瑞日 前に投票で意見がありました傭兵瑞西とお姫様(ここでは領主の一人息子)日本のちっさいメモログです。パラレルだすよ!ちょっと情後です。

 
 
 1
 
 時間は何の為に過ぎているのか。
 神など信じてはいないが、人間が生まれた時からあるソレは、何だか人類の悪友の様だとさえ思えた。
 自嘲的に微笑むと、隣に居た彼が尋ねてきた。
 スイスさん、どうしたんですか。と。
 柔らかな白いシーツに包まれた彼の白い身体に、傷の跡などただの一つだって無い。
 自分とは違うのだと、そんな小さな事で彼との身分差を心の中深くに刻まれてしまう。
 柔らかでサラサラな黒髪も、大きな瞳も、立派な洋服だって雇われで各国をフラフラしている様な自分とはまるで違う。
 
 
 初めて会った時はどう思ったか。
 この国に入り自分の馬であるである黒馬をひいていた時、彼は小さな教会の前に一人で立っていた。
 直ぐに出の良いおぼっちゃんだと感じたが、それ以上に何か、彼から目が離せない何かがあった。夕暮れの風が彼と自分の間をすり抜けていき、教会の鐘が不意に鳴った。
 
 
「スイスさんの手、凄く綺麗ですよね」
 不意に回想から引き戻したのは、彼の声と自分の手をさするその指先。冷たい指先が掌、手の甲を走る。こんな剣ばかり握った手の何処か綺麗なのか、自分には理解出来ない。
「お前には負ける」
 そう本心から言えば、彼は自分の手を目の前に翳し少しだけ目を細めた。
「父は、自分の地位の為に沢山人を陥れました。そのお陰で育った私の身体なんて、綺麗では無いです。」
 コチラを振り向いた顔が何だか酷く泣き出しそうだったから、その額に一つ口付けを落とした。
 
 

 
 
2
 
 時間は一体何故あるのだろう。
 最近はそればかり。まるで恋煩いでもするかの様に。妄執の様に。
 
「神を信じているのか?」
 朝のミサ帰りだったらしい彼に背後からを声を掛けた。
 そのサラサラとした黒髪を風に揺らして、彼が振り返る。美しい瞳も伴い。
 この国の、領主の護衛という仕事はえらく簡単なモノだった。やがて青かった稲穂も金色に色を変えつつある。
「昔は、信じていました。」
 幼い頃は、自分の父親が全て正しく強いのだと勝手に思い込むのと同様、神を信じ愛していたと、彼は囁いた。
「けれども、最近は何も分かりません。神が居るのか、居ないのかはおろか、一体何が真実で何が虚偽なのか……」
 彼の、自分を映した瞳が揺れる。
 一体何がそれほど彼を揺るがしているかなんて、そんなの考えなくても良く分かってはいる。けれども……
「お願いです、スイスさん…!私にとって今唯一の真実はあなたなんです。
 だから、だから私を置いてどこかに行ったりなどしないで下さい!」
 この国の任務は、酷く簡単だった。たっだ、が……
「悪いが、それは出来ない」
 震える日本の肩を抱き寄せる事も、宥める事も、ましてや彼と伴に生きることも自分には出来ない。してはならない。
 頭を重くさせた稲穂が一斉に揺れ、またあの初めて会った時聞いた教会の鐘が鳴る。
 遙か彼方で太陽が沈むのを眺めながら、俯いた彼を置き去りに歩き出した。
 
 穂が揺れ、鐘が鳴り、太陽が沈む。
 自分の胸に、穴が開いた気がした。
 
 
 
 3
 
 
 闇が来た。
 それまで美しい色をしていた空を塗り替え、酷くゆったりと、けれど確実に闇が世界を浸食する。それは『今からお前の時間だ』と囁くように。
 
 その日も夜が来るのと同時に騒がしい飲み屋にフラリと入った。
 騒がしいのは苦手であったが、その五月蠅さは自分に取り憑いた全てを取り払ってくれるから……否、ただそれは誤魔化すだけ。
 結局アルコールを大量に流し込めば、リアルだけが遠ざかり、代わりに過去ばかりが迫ってくる。
 
