胡乱 弐
※ この小説には過度の痛い(身体的に)記述が御座います。そういうのがダメな方は読まないで下さいませ。因みに私はこの間献血して倒れました。友人の血を見て。orz 恐かった。
風呂場は一面真っ赤に染まっていた。
自分の軍服が元々何色だったかなんて、もう疾うに忘れてしまった。
ごめんなさい。
只口から出てくるのは謝罪の言葉で、酷く狼狽しながら涙を垂らす。
その光景を、どこか自嘲気味に笑う自分を、密かに見つける。
喉が渇いた。グズグズと肉の焼ける臭いと、体の内部に焼け石でも埋め込まれたかの様な酷い痛みを覚えた。
特に酷いのは今日来たもので、沢山沢山国民が焼かれ、野が、建物が、全てが焼かれ、自分は痛みにのたうち回る。
運良く生き延びたとしても、恐らく二度と跡は消えないだろう。
ごめんなさい ごめんなさい
只口から出てくるのは 謝罪の言葉だ。向ける先が多すぎて、姿を失った謝罪の言葉だ。
肩と左の太ももを銃弾で撃ち抜かれ、絶えることの無い血痕があたりに飛び散っている。
自分が普通の人間だったのなら、恐らくもう既に死んでいるだろう。
けれど本当はもう、死にたかったなんて、一体誰に言えるだろうか。
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
泣きながら自分の愛した。けれどももう叩き壊された刃物の一部をようやっと拾い上げる。
本当だったら腹を割かなくてはいけないけれども、今日おとされた爆弾が未だに自分の体内を燻っているのが恐ろしくて、服を捲りそれを見たくは無かった。
それは酷く情けのない恐怖だ。死にたかった。
だから先程拾った欠片を、強く強く左手首に押し当てた。
ズブズブと埋まっていくソレを覚える。
けれど今の自分にとって、それはもう痛みでもなんでも無い。
後は引くだけだった。それにはなんの力も使わない、まるでフワフワと夢を見るかの様な軽作業。
そうして風呂場の壁に点々と赤黒い血痕をぶつけ、日本の小さな体がドシャリと地に落ちた。
胡乱 弐
彼のまるで雪の様な国花が咲き乱れた時、自分はその何がそこまで美しいのか分からなかった。
梅と比べて匂いが無いし、我の国花と比べて色も華やかさも無く、クシャクシャの和紙が枝にくっついている様さえ見えた。
しかし彼はとても嬉しそうに、その太い木の周りをクルクルと回ってから、不意に木に抱きつく。
ああ、今年もあなたが見られて良かった。あなたと会えて良かった。 と。
不意に一つ強い風が吹き、脆く小さく可愛いだけの花が形を崩し、日本の上に降りかかる。雪の様に。雨の様に。
その雨の中、彼は切なげに微笑を浮かべ、薄青い空の向こうを見やる。
咲き乱れる事をあんなにも待ち遠しげにしていながら、散る瞬間をとても楽しみにしていたかの様に、その泣き出しそうな顔には見えた。
ああ
胸の底に沈んでいた感情が、不意に破裂した。
ああ
その光景は命という言葉の凝縮。あまりにも美しい挿絵。
さよなら、さよなら、と彼は泣き出す寸前の乳飲み子の様な切ない顔を、微笑と共に全ての命の前に現した。
あの時自分が抱いた感情を、恐らく彼の国民と彼以外が理解する事は無いのだろう。
ましてや、そう、ましてあの金髪でデカイだけの若造が、日本がどんなものを愛するのかさえ、分かりはしないのでは無いか。
それは一つの疑問であり肯定である。
中国はきつくきつく、その薄くも鮮やかな己の下唇を血が滲む程噛んだ。口内に鉄の味がする。
日本に付けられた刃物の傷跡がピリピリと痛み、眉間に皺を寄せて目の前の二人から目線を反らした。
WW2が終り、アメリカが騒ぎ始めたのも直ぐだった。戦争が終わってからの日本の様子が変だという。
