ラ・カンパネラ

 
 
 
  La Campanella  -ラ・カンパネラ-  
 
 
 
 初めてその存在を知ったときはいつだったか、確かアルセーヌが話題に出したときだった。寒々しい廊下を四人、自分とアルセーヌ、アルフレッド、そして王耀で連れだって歩いていた時、何気なくアルセーヌはその事を話題に出したのだ。
「そういえばお前、妹いるんだってな。」と。
 王耀の妹なんて、その時は本当にまるで興味が無かったから、ただ横目でチラリと二人を見やっただけにすぎなかった。
「……まぁ、居るけど。」
 渋々そう言う王耀にアルセーヌはニヨニヨ笑いながら「なぁなぁ可愛いのか?」と嬉しそうに尋ねると、王耀は眉間に皺をよせトコトン嫌そうな顔をして「ぶっさいくある」とぶっきらぼうに言ってのける。
 アルセーヌは残念そうな顔を浮かべて、それきりその話題には触れずにいつも通り、どうでも良いことばかりペラペラ言いながら会議室に向かった。
 
 その時から数週間経ち、渡し損ねた書類を持ちアーサーは王耀の家に尋ねななければならない事になり、見たこともない木造の建物の前に立つ。馬を門前に結びつけ、呼んでも誰も居ない様だから門をくぐって中に入り込む。
 自分の家と違う美しさを持つ庭園は、整備されているには居るのだが、どこか自然な雰囲気が広がりまるで森か林の中にでも迷い込んでしまった気がした。自身の知らない木々や品のある華がそこらに咲き乱れ、勝手に家に入ってきているという事すら忘れて奥へ奥へと進んでいく。
 その時、風に送られてここまで来たのか、薄いピンク色の小さな花弁らしき物が見え、一瞬雪かと見まごうその花弁を追いかけて目線を移動させていくと、巨大な木が一本堂々と立っている。いつからそこに居るのか、その存在感の大きさは酷く強烈で、思わず小さく息を飲み込んだ。
 吸い込まれるようにその木の下に立つと、ハラハラと頭の上にどんどん花弁が舞い落ち、薄暗い曇った今日には尚いっそどこか異世界の様な雰囲気を漂わせていて、暫しぼんやりとその下で突っ立っている。と、誰も居ないと思っていた家の方から微かに音がしてそちらに目線をやった。大きな間には見たこともない物が敷き詰められ、青い草の良い匂いが香った。
「王耀か……?」
 そう呼びかけると、室内の暗いところからふと誰かが動くのを見やり、アーサーは思わず窓から家の中に入り込もうとして、戸惑い止めた。その瞬間、曇っていた空の雲が割れて太陽が顔を覗かせ、彼女の顔を照らし出す。
 見たこともない赤い不思議な服装に身を包み(王耀の着ている服とどこか似てはいたが)、真っ黒の髪と目と、王耀と同じ肌の色を持って吃驚した様にアーサーの方を見やっていた。白い頬が微かに血の色を持っていて、人形と見まごうその姿に生命があるのを知る。
「……名前は?」
 思わずそう声を掛けると、彼女は驚き建物の中に逃げ込もうとするも、アーサーは思わず室内に駆け込みその細い腕を不思議な服の裾の上から掴む。泣き出しそうな顔で彼女は振り返り、肩を震わせた。
「待て!少し待ってくれ。」
 頼み込む声色でそう声を掛けても、彼女は泣き出しそうな顔でアーサーの腕を振り外そうとするもののアーサーは更に強く掴み、自分の方へと引き寄せる。黒く長い髪が靡き勢い余ってアーサーの胸元に転がりかけてアーサーの胸に手を付き、首を振った。
「……離して下さいっ」
 泣き出しそうな声色でそう言いながら頭を振る彼女の肩を掴もうと腕を伸ばしかけ、慌てて引き両手を上に上げる。