 酷く淀んだ筈の酒場に、どこからともなく心地の良い、たっぷりと緑を含んだ様な風が吹き抜けた。
 それは、あの国の風だった。つい先日まで暮らしていた、国。
 
 
“あなたの生まれた所は、どんな所ですか”
 脳裏に過ぎるのはやはり美しい金色の稲穂の波と、そして彼だった。
 今まで見たことの無い肌の色。見たことのない瞳の色、そして髪の色。
 
 名前は 日本。
 
 “山だ。ひたすら山で、美しい所だった”
 けれど、お金は無かった。ただ酪農で生計を立てていたが、決して豊かな村では無かった。
 巨大な国家が開拓する前はそれでも構わなかったのだが、今ではそうも言えない。
 金が導入され、何をするでもソレが無いとダメだと言い、教育を強い、そして植民地として農作物を提供しろ、と言ってきたのだ。
 それまで身分の差など殆ど無かったその村の調和は、その大国の一足で見事に崩れ落ちた。
 自分の家族は酷く貧しくて、遂に三男坊だった自分を兵隊として売る。
 父と母は泣いていた。泣きながらイモしか入っていないスープを啜る。
 自分は泣きもせず、またスープも啜らない。ただじっと両親を、家を、家具を、そしてこの自分の育った世界を観察し続けた。
 忘れない為にだったのか、それともやはり誤魔化す為にだったのか……それは今は良く分からない。もう分からない。
 
 
 そっと誰かに呼ばれ振り返れば、この安く五月蠅い酒場には似つかわしくないシラフの男が二人自分の真後ろに座っていた。
「なぁ、良い金になる仕事があるんだ。しかも簡単で。」
 そういって男はそっと前金をちらつかせる。
「内容による」
 向き直り訪ねると、男は懐から数枚の紙を取り出した。
「内容は、暗殺だ。あくどい領主と、その家族。」
 
 机に広げられた紙の一枚を見た瞬間、またあの国の風が酒場を吹き抜ける。
 
 
4
 
 空の光と闇が混じり合い空に星が散らばる。
 星の名等知りもしないし、方角を知る為だけに使っていたソレを覚えようとも思わなかった。
 が、彼はソレを指さして一つずつ丁寧に説明していく。
 開け放たれた窓から頭を出して、お互いシーツ一枚で空を見上げた。
 それがいつの思い出か、勿論そんな事を数えはしない。しないが、忘れもしない。
『あれはベネルギウスだ』と、林の中で急に開いた空を見上げ、思う。
 空に上げられた粗暴な男オリオン、その中でも富に輝く星。彼が教えてくれた星。
 荷物は殆ど宿屋に置いてきた為、軽装で少々寒い。けれどこの林を抜ければ、もう直ぐあの土地。
 
 やがて彼の屋敷にたどり着き、彼が寝ている筈の二階の寝室を見上げれば、当たり前だが光などついていない。
 下に落ちていた小石を手に取り、彼の部屋の窓目掛けて投げ、それはコツンと音を立て窓ガラスに当たった。
 これで気が付くかどうかは不安であったが、いつもこうして連絡を取ったりしていたから、出てきてくれる事を祈り窓を仰いだ。
 そして予想よりも速く、彼はあの窓から顔を出しコチラを見た。
 それは、何日ぶりの再会だったか。数も数えない自分には、勿論分かるはずもない愚問。
 
 自分をみとめた彼の瞳が驚きで見開かれ、その口が声も出さずに自分の名を呼んだ。風が吹く。緑色の風だ。
 風はいつから彼の息吹になったのだろうか。彼がひっこんだ窓を見つめながら、ただジッと母の子守歌を思い出していた。
 もう顔すら覚えていないのに、急に思い出した母の声。扉を開けて駆け寄ってきた彼とともに、ゆったりと世界に流れ出した声。
 
