春月

 水を孕んだ風が頬を撫で、遠い海向こうまで旅立っていく。
 ああ、もうすぐ来るのだな。と思った。


 春が来るのだ。
 誰かが言ったように、例え何があっても、誰が死んでも、いつかは春が来るのだ・・・




  春月




 「……アメリカくん」
 もう随分も前に寝入ってしまった、と思い込んでいた相手から掛けられた突然のお呼び出しに、金髪を盛大に揺らしてアメリカは布団から飛び起きた。
 日本の体はかなり良くなり、手と肩さえ貸してあげれば歩ける程になっていた。もう一人で立ち上がったり包帯を巻き直す事も直ぐに出来るようになるだろう。
 そうしたら自分もこの国から距離を置いた方がいいのかも知れない。一緒にフトンを並べて寝るのも後僅かだ。
「どうしたんだい、日本?」
 障子の向こう側から差し込んでくる青白い月の光に照らされて、日本がジッとアメリカを見やっている事に気がついた。
 国柄あまり他人を見つめないものだから、思わずその目線にウッと体を緊張させた。
「桜が。桜が、見たいです。」
 一日中家の中に居て、今年はまだ一度も桜の花を愛でてはいなかった。
 たまたま近くを通った、というイギリスが桜桃の植木を持ってきたのを見て、どうしても大きな桜の木が見たくなってしまったのだ。
 桜並木の桜が、2,3本だけ戦火を免れた、というのは聞いていた。
「今から行くの?治安も安定してないし危ないよ。」
 困ったな、という顔をして見せれば、彼は微かに瞼を伏せて そうですか と囁いた。
 納得してもらえた、と思いアメリカが再び寝床に潜り込もうとすると、先程囁いた人物は、懸命にその体を傾けて起き上がろうとしたのが目についた。
 わっ! と我ながら大袈裟だと思うほどの大声を上げて日本に駆け寄った。
「傷が開く!傷が開いちゃうよっ!」
 折角治りかけていたのに。と、彼の体中に付いた傷跡を思い慌てて日本の背に手を回した。
 彼はゆっくりと自分の腕にその体重を預ける。
「日本?」
 戦争の後は国民を守る為だろうか、彼は自分に酷く従順になっていて、間違っても言い返したりもしなかった。それがアメリカにとっては悲しくもあり、又自分の心を満たしてくれている様でもあった。
 とにかくそんな日本が何故かこんなにも躍起になって立ち上がろうとしている。不可解だ。
「桜が、見たいんです、どうしても。大丈夫です。迷惑は掛けません。寝ていて下さい。」
 何故だろう、と素直に感じた。あんな花を何故そうまでもして愛でるのかが分からない。枝に付いている様はクシャクシャなティッシュペーパーの様な花だし、良い香りもしない。元来花にはあまり興味も無いが、あの花は観る度不思議に思う。何故あれが日本の国花なのかと。
「君が心配でおちおち寝てもいられないよっ」
 細く小さな肩に手を掛け、仕方なく立ち上がるのを手伝ってやる。フラフラとした体で、よく自分の事を必要無いなんていえるな、とため息を吐いた。
 
 ありがとう、ございます
 小さな、小さな声で彼がお礼を呟いた。一人で行くと言い張る程の力が無い事を良く分かっているのだろう。思わず笑みが浮かんだ。
「大丈夫!任せて。日本は俺が守るよ」
 前そういった時、日本が何か悲しそうに笑った事が忘れられなかったが、今宵の銀の光に照らされた彼は、その柔らかな頬を緩め美しく微笑んだ。
その笑みにアメリカの笑顔が不意に引っ込んでしまう。


 大きな桜の木は日本の家から歩いて直ぐの所にあったけれども、それまでの道のりは日本にとって果てしない道のりにも思えた。
 大分良くなったといっても、未だに体中が傷だらけだし、二カ所の大きく深い火傷の後は今でも時折燻る様に激痛が走る。それでも彼は足を止めようとはしなかったし、アメリカもそれは然りだった。
 アメリカはアメリカで先程の日本の微笑と、凜と輝く真っ黒で意志が強い瞳が忘れられなかったし、彼の願いは出来うるだけ叶えてあげたかった。
 東京の焼け野原が、原爆跡地が、被爆者が、自分は正義だったと言えるが、なんだかんだいって少々負い目の様に感じる事も出来た。
 だから見せてあげたかった。焼き残った美しい桜を。