「悪い……何もしないから、名前だけでも教えてくれないか?」
 諭すようにそう言うと、部屋の外に逃げだそうとしていた彼女はフト振り返りその泣き出しそうな黒い瞳をアーサーに向け、小さく口を開きかけた。が、それよりも早くに部屋の外から声が聞こえる。
「菊、誰かいるのか?」
 聞こえてきたのは王耀の声で、驚き二人でそちらの方に目線をやると、少女は「いえ…」と声を上げ慌ててアーサーの腕を引っ張り、飾ってあった大きな服らしきものの裏に押しやった。
「声、上げないでくださいね。」
 眉尻を下げて人差し指を口に当て、少女は声を潜めてそう言うと、アーサーは思わずコクリと一度頷く。それを確認すると、彼女はスルリと身を翻し先程までいた場所まで戻っていく音がする。
「……兄様もうお帰りだったんですね。」
 幾分もしない内に襖が開く音がして、直ぐにパタパタと駆ける音がし、少女の王耀に向けたらしい軽やかな声が聞こえた。やはり兄妹だったらしいその言葉に、思わずアーサーは少しだけ眉を顰めて前に王耀が彼女の事を「ぶっさいく」だと言っていた事を思い出す。
「我が居ない間何も無かったか?」
 普段聞くのとはまるで違う柔らかい口調に、本当に自分の知っている王耀なのかと、思わずアーサーは着物の裾から覗きかけ、頑張って抑えた。勘の良い王耀の事だから、きっと直ぐに見つかってしまうだろう。
「はい、何もありませんでした。兄様こそ何もありませんでしたか?」
「ああ」
 そう、いくつかの会話が聞こえるとやがて二人分の足音が遠のいていくのが聞こえ、ジッとそのまま数分聞き少女が帰ってくるのを待っていると、やがて帰ってくる足音さえ聞こえず上から声が振ってくる。
「もう大丈夫です。」
 その声に驚いて顔を上げると、上からコチラを覗いていた彼女は微かに目を細め、微笑んだ。風に吹かれて彼女の黒い髪が揺れる。
「……オレはアーサーだ。アーサー・カークランド。勝手に家に入ってしまって、悪かった……」
 彼女は小さく首を傾げてその言葉を聞くと、微かだった微笑みからニコッと笑って彼女は頷く。
「はい、そうだと思いました。お話しは兄から聞いています。いつも兄がお世話になっています。」
 兄からどんな話を聞かされているのかちょっとばかり気になったが、怖いので敢えては聞かずにアーサーも空笑いを浮かべた。
「私の名前は菊です。」
 先程王耀がそう呼んでいたのでそうだろうと思ってはいたが、自身から名乗ってくれたお陰でようやくその名前を呼べるのだと思った。その機会が王耀から奪えるかは少々謎ではあったが。
「今日はどうっいった用事ですか?」
 と、そう言われてようやくアーサーはここに来た本来の意味を思い出し、慌てて持ってきていた鞄に手を突っ込み書類を取り出す。と、菊はそれに気が付いたのかちょっとだけ目を大きくさせた。
「それでしたらもう一度正面から来て下さったら、今なら多分兄も居ますので大丈夫です。」
 笑った彼女に頷こうと思いかけて、表情が強張り中々崩せずに、次の言葉を懸命に探す。黙り込んだアーサーを不思議そうな顔で菊は見やるが、アーサーは何を言って良いのか結局分からず、立ち上がる。そして菊に見送られながらアーサーは庭に降りると、後ろから菊の声がした。
「……次来る時は、靴は脱いで下さいね。」と。
 思わず振り返ると、薄ピンクの花弁の中に立った彼女が小さく首を傾げて、笑った。
 
