卿菊
※ この小説はかの有名な貴族英×女体日パラレル(卿菊)の設定を少々拝借させて頂き書いております。私の妄想満開ですので、あしからず。子供とか出てきますごめんぬ。
『私はどこにも行きません』
外に置かれた白い陶器に座りながら、菊とアーサーは犬と戯れるアルフレッドをぼんやり見やる。菊は眠たそうにウトウトと頭を揺らすのを、アーサーは肩を抱き寄せ寄り掛かるよう促す。
「……アルフレッドも、一人だと寂しそうですね……」
閉じかけていた瞳を空け、菊がポツリと小さく呟くのを、アーサーは顔を持ち上げて菊の顔を覗き込む。
「そうか?」
彼女には知らせていなかったのだが、医者から第二子はあまり期待出来ないと言われていたし、もし出来たとしても無事生める可能性は低いと言われていた。子供が一人だけ、というのは珍しくはあるが居ない訳ではないのだが、きっとこれからも真実は彼女に言わずにいるだろう。
「子供は一人で十分だろ。一人の方がずっと相手が出来るからな。」
アーサーはそう言うとアルフレッドの方に目線をやり、笑っていた顔をふと真顔に戻すものだから、菊もアルフレッドの方に視線を投げた。先程まで犬と遊んでいた筈のアルフレッドは、何故か立ち止まって木の根元をジッと凝視しているのだ。
「……どうした?」
立ち上がりアルフレッドの肩口から覗き込み、アーサーも言葉を無くす。黙り込んでしまった二人に気が付き菊は立てかけていた杖に手を伸ばして立ち上がると、酷くゆったりとした動きで二人に近付き、菊もその瞳を大きくさせた。そこに落ちていた(と記すには若干の戸惑いを覚えざるを得ないけれども)のは、巣から落ちてしまったらしいまだ羽も生えそろわない小鳥の死体だった。
「動かないの?」
アルフレッドは不思議そうな顔のままアーサーを見上げてそう問いかけると、アーサーはただ一度「ああ」と頷く。
「何で?」
無垢なままで問いかけられた言葉に、少しの沈黙を置いてから「死んでしまったからな」と答えると、今度はアルフレッドがまた「死んだら動かないの?」と問いかけた。
「魂だけは天国に行くからだ。」
アーサー本人、実はあまり信心深い訳では無かったのだが、問われた質問が質問なだけにどう返して良い物か分からずに、都合の良い時ばかりその知識を拝借してしまう。アーサーはアルフレッドの腕を引いてその場を去ってしまおうとするのだが、アルフレッドは頑としてその場から離れようとしない。
「死んだら天国に行くの?天国って、どこ?」
翡翠色の双眼が一瞬戸惑い、それからおもむろに、困ったように口を開く。
「雲の向こうだ。」多分。幼い頃からあまり聖書の勉強をしてこない、珍しい家庭だった所為で別段アルフレッドにも常識程度の知識しか与えていない事に今は逆に感謝を覚える。
「雲の向こうって、遠い?」
「そうだな、凄く遠くだ」
あまりにもアーサーが困っているのでか、後ろで菊が微かに喉をクスクス鳴らして笑っている音がした。けれども、あまりにもアーサーを見上げてくるアルフレッドの目が必死めいているものだから、笑っていた菊もすぐにその表情を変える。
「なんでそんな所に行かなくちゃいけないのさ。みんな行かなきゃいけないの?俺も?」
大きなアルフレッドの瞳の下に涙が溜まるのを見やって、アーサーは困った表情で菊に視線を送ると、菊は小さく頷きスカートが汚れる事も気にせずペタリと座り込みアルフレッドと目線を合わせて微笑んだ。
「ええ、みんな行かなくてはいけないんです。でも、アルフレッドが行く頃には先に母様が行ってるから大丈夫です。」
宥めるつもりで菊がそう言うと、アルフレッドは潤んだ瞳を更に大きくさせて、戦慄くかのように小さく震えた。零れないまでも涙がその瞳の底に溜まり、今にも零れそうだ。
「母様も行っちゃうの?オレは?オレは一緒に連れてってくれないの?」
菊は大きな瞳を軽く揺らし、意図的ではなく止めてしまっていた息を、少しだけ苦しそうに吐き出してからそっとアルフレッドの頬に手を当てた。
「そこにだけは、一人で逝かなければならないんです。」
「じゃあ母様はオレを置いていくんだ。」
間髪入れずに言われたアルフレッドの言葉に、困ったような視線を上げて菊はアルフレッドを見上げ、言い聞かせるように頷く。それから目に涙を一杯溜めたアルフレッドを、腕を伸ばして自身の胸の中に抱きかかえる。
「母様だって、とても怖いんです。でも、大丈夫。アルフレッドが行く頃にはきっと母様が待っています。母様の母様もいらっしゃるし……」
抱えられたアルフレッドはギュッと菊に抱き付いたままスンスン鼻を鳴らし始め、アーサーは暫く後ろで黙っていたのだがしゃがみ込みアルフレッドの頭に手を置いてからアルフレッドの脇に手を差し込みグイッと持ち上げると簡単に菊から離れる。そして小さく泣く抱え上げたアルフレッドにアーサーはその頬を寄せた。
「……中で何か暖かい物でも飲もう。」