「スイスさん!」  彼の声が静かな世界に波紋を描いて響いた。此処は本当に誰も彼もが眠りについた様な、静かな夜だった。
 首の後ろに手を回し抱き付いてきた彼の体温が布越しに伝わり、何故か不意に悲しくなる。幻で見ていた彼よりも彼は小さい。そして、暖かい。
 その小さい体を抱き寄せれば、彼の香りが舞い上がる。彼の。先程は冷たいと感じた風が一つ、何物にも捕らわれずに吹き抜けた。
「ああ良かった、もう一日遅かったら、私は家を出ていました。」
 暫くそのまま固まって居た彼が自分から離れると、ふんわりとした笑いをその満月の下に照らし出す。
 黒い瞳、柔らかな髪の毛、そして白い頬が、柔らかな肌が、直ぐ其処に蘇る。
「何故?」
「勿論、あなたを追いかける為です。」
 何だか彼は、そう酷く誇らしげに胸を張って告げた。
「そんな事…できないと思うが。」
 常時ある眉間の皺を更に深めそう告げると、彼は少しだけ困った様に首を傾げ、そしてやっぱり笑う。
 それでも。 と囁くように呟いた声は、やはり風とともにあった。
「昨晩、依頼を受けた。戦場ではない。暗殺だ。」
 お前の。決して目を反らさずにそう告げても、彼は少しだけその瞳を大きくしただけでそこまで狼狽などしない。
「それで?」先を促すように彼が問いかけてくる。それで、あなたは私を殺しに来たんですか、と。
 その問いに一つ頷く。それでもやっぱり彼は動揺もせずにジッと自分の目を見つめ動かず、自分の真意を見抜こうとしていた。
「……戦術なら心得ているが教養は無い。お前の様に聖書も読まん。」
 食前の神への祈りも、普通に学校へも通わず、日夜ただひたすら戦場に身を置いてきたのだ。
「…そんなのでいいのか?お前は今までの人生を此処に捨てていく事になる。死ぬも同然だ。」
 ほうっ、と一つ溜息を吐くと、彼は自分の右の手を掴み己の暖かな頬に押し当てた。
「いいです」
 彼はキッパリと言い放ち、自分の掌をその頬に押し当てたまま微笑んだ。
 
 
 二人がかりで家の前の草花を踏み彼のいつも着けていたロザリオをちぎりばらまかせ、まるで誰かが争った様な跡を作る。
 それから崖へと続く道も同じように跡をつけ、行きつけの店から拝借した肝臓にナイフで切り込みを入れその血を撒いた。
 こんなんでいいんですか? と彼は笑ったが、少量ならば朝までに乾いてしまい人間か否かの区別もつかないだろう。
「取り敢えずコレでお前は死んだ事になるだろう。もう誰もお前を追いかけては来ない。家族も警戒する。
 後は落ち着いたら一筆家族に逃げるよう手紙を書いてやれ。」
 眼下に広がる海の向こうからキラキラと絶えず光を反射させた太陽が顔を出し始めた。目が潰れてしまいそうな眩しさだ。
 もう此処の人間達も目を覚ます頃だろう。急がなくてはならない。
「どこに行く?」
 隣で自分と同じ様に突っ立ったままの彼を横目で見ながらそう訪ねれば、彼はまたいつもの様に少しだけ首を傾げる。
「そうですね。もっと活気のある、海の近くの街が良いです。……でも、あなたが一緒ならどこでも良いですよ。」
 やがて世界を照らす太陽はまだその体を全て海から出してはいなくて、これからの一日はまだ産声すら上げていない。
 彼の頬を掌で両側から包み込み、深く一度口づける。風が吹いた。
 
 そして二人同時に思う、逃亡するのに今日は良い日だ、と。