「お前んちの妹って、確か異母兄妹だったよな?」
 いきなり思いもしない人物から妹の話題を出され、王耀は思わず片眉を持ち上げて顔を顰める。こいつ等の話題から極力妹の話題をさせない様今まで最善を尽くしていたし、話題に出されれば自身が思っている事とはまるで正反対な事を言って懸命に興味の矛先を反らしていた。
 兎に角また妹の話題から矛先を反らそうと、「ああ」と素っ気なく答えると、それでもアーサーは未だにその話題から離れるつもりは無いらしく目の間に座っていた彼は軽く身を乗り出す。会議が終わって直ぐに帰ろうと思っていたのに、いきなり声を掛けられて渋々そこに座ったままアーサーと向き合う。
「……歳はいくつなんだ?」
 そう問われ、ゲッ、と内心顔を顰めながら「なんでそんな事に答えなければならねーあるか」と言うと、アーサーは眉間に皺を寄せるもののそれでも更に食い付く。
「あまり外出はしないのか?」
「あああもう、なんなんあるか!お前はっ!うざいある!」
 カッとしてそう怒鳴ると、アーサーは眉間に皺寄せて不服そうな顔をして自分を見やり、小さく肩を竦める。
「別に、意味などないが……」
 ふん、と鼻を鳴らし、自分から聞いてきた癖にさっさとアーサーは立ち上がって出口へと向かっていってしまった。一体何だったのかと、思わず王耀は眉間に皺を寄せる。
 
 ボンヤリとあかね色に変わりつつある空を見上げていると、不意に名前を呼ばれてそちらに目をやる。と、何やら紙を手にした召使いが菊の方を見やっていた。
「お手紙です」
 と、そう手渡された紙には名前すら書かれていなく、訝しみながらそっと中を開くと、酷く綺麗な字体で短い文字が書かれている。そしてやっと、それが誰から送られてきた物か理解した。
 
 兄が帰ってくる前に家を忍び出て、慣れない竹林を抜けていく。あまり家から出た記憶が無かった為、どこもかしこもが不思議な所な気がして少々菊を不安にさせる。が、この体験したこと無い背徳感が、微かに菊の胸を躍らせたのもまた事実だった。
 指定されていた場所は家からあまり離れていない場所だし、一応行けるだろうと高をくくっていたのだが、空が暗くなりつつある今には行けるのかちょっと危うい。が、視線の先に手紙を出してきた主を見つけ、安心したのか菊はパッと顔を輝かせる。
 
「こんにちは、アーサー様。お話って、なんですか?」
 駆け寄ってきた菊は小首を傾げてそう尋ねる。昨日とは違う薄紅色の服を身に纏い、昨日見たときより更に綺麗に栄えていた。
「用……というか……王耀っていつもこの時間家いないのか?」
「はい」
 そう頷いてから、菊は不思議そうな顔でまた小首を傾げて、頭の上に大きな『?』を浮かべてみせた。アーサーもアーサーで言葉に詰まり眉間に皺をよせる。
「……あの、庭に生えていた木の名前はなんていうんだ?オレの庭にも植えたいんだが……」
 アーサーが言うと菊は心底嬉しそうに顔を輝かせて笑うと、「桜ですか?」と声を弾ませた。彼女にとっても相当嬉しい話題だったらしい。
「私が一番好きな木です。」
 ニコッと笑う菊につられてアーサーは軽く頬を緩めた。が、やはり納得出来ずにか菊は更に不思議そうな顔をする。
「それだけですか?」
 尋ねられた言葉に思わずアーサーは苦笑を浮かべて肩を竦める。本当に話したい事はもっと沢山あるけれども、到底口にはまだ出来そうも無い。
「まぁ、そうだ……」
 と返すと、微笑んだ菊が小さく肩を竦める。
「じゃあ私苗を安く手に入れる事ができますので、一週間後取りにきて下さればお渡しできますよ。」
 と、次に繋げるのにとてつもなく有り難い申し出に、思わず小さく身を乗り出す。
「いいのか?」
 疑問系というより、食い付く様にたずねると、菊は僅かに驚き眉尻を下げてコクリ頷く。
「初めてお会いした時も桜の名前が聞きたかったんですね。ちょっとびっくりしました。」
 照れて笑う彼女に何と言っていいのかわからず頬を掻くと、戸惑いながらも頷く。まさかそんなつもりは無かった訳だが、そう誤解してくれるならいっそ有り難い気がした。
「分かった、取りにいく」
 頷くと門前まで彼女を送り届け、そのままその日は別れた。
 