 あっ、と日本が呟いた。アメリカも思わず息を飲み込む。
 まだ普及が追いついていない、ずっと焼きただれた野原の中に、その木は残った数本と距離を置いてドン、と立ちはだかっていた。
 朧になった春月を背景に盛りは過ぎただろうに、まだ桜の花を称え、更に枝の端を焦がしていながらも、行く年も行く年もこの場所に立っていた貫禄をその木は持ち続けていた。

 アメリカはこっそりモンスターだと思った。そしてまるで日本人の様だ、とも思った。
 これだけ踏みつぶしてやったのに、暫く呆然としていた国民はまた生きるために必至に地を這っている。それにソックリだった。
 日本は自身の体を引きずる様にアメリカの手から離れ、魅入られた様にその木にゆっくりゆっくり近付いていく。それからその木を両手でしっかと抱き、額をコツンと当てた。
 アメリカの足は動かなかった。彼が一人で歩くのは辛いだろうとかは分かっていたのに、彼に手を貸そうとはなぜか思えなかったのだ。一人だけこの世界から弾き出されてしまった様だった。


 お久しぶりです。
 と日本が母語で囁く。初めはアメリカの幻聴かと思ったが、静かな夜と朧月がその言葉と余りにマッチしていたのだから、きっと本当に彼はそう囁いたのだろう。
 大木はその言葉に返事でもするかの様に、無風の月夜なのも関わらず、彼の上に残り僅かな花弁を沢山たくさん撒き散らす。
 彼と大木は旧友の様で、また日本は大木のイギリスでいう妖精の様で、やはり人肉を喰らう、それでも美しいモンスターの様だった。

「あ、分かった。」
 アメリカは呟いたつもりだったのだが、その声は存外大きく響き、日本は不思議そうに頭を傾げて彼を振り返る。やはりモンスターだと思った。
「君の国花は散るんだね」
 まるで雪の中にいるかの様な日本は、その大きな瞳を更に大きくして聞き返す。
「あなたの所の花は、散らないんですか?」
静か過ぎて不気味な夜に、彼の綺麗な声はいやに響く。鈴の様だ、ベルの様だと例えても、きっとそれは誰にも伝わらない。
「いいや、まさか。散るよ。でも君の所とはきっと意味が違うんだ。」
 ハラハラと真っ白な花弁の雪が、未だ止む事なく彼の上に散っていく。今夜中に散り終えてしまうのでは無いか、と思える程だ。
「動かないで、日本、そこから。君がそこに立ってるから分かるんだ」
 桜の木の裏に回ろうとするのを、アメリカがソレを止める。アメリカの台詞に日本はビクリと肩を振るわせてから、大きな瞳を揺らして花々を見上げた。
 包帯と花弁が月に照らされ、それはいっそ物語の世界の一部の様だった。

 これは何というのだろうか。アメリカの語彙にはピッタリな言葉があったかどうか分からない。
 青い月も、少々肌寒い風も、桜も、それから日本も酷く美しいが、どこか霞んでいる。あのぼんやりした月の所為かもしれない。


 ああ、もし自分がこの情景をなんというか知っていたのなら、自分はもっとずっと側に居られるのかもしれない。
 酷く悲しくて、美しくて、限りない程切なかった。


「日本、もう帰ろうか。」
 一時間あまり二人で桜を見つめてから、アメリカはやおら日本の冷たくなった肩を引き寄せ、その頬に一つ口づけを落とす。日本の体が畏縮した。
 かわいそうに。アメリカは心中で囁く。


 かわいそうに
 もう一つ呟いてから、眉間に深く刻まれた己の皺に気がついて、驚いた。






答えは 儚い





肩が・・・い、痛い
胡乱でにーにに散々言われてたので、アメリカ君、理解するの巻です。
ってか季節外れもいいとこだよー!私が桜みたいの満々なの丸出しだよー
夜桜綺麗だけど恐いなぁ、と思いながら書きました。
日本に生まれて良かったなぁ、って春が来る度思います。桜綺麗だなぁ。
明るい小説書きたいなぁ。イタリー出したいなぁ。独日と露日もやりたいなぁ。
後中国に「あいやー!」って言わせたい!学園パロもやりたい!妄想は一人で走る!