。珍しいですね」
 純粋な疑問を問いかけると、彼は言い辛そうに暫し頬を掻いている。やはり顔は真っ赤で、既に見慣れてつられることは無い。
「あんたを待ってたんでさぁ。ほら、約束したじゃねぇですかい」
 ちょっと待っててくだせぇ、と立ち上がり、先ほどまで眠っていたとは思えない軽やかな手つきで、迷うことも無くいくつもの花をまとめ上げていく。大きな花束は、薄暗い店内には眩しい程に色とりどりで、輝いて見える。手に取ると良い香りが舞い上がり、先ほどまで重かった体が直ぐに軽くなった。
 思えばお盆やお祝い以外で、生の花を買った記憶はあまり無い。花束を手渡されて暫く呆けてから、慌てて鞄から財布を取り出そうとするが、サディクはそれを制す。
「これも何かの縁、是非飾ってやってくだせぇ」
 花の名前を示して言った時と同じ笑顔を目いっぱいに浮かべ、からからと豪快に笑った。
「ありがとうございます、では頂きますね」
 肺一杯に香りを嗅いでから頭を下げると、花束を抱き上げる。金色の瞳が優しく笑いかけ、菊も頬を緩めて暫く笑った。
 
 店先で暫く喋っていると、時計は遂に深夜へと回っている。明日もまた会社に行かなくてはならないため、店を後にした。
「それではお休みなさいやせ」
 にこにこ笑うサディクに手を振って歩き始めようとし、ふと思い出して振り返る。手を振り続けていたサディクは、不思議そうに小首を傾げたが、菊は気にせず笑った。
「サディクさん、私……あなたより、ずっと年上なんですよ」
 先程まで笑顔を浮かべていた顔が一瞬で驚愕に変わる。お見合いで勘違いされているのには気が付いていたし、いつも年下と間違えられていたけれど、そんな大袈裟に驚かなくてもいいじゃないかと少し苦笑した。
 これはお断りされるかなと思いつつもう一度お辞儀をするが、顔をあげると直ぐに「また来てくだせぇ、待っていやす」と声があがる。