 
 そして一週間後、恐らく王耀が留守だろう時間を見計らって訪ねると、その日は門の所まで彼女自身がお出迎えをしてくれた。到底王耀の妹とは思えない、恥ずかしいのか目も合わせてくれないその動作も、丁寧な言葉も、やはり今まで知り合ってきた人達とまるで違う。
「春になったらきっと花を咲かせます。」
 声を弾ませてそう言うと、ふと顔を持ち上げて笑った。
「金は今度持ってくるから。」
 アーサーがそう言うと、菊は慌てて首を振る。
「いいえ、アーサー様からお金なんて取れません。」
 眉を歪めてそう苦笑する菊は、多分勝手に定められたこの国の民族的地位からそう言っているのだろう。菊は兄が彼女の民族の現代表者であるから、この界隈では立派な家に住んではいるが、この国では金銭的にも土地的にも価値は低い。
「いいや、そういうのは好きじゃない」
 すぐにそう返すと、菊は小さく俯く。本当はそういう民族とか地位とかをいつも気にするのは、アーサーだった。だからこそ王耀の住んでいる世界には、特に興味など持っていなかったし、訪ねようとも思わなかったろう。
「……すみません。」
 謝罪を述べる菊に、アーサーは慌てて向き直る。
「いや、オレ達がやってることを考えれば、そう思われても仕方ない」
 弱いものは虐げる、と昔から決められた事の様に暗黙の了承として行なわれていた。だからこそ王耀も他民族は毛嫌いし、妹さえ紹介してくれなかった。(根に持っているww)
「……とりあえず私のお部屋にどうぞ。」
 通されたのはこの間彼女が居た部屋で、桜の巨木が庭にドンとたたずんでいる。
「お茶、持って参りますね。」
 置かれた妙に平っべったいクッションらしきものに腰を降ろすと、菊は部屋から出ていこうとし、アーサーは思わず腕を伸ばし菊の腕を掴む。
「いや、お茶はいい。」
 急に腕を掴まれ菊は振り返り目を見張ると、微かに震えた。
「あの……分かりましたから……離してください。」
 戸惑い声を震わせた菊がそう言うから、慌てて腕を離す。
「悪い、ココの文化についてはあまり詳しく無いんだ。」
 菊があまりに狼狽えるから、アーサーはパッと手を離しそう謝ると、菊は強張らせた顔を若干緩める。
「いえ、仕方ないです。」
 小さく肩を竦め彼女は立ち上がり部屋の奥に一度引っ込むと、植木鉢に入ったまだ小さな苗を一つ、運んできた。
「これが桜の苗です。鉢の中の土と一緒に埋めてくださいね。」
 にっこり笑う菊からその鉢を受け取ると、頷く。庭の一番拓けた美しい所に埋めようと、心のなかで思った。
 
「また来る」
 王耀が帰ってくる前に帰ってしまおうと、不服ながら早めに帰路に着く。
「いや、別になんか深い意味はないぞっ!この苗代とあと、もっと色んな文化を知らなきゃいけないからなっ!」
 自分でも何を言っているのかよく分からないがそう言うと、彼女は口元を裾で押さえクスクスと笑う。
「分かってます。お待ちしておりますね。」
 