国民と自分達の存在が大きく反映しあっているのだからソレも当たり前だろうが、彼の様子がおかしいのは、あまりに急速なモダン化が進んだ幕末でも、又明治の中途でも、変わらなかった。中国自信にも経験があった。国自体が酷く狼狽しているのだろう。
その歪さに気がつかなかったはお前等だけだ、と中国の口元に嘲りに近い笑みが浮かんだ。
日本に対して抱いた感情は、やはり憎悪の一種であったし、許せない事ではあったけれども、昔ずっと側に居た彼が狂ってしまうなんて見たくもなかった。
けれどずっとそんな事も言ってはいられない。
結局敗戦国となった日本は、敵であったアメリカの従属国と成り下がり、今ではアメリカの慰み者だなんて韓国が笑っていたのを思い出す。それだけで沸々と腸が煮えくりかえりそうだった。
恐らく次男である彼も、日本に我と同じ感情を抱いているのだろうが、どうにもあいつは素直過ぎる所がある。
きっとあいつが今の日本を見たら思わず駆け寄ってしまうだろう。そしてそれが出来ない自分が酷く虚しかった。
謝罪をしたい、そう言われて指定された場所に来てみれば、全身に白い包帯を巻き付けながら、前に見た様な自失された瞳を揺らし、日本はアメリカの大きな体にもたれ掛っていた。
あながち噂は真実なのかもしれない。妙に落ち着いた心地で中国はそう考えた。
終始話し続けるのはアメリカで、日本は只ボウッと何も無い天井を眺めている。何を見て居るんだ。何を考えて居るんだ。
泣き出しそうになった自分を抑え、ペラペラと喋るアメリカから目線をずらし小指の爪を噛んだ。
「もういいある。」
話を無理矢理打ち切ったのは中国だった。
もう十分だ。馬鹿げている。速く、出来るだけ速く我の視界から消え去ってくれ。
えー! とアメリカが唇を尖らせて二、三個文句を言ってから上着を取るために立ち上がる。その所為で日本はもたれ掛る物を失い僅かによろけた。
あ、と思わず声を出しその手を日本の肩に添えようとした、正にその時。ゴリ、と何かが額に押しつけられる。
その正体がなんだか知っている為に、驚く必要はもう無かった。只鋭い双眼で堅くて黒い、その凶器の持ち主を睨み付ける。
アメリカは中国に拳銃を押しつけたまま、ヒュウ、と一つ口笛を吹いて笑った。
「まだ傷が治ってないんだ、触らないでくれるかい?」
いつもの笑みを称えたままに、アメリカは言った。自分で穴を開けた癖に。糞餓鬼め。
日本の体はアメリカのもう片方の手で支えられ、どうにか倒れずにすんだらしいが、本人はどうでも良さげに未だにどこか知れない世界を彷徨っている。
「それじゃあ中国、またね。いい返事期待してるから」
日本はアメリカに半ば抱えられるかのような形で中国から段々遠ざかっていくのを見ながら、中国は一度盛大に舌打ちをした。と、その時だった。虚ろな日本の瞳が幾分を大きく開かれ、そして呟くように、歌うように、けれどもハッキリと中国に向けて言葉が発せられる。
「 在天願昨比翼鳥
在天願蔦連理枝 」
室内に、一斉に桜の花弁が舞い込んだ。
勿論、夏の今の出来事では無い。それは遠い思い出の中の出来事であり、愛しい愛しい世界の一つだった。
幼い日本が自分の胡座をかいた真ん中に座り、自分は随分昔の巻物を広げ、ねだられるままいくつもの詩を読んでやったのだ。
日本が囁いたのはその時に読んでやった『長恨歌』の一遍で、彼の国民が最も愛した漢詩であった。
「…日本…」
思わず声を上げて彼を見やれば、その真っ黒な瞳はいつの間にかそこに帰ってきていて、一心に自分を見つめていた。それから不意にその黒曜石は水で揺らぎ、そのままポロポロと涙を零す。
「…ごめんなさい」
俯いた彼から、蚊の羽音の様な声が漏れ、中国は思わず自分の頬が緩むのを覚えた。
ふとした瞬間日本を許してしまうお兄ちゃんは私の化身です。
何があっても「許さない」というお兄ちゃんは妄想から出た汁が固まって出来た妖精さんです。