菊に腕を差し出して立ち上がらせると、伏し目勝ちになってしまった菊の額にも頬を寄せて促す。と、菊もコクリと頷き一瞬死んだ雛鳥に視線をやった。
「後で埋めてやろう」
そうアーサーに促され、腰を支えられたままやっと歩き出す。
蝋燭のユラユラ揺れる光りに照らされてベッドに座り込んだ彼女の顔が柔らかい光で浮き上がる。電気の灯りよりも、蝋燭の方が綺麗に栄える。黒い髪も瞳も、一体いつ歳をとっているのか分からないほどに昔のままにみえてならない。アーサーは本を棚の上に置くと菊が座っているベッドに座ると、微かにベッドが鳴いた。
身を乗り出し菊の白い頬に唇を寄せ、頬に指を添えるとクイとコチラを向けさせ今度は頬ではなく瞼、そして唇にキスを落とす。頬を両手で包み込むと鼻先を寄せ合わせると、菊の黒い瞳がいつもどおり微かな動揺で揺れ動く。
「……アーサー様、私もう、子供を生めないないんですよね。」
唇が離された時小さく呟かれた菊の言葉に、アーサーは緑色の瞳を少し大きくさせて驚いた。と、眉尻を下げて「知っていたのか」と力なく呟く。
「だってもうアルフレッドが生まれてから五年も経つのに……」
菊の力ないセリフにアルフレッドはその体を抱き寄せ、その首元に顔を埋めて一つ大きく息を吸い込んだ。彼女の甘い香りが肺一杯に満ちたり、意識が微かに遠のいた気がする。
「……だから」
菊が何か言葉を紡ごうとしかけて、身を乗り出したアーサーがその唇をキスで無理矢理塞ぎ、言葉を遮った。ゆったりと離し、その黒い瞳が自身の事を酷く心配そうに見やっているのに視線を合わせ、その左の頬に手を当てる。
「お前がもし明日居なくなるとしたら、オレは一体どうしたらいい。お前は今でも……」
突然言われたその言葉に、菊は瞳を大きくさせてジッとアーサーの顔を見て続きを待つが、アーサーは口を噤み暫くそのまま固まったものの不意に視線をズラし、額を手で覆った。そして体を起き上がらせて菊から離れ、蝋燭のもとに歩む。
「……悪い。こんな話はよそう。」
そうアーサーは一言言い置き立ち上がろうとした時、菊がアーサーの服の裾を掴んで彼が行ってしまうのを留めた。驚いた表情でアーサーは振り返ると、酷く真剣な顔をした菊が小さく頭を振る。
「私はどこにも行きません。時間はまだ沢山あります。」
どこか泣き出しそうな声色は、少しだけ震えていてアーサーは眉間に皺を寄せると、なぜだか急にアルフレッド出産後のあの不安定な日々を驚くほどリアルに思い出してしまった。意識ばかりがどこか遠くに飛んで行ってしまいそうな、そんな日々だった。
「そうだな……」
言葉を先に続けようとしながらそれ以上は出ては来ず、思わず口を噤むともう一度菊の前に身を屈めて鼻先をかすめるほどに顔を寄せる。それから菊にさえ聞こえない様に、胸の可でもう一度同じ言葉を繰り返す。
ゆったりとした動作で菊の頬を撫でると、その頬に唇を落とし、一見まるで変わりないのだが出産を経験したからか、ほんの少しだけ丸みを帯びたその脇腹をそっと撫でる。彼女はくすぐったそうに喉を鳴らすものだから、思わず自身の頬も緩んでしまう。
と、不意に扉がノックされ、二人同時にそちらに目線をやって、アーサーが一言扉の向こうに言葉を掛けると、ゆっくりと戸惑い勝ちに扉が開けられた。扉の隙間から顔を覗かせたのはアルフレッドで、その後ろでフェリシアーノが苦笑を浮かべている。
「今日、一緒に寝ても良い……?」
アルフレッドによって戸惑いがちに言われた言葉に、思わず菊とアーサーはその頬を緩めて手招きをした。
「それでは今日は三人で寝ましょう。」
柔らかく微笑んだ菊がそう言うと、不安そうな顔をして枕を抱えていたアルフレッドは顔をパッと明るくさせ、その歩幅の狭い足で二人に駆け寄る。フェリシアーノは一つ頭を下げると、彼独特の優しい笑顔で夜の挨拶を済まし、丁寧に扉を閉めた。
明かりを消した静かな室内に、安心したのか直ぐにアルフレッドの寝息が聞こえてくる。合間に子供を挟み横になっていると、不思議な満足感と共に微かな不安さえ覚えてしまう。
と、もう寝てしまっていたのかと思っていた菊の声が暗闇から微かに自身の名を呼んだ。
「……まだ、起きていますか?」
そう問いかけられた言葉に、アーサーは手短に「ああ」とだけ答えた。と、衣擦れの音がして彼女が体を起こすのを感じる。
「キスを。」
今まで勿論言われたことさえ無かった言葉に、思わずギョッとしてアーサーも体を起こすと、平静を装いながら「ああ」と一言返し、腕を伸ばした。
暗い中まだ目も慣れていなかったから菊がどこにいるのかさえ分からないが、手の平が彼女の頬をなぞり、その体温を確かめながらその存在を確かめる。
ゆっくりと探り合う様にキスを一つ落とすと、その下でアルフレッドの寝息が聞こえる。窓から微かに漏れた月の光で、ぼんやりと彼女の顔がやっと浮かび上がるように見えた。
うっすらと微笑んだ彼女が、何故だか少しばかり泣き出しそうにさえ感じた。