 またもや彼女の部屋に通されるものの、後ろに使用人らしき女が一人待機している。それにチラリと目線をやると、溜息を誤魔化す様に出されたリョクチャといわれる飲み物を一口飲み下す。
 前回といい前々回といい、王耀の居ない時間を狙ってきているのだから当たり前だが、またもや夕暮れの茜の光りに照らされて桜の巨木はいっそ恐ろしいほどの存在感を醸し出している。ハラハラと桜の花が一面に舞っていた。
「……あまり家からは出ないのか?」
 取り敢えず苗代は手渡したのだが、茶菓子も出され妙に平らなクッションも差し出されると、嫌に居心地の良いこの部屋に一度座ってしまうと中々立ち上がれない。嫌に開けて居る部屋は、自分の家とはまるで違い新鮮な風がいつでも吹き抜けていく。
 菊は甘い菓子を一口食べた時に声を掛けると、暫し焦って噛みながら黒い瞳をアーサーに向け、コクンと飲み込みようやく口を開ける。
「そうですね、あまり家から出たことはありません。」
「そうか」と一言返すとそこで会話が途切れ、また一つ風が吹き抜け花弁が一杯部屋にまで入ってきた。その沈黙に耐えられず、アーサーは出されていた菓子に、竹で作られたフォークっぽいものを差し入れる。
「……あのな、今度オレのトコで祭りがあるんだが……来ないか?」
 心臓が痛いほど鳴っているのにも関わらずあくまでポーカーフェイスを装いながらそう言うと、また沈黙が走った。なんか恐ろしくて菊の表情も見れず、俯いたままその沈黙に耐える。
 そしてようやく決心し顔を持ち上げると、真ん丸の瞳でコチラを見やる彼女を見つけ、また言葉を失い額に汗を感じて黙り込む。
「……でも……」
 眉尻を下げて俯く菊に、アーサーは慌てて身を乗り出す。
「王耀を呼んでいるんだ。王耀の事を確認してればバレることもないだろ?」
 アーサーの言葉に瞳を動かし迷っているらしい動作をする。主観抜きに、控えめに言ってちょっと行きたそうだ。後一押しと、アーサーは頭の中を探る。
「服はオレが手配する。……苗の礼だからな。」
 思わず一言余計なことを付け加えてしまってから、慌ててお茶を口に含むと、また小さく重い沈黙が走った。居たたまれない。
 菊は顔を小さく傾げて、頬をほんのり赤くさせ大きな瞳でチラリと待機している召使いを見やった後小さく瞼を伏せ、また顔をアーサーに向けてから照れたようにはにかんだ。
「やっぱり、申し訳ないです。」
 ここで押すのもなんだと思い、「そうか」と一言返すとまたお茶を口に含んだ。と、菊はそっと立ち上がり服の裾を直すと、アーサーに小さく笑いかけて首を傾げる。
「百合が咲いたんです。見ませんか?」
 と、菊に促されるままにアーサーは木製のサンダルを引っ掛け庭に降り立つ菊に続き、アーサーも降りると、敷かれた苔が蒸している石の上を音立てながら彼女が歩く。なんだかそのまるで見慣れていない景色に、思わず神秘的な絵画を思い浮かべてしまう。
「あそこです」
 来い来いと手招きされ、アーサーはぼんやりと菊の横に移動すると、目の前に薄いピンクをした立派な百合が首をもたげ4,5本生えている。自身の薔薇庭とは違い豪華絢爛とは言えないが、やはりココも森の中の様だ。
 アーサーが何か口を開こうとしたその時、横にいた菊がアーサーにピタリとくっつく。思わずアーサーはビクリと固まり、汗が流れた。
「あ、あの……」
 アーサーを見上げた瞳を上へ下へと一度キョロついてから下を向いたまま彼女は頬を赤らめ、向こうにいる召使いの女性に聞こえない様にか小さな小さな声色で呟く。アーサーが菊に目線をやると、彼女は言い辛そうに口をもごつかせる。
「やっぱりお祭り、お邪魔してもいいですか?」
 頬を真っ赤にさせて上目遣い勝ちに聞いてくる菊に、アーサーはもの凄い勢いで頷くのも忘れ、呆けた声色が「ああ」と漏れた。と、菊はふんわりと微笑んだ。
 
 人混み、並べられた料理、音楽、煌びやかな服に、隣を歩く菊は不思議そうに瞳をキラキラと輝かせ辺りをしきりに見やる。
「……祭りも初めてなのか?」
 あまりにも物珍しそうにしているものだからそう尋ねると、菊はアーサーを見上げてフルフルと首を振った。
 前に待ち合わせた所で落ち合うと、取り敢えず別宅に戻りメイド達に手伝って貰い菊にドレスを着付けると、髪を全て上に上げてその上で大きな、顔が隠れる程の華の飾りが付いた白い帽子をかぶせる。王耀に見られればバレるだろうが、目深に帽子を被れば知り合いでも気づかないだろう。
「いいえ、お祭りは行ったことあります。でも、なんか違います。私の所は外だけですから、まさかお屋敷にまで入れるなんて……」
 目をキラキラと輝かせる彼女を横に、お屋敷と呼ばれた自宅に足を踏み入れる。一階は全て解放し、身分のある人は大抵ココに集まれる様にしてあり、高い料理もここに並べられていた。昔は収穫祭の一種だったのだが、段々その意味も失われ、今では自分に得な人物と知り合う機会という意味だけに成り下がっている。
 と、目の前に不意に見慣れた人物が居り、アーサーは思わず顔を顰め隣の菊に小さく合図を送る。菊は慌てて帽子を掴み、自身の顔が見えないようにした。
「おっ、お前が女連れたぁ珍しいな!」
 もうほろ酔いになっているアルセーヌは、両手に女を侍らせながら至極楽しそうにそう笑い、馴れ馴れしくアーサーに肩を組む。そして声を落とし、不真面目な顔から一変させ真面目な顔をした。
「東(あずま)の人間といるなんて、益々おまえらしくないな。……誰だよ。」
 出されるとは思っていたが、やはり出された話題に思わずアーサーは眉間に皺を寄せる。東というのは、王耀や菊の肌の色の人々を呼ぶのに使われている言葉だ。
「ただの知り合いだ。案内を頼まれただけだ。」
 素っ気なくそう言いアルセーヌの腕を振り解き、菊の腕を掴んでさっさと人波を縫って歩き始めた。確かに東の者がこの会場にいるのは珍しい事だし、ここの主であるアーサーに連れられているとなるとみんなの目線がコチラに集まるも仕方ないだろう。
「あの、大丈夫ですか……?」
 アルセーヌとのやりとりを見ていた菊は、恐る恐るアーサーを見上げて眉を歪めさせ、心配そうに顔を陰らせるから、アーサーは小さく肩を竦める。
「気にするな」
 一言声を掛けると、人混みの中をグイグイと進んでいきやがてあまり人が居ない所にまで出た。ここまでは人が入れない様に手配されていたのだから当然だが、後ろに付いていた菊が少々不安そうだ。
「あの……」
 菊が再び口を開きかけ、アーサーはやっとその足を止めると、そこはもう誰も居ない静かな暗い部屋で、菊は呼びかけようしてアーサーの目線の先の桜の木を見つけ顔を緩める。
「場所はあそこで平気か?」
 一番目立つ所に植えたのだが、手を付くそうにもいかんせん初めて植えた種類だからどうにもならない。
「多分大丈夫だと思いますが、土の事は良く分からないので……」
 困ったような笑顔を浮かべる菊に、アーサーは眉尻を下げて「そうか」と項垂れる。一応庭師に話を聞いてみたのだが、庭師もよく分からないらしくまだ少々不安があった。
「今日は取り敢えずあの木を見て貰いたかったのだが、分からないなら仕方がないな。」
 ふと溜息を漏らすとアーサーはバルコニーに菊を通して、人々が踊り音楽を流すのを下に眺める事が出来る。
「王耀が家に帰るまで大分時間あるだろうから、もう少し平気だろう」
 そう言いつつ彼女の横に座ると、嬉しそうに下を眺めているのを、気付かれない様にそっと覗き込む。黒い瞳が下の灯りに照らされてキラキラと光る。
「……私、ずっと家から出られないこと、ずっと感謝していた気がしました。」
 ポツリと漏らされた言葉に、アーサーは思わず菊の方へと目線をやると、彼女は顔を持ち上げてアーサーを見やったまま、どこか悲しそうににこりと微笑んだ。
「でも、出てみるととても楽しくて……」
 言葉を詰まらせてちょっとだけ首を傾け、目を細める彼女の顔を見やりながら
「ならいつだってくればいい」
 と意図するよりも早くにそう呟いていて、アーサーも菊も同時に驚き顔を持ち上げ、お陰で真っ向から目線が合い、思わずといった様子で菊が視線を下に外した。
「他意はないからな!」と、墓穴を自分で掘ると、菊はクスリと喉を鳴らして笑い、口元にそっと手を当てた。
「では桜をまた、見に行きますね。」
 
 
 祭りが無事終わり十日ほど経ち、今日は一度家に帰ったら久しぶりに彼女の元に訪れようと、朝から完璧に服装を整えて会議場に迎った。話す話題など無いから今まで行けずにいたが、時折であるなら桜を口実にすればいいことをようやく思いついたのだ。
「なんか今日おまえメッチャ気合いはいってんなぁ」
 一目見るなりそうアルセーヌに言われ、思わずギクリと肩を揺らす。コイツにだけは確かに絶対知られたくない。というか彼女の事を、アルセーヌには見せたくすら無い。
「おっ!もしかしてあの大富豪の娘を食事に誘ったのか??」
 ひどく楽しそうにそういうアルセーヌに、肩を竦めてみせた。
「あれは断った。」
 席に座り素っ気なくそう言うと、向かいに座っていた王耀が警戒したような訝しげな視線を向けてくる。まさやバレてはいないだろうが、ちょっと冷や汗が額を走った。
「なんだぁお前、結構乗り気だったろ?」
「そうだったか?」
 アルセーヌの言葉にわざと関心などまるでない振りをし、配られた書類に目を通す。
「そういえば知ってるかい?隣国の国王が代わったらしいよ。」
 アーサーの横に居たアルフレッドがそういうと、その場に居た全員が黙りアルフレッドに目を向けた。
「もしかしたら、大変な事になるかも知れないよ?」
 アルフレッドはそれまでゆるーい表情をしていたのだが、そう言った時は眉間にしわを寄せる。
 瞬間シン……とした会議室の扉が開き一人駆け込んできた。
「い、今、最北の町が襲われたという報告が入りました!」
 叫ばれたその言葉に一同立ち上がる。最北の町といえば、隣国との境目にある筈で、そうなれば隣国の新国王は……
「イワン、か……」
 誰かがそうつぶやくその台詞に、誰もが息を飲み込む。
 
「菊っ!」
 駆け足の足音と共に名前を呼ばれ、慌てて菊は廊下に走り出た。
「どうしました?兄さま」
 慌てて駆け出してきた菊を一目見た瞬間、王耀は腕を伸ばして菊を抱き締める。急な事に王耀の胸のなかで、思わず菊は目を見張り体を強張らせた。
「……もしかしたら、戦争が起こるかもしれないある。そうしたら……」
 そうしたら、一番に被害があるのはこの国で一番地位が低い我が民族だ。
「……兄さま」
 抱き締められたまま、思わず体を震わせながらそう呼び掛けると、何も言わずに兄は更に強く菊抱き締める。小さな体どうしなのだが、それでも菊の体は綺麗にスッポリはまってしまう。
「私も……私も連れていってください……!」
 菊がそう言うと、驚いて王耀は体を離し眉間の皺も深く、菊の顔を覗き込む。
「それは無理ある!」
 声を荒げると眉を上げた菊は王耀にすがりつき、嫌々と大きく首を振った。
「剣術なら男にだって負けません!」
 菊の言葉に王耀は眉尻を下げると、諭すように菊の肩に手を置き、小さく首を傾げる。
「確かにそうかもしれねぇが、お前を連れてはいけねぇある。」
 それでも菊は首を振りもう一度「連れていって下さい」と必死な声色で繰り返し、ギュッとまた兄の胸元に抱き付いた。
「お前はここを守るある!」
 王耀見上げた菊は、必死めいた黒い瞳を軽く震わせる。
「あなたが死んでしまったらなんの意味もありません」
 張った声に圧されて一瞬たじろぐが、それでも王耀は首を振った。
「お前はやはり連れていかれない。……まだ出発には日にちがある。今日は部屋に戻り頭を冷やせ。」
 王耀は顔色を変え菊の手を振りほどき、きびすを返し廊下を足早に消えてしまった。残された菊は下唇を噛み締め俯く。廊下に置かれた飾り蝋燭の炎がふと消えた。